銀河英雄伝説1 黎明篇
田中芳樹

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(例)太陽《ソル》系第三惑星|地球《テラ》

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目次
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序 章 銀河系史概略
第一章 永遠の夜のなかで
第二章 アスターテ会戦
第三章 帝国の残照
第四章 第一三艦隊誕生
第五章 イゼルローン攻略
第六章 それぞれの星
第七章 幕間狂言
第八章 死線
第九章 アムリッツァ
第十章 新たなる序章
[#ここで字下げ終わり]

[#地付き]本文挿画・加藤直之   
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   序章 銀河系史概略



 ……西暦二八〇一年、太陽《ソル》系第三惑星|地球《テラ》からアルデバラン系第二惑星テオリアに政治的統一の中枢を遷《うつ》し、銀河連邦《U S G》の成立を宣言した人類は、同年を宇宙暦《S E》一年と改元し、銀河系の深奥部と辺境部に向かってあくなき膨張を開始した。西暦《AD》二七〇〇年代のいちじるしい特徴である戦乱と無秩序とが、外的世界への人類の発展を停滞させた後であるだけに、そのほとばしるエネルギーはいっそう、爆発的であった。
 人類をして恒星間飛行を可能ならしめた三美神――亜空間跳躍航法と重力制御と慣性制御の技術――は日々に粧《よそお》いを新たにし、人類は未知の地平を目指して宇宙船を駆り、星々の群れつどう大海の彼方へと出航して行った。
「遠く、さらに遠く!」
 それがその時代の人々の合言葉であった。
 人類という種全体のバイオリズムはあきらかな昂揚期にあった。人々は不退転の意志とめくるめく情熱をもってすべてに取り組んだ。困難に直面しても、彼らは不健全な悲壮感に陶酔することなく、陽気にそれらを克服していった。当時の人類はあるいは救いがたい楽天主義者の集団であったのかもしれない。
 清新と進取の気にあふれた黄金時代!
 とはいっても、幾つかの傷がなかったわけではない。まず宇宙海賊《スペース・パイレーツ》の存在があった、これは西暦二七〇〇年代に人類社会の覇権を争った地球《テラ》・シリウス両国の私掠船戦術が産み落とした奇型児であった。そのなかには自由を謳歌《おうか 》する義賊的な人物も存在しており、彼らと彼らを追う連邦軍との対決は|立体TV《ソリビジョン》に多くの素材を提供したものである。
 しかし事実は散文的なものであり、海賊の大半は悪徳政治家や企業家と結託して不当な利益を貧る犯罪者グループ以上のものではなかった。とくに開拓星《フロンティア》の住人たちにとっては厄病神そのものといえた。海賊どもの出没する辺境航路には当然、就航する宇宙船が減り、物資の補給が滞るようになったし、手元に届いた物資はいたって高価だった。本来の経費に安全保障関係の費用の上積みが加えられたためである。この問題を過小評価するわけにはいかなかった。被害者たちの不満と不安が積み重なれば、それは連邦の統治能力に対する不信感に転じ、辺境開発への意欲を削ぐ結果を生むことは明白だったからである。
 宇宙暦《S E》一〇六年、銀河連邦は本腰を入れて宇宙海賊の一掃に乗り出し、M・シュフラン、C・ウッドらの諸提督の活躍によって、二年後ほぼその目的を達成した。もっともそれは容易ではなかった。毒舌家として知られたウッド提督の回顧録の一節は次のごとくである。
「……私は前面の有能な敵、後背の無能な味方、この両者と同時に闘わなくてはならなかった。しかも私自身ですら全面的には当てにならなかった」
 ウッド提督は政界に転じてからも、「ものわかりの悪い頑固おやじ」として、汚職政治家や企業家との悪戦苦闘を余儀なくされたものだ。
 これらの社会上の疾患は間断なく発生していたが、人類全体を一個の人体にたとえるなら、それは軽い皮膚病のようなものであり、皮膚に埃《ほこり》が付着するのを完全には防ぎえないように、それらを根絶するのは不可能なのであった。そして適切な治療さえ加えておけば、それが死因となるような事態にはまずたちいたらない。人類は手術台に上ることなく、二世紀以上の歳月をほぼ健康にすごすことができた。
 ひとりこの繁栄と発展に取り残されたのは、かつての宗主国たる地球《テラ》だった。この惑星はすでに資源のことごとくを費消し、政治的にも経済的にも実力と潜在力を喪失していた。人口も激減し、ただ色あせた伝統だけを頼りに、無害なるがゆえにかろうじて認められた自治権を細々と守るだけの老廃国家でしかなくなってしまったのだ。
 地球がまだ銀河系の支配者であった当時、シリウスなど恒星植民地から収奪し、蓄えた富も、どこかへ消えてしまったようだった。
 ……やがてガン細胞が増殖を開始した。人類社会の上に、いわゆる「中世的停滞」の影が落ちかかってきたのだ。
 人々の心のなかで、疲労と倦怠が希望と野心を制するようになった。消極が積極に、悲観が楽観に、退嬰が進取に、それぞれ取って代わった。科学技術方面における新たな発見や発明が後を絶った。民主的共和政治は自浄能力を失い、利権や政争にのみ食指を動かす衆愚政治と堕した。
 辺境星域の開発計画は事半ばにして放棄され、無数の可住惑星が豊かな可能性と建設途上の諸施設とを残したまま見捨てられた。社会生活や文化は頽廃の一途をたどった。人々はよるべき価値観を見失い、麻薬と酒と性的乱交と神秘主義にふけった。犯罪が激増し、それに反比例して検挙率は低下した。生命を軽視し、モラルを嘲笑する傾向は深まるいっぽうだった。
 これらの事象を憂慮する人々は、むろん、数多かった。頽廃の末、人類が恐竜のように惨めに滅亡して行くのを、彼らは坐視できなかった。
 人類社会の病状は抜本的な治療を必要とする段階に達しているとの、彼らの認識に誤りはなかった。しかし彼らの大部分は、その病を治癒する手段として、忍耐と根気を必要とする長期療法ではなく、副作用をともなう即効薬を嚥《の》むことを選んだのである。それは「独裁」という名の劇薬であった。
 かくしてルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの登場する土壌がはぐくまれた。

 ……ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは、宇宙暦《S E》二六八年、軍人の家庭に生まれ、当然のごとく、長じて軍籍に入った。
 宇宙軍士官学校における席次は絵に描いたような「首席」であった。身長一九五センチ、体重九九キロという偉丈夫であり、彼を見る人は、鋼鉄の巨塔を仰ぎ見る思いを味わうのだった。
 その巨体にはひとかけらの贅肉《ぜいにく》も一片の脆弱《ぜいじゃく》さもなかった。
 二〇歳で少尉に任官し、リゲル航路警備部隊に法務将校として配属されると、彼はまず部隊内の綱紀粛正に乗り出し、酒と賭博と麻薬と同性愛の「四悪」を追放した。上官がからんだ問題でも正論と規則を振りかざして容赦しなかったので、閉口した上官たちは彼を中尉に昇進させ、ペテルギウス万面に配転させてやっかい払いした。
 そこは宇宙海賊たちのメイン・ストリートと称される危険地帯だったが、勇躍して乗りこんだルドルフは、「ウッド提督の再来」と称される辣腕ぶりを示し、巧妙で仮借ない攻撃によって海賊組織を潰滅させた。降伏と裁判を望む者も宇宙船ごと焼き殺すその苛烈さは、当然ながら批判を受けたが、賞讃の声はそれ以上に大きかった。
 閉塞《へいそく》した時代の状況に窒息するような思いを味わっていた銀河連邦の市民たちは、この若い鋭気に富んだ新しい英雄を、歓呼とともに迎えた。ルドルフは、いわば濃霧のたちこめる世界に登場した輝ける超新星《スーパー・ノバ》であったのだ。
 宇宙暦《S E》二九六年、二八歳にして少将となったルドルフは、軍籍を退いて政界に転じ、議会に座を占めると、「国家革新同盟」のリーダーとなって若い政治家たちをその人気の下に結集した。
 幾度かの選挙を経て、ルドルフは勢力を飛躍的に伸張させ、熱狂的な支持、不安、反発、そして頽廃的な無関心とが複雑に交錯するなかで、強固な政治的地盤を築き上げることに成功した。
 彼は国民投票によって首相となり、さらに憲法に兼任禁止の条項が銘記されていないのを利用して、議会により国家元首に選任された。この両職は不文律によって兼任を禁じられ、それぞれに制限された権力しか所有していなかったのだが、それが同一の人格に統合されたとき、恐るべき化学反応が生じたのである。彼の政治権力を掣肘《せいちゅう》する者は、もはや存在しないにひとしかった。
「ルドルフの登場は、民衆が根本的に、自主的な思考とそれにともなう責任よりも、命令と従属とそれにともなう責任免除のほうを好むという、歴史上の顕著な例証である。民主政治においては失政は不適格な為政者《い せいしゃ》を選んだ民衆自身の責任だが、専制政治においてはそうではない。民衆は自己反省より、気楽かつ無責任に為政者の悪口を言える境遇を好むものだ」
 後代にいたって、D・シンクレアなる歴史学者はそう記した。その評の当否はともかく、同時代の人々の支持はたしかにルドルフの上にあったのだ。
「強力な政府を。強力な指導者を。社会に秩序と活力を!」
 そう叫んだ「若い強力な指導者」が、いつしか批判勢力の存在を許容しない絶対的な独裁者として「終身執政官」を称し、宇宙暦《S E》三一〇年にいたって「神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝」となりおおせたとき、歴史の教訓に学びえなかった自らのうかつさを呪った人々は多かったし、一貫してルドルフを批判してきた人々は痛憤を禁じえなかった。しかし快哉《かいさい》を叫んだ人々の数は、より以上に多かったのである。
 当時の共和派政治家のひとりであるハッサン・エル・サイドはルドルフ戴冠の日、日記に次のように書いた。
「民衆がルドルフ万歳を叫ぶ声が私の部屋にも聴こえてくる。彼らが絞刑吏《こうけいり 》に万歳を叫んだことを自覚するまで、どれほどの日数を必要とするだろう」
 この日記は、後に帝国当局により発禁処分を受けることになるが、この日はまた宇宙暦が廃され、帝国暦一年とされた日でもあった。ここに銀河連邦は崩壊し、銀河帝国――ゴールデンバウム王朝が誕生したのである。
 人類統一政体における最初の専制君主、銀河帝国皇帝ルドルフ一世となったこの男が、非凡な才幹の所有者であったことは疑いえない。彼は強力きわまる政治指導力と剛毅な意志をもって、綱紀を粛正し、行政運用の能率を高め、汚職官吏を一掃した。
 ルドルフの設けた基準によってではあったが、「洗練の度を超して頽廃し堕落した不健全な」生活様式や娯楽が姿を消し、苛酷なまでに厳重な司法活動が犯罪や未成年者非行を激減させた。ともかくも人類社会をおおっていた弊風《へいふう》は吹き払われたわけである。
 しかし、「鋼鉄の巨人」とあだ名される皇帝ルドルフは、まだ満足しなかった。彼の理想とする社会は、強力な指導者の下に整然と統制され管理された、統一性の高い社会であった。
 自らを恃《たの》むこと厚く、自ら行使する正義を信じて疑わないルドルフにとって、批判者や反対者は社会の統一と秩序を乱す異分子以外の何者でもなかった。当然の帰結として、反対勢力に対する苛酷な弾圧が開始された。
 そのきっかけとなったのは、帝国暦九年に発布された「劣悪遺伝子排除法」である。
「宇宙の摂理は弱肉強食であり、適者生存、優勝劣敗である」
 ルドルフは「臣民」に対して信念を披瀝《ひ れき》した。
「人類社会もまた、その例外ではありえない。異常者が一定数以上に増えた社会は、活力を失って衰弱する。余《よ》の熱望するところは、人類の永遠の繁栄である。したがって、人類を種として弱めるがごとき要素を排除するのは、人類の統治者たる余にとって神聖な義務である」
 それは具体的には身体障害者や貧困層や「優秀でない」人々に対する断種の強制であり、精神障害者を安楽死させることであり、弱者救済の社会政策をほとんど全廃することであった。ルドルフにとっては、「弱い」ということ自体が許しがたい罪であり、「弱さを楯にとって当然のごとく保護を求める」社会的弱者は憎悪の対象ですらあったのだ。
 この法案が国民の前に示されると、それまでルドルフを崇拝し、彼に盲従していた民衆も、さすがに鼻白んだ。自分が優秀な人間であると自信をもって断言できる者はそう多くはない。いささか強引すぎるのではないかと誰もが思った。
 その民意を代表して皇帝に批難を浴びせたのが、議会の一部にいまだ余喘《よ ぜん》を保っていた共和派の政治家たちである。それに対してルドルフは徹底的な反撃に出ることを決意した。
 彼は即座に議会を永久解散した。
 そして翌年、帝国内務省に社会秩序維持局が設立され、政治犯に対して猛威をふるうことになった。ルドルフの腹心であるエルンスト・ファルストロング内務尚書(大臣)が自らその局長をかね、「法律によらず主体的な判断によって」逮捕、拘禁、投獄、懲罰をおこなったのである。
 それは権力と暴力との祝福されざる結婚だった。そしてその間に恐怖政治という名の乳児が産まれ、ごく短期間に巨大に成長して人類社会を呑みこんだ。
 当時、密かに流行したブラック・ジョークがある。
「死刑になりたくなかったら警察には捕まるな。社会秩序維持局に捕まれ。決して死刑にはならないから……」
 社会秩序維持局に逮捕された政治犯や思想犯で、正式に死刑に処せられた者がひとりも存在しないことは事実である。だが、裁判なしで射殺された者、拷問によって死にいたらしめられた者、不毛の流刑星に送りこまれて消息を断った者、前頭葉除去手術《ロ  ボ  ト  ミ  ー》を受けたり麻薬を投与されたりして廃人と化した者、獄中で病死[#「病死」に傍点]あるいは事故死[#「事故死」に傍点]した者……これらの総計は四〇億人の多数に上る。それでも帝国全人口三〇〇〇億の一・三パーセントにすぎないということから、社会秩序維持局の当局者は、
「社会の絶対多数の安寧と福祉のために、ひと握りの危険分子を排除したのだ」
 と強弁することができた。むろん、その「絶対多数」のなかには、四〇億人の運命に戦慄して、重苦しい沈黙のうちに不満の声を呑みこんだ無数の民衆は含まれていない。
 反対派を圧殺する一方、ルドルフは「優秀な人材」を選んで特権を与え、帝室を支える貴族階級を作った。だが全員が白人で古ゲルマン風の姓を与えられたのは、ルドルフの知的衰弱を示すものではなかったろうか?
 ファルストロングも功績によって伯爵号を授けられたが、帰宅する途中、地下に潜行した共和派のテロに遭い、中性子爆弾による悲惨な死をとげた。ルドルフはそれを哀惜し、二万人に上る容疑者を全員処刑して功臣の霊を慰めた。
 帝国暦四二年、大帝ルドルフは八三年の生涯を閉じた。巨大な肉体はなお強壮を保っていたが、精神的苦痛が彼の心臓に大きな負担をかけたといわれる。
 皇帝は完全なる満足のなかで没したわけではない。皇后エリザベートとの間に儲《もう》けた四児はすべて女児であり、後継者たる男児をえることができなかった。晩年にいたって寵姫《ちょうき》マグダレーナが男児を出産したが、これは先天的に白痴であったと伝えられる。
 この件に関して帝国の公式記録は沈黙を守っているが、その後、マグダレーナばかりでなく、彼女の両親や兄弟、さらには彼女の出産に関係した医師や看護婦までもが死を賜った事実から推定して、巷間に流布されたこの噂が真実であることは、ほぼ確実である。
 そしてそれは、「劣悪遺伝子排除法」を発布し、優良な人類の発展を望んだルドルフにとって強烈な打撃であったろう。
 遺伝子がすべてを決するというルドルフの信念を崩壊から守るため、マグダレーナは死なねばならなかった。大帝ルドルフに、白痴を生むような遺伝的資質があったはずはなく、全責任はマグダレーナにあるというわけであった。
 ルドルフの死後、第二代銀河帝国皇帝の冠を頭上に戴いたのは、ルドルフの長女カタリナの子ジギスムントである。二十五歳の若き皇帝は父親であるノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムの補佐を受け、銀河系に君臨することになった。

 ……ルドルフ一世の死とともに、帝国の各地で共和主義者による叛乱が続発した。ルドルフの指導力と個性を喪失したいま、帝国はすぐにも崩壊すると思われたのだが、それは楽観的にすぎた。ルドルフが四〇年の歳月をかけ、腹心として育成した貴族、軍隊、官僚の三位一体体制《ト リ ニ テ ィ》は、共和主義者たちの希望的観測より遥かに強固であったのだ。
 それを統率したのは皇父であり帝国宰相であったノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムである。彼はルドルフが婿《むこ》として選んだ人物だけあって沈着冷静な指導力を発揮し、もともと劣勢であった叛乱軍を、卵の殻でも踏みつけるように粉砕した。
 叛乱に参加した五億余人が殺され、その家族など一〇〇億人以上が市民権を剥奪されて農奴階級に落とされた。反対勢力を圧殺するに仮借するなかれ、との帝国の国是は忠実に順守されたのである。
 共和主義者たちはふたたび冬の時代をたえねばならなかった。
 強力な専制政治の前に、厳しい冬は永遠に続くかと思われた。ヨアヒムの死後、ジギスムントが親政を行ない、その没後を長子リヒャルトが継ぎ、その後に長子オトフリートが立った。至高の権力をえるのはルドルフの子孫にかぎられ、世襲だけが権力の移動のあるべき姿となったかに見えた。
 しかし厚い氷の下で、水は音もなく対流していたのである。
 帝国暦一六四年、叛徒の眷属《けんぞく》として奴隷階級に落とされ、苛酷な労働を課せられていたアルタイル星系の共和主義者たちが、自ら建造した宇宙船を使っての逃亡に成功した。
 彼らの計画は幾世代にもわたって周到に練られたものではなかった。そのような計画は立てられた数だけ失敗に終わっていた。共和主義者の墓標が増え、挽歌に代わって社会秩序維持局の嘲笑が響き渡る。際限ない、その繰り返しだった。しかしついに彼らは成功したのだ。その計画は立案から実行までわずかに標準暦三ヶ月を要したにすぎなかった。
 発端は子供の遊びだった。酷寒のアルタイル第七惑星でモリブデンとアンチモニーの採掘に従事していた奴隷たちの子が、監視人の視線を逃がれ、氷を削って作った小舟を水に浮かべて遊んでいた。何気なくそれを見ていた青年アーレ・ハイネセンの脳裏に天啓が閃いたのだ。この見捨てられた惑星には、宇宙船の材料が無尽蔵にあるではないか!
 水の総量の少ない第七惑星には、氷よりも天然のドライアイスが豊富だった。ハイネセンらが選んだのは、とある峡谷をまるまる埋めつくしたドライアイスの巨大な塊で、長さ一二二キロ、幅四〇キロ、高き三〇キロという数値であった。その中心部を刳貫《くりぬ 》いて動力部と居住部を設け、宇宙船として飛ばそうというのである。それまでの計画の難点は宇宙船の材料の入手法にあった。非合法な資材の入手には必然的に無理が生じ、それが社会秩序維持局にかぎつけられると、容赦のない弾圧と殺戮の暴風が吹き荒れることになるのだ。
 ところがここに当局の注意をひかない天然の材料がある。
 絶対零度の宇宙空間でドライアイスが気化する懸念はない。動力部や居住部からの熱を遮断することさえできれば、かなりの長期間にわたって飛行が可能である。そしてその間に、星間物質や無人惑星に恒星間宇宙船の材料を求めればよいのだ。何も飛び立った船でそのまま飛び続ける必要はない。
 白く輝くドライアイスの宇宙船はイオン・ファゼカス号と命名された。氷の小舟の製作者である少年の名である。四〇万人の男女がこの船に乗りこみ、アルタイル星系を脱出した。後世、歴史家によって「長征一万光年」と称されることになる長い旅路の、それが第一歩であった。
 銀河帝国軍の執拗な追撃と捜索をかわして、彼らは無名の一惑星の地下に姿を隠し、そこで八○隻の恒星間宇宙船を建造すると、銀河系の深奥部に歩を踏み入れた。そこは巨星、矮星、変光星などの危険が満ちた巨大な空間だった。造物主の悪意が脱出者たちの頭上に次々と降りかかった。
 苦難の道程のさなか、彼らは指導者ハイネセンを事故で失った。親友であったグエン・キム・ホアが後を継いだ。その彼も老いて失明するにいたったとき、彼らは危険地帯を脱し、安定した壮年期の恒星群を前途に見出した。アルタイルを発して半世紀以上が経過していた。
 新天地の恒星群には古代フェニキアの神々の名が与えられた。バーラト、アスターテ、メルカルト、ハダドなどである。根拠地が置かれたのはバーラトの第四惑星で、いまは亡き指導者ハイネセンの名が与えられ、その功績が永く讃えられることになった。
「長征一万光年」の終結は帝国暦二一八年のことであったが、専制政治の軛《くびき》を脱した人々は、帝国暦を廃して宇宙暦を復活させることを決定した。自分たちこそが銀河連邦の正当な後継者であるとの誇りがそこにあった。ルドルフごときは民主制の卑劣な裏切者であるにすぎない。
 こうして自由惑星同盟《フリー・プラネッツ》の成立がおごそかに宣言された。宇宙暦五二七年のことである。初代の市民は一六万人余、長征において同志の過半を失っていた。

 ……人類社会を二分したと称するには、あまりにも小さな存在ではあったが、自由惑星同盟の建国者たちは勤勉さと情熱において比類のない人々であり、彼らの勢力は急速に質的な充実をとげた。多産が奨励されて人口も増加し、国家体制が整い、農工生産力は増大の一途をたどった。
 銀河連邦の黄金時代が再現されようとしていた。
 そして宇宙暦《S E》六四〇年、銀河帝国と自由惑星同盟の両勢力は初めて互いに接触した。戦艦同士の遭遇という形で、である。
 これあるを覚悟していた同盟側に対し、帝国側にとっては青天の霹靂《へきれき》であったから、戦闘は同盟側の勝利に帰した。しかし中性子ビーム砲の直撃を受け、火球と化して消滅する寸前、戦艦からは帝国本星に対して緊急連絡が飛んでいた。
 銀河帝国の官僚たちは古い記録を電子頭脳の回路から取り出し、一世紀以上も昔にアルタイルから逃亡した奴隷たちが存在することを知った。のたれ死にもせず生きていたのだ!
 討伐軍が組織され、大艦隊が「叛徒どもの根拠地」へ派遣された。そして完膚なきまでに敗北した。
 数的に優勢な帝国軍が完敗した理由はいくつかある。長距離の遠征を強いられた将兵に身心の疲労が蓄積されていたこと、にもかかわらず補給を軽視したこと、地理に明るくなかったこと、敵の実力と戦意を過小評価し、戦略構想が粗雑であったこと、そして同盟軍に有能な指揮官がいたこと、などだ。
 同盟軍総指揮官のリン・パオは好色で酒豪、かつ大食漢で、古代の清教徒的な質朴さを重んじる同盟の為政者たちからはとかく白眼視されていたが、用兵にかけては天才的だった。それを補佐した参謀長のユースフ・トパロウルは「ぼやきのユースフ」と呼ばれる男で、「何でこんな苦労をしなければいけないのか」と事あるごとに不平を鳴らすので有名だったが、呼吸する戦術コンピューターとも言うべき緻密な理論家だった。ふたりともまだ三〇代だったが、このコンビが、ダゴン星域外縁部における史上屈指の包囲|殲滅《せんめつ》戦を演出し、建国以後最大の英雄となったのである。
 自由惑星同盟にとっては、これが量的な膨張のきっかけとなった。帝国に対抗する独立勢力の存在を知った帝国内の異分子たちが、安住の地を求めて大量に逃亡し、流れこんできたからである。ルドルフ大帝の死後三世紀を経て、さしも強固だった体制のたが[#「たが」に傍点]もゆるみ、弾圧に狂奔した社会秩序維持局の威光も薄れて、帝国内には不満の声が高まっていたのだ。
 続々と流入する男女を、自由惑星同盟《フリー・プラネッツ》は「来る者は拒まず」の精神で受け容れたが、それらの人々は共和主義者だけでなく、宮廷内の権力争奪劇に敗れた皇族や貴族までもそのなかに含んでいた。彼らを受け容れ、量的に膨張する過程で、自由惑星同盟がしだいに変質していくのは必然的な成り行きであったろう。
 最初の接触以来、ゴールデンバウム朝銀河帝国と自由惑星同盟とは慢性的な戦争状態にあったが、ときとして擬似的な平和が訪れることもあった。その産物が「フェザーン自治領《ラント》」である。これは両勢力のほぼ中間に位置する恒星フェザーンの星系をその領域とする一種の都市国家だった。銀河帝国皇帝の主権下にあり、帝国に貢納するが、内政に関してはほぼ完全な自治権を有し、なかんずく、自由惑星同盟との外交・通商が許可されているのだ。
 銀河帝国は自らを人類社会における唯一絶対の支配者であるとしており、「外国」の存在を認めない。自由惑星同盟を正式名称で呼ばず、公文書には「叛乱勢力」と記す。同盟軍は「叛乱軍」であり、同盟の元首たる最高評議会議長は「叛乱勢力の頭目」である。そのような国是がある以上、外交も通商も問題外であるのだが、地球出身の大商人レオポルド・ラープが、異常なまでの熱心さで、特殊な性格を持つ自治領の成立を運動したのだ。嘆願と説得と、そして何よりも多額の賄賂《わいろ 》が事を決した。
 自治領《ラント》の代表者たる自治領主《ランデスヘル》は皇帝の臣下として領域を統治し、同盟との交易を監督し、ときには外交官としての役割もはたすことになった。交易を独占支配することによる富の蓄積は膨大なもので、領域こそ小さいがその実力は無視できなくなっていた。
 帝国と同盟、両勢力間の修好をはかる動きがまったくなかったわけではない。帝国暦三九八年、宇宙暦七〇七年に即位した皇帝マンフレート二世は、先帝ヘルムートの数多い庶子のひとりで、暗殺者の手を逃がれて幼少時を自由惑星同盟国内で過ごしたという経歴を持っており、リベラルな空気のなかで育っていた。
 ゆえに彼が即位すると、両勢力間の平和と対等の外交、帝国内の政治改革などが実現するかにみえた。しかし、衆望をになった若い皇帝が即位後一年たらずで暗殺されると、両勢力間の関係はたちまち冷却化し、希望は水泡に帰してしまった。マンフレート二世を暗殺した犯人は反動派の貴族であったが、その背後には、交易権の独占維持を望むフェザーンの手が動いていた、とする説も有力である。

 ……かくして宇宙暦《S E》八世紀末、帝国暦五世紀末になると、図体がでかいだけで規律も統制もない帝国と、建国当初の理想を喪失した同盟とが、フェザーンを間にはさんで、惰性的な対立抗争を続けるだけのありさまとなっていた。さる経済学者の計算によると、三者の国力比は、銀河帝国四八、自由惑星同盟四〇、フェザーン自治領一二という数値になり、これは「三すくみ」以外の何物でもないのだった。
 また、銀河連邦の最盛期に三〇〇〇億をかぞえた人類の総人口は、長い混乱のため、現在、四〇〇億にまで減少している。
 帝国二五〇億、同盟一三○億、フェザーン二〇億という配分である。
 その「何とかなってほしいが何となりようもない」状況が一変するのはヴァルハラ系第三惑星オーディン――古代ゲルマン神話の主神の名を持つルドルフが遷都した銀河帝国の首都星に、ひとりの若者が出現してからである。氷のような美貌と不敵な表情を持つその若者の名を、ローエングラム伯ラインハルトといった。
 ラインハルトはもとの姓をミューゼルといい、貴族とは名ばかりの貧しい家庭に生まれた。帝国暦四六七年(宇宙暦七七六年)のことである。彼が一〇歳のとき、五歳年長の姉アンネローゼが皇帝フリードリヒ四世の後宮に納められたことから彼の運命は変わった。黄金色の髪と蒼氷色《アイス・ブルー》の瞳を持つ若者は一五歳にして近衛師団の少尉となり、姉アンネローゼに対する皇帝の寵愛と、彼自身の才幹とによって加速度的に栄進していった。
 年齢が二〇に達すると、彼はローエングラム伯の爵位を授与され、帝国軍上級大将に任ぜられていた。専制国家らしい極端な人事であったが、地位には責任がともなった。門閥貴族の出身であればその必要度も大きくはなかったであろうが、単に「皇帝の寵姫の弟」でしかないラインハルトは、自己の才幹を他者に示さなければならなかった。
 一方、ほぼ時をおなじくして、自由惑星同盟もひとりの用兵家をえた。宇宙暦七六七年に生まれ、二〇歳で軍籍にはいったヤン・ウェンリーである。
 彼はもともと軍事に志があったわけではなく、いくつかの偶然が彼の背を突き飛ばさなければ、歴史の創造者ではなく観察者として生涯を終わったであろう。
「できることと、できないことがある」
 それがヤンの持論であり、運命に対して彼はラインハルトより受動的で、かつ受容性に富んでいた。とはいえ、彼は戦争や、それを遂行するための軍人という職業に対して、つねに違和感を抱き続けており、軍部における地位を投げ捨てて隠退したいという欲求から終生、解放されることがなかったのである。
 ……宇宙暦七九六年、帝国暦四八七年の初頭、ラインハルトは二万隻からなる艦隊を率いて遠征の途に上った。「自由惑星同盟」を僭称する叛乱軍を足下に拝跪《はいき 》させ、その功績によって自らの地位を確立するためである。
 同盟軍は四万隻の艦隊を組織して、それを迎撃することになった。その幕僚の一員に、ヤン・ウェンリーの名がある。
 このとき、ローエングラム伯ラインハルトは二〇歳、ヤン・ウェンリーは二九歳であった……。
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   第一章 永遠の夜のなかで


     T

 銀河帝国軍大佐ジークフリード、キルヒアイスは、艦橋に一歩を踏み入れた瞬間、思わず立ちすくんだ。無数の光点を散りばめた宇宙の深淵が、圧倒的な量感で彼の全身を押し包んだからである。
「…………」
 無窮《むきゅう》の暗黒間に浮揚《ふ よう》したかのごとき錯覚は、しかし一瞬で去った。戦艦ブリュンヒルトの艦橋は巨大な半球型をなしており、その上半部が一面のディスプレイ・スクリーンとなっているという事実が、キルヒアイスの記憶にあったのだ。
 感性を宙空から地上へ引きずり降ろすと、キルヒアイスはあらためて周囲を見渡した。広大な室内の照明は極度に抑えられて、薄暗がりの支配下におかれていた。大小無数のスクリーン、操作卓《コンソール》、計器類、コンピューター、通信装置などが幾何学的に配置されたなかを、男たちが動き回っている。その頭部や手足の動きが、水流に乗って回遊する魚群を連想させた。
 キルヒアイスの鼻孔を、あるかなしかのかすかな臭気が刺激した。戦闘を控えて緊張した人間が分泌するアドレナリンの匂いと、機械《メカ》が発する電子臭とを、還元酸素のなかで混合させると、宇宙の軍人に親しいこの匂いが生まれるのだ。
 赤毛の若者は艦橋の中央部に向かって大股に歩き出した。大佐といっても、キルヒアイスはまだ二一歳になっていなかった。軍服を脱いだときの彼は、後方勤務の女性兵たちが噂するように、「ハンサムな赤毛ののっぽ[#「のっぽ」に傍点]さん」にすぎなかった。ときとして、自分の年齢と階級との相関関係につりあわないものを感じてとまどうことがある。彼の上官のように平然としてそれを受けとめることは、なかなかできないのだった。
 ローエングラム伯ラインハルトは、指揮シートの角度を傾けて、ディスプレイ・スクリーンを埋めつくす星の大海にじっと見入っていた。彼に近づいたとき、やわらかな空気の抵抗をキルヒアイスは感じた。遮音力場が張ってあったのだ。ラインハルトを中心とした半径五メートル以内の会話は、外にいる者には聴こえない。
「星を見ておいでですか、閣下」
 キルヒアイスの声に、一瞬の間をおいてラインハルトは視線を転じ、シートの角度を水平にもどした。坐ったままではあっても、黒を基調として各処に銀色を配した機能的な軍服が、すらりと均整のとれた肢体を、よりいっそう精悍《せいかん》に引き締めているのがわかる。
 ラインハルトは美しい若者だった。他に類を見ないほどの美貌と称してもよい。やや癖のある黄金色の頭髪が白い卵型の顔の三方を飾っている。鼻梁《びりょう》と唇の端麗さは、古代の名工の手になる彫刻を想わせた。
 しかし生命のない彫刻でありえない証明はその双眼で、蒼氷色《アイス・ブルー》の瞳は鋭く研磨された剣のような光を放っていた。それとも、凍《い》てついた星の輝き、と呼ぶべきだろうか。宮廷の女たちは「美しい野心的な瞳」と噂し、男たちは「危険な野心家の目」と表現している。いずれにせよ、無機的な完璧さを有する彫刻の目でないことはたしかだった。
「ああ、星はいい」
 ラインハルトは応《こた》え、自分と同年齢の腹心の部下を仰ぎ見るようにした。
「また少し背が伸びたのではないか?」
「二ヶ月前と同じ一九〇センチです、開下。もうこれ以上は伸びないでしょう」
「おれより七センチも高ければたしかにもう充分だな」
 負けん気の強い少年のような響きが、その声にはある。キルヒアイスはかすかに笑った。六年ほど前まで、両者の身長にはほとんど差がなかった。金髪の少年に差をつけてキルヒアイスの背が伸び始めたとき、ラインハルトは本気で口惜しがり、友人を置き去りにして自分だけ背を伸ばすのか、などと抗議口調で言ったものである。キルヒアイスと、他にもうひとりの人物だけしか知らない、ラインハルトの子供っぽい側面だった。
「ところで何か用件があるのか?」
「はい、叛乱軍の布陣です。偵察艇三隻からの報告によりますと、やはり三方から同一速度でわが軍に接近しつつあるようです。指揮卓のディスプレイを使ってよろしいですか?」
 金髪の若い上級大将がうなずくのを見て、キルヒアイスは手をリズミカルに動かした。指揮卓の左半分を占めるディスプレイの画面に、四本の矢印が浮かび上がった。上下左右の各方向から、画面の中心へと進行する形である。下方の矢印だけが赤く、他の矢印は緑色だった。
「赤い矢印がわが軍、緑の矢印が敵です。わが軍の正面に敵軍の第四艦隊が位置し、その兵力は艦艇一万二〇〇〇と推定されます。距離は二二〇〇光秒、このままの速度ですと、約六時間後に接触します」
 画面を指《さ》すキルヒアイスの指が動いた。左方向には敵軍第二艦隊がおり、兵力は艦艇一万五〇〇〇隻、距離は二四〇〇光秒。右方向には敵軍第六艦隊がおり、兵力は艦艇一万三〇〇〇隻、距離は二〇五〇光秒。
 反重力磁場システムを初めとする各種のレーダー透過装置や妨害電波などの発達、さらにレーダーを無力化する材料の出現により、レーダーが索敵《さくてき》装置として用をなさなくなって数世紀が経過している。索敵は有人偵察機や監視衛星など、古典的な手段に頼るしかない。それらによってえられた情報に、時差や距離的要素を加算して敵の位置を知る。これに熱量や質量の測定を加えれば、不完全ながらも一応の索敵が可能となるのだ。
「敵軍の合計は四万隻か。わが軍の二倍だな」
「それがわが軍を三方から包囲しようとしております」
「老将《おいぼれ》どもが青くなっているだろう……いや、赤くかな」
 ラインハルトは意地の悪い笑いを白皙の顔に閃かせた。二倍の敵に三方から包囲されつつあると知りながら、狼狽の気色はまったく見えない。
「たしかに青くなっています。五人の提督が閣下に緊急にお会いしたいと申し込んで来られました」
「ほう、おれの顔も見たくないと放言していたのにな」
「お会いになりませんか?」
「いや、会ってやるさ……奴らの蒙を啓《ひら》くためにもな」
 ラインハルトの前に現れたのはメルカッツ大将、シュターデン中将、フォーゲル中将、ファーレンハイト少将、エルラッハ少将の五人だった。ラインハルトの言う「老将」たちである。しかしその評語は酷にすぎるかもしれない。最年長のメルカッツでもいまだ六〇歳には達しておらず、最年少のファーレンハイトは三一歳でしかなかった。ラインハルトたちのほうが若すぎるのである。
「司令官閣下、意見具申を許可していただき、ありがとうございます」
 一同を代表してメルカッツ大将が述べた。ラインハルトが生まれる遙か以前から軍籍にあり、実戦にも軍政にも豊富な知識と経験を持っている。中背で骨太の体格と眠そうな両眼をはぶいては特徴のない中年男だが、その実績と声価はラインハルトなどよりずっと大きいであろう。
「卿らの言いたいことはわかっている」
 メルカッツの示した儀礼に形ばかりの答礼をして、ラインハルトは先手を打った。
「わが軍が不利な状況に在る、そのことに私の注意を喚起したいというのだろう」
「さようです、閣下」
 シュターデン中将が半歩前へ進み出ながら応じた。ナイフのように細身でシャープな印象を与える四〇代半ばの人物で、戦術理論と弁舌に長じた参謀型の軍人だった。
「わが軍に対して敵の数は二倍、しかも三方向よりわが軍を包囲せんとしております。これはすでに交戦態勢において敵に遅れをとったことを意味します」
 ラインハルトの蒼氷色の瞳が冷然たる輝きを放ちながら、中将を直視した。
「つまり、負けると卿は言うのか?」
「――とは申しておりません、閣下。ただ、不利な態勢にあることは事実です。ディスプレイ・スクリーンを見ましてもわかりますように……」
 七対の目が指揮卓のディスプレイに集中した。
 キルヒアイスがラインハルトに示した両軍の配置が、そこに図示されている。遮音力場の外で幾人かの兵が興味|津々《しんしん》と高級士官たちを見やっていたが、シュターデン中将がにらみつけると、あわてて目をそらせた。咳払いの後、中将がふたたび口を開く。
「これは過ぐる年、帝国の誇ります宇宙艦隊が、自由惑星同盟を僭称する叛乱軍のため、無念の敗北を喫したときと同様の陣形です」
「『ダゴンの殲滅《せんめつ》戦』だな」
「さよう、まことに無念な敗戦でした」
 荘重な歎息が中将の口から洩れた。
「戦いの正義は、人類の正統な支配者たる銀河帝国皇帝陛下と、その忠実な、臣下たるわが軍将兵にあったのですが、叛乱軍の狡猾なトリックにかかり、忠勇なる百万の精鋭は虚空に散華《さんげ 》するにいたったのです。今回の戦いにおいて、もし前者の轍《てつ》を踏むことあらば、皇帝陛下の宸襟《みこころ》を傷つけ奉るは必定であり、ここは功にはやることなく、名誉ある撤退をなさるべきではないかと愚考するしだいです」
 まさしく愚考だ、無能きわまる饒舌家め、とラインハルトは心のなかで罵った。口に出してはこう言った。
「卿の能弁は認める。しかしその主張を認めるわけにはいかぬ。撤退など思いもよらぬことだ」
「……なぜです。理由を聞かせていただけますか?」
 度しがたい孺子《こ ぞ う》めが、と罵る表情がシュターデン中将の瞳に浮き上がっている。それを意に介せず、ラインハルトは答えた。
「吾々が敵より圧倒的に有利な態勢にあるからだ」
「何ですと?」
 シュターデンの眉が大きく上下した。メルカッツは憮然として、フォーゲルとエルラッハは愕然として、若い美貌の指揮官を見つめた。
 五人中最年少のファーレンハイトだけが、色素の薄い水色の瞳におもしろそうな表情をたたえている。下級貴族の出身で、食うために軍人になったと広言している男だ。機動性に富んだ速攻の用兵に定評があるが、迎撃戦となるとやや粘りに欠けるともいわれる。
「どうも私のように不敏な者には理解しがたい見解を有しておいでのようですな。もうすこしくわしく説朋していただけるとありがたいのですが……」
 シュターデン中将が耳ざわりな声で言った。その不愉快な舌を引き抜いてやるのは後日のこととして、ラインハルトは相手の要請に応じた。
「私が有利と言うのは次の二点においてだ。ひとつ、敵が三方向に兵力を分散させているのに対し、わが軍は一ヶ所に集中している。全体を合すれば敵が優勢であっても、敵の一軍に対したときには、わが軍が優勢だ」
「…………」
「ふたつ、戦場から次の戦場へ移動するに際しては、中央に位置するわが軍のほうが近路をとることができる。敵がわが軍と闘わずして他の戦場へ赴くには、大きく迂回しなければならない。これは時間と距離の双方を味方としたことになる」
「…………」
「つまり、わが軍は敵に対し、兵力の集中と機動性の両点において優位に立っている。これを勝利の条件と言わずして何と呼ぶか!」
 鋭く切り込むような語調でラインハルトが言い終えたとき、五人の提督は一瞬、その場で結晶化したようにキルヒアイスには思われた。ラインハルトは彼より豊富な戦歴を有する年長の軍人たちに、極端なまでの発想の転換を強《し》いたのだ。
 呆然と立ちつくすシュターデン中将の顔に皮肉な視線を射こみながら、ラインハルトは追いうちをかけた。
「吾々は包囲の危機にあるのではない。敵を各個撃破するの好機にあるのだ。この好機を生かすことなく空しく撤退せよと卿は言うが、それは、消極をすぎて罪悪ですらある。なぜなら吾々に課せられた任務は、叛乱軍と戦ってこれを撃滅することにあるからだ。名誉ある撤退と卿は言った。皇帝陛下より命ぜられた任務をはたさずして何の名誉か! 臆病者の自己弁護に類するものと卿は思わぬのか?」
 皇帝の二字が出ると、ファーレンハイトをはぶいた四提督の身体に緊張の小波《さざなみ》が走る。それがラインハルトにはばかばかしい。
「しかし、総司令官閣下はそうおっしゃるが……」
 あえぐようにシュターデンは抗弁を試みた。
「好機と言っても、閣下おひとりがそう信じておられるだけのこと。用兵学の常識からみても承服しかねます。実績を示していただかないことには……」
 こいつは無能なだけでなく低能だ、とラインハルトは断定した。前例のない作戦に実績のあるはずがない。実績はこれからの戦闘で示されるのではないか。
「翌日には卿はその目で実績を確認することになるだろう。それでは納得できないか」
「成算がおありですか?」
「ある。ただし卿らが私の作戦に忠実に従ってくれればの話だ」
「どのような作戦です?」
 猜疑の念も露骨にシュターデンが問う。ラインハルトは一瞬キルヒアイスの顔を見やると、作戦の説明を始めた。
 ……二分後、遮音力場の内部に、シュターデンの叫びが満ちた。
「机上の空論だ。うまく行くはずがありませんぞ、閣下、このような……」
 ラインハルトは掌《てのひら》を指揮卓に勢いよく叩きつけた。
「もういい! このうえ、議論は不要だ。皇帝陛下は私に叛乱軍征討司令官たれと仰せられた。卿らは私の指揮に従うことを陛下への忠誠の証明《あ か し》とせねばならぬはずだ。それが帝国軍人の責務ではないか。忘れるな、私が卿らの上位にあるということを」
「…………」
「卿らに対する生殺与奪《せいさつよ だつ》の全権はわが手中にある。自ら望んで陛下の御意に背《そむ》き奉ろうというのであれば、それもよし。陛下に賜ったわが職権をもって、卿らの任を解き、抗命者として厳罰に処するまでのこと。そこまでの覚悟が卿らにはあるのか」
 ラインハルトは目前の五人を見すえた。返答はなかった。

     U

 五人の提督は去った。納得も承服もしないが、皇帝の威には逆らいがたいという態であった。ただ、ファーレンハイトひとりはラインハルトの作戦構想に好意的な表情を示したようにも思われるが、他の四人の表情は、程度の差こそあれ、「皇帝の威を借る孺子《こ ぞ う》めが」と語っていた。
 キルヒアイスにとっては、いささか黙視しがたい状況が生じている。それでなくてさえ、ラインハルトは若すぎる成上がり者として評判が良くないのだ。老練の諸将から見れば、ラインハルトは姉アンネローゼを介して皇帝の威光を借りるだけで自らは光を発することのない貧弱な小惑星であるにすぎなかった。
 ラインハルトは今回が初陣というわけではない。軍籍に入って五年、すでにいくつかの軍功をたてている。しかしそれも諸将に言わせると、運が良かったとか、敵が弱すぎたということになるのだった。またラインハルトが万事、腰が低いとは称しがたいことから、彼に対する悪感情は増幅し、現在では「生意気な金髪の孺子《こ ぞ う》」なる呼称が蔭《かげ》で定着しているほどなのである。
「よろしいのですか?」
 青い目に懸念の表情を浮かべて、赤毛の若者はラインハルトに質した。
「放っておけ」
 上官の方は平然としていた。
「奴らに何ができるものか。嫌みひとつ言うにも、ひとりではなく幾人かでつるんでしか来られないような腰ぬけどもだ。皇帝の権威に逆らうような勇気などありはせぬ」
「ですが、それだけに陰《いん》にこもるかもしれません」
 ラインハルトは副官を見て、低い楽しそうな笑声を立てた。
「お前は相変わらず心配性だな。気にすることはない、いまは不平たらたらでも、一日たてば様相が変わる。シュターデンの低能に、奴の好きな実績とやらを額縁つきで見せてやるさ」
 もうその話はやめよう、と言ってラインハルトは席から立ち上がり、司令官室で休息しようと誘った。
「一杯飲まないか、キルヒアイス、いい葡萄酒《ワイン》があるんだ。四一〇年物の逸品だそうだ」
「結構ですね」
「では行こうか。ところで、キルヒアイス……」
「はい、閣下」
「その閣下だ。他に人がいないときは閣下呼ばわりする必要はない。以前から言っているだろう」
「わかってはいるのですが……」
「わかっているのなら実行しろ。この会戦が終わって帝国首都《オーディン》に帰還したら、お前自身が閣下になるのだから」
「…………」
「准将に昇進だ。楽しみにしておくんだな」
 艦長ロイシュナー大佐に後をまかせて、ラインハルトは個室へと歩き出した。その後にしたがいながら、キルヒアイスは上官の発言を脳裏で反芻《はんすう》した。
 会戦が終わって帰還したら准将……金髪の若い提督は、敗北することなど考えてもいないらしい。キルヒアイス以外の者であれば、それを度しがたい高慢とうけとるに相違なかった。だがラインハルトが、親友に対する好意から言ったのだということを、キルヒアイスは知っている。
 この人に会ってから、もう一〇年になるのか……キルヒアイスはふとそう思った。ラインハルトとその姉アンネローゼに出会って、彼の運命は変わったのだ。
 ジークフリード・キルヒアイスの父親は司法省に勤める下級官吏だった。四万帝国マルクほどの年俸を稼ぐために上司と書類とコンピューターに追い回される毎日で、広くもない庭でバルドル星系産の何とかいう蘭の一種を育てることと、食後の黒ビールだけを楽しみとする、平凡で善良な男だった。幼い赤毛の息子のほうは、学校では優等生グループの端に何とかぶら下がり、スポーツは万能で、両親の自慢だった。
 ある日、廃屋も同然の隣家に、貧しげな父子が移り住んで来た。
 無気力そうな中年男が貴族だと聞いて、キルヒアイス少年は驚いたが、金髪の姉弟を見て信じる気になった。姉弟とも何と綺麗なんだろうと少年は思ったのだ。
 弟のほうとは即日、知合いになった。ラインハルトなる少年は、キルヒアイスと同年で、標準暦で二ヶ月だけキルヒアイスより遅く生まれたということだった。赤毛の少年が名乗ると、金髪の少年は形のいい眉をきゅっと吊り上げて、言った。
「ジークフリードなんて、俗な名だ」
 思いもかけないことを言われて、赤毛の少年はびっくりし、返答に困った。するとラインハルトは続けてこう言った。
「でもキルヒアイスって姓はいいな。とても詩的だ。だから僕は君のこと、姓で呼ぶことにする」
 一方、姉のアンネローゼのほうは、彼の名を短縮して「ジーク」と呼んだ。顔の造作は弟に酷似していたが、一段と繊細で、けぶるような微笑がかぎりなく優しかった。ラインハルトに紹介されて対面したとき、彼女は木洩れ陽が差しこむような表情を赤毛の少年に向けた。
「ジーク、弟と仲良くしてやってね」
 それから今日までキルヒアイスは彼女の依頼を忠実に守ってきた。
 さまざまなことがあった。見たこともない豪奢な地上車《ランド・カー》が隣家の前に駐まり、高級な服を着た中年の男が降りて来た。負けず嫌いのラインハルトが、泣きながら父親を詰《なじ》る声が一晩中、絶えなかった。
「父さんは姉さんを売ったんだ」
 翌朝、ラインハルトを学校に誘うという口実で隣家を訪れたキルヒアイスに、優しく、だが寂しげに微笑してアンネローゼが言った。
「弟はもう、あなたと同じ学校へ行けないの。短い期間だったけど、ありがとう」
 美しい少女は彼の額に接吻して、手作りのチョコレート・ケーキをくれた。
 その日、赤毛の少年は学校へ行かず、ケーキを大事に抱えて自然公園に行き、パトロール・ロボットに発見されないよう用心しながら、誰も知らない理由で火星松と呼ばれる針葉樹の蔭で、長い時間をかけてケーキを食べた。姉弟に別れる哀しさで涙がこぼれ、それを手で拭いたため、幼い顔には焦茶色の縞ができた。
 暗くなって、叱責を覚悟で帰宅したが、両親は何も言わなかった。隣家の灯は消えていた。
 一ヶ月後、帝国軍幼年学校の制服を着たラインハルトが予告もなく訪れて来た。驚喜するキルヒアイスに、金髪の少年はおとなびた口調で言った。
「軍人になるんだ。はやく一人前になれるからね。出世して姉さんを解放してあげなきゃ。ねえ、キルヒアイス、ぜひ僕と同じ学校へおいでよ。幼年学校にいるのは嫌な奴らばかりなんだ」
 ……両親は反対しなかった。息子の出世を望んだのかもしれないし、息子を隣家の姉弟に奪われたと悟ったのかもしれない。ともあれ、キルヒアイスはラインハルトとおなじ道を歩むべく、少年の日に決断を下したのだった。
 幼年学校の生徒は大半が貴族の子弟で、他は上流市民の息子ばかりだった。キルヒアイスが入学を許されたのは、ラインハルトの熱望とアンネローゼの労によるものだということは明白だった。
 ラインハルトの成績はつねに首席であり、キルヒアイスも上位を確保していた。自分自身のためにも姉弟のためにも、悪い成績は取れなかった。
 ときおり、生徒の父兄たちが学校を訪れた。身分の高い貴族。しかし彼らに尊敬を抱く気にはなれなかった。特権に驕《おご》る者の腐臭《ふしゅう》だけが鼻についた。
「あいつらを見ろよ、キルヒアイス」
 そのような貴族たちを見るたびに、ラインハルトは激しい嫌悪と侮蔑をこめてささやくのだった。
「あいつらは今日の地位を自分自身の努力で獲得したのじゃない……権力と財産を、ただ血がつながっているというだけで親から相続して、それを恥じらいもしない恥知らずどもだ。あんな奴らに支配されるために、宇宙は存在するんじゃない」
「ラインハルトさま……」
「そうさ、キルヒアイス、おれもお前も、あんな奴らの風下に立つべき理由は何ひとつないんだ」
 この種の会話は両者の間で幾度となくかわされたが、あるとき、ラインハルトは赤毛の親友に強烈きわまる衝撃を与えた。
 首都のいたる処に傲然とそびえ立つルドルフ大帝の像に敬礼した後――これに礼を施すのは帝国臣民の神聖な義務だった。大帝像の両眼は精巧なテレビ・アイになっており、帝威を恐れぬ危険分子は内務省に厳しく監視されているのだ――ラインハルトは熱っぽい口調で語りかけた。
「キルヒアイス、こう考えてみたことはないか? ゴールデンバウム王朝は人類の発生以来、続いてきたわけじゃない。始祖はあの傲岸不遜なルドルフだ。始祖がいるということは、それ以前は帝室などでなく、名もない一市民にすぎなかったってことだ。もともとルドルフは成上がりの野心家にすぎなかった。それが時流にのって神聖不可侵の皇帝などになりおおせたんだ」
 この人は何を言おうとしているのか? キルヒアイスは鼓動の高まりを覚えた。ラインハルトは言った。
「ルドルフに可能だったことが、おれには不可能だと思うか?」
 そしてキルヒアイスを凝視したラインハルトの蒼氷色の宝石のような瞳を、赤毛の少年は呼吸を停める思いで見返したのだ。それはふたりが軍隊に入る直前の冬のことだった。

     V

「……科学技術の無秩序な発展が人類のアイデンティティに危険を及ぼした例は、西暦《AD》二〇世紀から二一世紀にかけて多数を見出すことができる。ことに遺伝子工学の一成果である生命複製《クローニング》は、それが単に理論上の可能性を示しただけであったにもかかわらず、永還の生命を保障されたかのように誤解された。それが社会ダーウィニズムと結合されたとき、恐るべき生命軽視の思想が地球という名の惑星上を跋扈《ばっこ 》するにいたった。劣悪な遺伝子の所有者に子を生む資格はなく、劣等人種を淘汰することによって人類の質的向上をはかるべきだとの意見が勢力を増した。これはじつに、後日のルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの主張の遠い萌芽《ほうが 》となったものであり……」
 操作卓《コンソール》の小さな画面に映し出されていた文章が急に薄れて消えた。調節ボタンに指が触れるより早く、別の文章が浮かび上がる。
「ヤン准将、司令官がお呼びです。指揮官席へ至急おいで下さい」
 読書の途中を邪魔されたヤン・ウェンリー准将は、軍用ベレーを取っておさまりの悪い黒い頭髪をかき回した。
 彼は自由惑星同盟軍第二艦隊の次席幕僚であり、旗艦パトロクロスの艦橋の一角に座を占めていた。本来、戦術コンピューター用の操作卓《コンソール》に書籍VTRを入れて私的な読書を楽しんでいたのだから、不愉快がる道理はない。
 ヤンの姓名表記型式はE式となっている。これは銀河連邦成立以前からの伝統で、姓が名の前にくる型式であり、Eとは東洋《イースタン》の頭文字だとされていた。逆に名が姓の前にくる表記型式をW式と称し、これは西洋《ウエスタン》の頭文字ということになっている。
 もっとも、混血がいちじるしく進んだこの時代、姓名は直系の祖先の出身をおぼろげに示すだけの役割しか持っていない。
 ヤンは黒い髪、黒い目、中肉中背の体躯[#表示不能に付き置換え]を持つ二九歳の青年で、軍人というよりは冷静な学者といった印象を与える。だがそれも強いて言えばのことで、ごく温和そうな青年という以上には他人は見ないようであった。軍隊における彼の階級を聞いてたいていの人は驚く。
「ヤン准将、参りました」
 敬礼する青年士官に、艦隊司令富パエッタ中将は非好意的な視線を向けた。こちらは、軍人以外の職業が想像できないような、いかめしい顔つきの中年の人物である。
「君の提出した作戦案を見た」
 それだけ言って、またヤンを観察する。こんな軟弱そうな孺子《こ ぞ う》が、自分より二階級しか下でないことを、どうしても納得できぬと言いたげである。 
「なかなか興味深い案だった。しかし、慎重にすぎていささか消極的ではないかな」
「そうでしょうか」
 ヤンはごく温和な口調で応じたが、考えてみればこれは上官に対してかなり無礼な応答であったかもしれない。パエッタ中将は気づかなかった。
「君自身が記している通り、たしかに負けがたい作戦案ではある。しかし負けないだけでは意味がない。勝たなくてはな。わが軍は敵を三方から包囲している。しかも敵の二倍の兵力でだ。これだけ大勝の要件を備えて、なぜ、いまさら、負けない算段をせねばならんのだ?」
「ですが、まだ包囲網が完成されたわけではありません」
 今度は中将も気づいた。彼は不快そうに眉根を寄せ、みごとな縦皺を一本、眉間に深く刻んだ。
 ヤンは平然としている、
 九年前、国防軍士官学校を卒業したとき、ヤンは平凡な新任少尉だった。卒業時の席次は四八四〇名中、一九〇九番だったのだ。そして現在は平凡な准将、とは言えない。彼は同盟全軍を通じて一六名しかいない二〇代の将官のひとりなのである。
 パエッタ中将は、この若い准将の戦歴を知らないわけではない。九年間に一〇〇回以上の戦闘に参加している。今回のように五桁の艦艇が集結するような大規模の戦闘はなかったが、それでも幼児の花火ごっことはわけが違うのだ。そして何よりも、あの「エル・ファシル脱出行」の輝ける英雄!
 若いながら歴戦の勇士であるはずなのだが、そういう印象をパエッタはまるで受けないのである。後方勤務本部で兵士の給料の計算でもしているほうが似つかわしく思えてならない。
「とにかく、この作戦案は却下する」
 書類を、中将はヤンに差し出した。
「言っておくが、君に含むところがあるわけではないぞ」
 よけいなことを中将は言った。

     W

 ヤン・ウェンリーの父親ヤン・タイロンは自由惑星同盟の多くの交易商人のなかでも、手腕に富んだ男として知られていた。人をそらさぬ微笑の奥で高性能の商業用頭脳を回転させ、一介の小商船主から出発してどんどん財産を増やしていったのだ。
「おれは金銭《かね》を可愛がってるから……」
 と、彼は成功の秘訣を訊ねる友人に答えたものだ。
「恩を感じた金銭《かね》が出世して戻って来るのさ。銅貨は銀貨に、銀貨は金貨にな。要するに育て方ひとつだよ!」
 彼自身はそれを気のきいた冗談と思っていたようで、事あるごとにそう言って回ったので、「金銭《かね》育ての名人」というニックネームを奉られた。かならずしも好意的なものとは言いがたいが、言われる当人は満足していたようである。
 ヤン・タイロンは、また、古美術品の収集家でもあった。西暦《AD》が使用されていた当時の絵画、彫刻、陶磁器などが、彼の邸宅には山積みになっていた。オフィスに陣取って恒星間商船隊に指揮を下していないときの彼は、邸内の古美術品を鑑賞したり磨きたてたりするのに忙しかった。
 趣味が高《こう》じたあげく、彼は配偶者まで古美術品を選んだ、と噂された。浪費癖のある最初の妻と離婚した後、彼は評判の美女と再婚したが、彼女はとある軍人の未亡人だったのである。そして息子――ヤン・ウェンリーが生まれた。
 男児誕生の報を、ヤン・タイロンは自邸の書斎で受けたが、古い花瓶を磨く手を休めると呟いた。
「おれが死んだら、この美術品はみんなそいつのものになってしまうんだなあ」
 そしてまた磨き続けた。
 ヤン・ウェンリーが五歳になったとき、母親が死んだ。急性の心臓疾患によるもので、それまで健康であっただけに、その突然の死はさすがのヤン・タイロンをも驚かせた。
 彼は手にしていた青銅の獅子の置物を床に取り落としたが、我に返ってそれを拾い上げると、妻の親族一同を憤慨させる台詞《せ り ふ》を吐いた。
「割れものを磨いているときでなくてよかった……」
 生別と死別によって二人の妻を失ったヤン・タイロンは、もう結婚する意思を持たなかった。彼は息子にメイドをつけたが、メイドが休暇のときなど扱いに困り、自分の傍に坐らせて一緒に壺を磨いたりしていた。
 亡妻の親族が彼の邸宅を訪れ、書斎で無言のまま壺を磨いている父子の姿を見て呆れかえり、かくも無責任な父親の手から幼児を救出すべきだ、と主張するにいたった。息子と古美術品のどちらがだいじか、と詰問されて、交易商人は答えた。
「美術品を集めるには資金がかかったからなあ」
 息子のほうはただだった、というわけである。
 この言種《いいぐさ》に怒り狂った親族一同は、事を法廷に持ちこんで解決する姿勢を示したが、それを察したヤン・タイロンは息子を抱いて自ら恒星間商船に乗りこみ、首都ハイネセンから姿を消してしまった。まさか、父親が息子を誘拐したと訴えることもできず、親族一同は肩をすくめて、星空に宇宙船の軌跡を追うしかなかった。まあ仕方ない、息子をつれて行ったということは、あの男にも脈があるということなのだろう……
 こうしてヤン・ウェンリーは一六歳になるまで、人生の大半を宇宙船の船内で過ごすことになったのだ。
 幼いヤン・ウェンリーは最初、跳躍《ワープ》のたびに体調を崩して吐いたり発熱したりしたが、やがて慣れてしまうと、悠然として自分の境遇を受け容れた。彼は機器《メカ》への興味をひととおり満たしてしまうと、他の方面へ関心を向けるようになった。歴史に、である。
 少年はビデオも見、再刊された古書も読み、昔語りも喜んで聞いたが、とくに「史上最悪の纂奪者《さんだつしゃ》」ルドルフに対しての興味は深かった。自由惑星同盟の人々が話すことだから、当然、ルドルフは悪の権化として表現されたが、聞くうちに少年は疑問を抱くようになった。ルドルフがそれほどの悪党だったなら、なぜ、人々は彼を支持し権力を与えたのか?
「そりゃあ、ルドルフはとことん悪どい奴だったからな、民衆をうまくだましたのさ」
「民衆はどうしてだまされたんだろう?」
「ルドルフが何しろ悪い奴だったからだよ」
 こういう問答は少年を満足させなかったのだが、父親の見解は他の人々と多少、異なっていた。息子の質問に彼はこう答えた。
「民衆が楽をしたがったからさ」
「楽をしたがる?」
「そうとも。自分たちの努力で問題を解決せず、どこからか超人なり聖者なりが現れて、彼らの苦労を全部ひとりでしょいこんでくれるのを待っていたんだ。そこをルドルフにつけこまれた。いいか、おぼえておくんだ。独裁者は出現させる側により多くの責任がある。積極的に支持しなくても、黙って見ていれば同罪だ……しかしだな、お前、そんなことよりもっと有益なものに関心を持て」
「有益なものって?」
「金銭と美術品だ。金銭は懐中《ふところ》を、美術品は心を、それぞれ豊かにしてくれるぞ」
 とは言うものの、父親は息子に自分の事業や趣味を押しつけることはなかったので、ヤン・ウェンリーはますます歴史にのめりこんでいった。
 彼が一六歳になる数日前、父親のヤン・タイロンが死んだ。宇宙船の核融合炉に事故が生じた結果である。息子はハイネセン記念大学の歴史学科を受験することに決めて、父親に承諾をえたばかりだった。
「……まあ、いいか。歴史で金銭《かね》儲《もう》けした奴がひとりもいなかったわけじゃない」
 そういう表現で、父親は息子が好きな道を歩むことに承諾を与えた。
「金銭は決して軽蔑すべきものじゃないぞ。これがあれば嫌な奴に頭を下げずにすむし、生活のために節《せつ》を曲げることもない。政治家とおなじでな、こちらがきちんとコントロールして独走させなければいいのだ」
 ヤン・タイロンが四八年の生涯で遺したものは、息子と、交易会社と、そして膨大な美術品であった。
 ヤン・ウェンリーは父親の葬儀をおえると、相続やら税金やらの俗事に追われた。そして、とんでもない事実を知ることになった。父親が生前、熱心に収集していた美術品のほとんど全部が偽物だったのである。
 エトルリアの壺とやらも、ロココ様式の肖像画とやらも、漢帝国の銅馬《どうば 》とやらも、すべて「一ディナールの価値もありません」と、政府公認鑑定家の無情な託宣が下ったのだった。
 それだけではない。父親が生前、会社に有していた権利は借金の抵当にはいっていたのだ。結局、ヤンはがらくた[#「がらくた」に傍点]の山とともに路頭に放り出されてしまった。
 吐息まじりの苦笑とともに、幼年の頃とおなじく、ヤンは自分の境遇を受け容れた。あの辣腕《らつわん》家であった父が、好きな美術品にかぎって鑑定眼を欠いていた、という事実は、彼をむしろおかしがらせた。万が一、承知の上で贋作を集めていたとすれば、それも父らしいことであるように思えた。会社のほうはといえば、最初から事業を受け継ぐ気など、ヤンにはなかったから、いっこうにかまわなかった。
 それでもなおかつ困難は存在した。上級学校へ進むべき学資すら、ヤンの手元には残っていなかったのである。
 銀河帝国との慢性的な戦争状態は、巨額の軍事支出による国家予算の圧迫を生み、直接戦争に寄与しない人文科学関係の教育予算は削減されるいっぽうだった。奨学金を獲得するのはむずかしい。どこか、ただで歴史学を修めることの可能な学校はないものだろうか……あった。
 国防軍士官学校戦史研究科がそれだった。ヤンは提出期限まぎわに願書を出し、受験の結果、首席からはほど遠い成績ながらも何とか合格した。

     X

 このように、ヤン・ウェンリーが士官学校に入学したのはまったくの方便からだった。愛国心や好戦性とは無縁なところで彼の進路は決定されたのである。
 彼は父譲りのがらくた[#「がらくた」に傍点]を大部分は捨ててしまったが、一部は貸倉庫にあずけ、文字通り手ぶらで士官学校の寮にはいった。
 動機が動機であったから、ヤンが優等生でありえるはずはなかった。彼は戦史とその背景となる広汎な歴史とは熱心に学んだが、他の課目は可能なかぎり手を抜いた。ことに射撃や戦闘艇操縦や機関工学など、興味のない課目では、落第点すれすれの成績をとって平然としていた。
 落第点などとれば放校される恐れがあるし、そうでなくとも再試験で時間を奪われるかもしれない。要は落第さえしなければいいのだ。彼の目標は統合作戦本部長でも宇宙艦隊司令長官でも幕僚総監でもなく、戦史|編纂《へんさん》室の研究員だった。軍人としての出世にはまるで興味がなかった。
 戦史研究の成績だけは抜群、実技方面のそれは超低空飛行、合計すると平均点そのもの、というヤンは、戦略戦術シミュレーションの成績は悪くなかった。これはコンピューターを使った学生どうしの対戦で成績が決定されるのだが、教官たちを驚かせたのは、一〇年来の秀才と称されていた学年首席のワイドボーンを、ヤンが撃破してしまったことである。
 ヤンは全兵力を一点に集結して相手の補給線を絶ってしまうと、後は防戦いっぽうに回った。ワイドボーンはさまざまな戦術を駆使してヤンの陣営深く攻めこんだが、補給がとだえたため、退却せざるをえなかったのだ。コンピューターの判定、教官の採点、いずれもヤンの勝利だった。
 プライドを傷つけられたワイドボーンはいきり立って叫んだ。
「まともに正面から戦っていれば、おれのほうが勝っていたんだ! 奴は逃げ回っていただけじゃないか」
 ヤンは反論しなかった。彼としては機関工学の不成績をこちらの課目で補うことができたので、充分に満足だったのだ。
 しかし、その満足も長くは続かなかった。
 二年次の終わりにヤンは教官に呼ばれ、戦略研究科への転科を命ぜられたのである。
「君だけじゃないのだ」
 教官はなだめた。
「戦史研究科そのものが廃止されるのでね、学科生全員が他の科へ転じることになる。君にはシミュレーションであのワイドボーンを破った実績がある。特性を生かすためにも、君は転科したがいい」
「私は戦史を学びたくて士官学校にはいったのです。学生を募集しておいて、卒業する前に科を廃止するなんて、フェアじゃないと思います」
「ヤン候補生、君はまだ現役ではないが、この学校にはいった時点で軍人となっているのだ。下士官待遇のな。軍人である以上、命令に従わねばならんのだよ」
「…………」
「第一、これは君にとって悪い話ではないはずだ。戦略研究科は秀才ぞろいの学科だ。戦略研究科を志望して失敗した者が他の科へ流れる。それが現実なんだからな。この流れが逆になるなんて、めったにない」
「光栄なことです。私はもともと秀才なんかじゃありません」
「皮肉を言うな。いや、もちろん、嫌なら辞《や》める権利が君にはある。しかしそれには、現在までの学資を返還しなきゃならんぞ。軍人になる者だけがただで学べるのだ」
 ヤンは天を仰いだ。金銭に関して亡父が言っていたことを想起しないではいられなかった。まったく、人は人であるということ自体で自由にはなれないものだ。
 二〇歳のとき、ヤンは戦略研究科を平凡な成績で卒業し、少尉に任官した。一年後に中尉に昇進したが、士官学校卒業生はそれが普通で、とくにヤンの勤務成績が優秀だったわけではない。配属されたのが統合作戦本部の記録統計室という部署では、武勲のたてようもなかったわけだが、古い記録に接することのできる仕事はヤンにとってむしろ喜ばしいことだった。
 しかし中尉昇進と同時に、ヤンは前線勤務を命じられる。エル・ファシル星域駐在部隊の幕僚として、彼は任地に赴いた。
「ひとつ狂うとすべてが狂うものだな」
 若い中尉は胸中でそう呟いていた。
 軍人になろうなどと積極的に考えたことは一度もないのに、現在自分が身に着けているものは、白い五稜星《ごりょうせい》のマークのついた黒いベレー、襟元にアイボリー・ホワイトのスカーフを押しこんだ黒いジャンパー、スカーフとおなじ色のスラックスに黒い短靴……ごく機能的にデザインされた軍服なのである。
 その年、宇宙暦七八八年に生じた「エル・ファシルの戦い」は、ヤン・ウェンリー中尉の人生に大きな加速度をかけた。
 この戦いは自由惑星同盟軍にとってはなはだ不名誉な形で幕をあけた。戦闘そのものは敵味方とも一〇〇〇隻前後の艦隊を動かし、互いに二割ほどの損害を受けていちおうは終わった。この戦闘ではヤンは何もしなかった。旗艦の艦橋で自分の席に坐って戦闘を見ていただけである。意見を求められもしなかった。
 ところが、同盟軍は帰投しようとするその背後から不意の攻撃を受けたのである。帝国軍は自らも帰投すると見せかけながら、急速反転し、安心して背中を見せた同盟軍に襲いかかったのだ。
 エネルギー・ビームの槍《やり》が暗黒の宇宙空間を切り裂き、超ミニサイズの恒星が瞬間的に閃いては消え去っていく。破壊された艦艇からエネルギーが放出され、それが颶風《ぐ ふう》となって他の艦艇を翻弄する。同盟軍司令官リンチ少将は恐慌をきたしたのであろう。味方の混乱を静めようともせず、旗艦を駆ってエル・ファシル本星に逃げ帰ってしまった。
 指揮官の逃亡を知った同盟軍は当然、戦意を喪失し、それまで孤立しながら眼前の敵と闘っていた諸艦も、次々と艦首をひるがえして戦場を離脱した。その半ばは自主的に退路を選んでエル・ファシル星域から脱出し、他の半ばは旗艦を追ってエル・ファシル本星に逃げこんだ。逃げ遅れた艦艇の運命は二つに一つ、完全に破壊されるか、降伏するか、だった。ほとんどが降伏を選んだ。
 エル・ファシルに逃げこんだ同盟軍の残存部隊は、なお艦艇二〇〇隻、将兵五万人からの兵力を擁していたが、その後帝国軍は兵力を三倍に増強し、この機に乗じて一挙にエル・ファシル星域を「叛乱軍の魔手から解放」しようとはかった。エル・ファシルの民間人三〇〇万人は情況の切迫に戦慄した。もはやエル・ファシルの失陥は免れないであろう。
 彼らは軍部に交渉して、民間人全員の脱出計画の立案と遂行を求めた。彼らの前に責任者として姿を現したのがヤン・ウェンリー中尉だった。
 若すぎるし、階級も低い。軍部は真剣にやる気があるのか? 民間人たちは疑惑を抱いたが、ヤンは頼りなげに頭をかきながらも、やるべきことはやってのけた。帝国軍の侵攻が迫った混乱のなかで、民間船と軍用船を調達し、脱出の準備を整えさせたのだ。
 そこまでなら、有能な軍人であればヤンでなくともやっただろう。ヤンはあせる民間人たちを抑えて時機を待っているようだった。
 一日、急報が人々を驚かせた。リンチ司令官と彼の直属の部下たちが民間人や他の部下を見捨て、軍需物資を抱えてエル・ファシル本星から逃亡しつつあるというのだ。騒ぎたてる人々に、ヤンはようやく脱出の指示を出した。リンチ司令官らと反対の方向にだ。
「心配いりません。司令官が帝国軍の注意を引きつけてくれます。レーダー透遇装置などつけず、太陽風に乗って悠々と脱出できますよ」
 若い中尉は、何と司令官を囮《おとり》に使ったのである。
 彼の予言は的中した。リンチ少将たちは、この事あるを予期して牙を研いでいた帝国軍に発見され、狩猟のように追い回されたあげく、白旗を掲げて捕虜となった。
 その間にヤンの指揮する船団は、エル・ファシル星系を離脱し、いっさんに後方星域へと向かっていた。帝国軍の探知網は彼らを捕捉していたのだが、脱出するような宇宙船はかならず何らかの探知防御システムをそなえているもの、との先入感から、レーダーに映っている以上、人工物ではなく大規模な隕石群だろうと考え、みすみす見逃してしまったのである。
 後でそれを知った帝国軍の士官たちは、勝利の酒杯《さかずき》を床に叩きつけて砕いたという。
 三〇〇万人の民間人を保護して後方星域に到着したヤンを、歓呼が待っていた。
 軍首脳部はヤンの沈着さと放胆さに流星雨のごとき讃辞を浴びせた。彼らはそうせざるをえなかった。敗北と逃亡、しかも民間人を保護すべき軍隊が民間人を見捨てて――という不名誉きわまる汚名を雪《すす》ぐには、軍人の英雄が必要だったのだ。ヤン・ウェンリー中尉こそ、自由惑星同盟の武人の亀鑑《か が み》である。正義と人道の輝ける戦士である。全軍はこぞって若き英雄をたたえよ!
 その年の標準暦六月一二日午前九時、ヤンは大尉に昇進した。同日午後一時、少佐の辞令を受けた。生者に二階級特進は許されないという軍規が、この奇妙な処置を上層部にとらせたのだ。
 当人は周囲ほど浮かれる気にはならず、「何とねえ」と肩をすくめて呟いたきりだった。昇進にともなって給料が上がり、歴史に関する古書を買えるようになったことだけは嬉しかったが……。
 しかし、このときヤンは初めて用兵に興味を持ったのである。
「要するに三、四〇〇〇年前から戦いの本質というものは変化していない。戦場に着くまでは補給が、着いてからは指揮官の質が、勝敗を左右する」
 戦史の知識に照らし合わせて、彼はそう考えた。
「勇将の下に弱兵なし」とか、「一頭のライオンに率いられた一〇〇頭の羊の群は、一頭の羊に率いられた一〇〇頭のライオンの群に勝つ」とか、古来、指揮官の重要性を強調した格言は多いのだ。
 二一歳の少佐は、自分が成功した原因を誰よりも知りつくしていた。帝国軍のみならず同盟軍も、科学技術を盲信した結果、「レーダーに映るものは人工物ではない」という固定観念にとらわれていたのだ。ここに奇策を用いる隙が生じた。
 硬直した固定観念ほど危険なものはない。考えてみれば、学生時代、彼がワイドボーンにシミュレーションで勝利を収めたのも、正面からの決戦に固執した相手の意表を突いたからではなかったか。
 敵の心理を読む。用兵のポイントはここにある。そして戦場にあって完全に能力を発揮するには補給が不可欠だ。極端なことをいえば、敵の本隊を撃つ必要はなく、補給さえ絶てばよい。戦わずして敵は退かざるをえない。
 ヤンの父親は金銭の重要性を事あるごとに強調していたものた。個人を軍隊に置きかえれば、金銭は補給になる。思えばなかなか有益な言だったのだ。
 その後、ヤンは戦闘に参加すると、二度に一度は奇功をたてた、それにともなって、中佐、大佐と昇進し、二九歳で准将となった。同窓のワイドボーンは少将だった。ただし彼は大佐のとき正攻法にこだわって敵の奇襲を受け、戦死して二階級を特進していたのだ……。
 そしてヤン・ウェンリーは現在、アスターテ星域にある。
 突然のどよめき[#「どよめき」に傍点]が艦橋を圧した。それは明るいものではなかった。偵察艇が急報をもたらしたのだ。
「帝国軍は予想の宙域にあらず、急進して第四艦隊と接触するならん」
「何だと! そんな非常識な……ありえんことだ!」
 パエッタ中将の声は高く、ヒステリックな響きを帯びていた。
 ヤンは自分の操作卓《コンソール》の上に肩身せまそうに載っている書類を手に取った、紙の書類だ。これが古代中国人の手で発明されてから四〇〇〇年ちかく経過しているが、人類は文字を記述するのにこれ以上のものをついに発明できなかった。
 その書類はヤンが提出した作戦案だった。彼はページをめくった。ワード・プロセッサーによる非個性的な文字の羅列が視界に飛びこんできた。
「……敵に積極的な意思があれば、この状況を包囲される危機と見ず、分散したわが軍を各個撃破する好機と考えるであろう。そのとき敵が最初に攻勢に出るのは、正面に位置する第四艦隊に対してである。第四艦隊はもっとも少数であって攻撃と勝利が容易であり、それに勝利した後は、第二・第六両艦隊のいずれを次の標的とするか、選択権はなお敵の手中にあるからである。これに対抗する手段は次の通りである。挑戦を受けた第四艦隊は軽く戦った後、ゆっくりと後退する。追尾する敵の後背《こうはい》を第二・第六の両艦隊が撃つ。敵が反転攻勢に出れば、第二・第六の両艦隊は軽く戦いつつ後退、今度は第四艦隊が敵の後背を撃つ。これを繰り返し、敵の疲労をさそい、最終的に包囲|殲滅《せんめつ》する。きわめて成功率の高い戦法だが、留意すべきは兵力の集中、相互連絡の密、前進後退の柔軟性であり……」
 ヤンは書類を閉じると、視線を上げて天井の広角モニターを見やった。数億の星の群が冷然と彼を見返した。
 若い准将は口笛を吹きかけてやめると、何やら忙しく自分の操作卓《コンソール》を操作し始めた。
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   第二章 アスターテ会戦


     T

 同盟軍第四艦隊司令官パストーレ中将は、「帝国軍艦隊急速接近」の報にショックを受けた。
 艦隊旗艦レオニダスのディスプレイ・スクリーン全体に人工の光点が群がり生じ、それが一瞬ごとに明度を増しつつ拡大して来る。見る者の鼓動を早め、口のなかを乾上がらせる、威圧感に満ちた光景だった。
「これはどういうことだ」
 中将は指揮官席から身を起こしてうめいた。
「帝国軍はどういうつもりだ? 何を考えている?」
 奇妙な質問だ、と思った者もいたが、その数は少なかった。帝国軍の意図はその総力をあげて第四艦隊を攻撃するにある。それは明らかなはずであったが、三方向から包囲されつつある敵が、これほど大胆に攻勢をかけてこようとは、同盟軍首脳部は想像していなかったのである。
 彼らの予測によれば、包囲態勢下におかれた帝国軍は、多数の敵に対する防御本能に身をゆだね、戦線を縮小させて密集体形をとるはずだった。それに対して同盟軍は三方向から同じスピードで殺到し、厳重な包囲網を布《し》いて火力を集中させ、ゆっくりと、だが確実にその抵抗力を削《そ》ぎとって行けばよい。
 一五六年前、「ダゴンの殲滅戦」はそのように戦われ、勝者たる二名将の令名が今日に伝わっている。ところが、この敵は同盟軍の計算に乗らなかった。
「何ということだ! 敵の司令官は用兵を知らぬ。こんな戦い方があるか」
 愚かしいことを中将は口走った。指揮官席から立ち上がり、手の甲で額の汗を拭う。一六・五度Cに保たれた艦内で汗の噴き出すはずはないのだが……。
「司令官閣下、どうなさいます?」
 問いかける幕僚の声も、抑制を欠いて浮わずっている。その口調が、中将の癇《かん》にさわった。三方向からの分進合撃こそ必勝の戦法であると唱えたのは、彼ら幕僚団ではなかったのか。それが失敗したときの対策をたてる責任も、当然、彼らにはあるはずだった。「どうなさいます」とは何事だ! しかし怒りに身をまかせていられる場合ではなかった。
 帝国軍艦隊は二万隻、同盟軍第四艦隊は一万二〇〇〇隻である。完全に予定が狂った。三個艦隊の四万隻で二万隻の敵を包囲攻撃するはずであったのに、圧倒的多数の敵と単独で戦わなければならなくなったのである。
「第二、第六の両艦隊に緊急連絡! α七・四、β三・丸、γマイナス〇・六の宙域において敵と衝突、直ちに応援に来られたし、と」
 中将は命令したが、旗艦レオニダスの通信長ナン技術少佐は絶望の動作と表情でそれに応じた。帝国軍の放つ妨害電波が、同盟軍の通信回路を貧欲に侵蝕しつつあったのだ。ラインハルトが散布させた数万の妨害電波発生器が、宇宙空間を漂いながら効力を発揮していた。
「では連絡艇を出せ、両艦隊に二隻ずつだ」
 そうどなる中将の顔を、スクリーンから放たれた閃光が一瞬、白く染め上げた。敵の攻撃が始まり、中性子ビーム砲が斉射《せいしゃ》されたのだ。膨大なエネルギーの射出と、それにともなう発光は、兵士たちの眼底まで染色してしまうかと思わせる。
 虹にも似たきらめきが、同盟軍艦隊の各処に生じていた。敵のビームを、エネルギー中和磁場がさえぎる、その瞬間に生じるきらめきだ。極小のエネルギー粒子が高速で衝突し、共食《ともぐい》現象を起こしているのだった。
 中将は腕を大きく振って叫んだ。
「先頭集団、迎撃せよ! 全艦、総力戦用意!」
 パストーレ中将の命令を受信したわけではなかったが、帝国軍総旗艦ブリュンヒルトの艦橋では、ラインハルトが蒼氷色《アイス・ブルー》の瞳に冷嘲の波を揺らめかせて独語していた。
「無能者め、反応が遅い!」
「戦闘艇、発進せよ! 接近格闘戦《ドッグ・ファイト》に移るぞ」
 この命令はファーレンハイト少将である。戦いの昂揚感に、先手を取った自信が加わって、彼の表構と声に鋭い生気をみなぎらせていた。「金髪の孺子《こ ぞ う》」の功績になるにしても、とにかく勝つことだ!
 巨大な母艦から、X字翼の単座式戦闘艇「ワルキューレ」が次々と発進する。超高速で宇宙空間を疾走する母艦から切り離された時点で。慣性によってすでに母艦以上の速度に達しており、滑走脇や射戦装置は不要なのだ。ワルキューレは小型であるから火力は落ちるが、運動性に富み、接近格闘戦において大いに効力を発揮する。
 ワルキューレに対応する単座式戦闘艇は同盟軍にもあり、「スパルタニアン」と称されていた。
 各処に核融合炉爆発の閃光が走り、解放されたエネルギーの乱流が無秩序なうねりで両軍艦艇を揺り動かす。そのなかを新たなエネルギーの束が切り裂き、それをかいくぐってワルキューレが飛翔する。銀色に輝く四枚の翼を持った死の天使だ。同盟軍のスパルタニアンは格闘戦能力においてワルキューレに劣るものではなかったが、機先を制された不利は大きく、母艦から離脱する瞬間を狙撃されては乗員もろともビームで粉砕されていった。
 ……戦闘開始後一時間、帝国軍ファーレンハイト部隊の苛烈な攻撃によって、第四艦隊先頭集団はほとんど潰滅状態になっていた。
 二八○○隻の艦艇中、戦闘に参加しているものは二割に満たない。核融合炉爆発を生じて蒸発した艦、爆発は免れたものの大破して戦闘続行不能となった艦、艦体の損傷は軽いが乗員の大半を失ってむなしく宙を漂流している艦――惨憺たる状態で、戦線崩壊までは半歩の距離もないものと思われた。
 戦艦ネストルにいたっては、損傷部分は艦底のただ一ヶ処にすぎなかったが、艦内に侵入して炸裂した中性子弾頭が、荒れ狂う殺人粒子の波濤をうんで全艦を席捲し、一瞬にしてこの巨艦を将兵六六〇名の枢にしてしまった。
 このため、乗員を失ったネストルは、航宙士の定めた最後の針路をまもって、惰牲の見えざるレールの上を突進し、僚艦レムノスの艦首をかすめた。それはレムノスの前部主砲が敵艦めがけて斉射された瞬間であった。ネストルは至近距離から光子砲を撃ちこまれ、一瞬の後、音もなく爆発した。不運なレムノスもただちにその後を追った。核融合炉爆発のエネルギーが、中和磁場を突き破ってレムノスの艦体を直撃したのである。
 白色の閃光が双生児のように連鎖して生じ、それが消え去った後には無機物の一かけらさえ残らなかったのだ。レムノスの乗員は僚艦を消滅させたほうびとして死を与えられたのだった。
「何をやっとるのだ!」
 その声はパストーレ中将であり、
「何をやっていやがる」
 と呟いたのはファーレンハイト少将であった。両者とも旗艦のスクリーンを通して、その光景を眺めていたのである。一方は絶望とあせりの叫びであり、他方は余裕に満ちた嘲弄だった。その差は同時に戦況の差であった。

     U

 このとき、同盟軍第二・第六両艦隊はかろうじて知った事態の急展開に驚きながらも、当初の作戦を変更する決心がつかぬまま、以前と同じ速力で戦場へ進みつつある。
 第二艦隊司令官パエッタ中将は旗艦パトロクロスの指揮官席に坐って、他人から見えぬところで貧乏ゆすりをやっていた。焦燥感が彼のひざを間断なく揺さぶっていたのだ。指揮官の心理が部下に投影し、艦橋内の空気は帯電しているかのようだった。
 そんななかでただひとり、落ち着いた表情の者がいることに中将は気づいた。一瞬ためらった後、声をかける。
「ヤン准将!」
「はい?」
「貴官はこの事態をどう見る? 意見を言ってみたまえ」
 自席から立ち上がったヤンはまたベレー帽を脱ぎ、黒い頭髪を軽く片手でかき回した。
「敵が各個撃破に出て来たということでしょう。まずもっとも少数の第四艦隊を処理にかかったのは当然の策です。彼らは、分散した同盟軍のなかから当面の敵を選択する権利を行使したわけです」
「……第四艦隊は持ちこたえることができるだろうか?」
「両軍は正面から衝突しました。ということは、数において相手を上回り、しかも機先を制した側が有利になります」
 ヤンの表情も声も淡々としていた。それを見ていたパエッタ中将は、いらだたしさを振り払うように掌を開閉させた。
「とにかく戦場に急行して第四艦隊を救援しなくてはならん。うまく行けば、帝国軍の側背を突くことも可能だろう。そうすれば一挙に戦局は有利になる」
「おそらく無益でしょう」
 ヤンの声はやはり淡々としていたので、パエッタ中将は危うく聞き流してしまうところだった。中将はスクリーンに向きかけた顔をふたたび若い幕僚に向けた。
「どういう意味だ?」
「吾々が到着したとき、戦闘はすでに終わっています。敵は戦場を離脱し、第二・第六の両艦隊が合流するより早く、どちらかの側背に回って攻撃をかけてくるでしょう。そして少数の第六艦隊が狙われることはほぼ確実です。吾々は先手をとられ、しかも現在のところ、とられっ放しです。これ以上、敵の思惑にのる必要はないと考えますが」
「では、どうしろと言うのだ?」
「手順を変えるのです。第六艦隊と戦場で合流するのではなく、まず一刻も早く第六艦隊と合流し、その宙域に新戦場を設定します。両艦隊を合すれば二万八〇〇〇隻になり、それ以後は五分以上の勝負を挑むことができるでしょう」
「……すると、君は、第四艦隊を見殺しにしろと言うのか?」
 中将の口調には非難の意思が露骨だった。あまりに冷徹なことを言うと思ったのである。
「いまから行っても、どうせ間に合いません」
 中将の心理を知ってか否か、ヤンの口調は素気ない。
「しかし友軍の危機を放置してはおけん」
 中将の声に、ヤンは軽く肩をすくめた。
「では結局、三艦隊いずれもが、敵の各個撃破戦法の好餌となってしまいます」
「そうとはかぎらん、第四艦隊とてむざむざ敗れはすまい。彼らが持ちこたえていれば……」
「無理だと先刻も申し上げましたが……」
「ヤン准将、現実は貴官の言うような計算だけでは成立せんのだ。敵の指揮官はローエングラム伯だ。若くて経験もすくない。それにくらべてパストーレ中将は百戦錬磨だ」
「司令官閣下、経験がすくないとおっしゃいますが、彼の戦略構想は……」
「もういい、准将」
 苦々しげに中将はさえぎった。彼の好みの回答をしようとしない、この若い幕僚に不快感を覚えずにいられなかったのだ。
 中将は、坐るようヤンに身ぶりで示すと、スクリーンに顔を向けた。

     V

 開戦後四時間。同盟軍第四艦隊はすでに艦隊と呼称できる存在ではなくなっている。整った戦闘態形はない。統一された指揮系統もない。各処に寸断され、孤立させられ、各艦単位の絶望的な抵抗が散発するだけとなっていた。
 旗艦レオニダスは巨大な金属の塊と化して、虚空をさまよっている、その艦内にはすでに生命は存在しなかった。
 司令官パストーレ中将の肉体は、艦橋部が敵の集中砲火を受けて外殻に大きな亀裂が生じた瞬間、内外の気圧差によって真空中に吸い出されていた。その死体がどのような形になってどこの空間を漂っているか、誰も知らない。
 一方、ラインハルトはこの段階における完全な勝利をつかんだことを知っていた。メルカッツから通信スクリーンを通じて報告がもたらされた。
「組織的な抵抗は終わりました。以後、掃討戦に移ることになりますが……」
「無用だ」
「は?」
 メルカッツは細い両眼をいっそう細めた。
「戦いは三分の一が終わったばかりだ。残敵など放置しておいてよい。次の戦闘にそなえて戦力を温存しておくことだ。追って指示を出す。それまでに態形を整えておけ」
「わかりました、司令官閣下」
 重々しくうなずくと、メルカッツの姿は通信スクリーンから消えた。
 ラインハルトは赤毛の高級副官を顧みた。
「少しは態度が変わったな、彼も」
「ええ、変わらざるをえないでしょう」
 緒戦におけるこの勝利は大きい、とキルヒアイスは思った。ラインハルトの戦略構想が功を奏したことを、諸提督も認めざるをえないし、兵は活気づく。敵は必勝の態勢を破られて動揺するだろう。
「次に左右どちらの艦隊を攻撃すべきだと思う、キルヒアイス?」
「どちらの側背に回ることも可能ですが、お考えは決しておりましょう?」
「まあな」
「右方に位置する第六艦隊の方が兵力がすくのうございますね」
「その通りだ」
 金髪の若い指揮官の口元に会心の微笑が浮かんだ。
「敵が予測しているかもしれません、それだけがいささか心配ですが……」
 ラインハルトはかぶりを振った。
「その恐れはない。それと察していれば、分進合撃戦法を続行したりはしないだろう。可能なかぎり早く合流をはかるはずだ。合計すればまだわが軍より遙かに優勢なのだからな。それをしないのは、わが軍の意図をいまだに諒解していない証拠だ。敵第六艦隊の右側背に回って攻撃をかける。何時間ほど必要だ?」
「四時間弱です」
「こいつ、もう計算していたな」
 ラインハルトはもう一度にこりと笑った。笑うと、少年の表情になる。だがたちまち微笑を消したのは、彼を凝視するいくつかの視線に気がついたからであった。キルヒアイス以外の者に対しては、ラインハルトは容易に笑顔を見せない。
「その旨を全艦隊に伝達しろ。時計方向に針路を変更しつつ進み、敵第六艦隊の右側背から攻撃する」
「かしこまりました」
 キルヒアイスは応えたが、何か言いたげに金髪の上司を見ている。ラインハルトは不審そうに眉を寄せて相手を見返した。
「何か異議でもあるのか?」
「いえ、そうではありません。時間的余裕がありますし、兵士たちに休息をとらせてはいかがかと思いますが……」
「ああ、そうだな、気づかなかった」
 ラインハルトは兵士に一時間半ずつ二交替で休息させ、その間に食事とタンク・ベッド入りをすませるよう、命令を伝達させた。
 タンク・ベッドとは軽いプラスチック製の密閉式タンク内に水深三〇センチの濃い塩水をたたえたもので、水温は三二度Cに保たれている。この内部に身体を横たえて浮かんでいると、色彩、光熱、音響など外界の刺激から隔離され、完全に静穏な状態におかれる。一時間をタンク内で過ごした場合、身心のリフレッシュ効果は八時間の熟睡に匹敵するといわれる。戦闘で身心を消耗させた兵士たちを短時間で回復させるのに、これ以上の存在はない。
 小部隊でタンク・ベッドの設備を欠く場合、覚醒効果を持つ薬剤を使用することがあるが、これはしばしば人体に危険を及ぼすだけでなく、軍隊組織そのものに悪影響がある。薬物中毒の兵士など、人的資源としてまったく価値がないのだ。したがって、この手段が用いられるのは最悪の場合である。
 負傷者に対する治療も行なわれた。電子《エレクトロン》が人体細胞を活性化させ、自然治癒能力を飛躍的に高めることは、西暦《AD》一九〇〇年代の末には広く知られていた。それにサイボーグ技術の発展が加わり、軍医の手にかかることができれば、九割は生命が助かるという時代に、今日ではなっている。むろん、「死んだ方がまし[#「まし」に傍点]」な状況を完全に追放することは不可能なのだが……。
 ともかく、帝国軍の兵士たちには一時の平安が訪れていた。各艦内の食堂には陽気な喧騒が渦巻いている。アルコールは禁止されていても、戦闘と勝利による酩酊《めいてい》感が兵士たちを支配し、料理の味を実際よりよくしていた。うちの若い司令官もなかなかやるじゃないか、というささやきがかわされる。美貌がとりえの飾り人形と思っていたが、どうしてたいした戦略家だ、大昔のウッド提督以来かもしれんな……。
 誰のために、何のために、見も知らぬ相手と殺し合うのか、という疑問は、そのとき兵士たちにはなかった。生き残ったことと勝ったこととを、彼らは単純によろこんでいた。しかし数時間後には、生き残った彼らのうち、幾人かが新たな死者の列に加わらねばならないのだ。

     W

「四時半の方角に艦影見ゆ。識別不能」
 後衛部隊の駆逐艦から報告を受けたとき、同盟軍第六艦隊司令官ムーア中将は幕僚団とともに食事の最中だった。
 小麦蛋白《グルテン》のカツレツに入れたナイフをそのままに、中将は艦橋からの連絡士官を不機嫌な目つきで睨みつけた。ナイフより鋭い視線を突きこまれて、士官は内心、怯《おび》えた。ムーア中将は豪放だが粗野な人物として世に知られていたのだ。
「四時半の方角だと?」
 中将の声は、その目つきにふさわしいものだった。
「は、はい、四時半の方角です。敵か味方か、まだ判別しません」
「ほう、どちらの四時半だ? 午前か、午後か」
 嫌みを言いながらも、ムーアは食事を中断して士官食堂を出た。あわてて続く幕僚たちを顧みると、たくましく盛り上がった肩を揺すってみせる。
「うろたえおって! 敵が四時半の方角にいるはずがないではないか。敵は吾々の行手にいるのだからな」
 大声で中将は言った。
「吾々は戦場に急行している。必ずや第二艦隊も同様の行動をとっているに違いない。そうであれば、敵を左右から挟撃できる。勝つ機会は充分にあるのだ。いや、必ず勝つ。数から言っても態勢から言っても……」
「ですが、閣下……」
 中将の雄弁をさえぎったのは、幕僚のひとり、ラップ少佐だった。脂に汚れた口をハンカチで拭っている。
「何だ!?」
「敵は戦場を移動したのではありませんか、どうもそう思われますが……」
「第四艦隊を放置してか?」
「申し上げにくいことですが、第四艦隊はすでに敗退したと小官は予測します」
 中将は太すぎる眉をしかめた。
「大胆で、しかも不愉快な予想だな、少佐。脂で口がなめらかになったとみえる」
 赤面して、ラップ少佐はハンカチをしまった。
 一同はそのとき艦内|走路《ベルトウェイ》に乗って艦橋に到着していたが、不意によろめきそうになった。ほんの一瞬、重力制御システムに修正の時差《タイムラグ》が生じたためである。急激な方向転換を余儀なくされたからであったが、エネルギー測定装置は、艦を破壊するにたる指向性エネルギーを外殻のすぐ傍に感知していた。
「右後背より敵襲!」
 第六艦隊の通信回路は驚愕の悲鳴に満ちたが、たちまち雑音に取って代わられた。
 士官たちは慄然とした。通信の混乱こそ、敵が至近距離に位置するという事実の、雄弁な証明だったからである。
「うろたえるな!」
 ムーア中将の叱咤は、半分、自分自身に向けたものだった。事態を甘くみていたことに対する後悔が、中将の分厚い頬をしたたかにひっぱたいていた。
 艦隊後衛には最新鋭の艦艇を配置していなかったのだ。後背からの奇襲にはとうてい、たえられないであろう。
 後背に帝国軍がいる! ということは、第四艦隊は敗れ去ったのか? それとも帝国軍が豊富な別働隊を用意していたのだろうか。
「迎撃せよ、砲門開け」
 心に混乱を生じながら、その混乱を整合せぬままに、中将は最低限度の命令を下した。
 老練なメルカッツ大将の指揮する帝国軍は、整然たる攻撃態形をとって、同盟軍第六艦隊の右後背から襲いかかっていた。中性子ビーム砲が燦然たる死の閃光を投げつけ、同盟軍老朽艦の出力の弱い磁場を突き破って艦体を刺しつらぬく。
 めくるめく火球が常闇のなかに誕生しては消え去っていく情景を、メルカッツはスクリーンを通して見守っていた。四〇年間、見なれてきた風景であるが、このときの彼にはいままでにない感慨があった。 メルカッツは、もはやラインハルトをたんなる「金髪の陶器人形」とは見ていなかった。緒戦の勝利はまぐれではない。正確な洞察と判断をもとに、大胆な発想転換がおこなわれた、その正当な結果だった。三方からの包囲を受けながら、包囲されるより早く各個撃破の策に出るとは!
 自分にはとてもできないことだ。ふるくからの戦友たちも同様だろう。因習にとらわれない若者だからこそ可能だったのだ。
 もはや吾々のような老兵の時代は去ったのかもしれない。ふと、そういうことまで考えた。
 その間にも、戦闘は苛烈さを増している。
 帝国軍は錐をもみこむように同盟軍の隊列に浸透し、砲戦においても格闘戦においても優位に立ちつつあった。全軍が勢いに乗り、先制の有利さを充分に生かしているようだ。同盟軍も必死の反撃を示してはいるが、指揮官自身が混乱から立ち直れないでいる以上、たいした効果は望めない。
「全艦隊、反転せよ!」
 ムーア中将は艦橋中央の床に仁王立ちになって叫んだ。ようやく意を決したのだ。それまではやたらどなっていただけだった。
「閣下! 反転させても混乱が生じるだけです。時計方向に針路を変えながら全速前進し、逆に敵の後背につくべきだと思いますが」
 ラップ少佐の提案は、中将の巨体にぶつかってむなしく弾き返された。
「敵の後背につくまでに味方の大半がやられてしまう。反転攻勢だ」
「ですが――」
「黙っておれ!」
 ムーア中将は満身を慄《ふる》わせて怒号し、少佐は口を閉ざした。上官が冷静さを欠いていることをはっきりと悟ったからである。
 第六艦隊旗艦ペルガモンの巨体が反転を開始すると、後続の諸艦艇もそれにならった。だが戦いつつ反転するのは容易ではない。老練なメルカッツは、すかさず敵の混乱に乗じた。
 帝国軍のビーム砲が流星雨にも似た光の束を叩きつける。各処で過負荷状態になったエネルギー中和磁場が引き裂かれ、同盟軍の艦艇が破壌されていった、
 旧戦場におけるエネルギーの怒濤が、新戦場でも再現されつつある。それに翻弄されるのは、同盟軍の艦艇ばかりであるように、ムーア中将にもラップ少佐にも思われた。
「小型艦艇多数、本艦に急速接近!」
 オペレーターが叫ぶ。スクリーンのひとつに、ワルキューレの大群が映っていたが、その姿はたちまち複数のスクリーンの画面を占拠した。軽快な運動性を誇示しつつ、至近距離からビームを撃ち込んでくる。
「格闘戦《ドッグ・ファイト》だ。スパルタニアンを発進させろ」
 この命令も遅きに失した。スパルタニアンが母艦から離脱する瞬間を、ワルキューレは待ちかまえている。条光が無慈悲にほとばしると、同盟軍の戦闘艇は闘死する権利すら与えられず、火球と化して四散するのだった。
「司令官、あれを!」
 オペレーターがスクリーンのひとつを指し示した。帝国軍の戦艦が肉迫している。その背後にも、さらにその背後にも、重なり合うかのように敵の艦影が見えた。威圧感が艦橋内にみなぎった。ペルガモンはいまや重囲のなかにある。
「発光信号を送って来ています」
 オペレーターがささやくように報告した。
「解読してみろ」
 ムーア中将が沈黙しているので、ラップ少佐がうながした。その声も低く乾いている。
「解読します……貴艦は完全に包囲せられたり、脱出の途《みち》無し、降伏せよ、寛大なる処遇を約束す……」
 解読が繰り返されて終わると、無数の視線と無数の沈黙が、ムーア中将の巨体に突き刺さった。そのすべてが、司令官に決断をうながしている。
「降伏だと……」
 うめいた中将の顔は、どす黒く変色していた。
「いや、おれは無能であっても卑怯者にはなれん」
 二〇秒後、白い閃光が彼らを包んだ。

     X

 蓄積された不安が飽和状態に達しようとしている。
 同盟軍第二艦隊旗艦パトロクロスの艦橋は見えない雷雲に支配されていた。いつ強烈な放電が襲いかかってくるか。第一級臨戦体制の発令で全員がスペース・スーツを着用していたが、不安はスーツを透過して彼らの皮膚を鳥肌立たせている。
「第四艦隊も第六艦隊も全滅したらしいぞ」
「吾々は孤立している。いまや敵はわが部隊より数が多い」
「情報が欲しい、どうなっているんだ、現在の状況は?」
 私語は禁止されている。しかし何かしゃべっていないと不安にたえられない彼らだった。こんなことは予定になかった。半数の敵を三方から包囲撃滅し、完勝の凱歌《がいか 》を上げるはずではなかったのか……。
「敵艦隊、接近します!」
 突然、オペレーターの声がマイクを通して艦橋内に響きわたった。
「方角は一時から二時……」
 ヤンは呟いた。その独語に、次の報告が応えた。
「方角は一時二〇分、俯角《ふ かく》一一度、急速に接近中」
 旗艦パトロクロスの艦橋を鷲づかみした緊張に、ヤンは感応しなかった。
 予測していた通りである。帝国軍は同盟軍第六艦隊の右側背から左前面へ抜け、自然なカーブを描きながら、最後に残った第二艦隊へと矛先を向けたのだ。第二艦隊が直進する以上、帝国軍が一時から二時にかけての方角に出現するのは当然である。
「戦闘準備!」
 パエッタ中将が指令する。遅いな、とヤンは思う。
 敵が来るのを待って応戦するのは正統的な戦法ではあるが、今回の場合、思考の硬直性を指摘せざるをえない。打つべき手も、そのための時間もあったはずだ。急速移動して敵の背後を突き、第六艦隊と呼応して挟撃するのは不可能ではなかった。
 戦う以上、犠牲が皆無ということはありえない。だが同時に、犠牲の増加に反比例して戦勝の効果は減少する。この双方の命題を両立させる点に用兵学の存在意義があるはずだ。つまり最小の犠牲で最大の効果を、ということであり、冷酷な表現を用いれば、いかに効率よく味方を殺すか、ということになるであろう。司令官はそれを理解しているのかな、とヤンは疑った。
 すでに生じた犠牲は仕方ない。本来、仕方ないですませられる問題ではなく、軍首脳は自分たちの作戦指揮の拙劣さを恥じなければならないところである。しかしそれはすべてが終結してからであり、現在心せねばならないことはミスの拡大再生産を防止し、禍を転じて福となすべく工夫することだ。
 後悔して、戦死した将兵が復活するものなら、キロリットル単位の涙を流すのもよかろう。だが……結局、それは悲愴ごっこにすぎないではないか。
「全艦隊、砲門開け!」
 その命令と、どちらが先か判じがたい。網膜を灼《や》きつくすかと思われるほどの閃光が、艦橋にいる全員の視力を奪った。
 半瞬の差をおいて、パトロクロスの艦体が炸裂するエネルギーに突き上げられ、あらゆる方向に揺すぶられた。
 悲鳴と怒声に、転倒と衝突の音が重なった。ヤンも転倒をまぬがれなかった。背中を強打して呼吸が停まる。周囲で入り乱れる音や声、強烈な空気の流れをヘルメットの通信装置に感じながら、ヤンは呼吸を整え、見えない目に掌を当てていまさらのようにかばった。
 誰を責めるべきか、スクリーンの入光量さえ調整してなかったとは許しがたい失態だ。こんなことが重なっては負けないほうが不思議である。
「……こちら後部砲塔! 艦橋、応答せよ、どうか指令を!」
「機関室、こちら機関室、艦橋、応答願います……」
 ヤンはようやく目を開けた。視界全体にエメラルド色の靄《もや》がかかっている。
 半身を起こして、傍に転がっている人間に気がつく。濃い色調をした粘りのある液体が口元から胸にかけてその身体をおおっている……。
「総司令官!」
 呟いて、ヤンは中将の顔を覗きこんだ。両足を踏みしめて立ち上がる。
 壁面の一部に裂目がはいり、気圧が急低下している。
 磁力靴のスイッチを入れていなかった者が幾人か吸い出されてしまったようだ。しかしその裂目は、自動修復システムの作業銃が吹きつける接着剤の霧によって急速にふさがれつつある。
 ほとんど立つ者のないありさまになった艦橋内を見わたし、スペース・スーツの通信装置が機能していることを確認すると、ヤンは指示を下し始めた。
「パエッタ総司令官が負傷された。軍医および看護兵は艦橋に来てくれ。運用士官はただちに艦体の被害状況を調べて修復せよ、報告はその後でよし。急いでくれ。後部砲塔はすでに全艦隊が戦闘状態にある以上、とくに指令の必要はないはずだ。与えられた任務をはたせ。機関室は何か?」
「艦橋の情況が心配だったのです。こちらは損害ありません」
「それはよかった」
 声に多少の皮肉があった。
「この通り艦橋は機能している。安心して任務に専念してほしい」
 ふたたび艦橋内を見わたす。
「誰か士官で無事な者は?」
「私は大丈夫です、准将」
 いささか危い歩調で、ひとりが近づいて来た。
「君は、ええと……」
「幕僚チームのラオ少佐です」
 スペース・スーツのヘルメットからのぞく目と鼻の小さな顔はヤンと同年配のようだった。それに二名の航宙士《アストロノーツ》、ひとりのオペレーターが手を上げて立ち上がったが、それだけである。
「他にはいないのか……」
 ヤンはヘルメットの上から頬を叩いた。これでは第二艦隊首脳部は全滅にひとしい。
 軍医と看護兵の一団が駆けつけて来た。手ぎわよくパエッタ中将を診察し、指揮卓の角で胸を強打したとき、折れた肋骨が肺に刺さったのだと告げる。よほど運が悪かったのですな、といらざる感想を述べた。その逆にヤンが運が良かったことは否定できない。
「ヤン准将……」
 心身双方の苦痛に責められながらパエッタ中将が若い幕僚を呼んだ。
「君が艦隊の指揮をとれ……」
「私がですか?」
「健在な士官のなかで、どうやら君が最高位だ、用兵家としての君の手腕を……」
 声がとぎれ、中将は失神した。軍医が救急用ロボット・カーを呼んだ。
「高く評価されてますね」
 ラオ少佐が感心した。
「そうかな?」
 中将とヤンの意見対立を知らないラオ少佐は、その返答に不審げな表情になった。ヤンは通信盤に歩み寄り、艦外通信のスイッチを入れた。人間より機械のほうが安全に造られているようだ。
「全艦隊に告げる。私はパエッタ総司令官の次席幕僚ヤン准将だ」
 ヤンの声は虚無の空間をつらぬいて走った。
「旗艦パトロクロスが被弾し、パエッタ総司令官は重傷を負われた。総司令の命令により、私が全艦隊の指揮を引き継ぐ」
 ここでひと呼吸おいて、味方が驚愕から解放されるだけの余裕を与える。
「心配するな。私の命令に従えば助かる。生還したい者は落着いて私の指示に従ってほしい。わが部隊は現在のところ負けているが、要は最後の瞬間に勝っていればいいのだ」
 おやおや、自分も偉そうなことを言っているな……ヤンは苦笑したが、内心だけのことで、表面には出さなかった。指揮官たる者は、当人はうなだれていても影だけは胸を張っていなければならない。
「負けはしない。新たな指示を伝えるまで、各艦は各個撃破に専念せよ。以上だ」
 その声は帝国軍にも傍受されていた。旗艦ブリュンヒルトの艦橋で、ラインハルトが形のいい眉を軽く吊り上げた。
「負けはしない、自分の命令に従えば助かる、か。ずいぶんと大言壮語を吐く奴が叛乱軍にもいるものだな」
 氷片に似た冷たい輝きが両眼に宿《やど》った。
「この期におよんで、どう劣勢を挽回する気でいるのだ?……ふむ、まあいい、おてなみ拝見と行こうか。キルヒアイス!」
「はい」
「戦列を組み直す。全艦隊、紡錘《ぼうすい》陣型をとるよう伝達してくれ。理由はわかるな?」
「中央突破をなさるおつもりですか」
「そうだ。さすがだな」
 キルヒアイスを介して、ラインハルトの指令が帝国軍全艦隊に伝えられた。
 ヘルメットがなければ、ヤンはベレーを取って黒い頭髪をかき回したいところだった。兵力に大差のない場含、攻勢に出る側にとって有効な戦法は中央突破ないし半包囲である。多分、より積極的なほうを選択してくるだろうと彼は予測していた。どうやらそれは的中したらしい。
「ラオ少佐」
「はっ、司令官代理どの」
「敵は紡錘陣型をとりつつある。中央突破をはかる気だ」
「中央突破を!」
「第四、第六艦隊を撃滅して士気が高まっている、帝国軍としては当然の戦法だろうな」
 論評するヤンを、ラオ少佐は心細げに見やった。その表情に代表される同盟軍の弱気こそ、帝国軍の積極戦法の成果なのだとヤンは思う。
「どう対処なさるおつもりで?」
「対策は考えてある」
「しかし味方にどうやって連絡なさいますか? 通信だと敵に傍受される危険がありますし、発光信号でも同様です。連絡艇では時間がかかりすぎます」
「心配ない、複数の通信回路を使って、各艦に戦術コンピューターのC4回路を開くよう、それだけを告げればよい。それだけなら、傍受したところで敵には判断できないだろう」
「すると、司令官代理閣下は、すでに作戦を考案されて、情報をコンピューターに入力《インプット》されておられたのですか……戦闘開始よりずっと前に」
「無用になっていればよかったのだがね」
 多少、弁解じみた口調だったかもしれなかった。トロイの王女カサンドラ以来、敗戦の予言者は白眼視されるものと相場が決まっている。
「それよりも、早く指示を伝えてくれ」
「はっ、ただちに」
 ラオ少佐は補充された通信士官の席へ小走りに駆けて行った。無事だった五人だけでは艦橋を運営するのは不可能なので、艦内各部署から一〇人ほどの人数を招集したのだ。もともと軍艦に余剰人員などないので、手薄な部署が出てくることになるが、やむをえなかった。
 帝国軍は悠々と紡錐陣型を整えると、前進を開始した。同盟軍は砲火でこれを迎えたが、帝国軍は意に介しない。双方の距離が狭くなるにつれ、ほとばしるビームは無数の格子模様を織り出した。
 ファーレンハイトの指揮する帝国軍先頭集団は、速度をゆるめず同盟軍の陣列に突入して来た。
「敵、全艦突入して来ます!」
 オペレーターの声が高く鋭い。
 ヤンは天井のパネルを仰ぎ見た。そこには二七〇度の広角モニターが埋め込まれている。加速的に接近する敵影には、躍りかかって来るという印象がある。ダイナミックで鋭い動きだ。それにくらべると、迎撃する同盟軍の動きが鈍く、精彩を欠くように見えるのは、やむをえないことだろう。
 さて、どうなることか。
 ヤンは指揮官席で脚を組んだ。彼は外見ほど平然としていたわけではなかった。現在のところ、敵の行動はヤンの予測を超えてはいない。問題は味方の行動である。彼の作戦に従って動いてくれればよいが、一歩誤れば収拾がつかなくなり、全軍潰走という事態になるであろう。そのときはどうする?
「頭をかいてごまかすさ」
 ヤンは自分自身にそう応えた。すべてを予測することはできないし、無謬《むびゅう》の行動をとることもできない。自分の能力を超えたことにまで責任は持てないのだ。

     Y

 天井のパネルが脈動する光におおわれている。いまや戦艦パトロクロスは炸裂する光芒の渦中にあった。
 前後に、左右に、上下に、襲いかかるビームは槍というより棍棒の太さだ。
 パトロクロス自身も砲門を開いて、死と破壊の息吹を敵に叩きつけている。人的、あるいは物的なエネルギーの莫大な浪費が、ここでは勝利と生存への道として正当化されていた。
「敵戦艦接近! 艦型から見て、ワレンシュタインと思われます」
 ワレンシュタインは艦体にすでにかなりの損傷を受けていた。砲火のなかを猪突《ちょとつ》してきたようであった。半減した主砲が正面からパトロクロスを狙ったが、パトロクロスの反応がこのときは迅速だった、
「主砲斉射! 目標至近!」
 臨時に砲術長をかねるラオ少佐の命令である。
 パトロクロスの前部主砲が一斉に中性子ビームを吐き出し、ワレンシュタインの艦体中央部を直撃した。
 帝国軍の巨大な戦艦は一瞬、苦悶にのたうった後、音もなく四散した。ヤンのヘルメットの通話回路に歓声が反響したが、その末尾は新たな驚愕のうめきに変わった。純白に輝く核融合爆発の渦巻を傲然と突破して、次の敵艦ケルンテンが偉容を現したのだ。帝国軍の重厚な陣容と、戦意の高さを、ヤンはあらためて確認した。
 戦意の高さが圧倒的な勝利によってもたらされたものであることは明白である。自分は名将の誕生する瞬間を見ているのかもしれない、という思いがヤンをとらえた。
 智将と呼び、猛将と言う、それらの区分を超《こ》えて、部下に不敗の信仰を抱かせる指揮官を名将と称する――とヤンは史書で読んだことがあった。ローエングラム伯ラインハルトはまだ若いはずだが、すくなくとも名将になりつつある。同盟軍にとっては脅威であり、帝国内の旧勢力にとってもおそらくそうであろう。
 ヤンは脚を組みなおし、自分が歴史の流れのなかにたたずんでいるであろうことに軽い満足を覚えた。
 その間にも、戦場の様相は刻々と変化を示している。
 ケルンテンとパトロクロスは砲火を交えたが、互いに致命傷を与ええないまま、混戦のなかで離れ離れになっていた。
 戦術コンピューターがモニターに映し出す戦場の擬似モデルにヤンは視線を向けた。単純化された図形が両軍の配置と戦況を示している。
 ときおり逆方向への小さな波動を混えながら、全体としてそれは帝国軍の前進、同盟軍の後退という形を見せていた。
 その動きが、次第に速度を増した。帝国軍が一段と前進し、同盟軍が一段と後退する。逆方向への小さな波動が消え去り、擬似モデルの映像はいっそう単純化され、それだけに効果は増幅された。誰の目にも、帝国軍が勝利の手を、同盟軍が敗北の尾を、それぞれつかみそうに見えた。
「どうやら勝ったな」
 ラインハルトは呟いた。中央突破策は功を奏しつつあるようだった。
 一方、ヤンもラオ少佐に向かってうなずいていた。
「どうやら、うまく行きそうだな」
 やれやれ、という安堵の言葉は声にしなかった。
 味方が彼の指示に従順であるか否か、ヤンはそれを心配していたのだ。立案した作戦自体には自信があった。この段階にいたって、もはや勝利はない。しかし、負けずにすむ、ということは可能なのだ。ただし、作戦通りに味方が動けば、である。
 我《が》が強く、ヤンごとき若輩に従うのを潔《いさぎよ》しとしない部隊指揮官もいるに違いないが、彼らとしても他に有効な作戦案を持たない以上、ヤンの指令をいれるしかないのであろう。忠誠心というより生存への欲望がそうさせたのであっても、ヤンにはいっこうにさしつかえないことだった。
 ラインハルトの顔にかすかな困惑の色が漂い始めた。
 彼は席から立ち上がり、指揮卓に両手を突いて天井のスクリーンを睨みつけた。いらだたしさが彼の体内に湧き出していた。
 味方は前進し、敵は後退している。中央突破攻勢をかけられて同盟軍は左右に分断されつつある。スクリーンに映る光景も、戦術コンピューターがモニターに再構成する擬似モデルも、先頭集団からの戦況報告も、すべて同一の事態を告げていた。
 にもかかわらず、ラインハルトの胸中には遠雷がかすかに響き始めている。何かたちの悪い詐術にかかったような不快感に、神経が侵されるのを彼は自覚した。
 彼は左手で作った拳を口に当て、人差指の第二関節に軽く歯を立てた。その瞬間、彼は理由もなく敵の意図を悟った。
「しまった……」
 その低い呻きは、オペレーターの叫びに圧されて誰の耳にも届かなかった。
「敵が左右に分かれました! こ、これは何と、わが軍の両側を高速で逆進して行きます!」
「キルヒアイス!」
 驚愕のどよめき[#「どよめき」に傍点]のなかで、ラインハルトは赤毛の副官を呼んだ。
「してやられた……敵は両手に分かれてわが軍の後背に回る気だ。中央突破戦法を逆手にとられてしまった……畜生!」
 金髪の若者は指揮卓に拳を叩きつけた。
「どうなさいます? 反転迎撃なさいますか」
 キルヒアイスの声は沈着さを失っていない。それは一時的に激昂した上官の神経を沈静させる効果があった。
「冗談ではない。おれに低能になれと言うのか、敵の第四艦隊司令官以上の?」
「では前進するしかありませんね」
「その通りだ」
 ラインハルトはうなずき、通信士官に命令した。
「全艦隊、全速前進! 逆進する敵の後背に喰いつけ。方向は右だ。急げ!」

     Z

 三〇分後、双方の陣型は輪状に連なっていた。それは奇妙な光景だった。同盟軍の先頭集団は帝国軍の後尾に猛攻を加え、帝国軍の先頭集団は二股に分かれた同盟軍の一方の後尾に襲いかかっている。
 光り輝く二匹の長大な蛇が、互いに相手を尾から呑みこもうとしているように、宇宙の深淵の彼方からは見えたかもしれない。
「こんな陣型は初めて見ます」
 モニターの擬似モデルを凝視していたラオ少佐が、ヤンに向かって歎声をもらした。
「そうだろうね……私もさ」
 ヤンは言ったが、後半は嘘である。人類が地球という辺境の惑星の地表だけで生活していた当時、このような陣形が戦場に生まれたことは幾度もあった。今回のローエングラム伯の卓抜な用兵にしても地上では先例がある。古来――幸か不幸か――戦乱の時代には必ず、それまでの用兵思想を一変させる軍事的天才が登場しているものだ。
「何たるぶざまな陣型だ!」
 ブリュンヒルトの艦橋では憤激の叫びが上がっていた。
「これでは消耗戦ではないか……」
 ラインハルトは声を抑えて苦々しく呟いた。
 彼のもとに高級指揮官戦死の報が届いていた。エルラッハ少将が乗艦もろとも吹き飛んだのである。全速前進というラインハルトの指令を無視し、同盟軍を反転迎撃しようとして、回頭中に中性子ビーム砲の直撃を受けたのだった。
 背後から敵に肉迫されているのに、その眼前で艦を回頭しようとは、何たる低能か! 自業自得だ。とはいえ、帝国軍の勝利に一抹の影が落ちたことはいなめない。
 これが消耗戦であることは、しかけたヤンのほうは最初から承知していた。帝国軍の指揮官ローエングラム伯は愚かではない。流血と破壊を増大させるだけの不毛な戦闘を続けることはないだろう。敵をその決断に追いやるための、これは作戦だった。
「もうすぐ敵は退《ひ》き始めるだろう」
 ラオ少佐にヤンは言った。
「では追撃するのですか?」
「……やめとこう」
 若い指揮官はかぶりを振った。
「敵に呼吸を合わせて、こちらも退くんだ。ここまでが精一杯だよ。これ以上戦闘を続けるのは無理だ」
 ブリュンヒルト艦橋でも会話が交されている。
「キルヒアイス、どう思う?」
「そろそろしおどきではないでしょうか」
 控えめだが明確な返答があった。
「お前もそう思うか?」
「これ以上戦っても、双方とも損害が増すばかりです。戦略的に何の意味もありません」
 ラインハルトは点頭したが、若々しい頬のあたりに釈然としない色が漂っている。理性が納得しても感情が満足していないのだ。
「くやしいとお思いですか?」
「そんなこともないが、もう少し勝ちたかったな。画竜《がりょう》点睛《てんせい》を欠いたのが残念だ」
 この人らしい、とキルヒアイスは思わず口元をほころばせかけた。
「二倍の敵に三方から包囲されながら、各個撃破戦法で二個艦隊を全滅させ、最後の敵には後背に回りこまれながら互角に闘ったのです。充分ではありませんか。これ以上をお望みになるのは、いささか欲が深いというものです」
「わかっている。後日の楽しみというものがあることもな」
 やがて両軍は砲火を交えつつも、しだいに陣型を横に展《ひら》き、互いに距離を置き始めた。それにともなって砲火も静まり、放出されたエネルギーの密度が急速に薄まってゆく。
「やるじゃないか、なかなか」
 ラインハルトの声には、いまいましさと賞賛の念がとけ合っていた。金髪の若い指揮官は何か考えこみ、やや間をおいて副官を呼んだ。
「敵の第二艦隊の指揮官……途中から権限を引きついだ男だ、何と言ったかな」
「ヤン准将でした」
「そう、ヤンだ。その男におれの名で電文を送ってくれ」
 キルヒアイスはにこりとして、
「どのような文章を送ればよろしいでしょう」
「貴官の勇戦に敬意を表す、再戦の日まで壮健《そうけん》なれ……そんなところでいいだろう」
「かしこまりました」
 キルヒアイスが通信士官にラインハルトの命令を伝えると、相手は軽く首を傾げた。キルヒアイスは人好きのする微笑をたたえた。
「貴官と同様……こんな手ごわい相手とはもうやりたくないね。楽に勝てるほうがいい、賞賛すべき敵に出会うよりも」
「まったくですな」
 通信士官はうなずいた。ラインハルトの新たな命令が響いた。
「オーディンに帰還するぞ。全艦隊、隊列を整えろ」
 途中でイゼルローン要塞に寄港すること、早急に敵味方の損害を算出すること、などの命令を付け加えると、ラインハルトは指揮官席の背を倒し、球型の天井にほぼ正対する姿勢で目を閉じた。
 意識の水面下から疲労が泡沫《うたかた》のように上昇して来るのを感じる。少しの時間なら眠ってもいいだろう。本格的なものではない。何かあればキルヒアイスが起こしてくれるはずだ。帰路の設定は慣性航法システムにまかせておけばよいことだし……。

 敗軍の将には、部隊運営を下級指揮官にゆだねて睡眠をとるような贅沢《ぜいたく》は許されなかった。最大の任務は敗残兵の収容であり、第四・第六両艦隊の生存者を求めて戦場を駆け回らなければならなかった。何でもそうだが事後処理が最大の労苦なのだ、と、スペース・スーツのヘルメットを脱いで紙コップからプロテイン入りのミルクを飲みながらヤンは思った。
「次席幕僚、いえ、司令官代理どの、帝国軍から入電しておりますが……」
 そう告げに来たラオ少佐の顔いっぱいに好奇心があふれている。今回の戦闘は最初から最後まで異例のことばかりだ、と、その表情が語っていた。
「電文か? 読んでみてくれ」
「はあ、では読みます。貴官の勇戦に敬意を表す、再戦の日まで壮健なれ、銀河帝国軍上級大将ラインハルト・フォン・ローエングラム……以上です」
「勇戦と評してくれたか。恐縮するね」
 今度会ったら叩きつぶしてやるぞ、ということだな。ヤンはそう諒解した。稚気《ちき》と称すべきであろうが、反感をそそられはしなかった。
「どうしましょう……返電なさいますか?」
 ラオ少佐の質問に、ヤンは気のなさそうな声で応えた
「先方もそんなものは期待してないのじゃないかな。いいさ、放っておいて」
「はあ……」
「それより残兵の収容を急いでくれ。助けられるかぎりは助けたい」
 ラオ少佐が傍から去ると、ヤンの視線は操作卓《コンソール》に向けられた。その下の床に、戦闘開始前にパエッタ中将に提出した作戦提案書が落ちている。ヤンの口もとを苦い笑みが飾った。自分の意見の正しさがこんな形で証明されることを、彼は決して望みはしなかった。最終的な犠牲がどれほどの数に上るのか、軍首脳の総毛だった顔をヤンは想像することができた。

「アスターテの会戦」はこうして終結した。
 戦闘に参加した人員は、帝国軍二四四万八六〇〇名、同盟軍四〇六万五九〇〇名。艦艇は帝国軍二万隻余、同盟軍四万隻余。戦死者は帝国軍一五万三四〇〇名余、同盟軍一五〇万八九〇〇名余。喪失あるいは大破した艦艇は帝国軍二二〇〇隻余、同盟軍二万二六〇〇隻余であった。同盟軍の損失は帝国軍の一〇倍から一一倍に達したが、アスターテ星系への帝国軍の侵入はかろうじて防がれた。
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   第三章 帝国の残照


     T

 優美に彎曲した特殊ガラスの壁面の彼方に、釣鐘の形をした奇岩が林立している。その背景となる空には黄昏《たそがれ》が音もなく翼を拡げ、水分の少ない空気の微粒子が、見る者の視界全体を、底知れぬ青さに染め上げるかと想われた。
 腰の背後で軽く両手を組み合せて壁ぎわにたたずんでいた人物が、首だけを動かして室内を顧みた。その視線の先に、大きな白亜の操作卓《コンソール》が据えられ、傍には初老の男が姿勢正しく立っている。
「すると……」
 壁ぎわの人物が声を発した。重々しい響きを持つ、太い男の声であった。
「……帝国軍が勝った、ただし勝ちすぎはしなかったと、そういうわけだな、ボルテック」
「さようです、自治領主《ランデスヘル》。同盟軍は敗れはしましたが、全軍崩壊というまでには立ちいたりませんでした」
「態勢を立て直したか?」
「態勢を立て直し、反撃して一矢を報いてもおります。全体として帝国軍の勝利は動かしがたいのですが、同盟軍も殴られっ放しというわけでもありませんので……わがフェザーンとしては、まず満足すべき結果をえた、と、こう申してもよろしいかと存じますが、いかがでしょう、自治領主《ランデスヘル》」
 壁ぎわの男――第五代フェザーン自治領主《ランデスヘル》のアドリアン・ルビンスキーは身体ごと室内に向き直った。
 異相であった。年齢は四〇歳前後かと思われるが、頭部には一本の毛髪もない。肌は浅黒い。眉、目、鼻、口など顔の造作はすべて大きく、美男子とは称しがたいが他者に強烈な印象を与えずにはおかない風貌である。その身体は上背に恵まれているだけでなく、肩幅が広く、胸郭はたくましく、圧倒的な精気と活力をみなぎらせているようだ。
 在任五年、「フェザーンの黒狐《くろぎつね》」と帝国・同盟の双方から苦々しく呼称されている中継交易国家の終身制統治者、それが彼だった。
「そう満足してもいられんぞ、ボルテック」
 皮肉そうな視線と声を、異相の自治領主《ランデスヘル》は腹心の補佐官に投げかけた。
「その結果がもたらされたのは偶然であって、そうなるように吾々が努力したからではない。将来も幸運ばかりをあてにしてはいられんだろう。情報の収集分析を一段と活発にして、切札の数を増やしておくべきだろうな」
 黒いタートルネックのセーターに淡緑色のスーツ――およそ一国の支配者らしからぬ軽装のルビンスキーは、悠然たる歩調で操作卓《コンソール》に歩み寄った。
 ボルテックの手が動いて、操作卓《コンソール》の中央ディスプレィに、ある図を映し出した。
「これが両軍の配置図です。天頂方向から俯瞰したものです、ごらん下さい」
 それは三日前に、キルヒアイスがラインハルトに示したものと同一だった。帝国軍が赤、同盟軍が緑。赤い矢印に向かって緑の矢印が三本、前面と左右から迫っている。矢印を点とすれば、緑点を頂点とした三角形の内心に赤点が位置しているようにも見えた。
「艦艇の数は帝国軍が二万隻、同盟軍が合計四万隻でした。数的には同盟軍が圧倒的に有利だったのです」
「位置的にもな。三方から帝国軍を包囲する態勢だ。しかし待てよ、こいつは……」
 ルビンスキーは太い指で額の端を押さえた。
「こいつはたしか、百年以上も昔に、『ダゴンの殲滅戦』で同盟軍が使った陣型じゃないか。夢よもう一度というわけか、進歩のない奴らだ」
「しかし用兵学上は論理的な作戦です」
「はん! 机上の作戦はいつだって完璧に決まっとるさ。だが実戦は相手あってのものだからな。帝国軍の総指揮官は例の金髪の孺子《こ ぞ う》だったな」
「さようで、ローエングラム伯です」
 ルビンスキーは悦に入ったような笑い声を立てた。
 五年前、急死した前任者ワレンコフの後をついで、当時三六歳の彼が政権を握ったとき、反対派は五〇代の老練な候補者を擁して、三〇代の元首など若すぎると騒ぎ立てたものだ。ところがローエングラム伯ときては、当時の彼よりさらに一六歳も若いのである。先例だの習慣だのを口にするしか能のない老兵どもには、不愉快な時代が、どうやら到来しつつあるらしい。
「この危機を、ローエングラム伯はいかにして切り抜けたか、自治領主《ランデスヘル》にはおわかりですか?」
 ボルテックの口調に、楽しむような響きがある。異相の自治領主《ランデスヘル》は補佐官をちらりと見ると、ディスプレイに見入った。そして、事もなげに断言した。
「敵が分散している状況を利用して各個撃破だな。それしかあるまい」
 補佐官は頬を殴られたような表情で、彼の政治的忠誠の対象を見やった。
「おっしゃる通りです。いや、ご炯眼《けいがん》恐れ入りました」
 ルビンスキーはふてぶてしいほど落着いた微笑で、その讃辞を受けとめた。
「専門家が素人に遅れを取る場合が、往々にしてある。長所より短所を、好機より危機を見てしまうからだ。この双方の布陣を見れば、専門家は包囲された帝国軍の敗北は必至と思いこんでしまうだろうな。だが、まだ包囲網が完成されたわけではないし、兵力が分散している同盟軍のほうにむしろ危機的状況が見られるのさ」
「おっしゃる通りですな」
「要するに同盟軍はローエングラム伯ラインハルトの指揮能力を過小評価したというわけだ。まあ、無理もないことだがな。具体的な状況の変化を見せてもらおうか」
 ボルテックの操作にしたがって、ディスプレイに映し出された図型が躍動し変化して行った。赤い矢が緑色の矢の一本に向けて急速に直進し、それを粉砕した後、反転していま一本の緑の矢を消滅させ、さらに方向を転じて三本目の緑の矢に対峙する状況を、自治領主《ランデスヘル》は両眼を細めて見守った。操作の停止を命じ、ディスプレイを注視したまま歎息する。
「理想的な各個撃破だな。ダイナミックでアクティブな用兵だ。みごとなものだが……」
 語を切って首をかしげる。
「しかし、ここまで状況が変化すれば、帝国軍の勝利はほとんど完全なものとなっているはずだ。この段階から同盟軍が劣勢を挽回するのは容易ではないぞ。全軍崩壊、敗走という事態になって当然だ。同盟軍の第三部隊は誰が指揮していた?」
「最初はパエッタ中将です。しかし戦闘開始後、旗艦が被弾して重傷を負い、その後は次席幕僚ヤン・ウェンリー准将が指揮権を受けつぎました」
「ヤン・ウェンリー……聞いたことがある名だが」
「八年前エル・ファシル脱出作戦を指揮した男です」
「ああ、あのときの」
 ルビンスキーは納得した。
「なかなかおもしろい男が同盟にもいると思っていたが……で、エル・ファシルの英雄はどう兵を動かしたのだ?」
 ルビンスキーの質問に応じて首席補佐官はディスプレイを操作し、「アスターテ会戦」の最終段階の戦況を上司に示した。
 緑の矢が左右に分かれ、その機先を制するかのごとく赤い矢が急進して中央突破をはかる。左右に分断されたかに見える緑の矢が、赤い矢の両側面を逆進し、後背に出て含流し、赤い矢の後方から襲いかかった……。
 ルビンスキーは低くうめいた。これほど洗練された戦術を駆使する指揮官が同盟軍にいたとは予想外だった。
 しかも全軍崩壊の危機に直面して、これほど冷静に戦況を把握し、事態に対処しうるとは、ローエングラム伯以上に凡物ではありえない。
 第五代フェザーン自治領主《ランデスヘル》はしばらく、ディスプレイに視線を凍結させていた。
「なかなか興味深い魔術を見たな」
 やがて、ルビンスキーはディスプレイの映像を消すよう手ぶりで命じた。それにしたがった後、ボルテックは一歩退いて次の指示を待った。
「ヤン・ウェンリー、だったな、その准将について至急データを集めるよう、ハイネセンの高等弁務官事務所に指令を出せ。エル・ファシルの件がまぐれなどでないことがよくわかった」
「かしこまりました」
「どんな組織でも機械でも、運用するのはしょせん、人間だ。上位に立つ者の才幹と器量しだいで、虎が猫にもなりその逆にもなる。虎の牙がどちらを向くか、これもまた猛獣使いしだいだ。くわしく人がらを知っておくにしくはない」
 それによって使途《つかいみち》もできる、と考えながら、ルビンスキーは補佐官を退室させた。

 恒星フェザーンは四個の惑星をしたがえている。その三個までは高熱のガスの塊であり、第二惑星のみが硬い地殻を所有していた。気体の組成分は人類の故郷である太陽系第三惑星とほとんど異ならない。八割近くの窒素と二割近くの酸素――最大の差異は本来、二酸化炭素を欠くことで、したがって植物が存在しなかった。
 水も少ない。藍藻《らんそう》類から順次、高等な植物種子の散布へと進んだ惑星緑化も、地表の全域を緑の沃野《よくや 》と化せしめるにはいたらず、水利の良い地域のみが緑色の帯状に惑星表面を彩っている。赤い部分は岩砂漠の荒野で、侵蝕と風化の進んだ地形が奇景奇観を誇っていた。
 フェザーンは恒星の名であると同時に、唯一の有人地である第二惑星の名であり、星系全体の名であり、それを領域として帝国暦三七三年に成立した自治領の名である。軍隊は少数の警備艦隊のみで、二〇億人のフェザーン人は帝国・同盟間の交易路を支配し、利益を上げることに情熱を傾けてきた。形としては帝国に従属しながら、事実上は完全に近い政治的独立を保ち、経済力にいたっては両大国を凌駕する勢いをすら示している。
 だが今日にいたる道程が平坦でなかったのはむろんのことで、初代のレオポルド・ラープ以来、歴代の自治領主《ランデスヘル》は、その地位を安泰にするための政治工作に腐心してきた。その国是《こくぜ 》は、「侮りを受けるほど弱からず、恐怖されるほど強からず」であったのだが、「帝国四八、同盟四〇、フェザーン一二」という勢力比の数値が、半世紀来まったく変化しないという事実が、フェザーン為政当局の苦心を如実に示していた。
 帝国とフェザーンの勢力を合すれば、同盟より有利な立場となるが、それでも同盟を滅すのは困難である。逆に、同盟とフェザーンが連合すれば、帝国を凌駕することが可能だが、圧倒するとまでは行かない。
 この芸術的なまでに微妙なバランスを維持することが、フェザーンの政戦両酪の真骨頂であった。強くなりすぎてはいけない。帝国・同盟両者の反発と警戒を呼び、双方による連合の結成を見、宇宙から存在を抹殺されることになりかねなかった。帝国と同盟が連合すれば、その勢力は八八であり、ただ一戦でフェザーンを滅すことが可能である。といって弱すぎれば、その存在は無価値なものとなり、帝国にも同盟にも、その独立を尊重させることができなくなるであろう。
 帝国がフェザーンの独立を奪うべくはかれば、フェザーンは同盟に身を寄せる意思を示した。同盟がフェザーンに野心を抱けば、フェザーンは帝国の方を向いて媚態《び たい》を見せた。双方に必要な物資を供給し、その内部に喰い込み、権力者を籠絡《ろうらく》しながら、フェザーンはしたたか[#「したたか」に傍点]に生き延びてきたのである。
 そのしたたか[#「したたか」に傍点]な国民を統治する五代目の指導者が彼、アドリアン・ルビンスキーなのだ。
 帝国と同盟の一方が他方を征服したりしては困る。両勢力はバランスを保って並存すべきであり、もし滅びるものなら同時に滅びてもらわねばならない。それもフェザーンを巻き込んだりすることなくだ。
 フェザーンが歴史を制御する。それも軍事力など使わず、富力と術策によってである。大艦巨砲を擁し、流血をもって結局は国力の疲弊《ひ へい》と社会の荒廃を招く愚は、両大国にまかせておけばよい。絶対君主制の銀河帝国であれ、民主的共和制の自由惑星同盟であれ、要するに殺戮と破壊以外の手段で国を守る術《すべ》を持たない、旧弊きわまる低能どもではないか。奴らは自己の正統性に陶酔しながらフェザーンの掌の上で踊っていればよいのである。
 とはいえ、ローエングラム伯とヤン、両者の登場には、新しい時代の予兆を感じさせる何かがある。両者の今後を注視する必要があるだろう。過大評価かもしれないが、嗅覚は鋭く切札は多いに越したことはないのだ。

     U

 惑星オーディンの西半球を夜のやわらかな掌が包みこんでいる。
 そこが帝国領であれ同盟領であれ、自転する惑星は昼夜の交替から逃がれることはできない。銀河系宇宙の森羅万象《しんらばんしょう》を支配しようとこころざしたルドルフ大帝でさえ、天体の運行を止めることは不可能だったのだ。
 しかもそれらの天体の運動は一律の周期を持ってはおらず、ある惑星の自転周期は一八時間半、別の惑星においては四〇時間と、それぞれ無二の個性を主張している。
 一方、人間の体内時計は、発祥の地たる太陽《ソル》系第三惑星に居住していたときでも、じつはその自転周期と一時間ずれた二五時間単位で動いていた。それを各人で調整して二四時間単位の生活を送っていたのである。習慣としては二四時間制が確立していたのだ。恒星間飛行をなしとげた人類は、昼夜の別を心理的に調節するという難題に直面することになった。
 宇宙船、宇宙空間都市、各種の理由によって人工的な環境を必要とする惑星、などはあまり問題がなかった。二四時間周期の生活に環境のほうを合わせてしまうからである。人工照明によって昼を明るくし、夜を暗くする。このような場所では、温度を調節して、夜明け直前をもっとも低温にするし、夏と冬とで温度だけでなく夜の長さも変化させる。
 また、自転周期が極端に長いかあるいは短い惑星では、強引に一日二四時間制をしき、「今日は一日中、夜ですな。あさって、陽が昇るそうです」とか、「この惑星では一日に二回夕陽が見られますよ」などという会話が生まれている。
 困るのはむしろ、二一時間半とか二七時間などという地球にちかい自転周期を持つ惑星で、試行錯誤のすえ、自転周期を二四等分して惑星地方時を使用する派と、多少の不便を忍んで標準二四時制を使用する派に別れた。いずれにせよ。神経を太くして慣れるしかないのである。
 二四時間が一日、三六五日が一年。この、いわゆる「標準暦」は帝国においても同盟においても使用されている。銀河帝国の一月一日は自由惑星同盟でも一月一日なのだ。
「いつまでも地球の呪縛に縛られていることはない。地球はすでに人類社会の中心ではないし、宇宙暦も施行されたのだ。新たな時間の基準を設けるべきではないか」
 古いことイコール悪いこと、と考える人々のなかにはそう主張する者もいたが、では何をもって新しい基準とするかというと、誰もが納得できる解答などありはしないのだった。結局、古くからの習慣が最大の支持――必ずしも積極的ではないにしろ――をえて、今日にいたっているのだった。
「地球の呪縛」は度量衡《どりょうこう》の単位にもおよんでいる。一グラムは、一立方センチの水を四度Cの温度のとき、地球の重力下で計測した重量である。そして一センチとは地球の周囲の四〇億分の一の長さなのだ。これらの単位もまた全人類社会で共通に用いられている。
 ルドルフ大帝は度量衡の単位を変換しようと試みたことがあった。彼自身の身長を一カイゼル・ファーデン、彼自身の体重を一カイゼル・セントナーとしてすべての単位の基準にしようとしたのである。しかしこれは考案されたのみで実行には移されなかった。
 非合理にすぎたからではない。諮問《し もん》を受けた当時の財務卿クレーフェが、うやうやしくひとつの資料を皇帝に提出したのである。それは、度量衡の単位を変換するには人類社会におけるすべてのコンピューターの記憶回路や計器類を刷新せねばならぬとし、それに要する経費を試算したものだった。おりから、通貨単位をクレジットから帝国マルクに変えたばかりでもあり、資料に並べられ|0《ゼロ》の数は、さすがに剛腹《ごうふく》なルドルフも鼻白むほどのものだったと伝えられる。
 こうしてメートルとグラムは生存を許されることになったが、今日の通説ではクレーフェの試算は明らかに過大な数値であり、限度を知らないルドルフの自己神聖化に対して、温和なだけが長所と思われていたクレーフェが無言の反抗を敢行したのだ、と言われている。

 ……銀河帝国皇帝の居城、新無憂宮《ノイエ・サンスーシー》は壮麗な姿を夜空の下に浮かび上がらせていた。
 独立した、あるいは互いに連結された大小の建物、無数の噴水、自然の森と人工の森、沈床《ちんしょう》式の薔薇園、彫刻、花壇、四阿《あずまや》、芝生の際限ないつらなり、それらが巧妙な照明効果によって、視神経を刺激しないよう配慮された淡い銀色に包まれている。
 宮殿は一〇〇〇以上の恒星系を支配統治する政治の中枢である。周囲には官庁群が配置されているが、高層建築はひとつもない。主要部分はむしろ地下にある。臣民が高い位置から皇帝陛下の宮殿を眺め下ろすなど、許しがたい不敬だからである。オーディンの上空をめぐる多数の衛星《サテライト》も、宮殿の真上を通過することは絶対にない。
 宮殿には五万人を超す侍従や女官が働いている。機械力ですむところに人間を使うのが、地位の高さと権力の強大さを証明する時代なのだ。調理、清掃、客人の案内、庭園の管理、放し飼いにされた鹿の世話、すべてが人力によってなされる。それこそが王者の贅沢なのだ。
 宮殿内には走路《ベルトウェイ》もエスカレーターもない。自身の脚で廊下を歩き、階段を昇降しなければならない。これは皇帝でさえそうである。
「偉大なるルドルフ」は、肉体的な強さも統治者の条件のひとつと考えていたのだ。自分の脚で歩くこともかなわぬ者が、巨大な帝国を肩の上に載せることができるだろうか?
 宮殿にはいくつかの謁見《えっけん》室があるが、その夜、無数の高官に埋めつくされたのは「黒真珠の間」だった。アスターテ会戦において暴戻《ぼうれい》な叛乱軍を撃破し、帝威を輝かせたローエングラム伯ラインハルトに対して、帝国元帥|杖《じょう》の授与式が行なわれるのだ。
 帝国元帥は、ただ上級大将より一階級高いというにとどまらない。年額二五〇万帝国マルクにのぼる終身年金がつくだけでなく、大逆罪以外の犯罪については刑法をもって処罰されることはなく、元帥府を開設して幕僚を自由に任免することができる。
 これらの特権を亨受する帝国元帥は現在四名だけだが、今回それにローエングラム伯ラインハルトが加わって五名になる。しかもローエングラム伯は帝国宇宙艦隊副司令長官に任じられ、一八個艦隊からなる帝国宇宙艦隊の半数を指揮下に置くことになるという。
「次は爵位だろう、伯から侯へな」
 広大な「黒真珠の間」の片隅で、そうささやきかわす人々がいる。古来、噂話は火とともに人類のよき友人だった。この友人を愛する人は、時代と状況を問わず、豪奢な宮殿にもうらぶれた貧民街にも絶えることはない。
 皇帝の玉座にちかい位置には、帝国における最高の地位を所有する人々がたたずんでいる。大貴族、高級の文官または武官、あるいはそれらのいくつかをかねた者。彼らは幅六メートルの赤を基調とした絨毯《じゅうたん》――それは二〇〇名の職人が四半世紀をかけて織り上げたものである――を挟んで列を作っていた。その一方は文官の列で、最上の位置にリヒテンラーデ侯がいる。
 帝国政府国務尚書のリヒテンラーデ侯は、帝国宰相代理として閣議を主宰している。とがった鼻と、雪のような銀髪と、鋭いというよりは険しい眼光を有する七五歳の老人だ。彼から下方へ流れると、ゲルラッハ財務尚書、フレーゲル内務尚書、ルンプ司法尚書、ウィルヘルミ科学尚書、ノイケルン宮内尚書、キールマンゼク内閣書記官長……という人々が居並んでいる。
 反対側には武官の列がある。軍務尚書エーレンベルク元師、帝国軍統帥本部総長シュタインホフ元帥、幕僚総監クラーゼン元帥、宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥、装甲|擲弾《てきだん》兵総監オフレッサー上級大将、近衛兵総監ラムスドルフ上級大将、憲兵総監クラーマー大将、それに一八個艦隊の司令官たち……。
 古風なラッパの澄んだ響きが、一同に姿勢を正させた。木の葉が風に騒ぐかのようなざわめきが静まる。至尊者の入来を告げる式部官の声が参会者の鼓膜を叩いた。
「全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統《す》べる秩序と法則の保護者、神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝フリードリヒ四世陛下の御入来!」
 語尾に帝国国歌の壮重な旋律がおおいかぶさる。それに首すじを押さえつけられるように、一同は深々と頭をたれた。
 幾人かは口のなかで数を数えていたかもしれない。ゆっくりと頭をあげると、黄金張りの豪奢な椅子に彼らの皇帝が坐っていた。
 銀河帝国第三六代皇帝フリードリヒ四世。六三歳の、奇妙に困憊《こんぱい》した印象を与える男である。老人という年齢ではないのに、老人と形容したくなるところがある。国事にはほとんど関心がない。絶対的なその権力を積極的に行使する能力も意思もなさそうに見える。強烈をきわめた先祖ルドルフの残光を背負った、先祖とは正反対のひ弱な男、皇帝フリードリヒ四世。
 皇帝は一〇年前に皇后を失った。難病とは言えない。風邪をこじらせて肺炎にかかったのである。ガンは遙かむかしに克服されたが、風邪を病名のリストから追放することは、同盟の歴史家が悪意をこめて記述したように、「偉大なるルドルフの威光をもってしても」不可能だったのだ。
 以後、皇帝は皇后を立てず、竃姫のひとりにグリューネワルト伯爵夫人《グ ラ フ ィ ン》の称号を贈り、事実上の妻の座を与えている。しかしその寵姫は大貴族の出身ではないため、公式の国事に参列することを遠慮し、この夜も美しい姿を人々の前に現さなかった。|グリューネワルト伯爵夫人《グ ラ フ ィ ン ・ フ ォ ン ・ グ リ ュ ー ネ ワ ル ト》、本名はアンネローゼである。
「ローエングラム伯ラインハルトどの!」
 式部官が朗々と式典の主人公の名を呼んだ。
 一同は、今度は最敬礼する必要もなく、絨毯を踏んで歩み寄って来る若い武官に視線を送った。
 貴婦人たちの間から歎声が洩れる。ラインハルトに反感を有している者――つまり参列者の大部分――も、彼のたぐいまれな美貌を認めないわけにはいかなかった。
 最上質の白磁で造られた人形のように端麗な、だが人形にしては眼光が鋭く、表情が勁烈《けいれつ》にすぎる。彼の姉アンネローゼに対する皇帝の耽溺《たんでき》と、彼自身のこの表情がなかったら、この君臣に対して男色に関する蔭口が叩かれることは必至であったろう。
 参列者たちのさまざまな感情が入り乱れるなかを、武官らしくきびきびした歩調で通り抜けると、ラインハルトは玉座の前に立ち、心にもなくうやうやしく片膝をついた。
 その姿勢で、皇帝が玉音を下賜《かし》されるのを待つ。公式の場において、皇帝に先に話しかけることなど、臣下には許されていないのだ。
「ローエングラム伯、このたびの武勲、まことに見事であった」
 およそ個性のない発言であった。
「恐れ入ります、ひとえに陛下の御威光の賜物《たまもの》でございます」
 ラインハルトの応答にも個性がないが、これは計算と自制の結果である。気のきいたことを言っても理解できる相手ではないし、参列者の反感を増すだけのことだ。彼にとっては、皇帝が式部官から手渡されて読みあげる一枚の紙片のほうがよほど重要であった。
「アスターテ星域における叛乱軍討伐の功績により、汝、ローエングラム伯ラインハルトを帝国元帥に任ず。また、帝国宇宙艦隊副司令長官に任じ、宇宙艦隊の半数を汝の指揮下におくものとす。帝国暦四八七年三月一九日、銀河帝国皇帝フリードリヒ四世」
 ラインハルトは立ち上がって階《きざはし》を上り、最敬礼とともにその辞令を受け取った。ついで元帥杖を授けられる。この瞬間、ローエングラム伯ラインハルトは帝国元帥となった。
 華やかなほどの微笑をたたえながら、内心では決して満足してはいない。これは彼の歩むべき道程の、ほんの第一歩にすぎないのだ。権力にまかせて彼から姉を奪った無能者に取って代わるのだ。
「ふん、二〇歳の元帥か」
 低く呟いたのは装甲擲弾兵総監オフレッサー上級大将だった。四〇代後半の筋骨たくましい巨漢で、同盟軍兵士の放ったレーザー光線で截《き》られた左頬骨の傷跡が生々しい紫色をしている。わざと完治させず、歴戦の猛将であることを誇示しているのだ。
「光輝ある帝国宇宙艦隊は、いつから幼児の玩具になり下がったのです。閣下?」
 煽動するように彼がささやきかけた相手は、ラインハルトに麾下の部隊の半数を奪われる男だった。
 宇宙艦隊指令長官ミュッケンベルガー元帥は半白の眉を微妙な角度に曲げた。
「卿はそう言うがな、あの金髪の孺子《こ ぞ う》に用兵の才能があることは否定できぬ。現に叛乱軍を撃破しておるし、その手腕には百戦錬磨のメルカッツでさえ舌を巻いておるのだ」
「牙を抜かれたと見えますな、たしかに」
 武官の列中に黙然とたたずむメルカッツ大将の姿に視線を投げて、オフレッサーは容赦なく評した。
「勝ったとはいえ、一度だけでは偶然ということもありましょう。小官に言わせれば、敵が無能すぎたとしか思えません。勝敗とは結局、相対的なものですからな」
「声が高い」
 たしなめはしたが、元帥は上級大将の発言の内容そのものを否定したわけではなかった。ラインハルトの功績を何ら心理的抵抗なく受容するのは、大貴族出身者や古参の将官たちにとって容易ではないのだ。しかし場所が場所であり、元帥は話題を転じる必要を感じたようだった。
「ところで、その敵だがな、ヤンとかいう指揮官の名を卿は知っておるか」
「さて……記憶にありませんな。その人物が何か?」
 エル・ファシルの件をオフレッサーは思い出せなかった。
「今度の会戦で叛乱軍の全面崩壊を防ぎ、エルラッハ少将を戦死させた男だ」
「ほう」
「相当な将才の持ち主らしい。さすがの金髪の孺子《こ ぞ う》も鼻をへし折られたという情報でな」
「それは愉快ではありませんか」
「ラインハルトひとりのことであればな。しかし先方は戦うに当たって敵を選ぶと思うか?」
 元帥の声はさすがに苦々しさを帯び、オフレッサーは分厚い肩を無器用にすくめた。
「黒真珠の間」にふたたび音楽が流れ始めた。勲功ある武官をたたえる歌、「ワルキューレは汝の勇気を愛せり」である。
 大貴族たちにとって不愉快な式典は終幕に近づきつつあった。

 ジークフリード・キルヒアイス大佐は、他の佐官級の軍人たちとともに、式場から幅広の廊下ひとつを隔てた「紫水晶《アメジスト》の間」に控えていた。
 貴族でも将官でもないキルヒアイスには、「黒真珠の間」に入室する資格が与えられていない。しかしここ両日中に彼は准将を飛び越して少将に昇進し、「閣下」と呼ばれる地位を与えられることが確定していた。そうなれば、華麗な式典から排除されることもなくなるのだろう。
 ラインハルトさまが階梯《かいてい》をひとつ上るたびに、自分も引きずり上げられる……キルヒアイスは軽く身慄《み ぶる》いした。自分に才幹がないとは思わないが、栄達の速度が普通でないことはたしかであり、それが自分の実力ばかりによるものだと思ったら大変なことになるであろう。
「ジークフリード・キルヒアイス大佐ですな」
 静かな声が傍からかけられた。
 三〇代前半とおぼしい将校が、キルヒアイスの視線の先に立っていた。階級章は大佐である。キルヒアイスには及ばないがかなりの長身で、若白髪の多い黒っぽい頭髪に薄い茶色の目をしており、皮膚は青白い。
「そうですが、貴官はどなたです?」
「パウル・フォン・オーベルシュタイン大佐です。お初にお目にかかる」
 そう言ったとき、オーベルシュタインと名乗った男の両眼に、異様な光が浮かび、キルヒアイスを驚かせた。
「失礼……」
 オーベルシュタインは呟いた。キルヒアイスの表情に気づいたのであろう。
「義眼の調子が少し悪いようだ。驚かせたようで申し訳ない。明日にでも取り換えることにしましょう」
「義眼をなさっているのですか、いや、これはこちらこそ失礼なことを……」
「何の、お気になさるな。光コンピューターを組み込んであって、こいつのおかげでまったく不自由せずにすんでいます。ただ、どうも寿命が短くてね」
「戦傷を受けられたのですか?」
「いや、生来のものです。もし私がルドルフ大帝の時代に生まれていたら、『劣悪遺伝子排除法』に引っかかって処分されていたでしょうな」
 その声は、空気の振動が音となって人間の耳に聴こえる、かろうじてその下限にあったが、キルヒアイスに息を呑ませるに充分だった。ルドルフ大帝に対する批判めいた発言は、当然、不敬罪の対象になるのだ。
「貴官はよい上官をお持ちだ、キルヒアイス大佐」
 やや声を大きくしてオーベルシュタインは言ったが、それでもささやき以上のものにはならなかった。
「よい上官とは部下の才幹を生かせる人をいうのです。現在の帝国軍にはいたって少ない。だがローエングラム伯は違う。お若いに似ず、たいしたお方ですな。門閥意識ばかり強い大貴族どもには理解しがたいでしょうが……」
 罠に対する警告信号が、キルヒアイスの脳裏に点滅した。このオーベルシュタインなる男が、ラインハルトの失脚を望む連中の|操り人形《マリオネット》でないと、どうして断言できるだろう。
「貴官は、どこの部隊に所属しておいでです?」
 さりげなく話題を転じる。
「いままでは統帥本部の情報処理課にいましたが、今度、イゼルローン要塞駐留艦隊の幕僚を拝命しました」
 答えてから、オーベルシュタインは薄く笑った。
「用心しておられるようだ、貴官は」
 一瞬、鼻白んだキルヒアイスが、何か言おうとしたとき、入室して来るラインハルトの姿が彼の視界に映った。式典が終了したらしい。
「キルヒアイス、明日……」
 声をかけて、部下の傍にいる青白い顔の男に気づいた。
 オーベルシュタインは敬礼して名乗り、型通りの短い祝辞を述べると、背を向けて去った。
 ラインハルトとキルヒアイスは廊下に出た。その夜は彼らは宮殿の一隅にある小さな客用の館に宿泊することになっていた。その場所まで、庭園の内部を一五分は歩かなければならない。
「キルヒアイス、明日姉上に会う、お前も来るだろう」
 夜空の下に出たところで、ラインハルトが言った。
「私が同行してもよろしいのですか?」
「何をいまさら、遠慮する。おれたちは家族だぞ」
 ラインハルトは少年の笑顔になったが、それを引っ込めるとやや声を低めた。
「ところで先刻の男は何者だ? 多少、気にかかるな」
 キルヒアイスは簡単に事情を説明し、
「どうも得体の知れない人です」
 と感想を付け加えた。ラインハルトは描いたように形のよい眉を軽くしかめて聞いていたが、
「たしかに得体の知れない男だな」
 とキルヒアイスの意見に賛同した。
「どういうつもりでお前に近づいたか知らないが、用心しておくに越したことはない。もっともこう敵が多いと、用心もなかなか難しいか」
 ふたりは同時に笑った。

     V

 グリューネワルト伯爵夫人アンネローゼの館はやはり新無憂宮《ノイエ・サンスーシー》の一隅にあったが、訪れるには、はでに装飾された宮廷用の地上車《ランド・カー》で一〇分も走る必要があった。
 キルヒアイスなどには、いっそ歩いたほうが気楽なのだが、皇帝陛下の御厚意により宮内省から差し向けられた地上車とあっては仕方ない。
 目的の館は菩提樹《リンデンバウム》のしげる池の畔にあり、女主人にふさわしい清楚な建築様式だった。
 アンネローゼのすんなりした優美な姿をポーチに見出すと、ラインハルトはまだ完全には停まっていない地上車から飛び降り、小走りに駆け寄った。
「姉上!」
 アンネローゼは春の陽ざしのような笑顔で弟を迎えた。
「ラインハルト、よく来てくれましたね。それにジークも……」
「……アンネローゼさまもお元気そうで何よりです」
「ありがとう。さあ、ふたりともお入りなきい。あなたたちが来るのを何日も前から待っていたのよ」
 ああ、この女《ひと》はむかしと少しも変わらない――と、キルヒアイスは思った。その優しさ、清楚さを損うことは、皇帝の権力をもってしても不可能だったのだ。
「コーヒーを淹《い》れましょう。それと巴旦杏《ケ ル シ ー》のケーキもね。手作りだからあなたがたの口に合うかどうかわからないけど、食べていってちょうだい」
「口を合せますよ」
 笑いながらラインハルトが応じ、手頃な広さの居間には和《なご》やかな雰囲気が満ちた。時の精霊がこの空間だけを一〇年前にもどしたような錯覚を、若者たちはひとしく抱いた。
 コーヒーカップの触れ合う音、清潔なテーブルクロス、巴旦杏《はたんきょう》のケーキに混ぜられた微量のバニラ・エッセンスの香り……つつましい幸福のひとつの形がそこにあった。
「伯爵夫人ともあろう者が調理場に立ち入るものではないとときどき言われるけど……」
 流れるような手さばきでケーキを切り分けながらアンネローゼは微笑した。
「何と言われても、これが楽しいものだから仕方ないわね。あまり機械に頼らず自分の手で焼くのがね」
 コーヒーが淹《い》れられ、クリームが落とされた。手作りのケーキに、裏を考える必要のない会話。心が温かい波に浸されてゆくかのような時が過ぎてゆく。
「ラインハルトがわがままばかり言ってさぞ迷惑をかけているのでしょうね、ジーク」
「いえ、そのような……」
「本心を言っていいのだぞ」
「ラインハルト、だめよ、からかっては。そうそう、シャフハウゼン子爵夫人からいただいたおいしい桃色《ヴァン・》葡萄酒《ローゼ》があるの。地下室にあるから取って来てくれないかしら? 帝国元帥閣下に雑用を頼んで悪いけど」
「姉上こそ私をからかうんですね。ええ、雑用でも何でも相努めますとも」
 気軽にラインハルトは立って行った。
 後にはアンネローゼとキルヒアイスが残った。アンネローゼは弟の親友に優しい微笑を向けた。
「ジーク、弟がいつもお世話になっていますね」
「とんでもありません、お世話を一方的にこうむっているのは私です。貴族でもない私がこの年齢で大佐などと、身にあまると思っております」
「もうすぐ少将でしょう。聞きましたよ。おめでとう」
「ありがとうございます」
 耳朶《じだ》の熱さをキルヒアイスは自覚した。
「弟は口には出さないし、あるいは本人も気づいていないかもしれないけど、ジーク、あなたをほんとうに頼りにしています。どうか、これからも弟のことをお願いするわね」
「恐縮です、私などが」
「ジーク、あなたはもっと自分を評価すべきですよ。弟には才能があります。多分、他の誰にもない才能が。でも、弟はあなたほどおとなではありません。自分の脚の速さにおぼれて断崖から転落する羚羊《かもしか》のような、そんなところがあります。これは弟が生まれたときから知っているわたしだから言えることです」
「アンネローゼさま……」
「どうか、ジーク、お願いします。ラインハルトが断崖から足を踏みはずすことのないよう見守ってやって。もしそんなきざしが見えたら叱ってやって。弟はあなたの忠告なら受け容れるでしょう。もしあなたの言うこともきかなくなったら……そのときは弟も終わりです。どんなに才能があったとしても、それにともなう器量がなかったのだと自ら証明することになるでしょう」
 アンネローゼの美貌から、すでに微笑は消え去っていた。弟のそれより濃いサファイア色の瞳に哀しみに似た陰翳がたゆたっている。
 見えざる刃が心の上を滑って、鋭い痛みをキルヒアイスに与えた。そうだ、いまは一〇年前ではないのだ。ラインハルトと自分は街の少年ではなく、アンネローゼも家庭的な一少女ではない。皇帝の寵姫と帝国元帥とその副官。権力の芳香と腐臭を同時に嗅ぐ立場にいる三人の男女……。
「私にできることでしたら何でもいたします、アンネローゼさま」
 キルヒアイスの声は、感情を抑制しようとする主人の意思にどうにかしたがっていた。
「ラインハルトさまに対する私の忠誠心を信じて下さい。決してアンネローゼさまのお心に背《そむ》くようなことは致しません」
「ありがとう、ジーク、ごめんなさいね、無理なことばかりお願いして。でもあなた以外に頼る人はわたしにもいません。どうかゆるして下さいね」
 私はあなたたちに頼ってほしいのです――胸中でキルヒアイスは呟いた。一〇年前、貴女に「弟と仲良くしてやって」と言われた瞬間から、ずっとそうなのです……。
 一〇年前! ふたたびキルヒアイスの心は痛む。
 一〇年前に自分がいまの年齢であったら、アンネローゼを決して皇帝の手などに渡しはしなかった。万難を排して、姉弟をつれ、多分、自由惑星同盟に逃亡していただろう。いまごろは同盟軍の士官にでもなっていたかもしれない。
 その当時、自分にはその能力もなく、自分自身の意思すらはっきりと把握できていなかった。いまはそうではない、だが一〇年前以上に、どうしようもない。人はなぜ、自分にとってもっとも必要なとき、それにふさわしい年齢でいることができないのだろう。
「……もっと見つけやすい場所に置いていてくれればいいのに」
 その声が、ラインハルトのもどって来たことを告げた。
「はい、ご苦労さま、でも苦労して探しただけの価値はあってよ。グラスを持って来るわね」
 このような時間を、わずかでも持てたことを幸福に思うべきなのだ。キルヒアイスは自分にそう言い聞かせた。次に必ず到来する戦いの時をうとましく思うようなことがあってはならなかった。
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   第四章 第一三艦隊誕生


     T

 地上五五階、地下八○階。惑星ハイネセンの北半球落葉樹林気候帯にある、それが自由惑星同盟軍統合作戦本部のビルである。この周囲に、技術科学本部、後方勤務本部、宇宙防衛管制司令部、士官学校、首都防衛司令部などの建物が整然と配置され、首都ハイネセンポリスの中心部から一〇〇キロほど離れた軍事中枢地区を形成しているのだ。
 その統合作戦本部の地下、四層のフロアをぶち抜いた集会場において、アスターテ会戦戦没者の慰霊祭が行なわれようとしていた。同盟軍アスターテ派遣部隊が戦力の六割を失い、疲労しきった敗残の身で帰還してから二日後の、美しく晴れ渡った午後である。
 会場へ向う走路は出席者の群に埋まっていた。戦死者の遺族がおり、政府や軍部の関係者がいる。なかにヤン・ウェンリーの姿もあった。
 話しかけてくる周囲の人々に適当な応答をしながら、ヤンは頭上に拡がる青空に視線を送った。彼の目には見えないが、大気の層が幾重にも重なったその上の空間には、無数の軍事衛星が音もなく飛翔《ひしょう》しているはずだった。
 なかでも、一二個の迎撃衛星を連ねた「処女神《アルテミス》の首飾り」……宇宙防衛管制司令部によって制御される巨大な殺人と破壊のシステムは、「これあるかぎり、惑星ハイネセンは難攻不落である」と同盟軍幹部をして豪語させている。それを聞くたび、ヤンは、難攻不落と称された要塞の大部分が劫火のなかに崩れ去った過去の歴史を思い出してしまうのだ。だいたい、軍事的に強いということが自慢の種になると思っているのだろうか?
 ヤンは両手で軽く頬を叩いた。神経が完全に目ざめていないように感じられる。一六時間続けて眠りはしたが、それまでは六〇時間起きっ放しだったのだ。
 ちゃんとした食事もとっていない。胃が活力を失っているので、ユリアンが温めてくれた野菜スープを飲んできただけである。官舎に戻るなりベッドに倒れこみ、起きたら一時間もたたずに出て来て、考えてみれば彼が保護者になっている少年とろくな会話をかわした記憶もない。
(やれやれ、保護者失格だな、これは……)
 そう思う彼の肩を叩く者がいる。振り返った視線の先に、士官学校の先輩アレックス・キャゼルヌ少将がたたずんで笑っていた。
「まだ完全に目が覚めてないようだな、アスターテの英雄は」
「誰が英雄です?」
「おれの前に立っている人物さ。電子新聞を見る間もなかったらしいが、ジャーナリズムはこぞってそう書き立てているぞ」
「敗軍の将ですよ、私は」
「そう、同盟軍は敗れた。よって英雄をぜひとも必要とするんだ、大勝利ならあえてそれを必要とせんがね。敗れたときは民衆の視線を大局からそらさなくてはならんからな。エル・ファシルのときもそうだったろうが」
 皮肉な語調はキャゼルヌの特徴である。中背で健康そうな肉づきをした三五歳の男で、同盟軍統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥の次席副官を勤めている。前線勤務よりデスクワークの経験が豊富で、企画調整、事務処理などの能力に恵まれ、将来は後方勤務本部長の座を確実視されていた。
「今頃のおでましでいいのですか? 副官というのは雑用係で忙しいと思いましたが」
 軽く反撃されて、敏腕な軍官僚は口元を微妙な形にほころばせた。
「主催するのは儀典局だからな。軍人も、それに遺族さえもじつはお呼びじゃない。一番、はりきっているのは国防委員長閣下だ。言ってしまえば次期政権を狙う国防委員長のための政治ショーだからな」
 両者はひとしく、同盟政府国防委員長ヨブ・トリューニヒトの顔を思い浮かべた。
 長身と端整な眉目を有する四一歳の少壮政治家。行動力に富んだ対帝国強硬論者。彼を知る者の半数は雄弁家とたたえ、残る半数は詭弁家として忌み嫌う。
 現在の同盟元首は最高評議会議長ロイヤル・サンフォードだが、これは政争の渦中から浮上した調整役タイプの老政客で、万事に先例尊重主義であり、とかく精彩を欠くため、次代の指導者として脚光を浴びつつある存在である。
「あの男の下品な煽動演説を長々と拝聴しなければならないのは、徹夜以上の苦痛だが……」
 キャゼルヌは苦々しげに言ったが、彼は軍部にあっては少数派なのである。どうせ人気とりではあろうが、ひたすら軍備の充実と帝国打倒を説くトリューニヒトに対して好意を寄せる者が制服軍人の間には多い。そしてヤンも少数派の一員だった。

 会場で両者の席は離れ離れになった。キャゼルヌは貴賓席のシトレ本部長の背後に、ヤンは演壇直下の最前列にである。
 式は型通りに始まり、型通りに進行していった。官僚の作製した原稿を無感動に棒読みしてサンフォード議長が退くと、トリューニヒト国防委員長がさっそうと登壇した。彼が現れただけで、場内の空気が熱を帯び、議長のときよりも大きな拍手が起こる。
 トリューニヒトは原稿を持たぬまま、張りのある声で六万人の参列者に語りかけた。
「お集まりの市民諸君、兵士諸君! 今日、吾々がこの場に馳せ参じた目的は何か。アスターテ星域において散華した一五〇万の英霊を慰めるためである。彼らは貴い生命を祖国の自由と平和を守らんがために捧げたのだ」
 ここまでの演説で、ヤンはすでに耳をふさぎたくなった。聴いているほうが恥ずかしくなり、そらぞらしく美辞麗句を並べたてる演説者の側が平然としているといったこっけいな情況は、古代ギリシア以来の人類の伝統なのだろうか。
「貴い生命と、いま私は言った。まことに生命は貴ぶべきである。しかし、諸君、彼らが散華したのは、個人の生命よりさらに貴重なものが存在するということを、後に残された吾々に教えるためなのだ。それは何か。すなわち祖国と自由である! 彼らの死は美しい。小我を殺して大義に殉じたからこそだ。彼らは良き夫であった。良き父親であり、良き息子であり、良き恋人であった。彼らには充実した幸福な長い生涯を送る権利があった。しかし彼らはその権利を棄てて戦場に赴き、そして死んだのだ! 市民諸君、私はあえて問う。一五〇万の将兵はなぜ死んだのか?」
「首脳部の作戦指揮がまずかったからさ」
 ヤンが呟いた。独白にしては声が大きかった。周囲の数人が愕然として、黒い髪の若い士官を見やった。ヤンがそのひとりの目を直視すると、相手はうろたえたように視線を壇上にもどした。
 その視線の先では、国防委員長の演説が延々と続いている。トリューニヒトの顔は紅潮し、両眼に自己陶酔の輝きがあった。
「そう、その解答を私はすでに述べた。彼らは祖国と自由を守るために生命をなげうったのだ! これほど崇高と称するに値する死があるだろうか? 自分のためにのみ生きること、自分のためにのみ死ぬことがいかに卑小であるかを、これほど雄弁に吾々に教えるものがあるだろうか。祖国あってこその個人であることを、諸君は想起しなければならない。それこそが生命にもまさって重要なものなのだ。銘記せよ、この事実を! そして私は一段と声を大にして言いたい。祖国と自由こそ、生命を代償として守るに値するものだと。吾々の戦いは正義なのだと! 帝国との講和を主張する、一部の自称平和主義者たちよ。専制的全体主義との共存が可能だと考える、一部の自称理想主義者たちよ、迷妄からさめよ! 諸君の行為は動機はどうであれ、結果としては同盟の力を削ぎ、帝国を利することになるのだ。帝国においては反戦平和の主張など認められない。自由の国であるわが同盟だからこそ、国策への反対が許されるのだ。諸君はそれに甘えている! 平和を口で唱えるほどやさしいものはない」
 ひとつだけある、とヤンは考えた。安全な場所に隠れて主戦論を唱えることだ。周囲の人々の熱狂が刻一刻と水量を増してゆくのをヤンは全身で感知して、うんざりした。いつ、どのような時代でも煽動者が支持を失うことはないようだ。
「私はあえて言おう。銀河帝国の専制的全体主義を打倒すべきこの聖戦に反対する者は、すべて国を害《そこな》う者である。誇り高き同盟の国民たる資格を持たぬ者である! 自由な社会と、それを保障する国家体制を守るため、死を怖れず戦う者だけが、真の同盟国民なのだ。その覚悟なき卑劣漢は英霊に恥じよ! この国は吾々の祖先によって建てられた。吾々は歴史を知っている。吾々の祖先が流血をもって自由を購《あがな》ったことを知っている。この偉大な歴史を持つ吾々の祖国! 自由なるわが祖国! 守るに値する唯一のものを守るために、吾々は立って戦おうではないか。戦わん、いざ、祖国のために。同盟万歳! 共和国万歳! 帝国を倒せ!」
 国防委員長の絶叫とともに、聴衆の理性もどこかへ吹き飛んだ。狂熱の怒濤が六万人の身体を押し上げ、彼らは座席から立ち上がり、奥歯までむき出してトリューニヒトに唱和した。
「同盟万歳! 共和国万歳! 帝国を倒せ!」
 無数の腕の林が、軍帽を空中に高く舞わせた。拍手と歓声の狂騒曲。
 そのなかにヤンは黙然と坐って[#「坐って」に傍点]いた。黒い瞳がひややかに壇上の演説者を見据えている。両手を高くあげて満場の狂熱に応えていたトリューニヒトの視線が聴衆の最前列に落ちた。
 一瞬、その眼光が硬い、不快さを示すものになり、口角が引きつった。ただひとり坐ったままの若い士官を視界に認めたからである。後列なら見えなかったであろうが最前列である。崇高な祖国愛の権化、その眼下にけしからぬ反逆者がいたというわけだった。
「貴官、なぜ、起立せぬ!?」
 怒号を浴びせたのは、肉厚の頬を持った中年の士官だった。ヤンと同じ准将の階級章を付けている。視線を転じると、ヤンは静かに応じた。
「この国は自由の国です。起立したくないときに起立しないでよい自由があるはずだ。私はその自由を行使しているだけです」
「ではなぜ、起立したくないのだ」
「答えない自由を行使します」
 自分ながら可愛気のない応答だ、とヤンは自覚している。キャゼルヌ少将が笑うだろう、抵抗するにしても方法が拙劣だ、と。しかしヤンはここで円熟したおとなとして行動する気になれなかった。起立するのも嫌であり、拍手するのも同盟万歳を叫ぶのも嫌だった。トリューニヒトの演説に感動しなかったがゆえに非愛国者と指弾されるのなら、仰せの通りと応じるしかない。いつでも、王様は裸だと叫ぶのはおとなではなく子供なのだ。
「貴官はどういうつもりで……」
 中年の准将が喚こうとしたとき、壇上のトリューニヒトが腕の位置を下げた。軽く、両手で聴衆を抑える動作をする。それにともなって狂熱の水量が減少し、静寂が音響を圧し始めた。人々の頭部の位置が低くなる。ヤンを睨みつけていた中年の准将も、厚い頬肉を不満そうに震わせながら席に着いた。
「……諸君」
 壇上の国防委員長はふたたび口を開いた。長広舌と絶叫で彼の口腔は乾上がっており、その声は非音楽的にかすれた。せきをひとつすると彼は演説を続けた。
「吾々の強大な武器は、全国民の統一された意思である。自由の国であり民主的共和政体である以上、どれほど崇高な目的であっても強制することはできない。各人には国家に反対する自由がある。しかし良識あるわが国民には明らかなはずだ。真の自由とは卑小な自我を捨てて団結し、共通の目的に向かって前進することだ、と。諸君……」
 そこでトリューニヒトが口を閉ざしたのは、口が乾いて声がかすれたためではない。ひとりの女性が座席間の通路を演壇へと歩み寄るのに気づいたからである。ライト・ブラウンの頭髪をした若い女性で、すれ違う男の半数以上が振り向くであろうていどには美しかった。彼女の歩む、その両側から低い不審のざわめきが生じて周囲に波紋を拡げた。
 ……誰だ、あの女は? 何をする気だ?
 ヤンが他の聴衆にならって女のほうを見たのは、トリューニヒトの顔を見続けるよりまし[#「まし」に傍点]だと思ったからだが、女を認めて軽く眉を動かさずにはいられなかった。彼の記憶にある容貌だったのだ。
「国防委員長」
 響きのよいメゾソプラノの声で女は壇上に向かって語りかけた。
「わたしはジェシカ・エドワーズと申します。アスターテ会戦で戦死した第六艦隊幕僚ジャン・ロベール・ラップの婚約者です。いいえ、婚約者でした」
「それは……」
 雄弁なはずの「次代の指導者」は絶句した。
「それはお気の毒でした、お嬢さん、しかし……」
 らちもないことを言って、国防委員長は意味もなく広い会場を見渡した。六万の聴衆は六万の沈黙で彼に応えた。全員が息を潜めて、婚約者を失った娘を見つめていた。
「いたわっていただく必要はありません、委員長、わたしの婚約者は祖国を守って崇高な死を遂げたのですから」
 ジェシカは静かに委員長の狼狽を抑え、トリューニヒトは露骨に安堵の表情を浮かべた。
「そうですか、いや、あなたはまさに銃後の婦女子の鏡ともいうべき人だ。あなたの賞賛すべき精神は必ず厚く酬われるでしょう」
 臆面のないその姿に、今度はヤンは目を閉じたくなった。羞恥心の欠けた人物に不可能事はないのだとしか思えない。
 一方、ジェシカは冷静なように見えた。
「ありがとうございます。わたしはただ、委員長にひとつ質問を聞いていただきたくて参ったのです」
「ほう、それはどんな質問でしょう、私が答えられるような質問だといいのだが……」
「あなたはいま、どこにいます?」
 トリューニヒトはまばたきした。質問の意図を諒解できなかった聴衆の多数も同じことをした。
「は、何ですと?」
「わたしの婚約者は祖国を守るために戦場に赴いて、現在はこの世のどこにもいません。委員長、あなたはどこにいます? 死を賛美なさるあなたはどこにいます」
「お嬢さん……」
 国防委員長は誰の目にもたじろいで見えた。
「あなたのご家族はどこにいます?」
 ジェシカの追求は容赦なく続いた。
「わたしは婚約者を犠牲に捧げました。国民に犠牲の必要を説くあなたのご家族はどこにいます? あなたの演説には一点の非もありません。でもご自分がそれを実行なさっているの?」
「警備兵!」
 右を見、左を見てトリューニヒトは叫んだ。
「このお嬢さんは取り乱しておられる。別室へおつれしろ。軍楽隊、私の演説は終わった。国歌を! 国歌の吹奏だ」
 ジェシカの腕を誰かがつかんだ。振り払おうとして彼女は相手の顔を見、思いとどまった。
「行こう」
 ヤン・ウェンリーは穏やかに言った。
「ここはあなたのいるべき場所ではないと思う……」
 勇壮な昂揚感にあふれた音楽が会場内に満ち始めていた。自由惑星同盟の国歌「自由の旗、自由の民」である。
「友よ、いつの日か、圧政者を打倒し
 解放された惑星の上に
 自由の旗を樹《た》てよう
 吾ら、現在《いま》を戦う、輝く未来のために
 吾ら、今日を戦う、実りある明日のために
 友よ、謳《うた》おう、自由の魂を
 友よ、示そう、自由の魂を」
 音楽に合わせて聴衆が歌い始める。先刻の無秩序な叫び声と異なり、それは統一された豊かな旋律だった。
「専制政治の闇の彼方から
 自由の暁を吾らの手で呼びこもう」
 演壇に背を向けて、ヤンとジェシカは通路を出口へと歩いて行った。
 両者が傍をすぎるとき、聴衆は視線を投げ、すぐに視線を壇上に戻して歌い続ける。両者の前で音もなく開いたドアが、彼らの背後で閉じるとき、国歌の最後の一節が耳を打った。
「おお、吾ら自由の民
 吾ら永遠《とわ》に征服されず……」

     U

 落日の最後の余光が消え去り、甘美な夜の涼気が地上をおおっていた。絢爛《けんらん》たる星の群が蒼銀の光を降りそそぎ始めた。この季節、螺旋《ら せん》状の絹帯にたとえられる星座の輝きがひときわ鮮烈である。
 ハイネセンポリスの宇宙港は喧騒をきわめていた。
 広大なロビーに種々雑多な人々が群れつどっている。旅を終えた者がおり、これから旅立つ者がいる。見送る者、出迎える者、昔ながらのスーツ姿の一般市民、黒いベレー帽をかぶった軍人、コンビネーション・スーツの技術者、人いきれに閉口したような表情で要所要所にたたずむ警備官、仕事に追いまわされながら足早に歩く宇宙港職員、はしゃぎまわる子供たち、邪魔な人間どもの間隙を縫って二十日《はつか》鼠のように走りまわる荷物運搬のロボット・カー……。
「ヤン」
 ジェシカ・エドワーズは傍にいる青年の名を呼んだ。
「うん?」
「わたしのこと、嫌な女だと思ったでしょうね」
「どうして?」
「悲しみを黙ってたえている遺族が大部分なのだし、多勢の人の前であんなこと叫んだりして。不快に思って当然だわ」
 黙ってたえているばかりで事態が改善された例はない、誰かが指導者の責任を糾弾しなくてはならないのだ。ヤンはそう考えたが、口に出してはこう言っただけだった。
「いや、そんなことはないよ」
 ふたりは宇宙港ロビーのソファーのひとつに並んで坐っていた。
 ジェシカは一時間後の定期船でハイネセンの隣の惑星テルヌーゼンに帰るのだという。彼女はその地で初等学校の音楽の教師をしているのだ。ジャン・ロベール・ラップ少佐が生きていれば、当然、近い将来、退職して結婚していたであろう。
「あなたは出世なさったわね、ヤン」
 ジェシカが、眼前を通過する三人の親子を見つめながら言った。ヤンは返答しなかった。
「アスターテでのご活躍、うかがったわ。それ以前の功績も……ジャン・ロベールがいつも感心していたわ、同期生の誇りだと言って」
 ジャン・ロベール・ラップはいい男だった。ジェシカが彼を選んだのは賢明な選択だったと、いささかの心寂しさとともにヤンは思う。士官学校の事務長の娘で、音楽学校に通っていたジェシカ・エドワーズ。現在では婚約者を失った音楽教師……。
「あなたをのぞいて同盟軍の提督たちは皆、恥じるべきね。一度の会戦で一〇〇万人以上もの死者を出したのですもの。道義上も恥じるべきなんだわ」
 それは少し違う、とヤンは思った。非戦闘員を虐殺したとか休戦協定を破ったとかの蛮行があった場合はともかく、本来、名将と愚将との間に道義上の優劣はない。愚将が味方を一〇〇万人殺すとき、名将は敵を一〇〇万人を殺す。その差があるだけで、殺されても殺さないという絶対的平和主義の見地からすれば、どちらも大量殺人者であることに差はないのだ。
 愚将が恥じるべきは能力の欠如であって、道義とはレベルの異なる問題である。だがこのことを言っても理解してはもらえないだろうし、理解を求めるべきことでもないように思われた。
 宇宙港の搭乗案内がジェシカをソファーから立たせた。彼女の乗る定期船の出港が迫ったのだ。
「さようなら、ヤン、送って下さってありがとう」
「気をつけて」
「出世なさってね、ジャン・ロベールの分も」
 搭乗口に消えるジェシカの後姿をヤンはじっと見送った。
 出世なさって、か。それはより多くの敵を殺せということだと、彼女は気づいているだろうか。多分、いや絶対に気づいてはいないだろう。それは銀河帝国に彼女と同じ境遇の女性を作れということでもあるのだ。そのとき帝国の女性たちは誰に悲哀と怒りをぶつけるのだろう……。
「あの、ヤン・ウェンリー准将でいらっしゃいますか」
 年老いた女性の声がした。ヤンはゆっくり振り向いて、五、六歳の男の子をつれた上品そうな老婦人の姿を視界のうちに見出した。
「そうですが……」
「ああ、やっぱり。これ、ウィル、この方がアスターテの英雄ですよ、ご挨拶なさい」
 男の子ははにかんで老婦人の背後に隠れた。
「わたしはメイヤー夫人と申します。夫も、息子も、息子というのはこの子の父親ですが、軍人で、帝国軍と戦って名誉の戦死をとげました。あなたの武勲をニュースで知って感激したのですけれど、こんな場所でお目にかかれるなんて望外の幸福でございますわ」
「…………」
 自分は一体、いまどんな表情をしているのだろうとヤンは思った。
「この子も軍人になりたいと申しております。帝国軍をやっつけてパパの讐を討つんだと……ヤン准将、あつかましいお願いとは存じますが、英雄でいらっしゃるあなたのお手をこの子に与えてやって下さいませんかしら。握手をしていただけばこの子にとっては将来へのはげみになると思いますの」
 老婦人の顔をヤンは正視できなかった。
 返答がないのを承認ととったのであろう、老婦人は孫を若い提督の前に押し出そうとした。しかし孫はヤンの顔を見ながらも、祖母の服にしがみついて離れようとしない。
「何です、ウィル、そんなことで勇敢な軍人になれると思うの」
「メイヤー夫人」
 心のなかで汗を拭いながらヤンは声をかけた。
「ウィル坊やが成人する頃は平和な時代になっていますよ。無理に軍人になる必要はなくなってるでしょう……坊や、元気で」
 軽く一礼すると、ヤンはきびすを返して速い歩調でその場を立ち去った。要するに逃げ出したのである。それを不名誉とは思わなかった。

     V

 ヤンが、シルバーブリッジ街二四番地の官舎に帰ったとき、ハイネセン標準時の二〇時を腕時計は示していた。その一帯は独身者または小家族を対象とする高級士官用の住宅地区で、自然の葉緑素のさわやかな香気が漂っている。
 とはいっても、建物や設備は必ずしも新しいとか豪華だとかは言えない。土地に余裕があり緑に富んでいるのは、新築または増改築に要する費用が慢性的に不足しているからである。
 低速度の走路から下りて、ヤンは手入れの悪い広い共用芝生を横断した。識別装置をそなえた門扉が、過重労働にたいする不平のきしみを立てながらもB六号官舎の主人を迎え入れる。
 私費を投じてもそろそろ取り替えるべきかな、とヤンは思った。経理部に交渉してもなかなからちが明かないのだ。
「お帰りなさい、准将」
 ユリアン・ミンツ少年がポーチに彼を出迎えた。
「もしかしたら帰っていらっしゃらないかと思っていたんです。でもよかった。お好きなアイリッシュ・シチューを作ってあるんですよ」
「そいつは空腹で帰って来た甲斐があった。だけど、なぜそう思ったんだ」
「キャゼルヌ少将からご連絡をいただいたんです」
 ヤンの軍用ベレーを受け取りながら少年は答えた。
「あいつは式典の途中で美人と手に手を取って抜け出したって言っておられましたよ」
「あの野郎……」
 玄関にはいりながらヤンは苦笑した。
 ユリアン・ミンツ少年はヤンの被保護者で、一四歳になる。身長は年齢相応だ。亜麻色の頭髪とダーク・ブラウンの瞳と繊細な容貌を持っており、キャゼルヌなどは「ヤンのお小姓」と呼ぶことがある。
 ユリアン少年は二年前、「軍人子女福祉戦時特例法」によってヤンの被保護者となったのだ。これは発案者の名を取って「トラバース法」と通称されている。
 自由惑星同盟は、一世紀半にわたって銀河帝国と戦争状態にある。それは慢性的な戦死者、戦災者の発生を意味する。親族のない戦争孤児の救済と、人的資源確保の一石二鳥を目的として作られたのがトラバース法だった。
 孤児たちが軍人の家庭で養育される。一定額の養育費が政府から貸与《たいよ 》される。孤児たちは一五歳まで一般の学校に通う。以後の進路選択は本人の意思しだいだが、軍隊に志願して少年兵となったり士官学校や技術学校等の軍関係の学校に入学すれば、養育費の返還は免除されるのだ。
 女性といえども、後方勤務には欠かせない人的資源であり、補給、経理、輸送、通信、管制、情報処理、施設管理などに必要なのである。
「要するに中世以来の徒弟制度と思えばよろしい。もっと悪質かな、金銭で将来を縛ろうというんだから」
 当時、後方勤務本部に所属していたキャゼルヌはそう皮肉たっぷりに説明したものだ。
「しかしとにかく、餌がなければ人間は生きていけん、これは事実だからな。で、飼育係が必要なわけだが、お前さんにもひとりぐらい引き受けてもらいたい」
「私は家庭持ちじゃありませんよ」
「だからだ、妻子を養うという社会的義務をはたしていないわけだろうが。養育費も出ることだし、これぐらいは引き受けてもらわんとな、ええ、独身貴族」
「わかりました、でもひとりだけですよ」
「何なら二名でもいいんだが」
「ひとりで充分です」
「そうか、では二人前食うような奴を探して来てやる」
 両者の間で以上のような会話がかわされてから四日後、ユリアン少年はヤン宅の玄関に立ったのだった。
 ユリアンは即日、ヤン家のなかに自分の位置を確保した。それまでヤン家の唯一の構成員は有能勤勉な家庭経営者とは称しがたく、せっかくホーム・コンピューターがあっても情報を入れることを怠るものだから結局は無用の長物と化し、それにともなってあらゆる生活機器も埃をかぶるというありさまだったのである。
 ユリアンは自分自身のためにも家庭の物質的環境を整備しようと決意したらしい。ユリアンがヤン家の住人となった翌々日、若い当主は短期間の出張に出かけたが、一週間後に帰宅して、整頓と能率の連合軍に占領されたわが家を見出したのだった。
「ホーム・コンピューターの情報を六部門に分類して整理しました」
 一二歳の占領軍司令官は、呆然と立ちすくむ当主にそう報告した、
「ええと、1家庭経営管理《ホーム・マネージメント》、2機器制御、3保安、4情報収集、5家庭学習、6娯楽です。家計簿とか毎日のメニューが1、冷暖房とか掃除機とか洗濯機とかが2、防犯や消火装置が3、ニュースや天気予報や買物情報が4……おぼえておいて下さいね、大佐」
 当時、ヤンは大佐だった。彼は無言で居間兼食堂のソファーに腰を下ろし、この無邪気な笑顔の小さな侵略者に何と言ってやろうかと考えた。
「それと掃除もしておきました。ベッドのシーツも洗濯してあります。あの、家中きちんと整頓できたと思いますけど、ご不満があったらおっしゃって下さい。何か御用はありませんか?」
「……紅茶を一杯もらおうか」
 そうヤンが言ったのは、好きな紅茶で喉を湿してから苦情を言ってやろうと思ったからだが、キッチンに飛んで行った少年が、新品同様に綺麗になったティーセットを運んで来て彼の眼前でシロン星産の茶を淹《い》れた、その手さばきに驚いた。
 差し出された茶をひと口すすって、彼は少年に降伏することにした。それほど香りも味もよかったのだ。ユリアンの亡父は宇宙艦隊の大尉だったが、ヤン以上の茶道楽で、息子に茶の種類や俺れ方を伝授したのだという。
 ヤンがユリアン少年式の家庭経営を受け容れてから半月後、三次元チェスをやりに訪問したキャゼルヌが室内を見渡して論評した。
「有史以来初めて、お前さんの家が清潔になったじゃないか。親が無能ならその分、子供がしっかりするというのは真実らしいな」
 ヤンは反論しなかった。
 ……それから二年経つ。ユリアンは身長も一〇センチ以上伸び、ほんの少しだがおとなっぽくなった。学業成績も良いようだ。ようだ、と言うのは、落第でもしないかぎりいちいち報告無用と保護者が宣告する一方で、被保護者の方はときおり表彰メダルなど持ち帰って来るからである。キャゼルヌに言わせれば「出藍《しゅつらん》の誉《ほまれ》」ということになる。
「今日、学校で来年以降の進路を訊かれました」
 食事をしながらユリアンがそう言ったのは珍しいことだった。ヤンはシチューをすくうスプーンの動きを停めて、少年を見やった。
「卒業は来年六月じゃないのか」
「単位を取得して半年早く卒業できる制度があるんですよ」
「ほう」
 と無責任な保護者は感心した。
「で、軍人になるつもりなのか?」
「ええ、僕は軍人の子ですから」
「親の職業を子が継がなきゃならんという法はないさ。現に私の父親は交易商だった」
 他になりたい職業があればそれにつくことだ、とヤンは言った。宇宙港で会ったウィル坊やの幼い顔が想い出された。
「でも軍務につかないと養育費を返さなければなりませんから……」
「返すさ」
「え?」
「お前の保護者を過小評価するなよ。それぐらいの貯蓄はある。第一、そんなに早く卒業する必要はないんだ。もう少し遊んでたらどうだ?」
 少年はなめらかな頬を染めたようである。
「そこまでご迷惑はかけられません」
「生意気言うな、子供のくせに。子供ってのはな、おとなを喰物《くいもの》にして成長するものだ」
「ありがとうございます、でも……」
「でも何だ。そんなに軍人になりたいのか」
 ユリアンは不審そうにヤンの顔を見た。
「何だか軍人がお嫌いみたいに聞こえますけど……」
「嫌いだよ」
 簡明なヤンの返答は少年を困惑させた。
「だって、それじゃなぜ、軍人におなりになったんです?」
「決まってる。他に能がなかったからだ」
 ヤンはシチューを食べ終わり、ナプキンで口を拭った。ユリアンは食器を下げ、キッチンの皿洗機をホーム・コンピューターで操作した。ティーセットを運んで来て、シロン葉の紅茶を淹れ始める。
「まあ、もう少し考えてから決めなさい。あわてることは何もない」
「はい、そうします。でも、准将、ニュースで言ってましたけど、ローエングラム伯が軍務についたのは一五歳のときですってね」
「そうらしいな」
「顔が映りましたけど、すごい美男子ですね。ご存じでしたか?」
 ローエングラム伯ラインハルトの顔なら、直接ではないが|レーザー立体像《ホ  ロ  グ  ラ  ム》などでヤンは幾度も見たことがある。後方勤務本部の女性兵たちの間では、同盟軍のどの士官よりも人気が高い、との噂も聞いた。さもあろう。あれほど美貌の若者を、ヤンも他に見たことがない。
「だけど私だってそう悪くはないはずだ。そうだろう、ユリアン?」
「紅茶にはミルクを入れますか、ブランデーになさいますか?」
「……ブランデー」
 そのとき神経質な音とともに防犯システムの赤いランプが点滅した。ユリアンがモニターTVのスイッチを入れると、赤外線利用の画面に多くの人影が映った。その全員が白い頭巾を頭からかぶり、両眼だけを出している。
「ユリアン」
「はい?」
「最近はああいう道化師どもが集団で家庭訪問するのが流行《はや》っているのか」
「あれは憂国騎士団ですよ」
「そんなサーカス団は知らないな」
「過激な国家主義者の集団なんです。反国家的、反戦的な言動をする人にいろんな嫌がらせをするんで、最近有名なんです……でも変だな、何でうちに押しかけて来るんだろう。准将は賞《ほ》められることはあっても非難されるようなことはありませんよね」
「奴らは何人いる?」
 とヤンは何気なく話題をそらせた。ユリアンがモニター画面の隅の数字を読んだ。
「四二人です、敷地内に侵入したのは。あ、四三人、四四人になりました」
「ヤン准将!」
 マイクを通した大声が特殊ガラスの壁面を微妙に震わせた。
「はいはい」
 ヤンは呟いたが、屋外に通じるはずはない。
「吾々は真に国を愛する者の集団、憂国騎士団だ。吾々は君を弾劾する! 戦功に驕《おご》ったか、君は軍の意思統一を乱し戦意を害う行動を示した。身に覚えがあるだろう」
 頬のあたりに、驚いたユリアンの視線をヤンは感じた。
「ヤン准将、君は神聖な慰霊祭を侮辱した。参会者全員が国防委員長の熱弁に応えて帝国打倒を誓ったとき、ただひとり、君は席を立たず、全国民の決意を嘲弄するかのごとき態度をとったではないか。吾々は君のその倨傲《きょごう》を弾劾する! 主張があるなら吾々の前に出て来たまえ。言っておくが治安当局への連絡は無益だぞ。吾々には通報システムを攪乱する方法がある」
 なるほど、とヤンは納得した。憂国騎士団とやらの背後には絶世の愛国者トリューニヒト閣下が控えておいでらしい。大仰なだけで安物のコンソメ・スープより内容の薄い演説がみごとに共通している。
「ほんとうにそんなことなさったんですか、准将」
 ユリアンが訊ねた。
「うん、まあ」
「どうしてまた! 内心で反対でも、立って拍手してみせれば無事にすむことじゃありませんか。他人には表面しか見えないんですからね」
「キャゼルヌ少将みたいなことを言うね、お前」
「別にキャゼルヌ少将を持ち出さなくても、子供だってそのていどの知恵は働きます」
「……どうした! 出て来ないのか、少しは恥じる心が残っているのか。だが悔い改めるにせよ、吾々の前に出てそう朋言しないかぎり誠意を認めることはできないぞ」
 外の声が傲然と告げる。ヤンが舌打して立ち上がりかけると、ユリアンが彼の袖を引っぱった。
「准将、いくら腹がたっても武器を使っちゃいけませんよ」
「お前、あんまり先回りするんじゃないよ、第一、何だって私に奴らと話し合う気がないと決めつけるんだ?」
「だって、ないんでしょう」
「……………」
 そのとき特殊ガラスの窓に音高く亀裂が走った。投石ていどで割れるガラスではない。次の瞬間、人頭大の金属製の球体が室内に飛び込んで来ると、壁ぎわの飾棚に激突し、そこに並べてあったいくつかの陶磁器類を砕け散らせた。重い音を立てて床に転がる。
「伏せろ、危い!」
 ヤンが叫び、ユリアンがホーム・コンピューターを抱えて身軽にソファの蔭に飛び込んだ瞬間、金属球は勢いよくいくつかの塊に分裂して八方に飛んだ。非音楽的な騒音が室内の各処で同時発生し、照明や食器や椅子の背などががらくたと化してしまった。
 ヤンは唖然とした。憂国騎士団は擲弾筒《てきだんとう》を用いて、工兵隊が引火の危険があるとき使う非火薬性の小規模家屋破壊弾を撃ち込んで来たのだ。
 このていどの被害ですんだのは破壊力を最低レベルにしてあったからだろう。本来なら室内すべて瓦礫《が れき》の山と化しているところだ。それにしても民間人がなぜ、そんな軍用品を所有しているのか。
 ヤンは、あることを思いついて指を鳴らした。あまりいい音はしなかったが。
「ユリアン、散水器のスイッチはどれだ」
「2のAの4です。応戦なさるんですか?」
「奴らには少し礼儀を教えてやる必要があるからな」
「……それじゃどうぞ」
「どうした、何とか、言ったらどうだ。返答がなければもう一度……」
 かさにかかった屋外からの声が、突然、悲鳴に変わった。最高水圧にセットされた散水器が、太い水の鞭を白覆面の男たちに叩きつけたからである。ときならぬ豪雨に遭遇したかのように彼らは濡れそぼち、水のカーテンのなかを右往左往して逃げまどった。
「紳士を怒らせると怖いということが少しはわかったか、数を頼むごろつき[#「ごろつき」に傍点]ども」
 ヤンが独語したとき、治安警察の独特のサイレンが遠方から聴こえてきた。他の官舎の住人が通報したのであろう。
 それにしてもいままで治安当局の出動がなかったという事実は、憂国騎士団と称する独善的な連中の勢力が意外に隠然たるものであることを示しているのかもしれない。背後にトリューニヒトの存在があるとすればうなずけることだった。
 憂国騎士団は早々に退散した。勝利の凱歌をあげる気にはならないだろう。その後になってようやく到着した青いコンビネーション・スーツの警官は、憂国騎士団を熱烈な愛国者の団体だと評して、ヤンを不愉快がらせた。
「君の言う通りなら、なぜ連中は軍隊に志願しないんだ? 夜に子供のいる家を囲んで騒ぎ立てるのが愛国者のやることか。第一、やってることが正当なら顔を隠していること自体、理に合わないじゃないか」
 ヤンが警官を論破している間に、ユリアンは散水器のスイッチを切り、惨憺《さんたん》たるありさまとなった室内の清掃と整理を始めていた。
「私もやろう」
 役立たずの警官を追い払ったヤンが言うと、ユリアンは手を振った。
「いえ、かえって邪魔になりますから、そうだ、そこのテーブルの上にでも乗っていて下さい」
「テーブルってね、お前……」
「すぐにすみますから」
「テーブルの上で何をやってればいいんだ?」
「じゃあ、紅茶を淹《い》れますから、それでも飲んでいて下さい」
 ぶつぶつ言いながらテーブルの上に乗ったヤンは、あぐらをかいて坐りこんだが、ユリアンが拾い上げた陶器の破片を見て慨嘆した。
「万暦赤絵だな。そいつは親父の遺品のなかでは、たったひとつ本物だったんだがな」
 ……二二時、キャゼルヌ少将が|TV電話《ヴ ィ ジ ホ ン》をかけて来たとき、ユリアンは室内の清掃をほとんどすませていた。
「やあ、坊や、君の保護者を出してくれないか」
「あそこです」
 ユリアンが指さしたのはテーブルの上で、ヤン家の当主はそこにあぐらをかいて紅茶をすすっていた。キャゼルヌは五秒ほどその情景を見つめてから、おもむろに訊ねた。
「お前さんは自宅ではテーブルの上に坐る習慣があったのかね」
「曜日によってはね」
 テーブルの上からヤンは応じ、キャゼルヌを苦笑させた。
「まあいい、急を要する用件があってな、すぐ統合作戦本部に出頭してほしい。迎えの地上車《ランド・カー》がもうすぐそちらに着くはずだ」
「これからですか?」
「シトレ本部長じきじきの命令だ」
 ヤンがティーカップを皿の上に戻すとき、その音がいつもより少し高かった。ユリアンは一瞬その場に硬直していたが、我に返るとヤンの軍服を取り出すため、駆け出して行った。
「本部長が私にどんな用件です?」
「おれにわかるのは急を要するということだけだ。ではのちほど、本部で」
 |TV電話《ヴ ィ ジ ホ ン》は切れた。少しの間、ヤンは腕を組んで考えこんだ。振り向くと、彼の軍服を両手に抱えたユリアンが立っている。着替えているうちに、本部の公用車が到着した。何かと忙しい夜だとヤンは思わずにいられなかった。
 玄関を出ようとして、ヤンはふとユリアンを見やった。
「どうも遅くなりそうだ。先に寝ていなさい」
「はい、准将」
 ユリアンは答えたが、何となく少年がその言いつけを守らないような気がヤンにはした。
「ユリアン、今夜の事件は多分笑い話ですむだろう。だが近い将来、それではすまなくなるかもしれない。どうも少しずつ悪い時代になってきているようだ」
 なぜ、急にそんなことを言い出したのか、ヤンには自分自身の意識がよくわからなかった。ユリアンはまっすぐ若い提督を見つめた。
「准将、僕、色々とよけいなこと申し上げたりしますけど、そんなこと気になさらないで下さい。正しいとお考えになる道を歩んでいただきたいんです。誰よりも准将が正しいと僕、信じてます」
 ヤンは少年を見つめ、何か言おうとしたが、結局、黙ったまま亜麻色の髪を軽く撫でただけだった。そして背を向けると地上車《ランド・カー》の方へ歩み出した。ユリアンは地上車のテール・ランプが夜の胎内へ溶けこむまでポーチから動かなかった。

     W

 自由惑星同盟軍統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥は、二メートルになんなんとする長身を有する初老の黒人だった。才気換発というタイプではないが、軍隊組織の管理者として、また戦略家として堅実な手腕を有し、地味ながら重厚な人格に信望が厚かった。はでな人気こそないが、支持者の層は厚く広い。
 統合作戦本部長は制服軍人の最高峰であり、戦時においては同盟軍最高司令官代理の称号を与えられる。最高司令官は同盟の元首たる最高評議会議長である。その下で国防委員長が軍政を、統合作戦本部長が軍令を担当するのだ。
 残念ながら自由惑星同盟では、この両者の仲は必ずしも良くなかった。軍政の担当者と軍令の責任者は協力し合わねばならない。でなければスムーズに軍隊組織を動かすことはできない。とはいえ、性が合わぬ、虫が好かぬという事実はいかんともしがたく、トリューニヒトとシトレとの関係はよく言って武装中立というところだった。
 執務室に入ったヤンを、シトレ元帥は懐しげに迎えた。ヤンが士官学校の学生だった当時、元帥は校長だったのである。
「かけたまえ、ヤン少将[#「少将」に傍点]」
 シトレ元帥は勧め、ヤンは遠慮なくそれにしたがった。元帥はすぐに本題に入った。
「知らせておくことがあって来てもらった。正式な辞令交付は明日のことになるが、君は今度、少将に昇進することになった。内定ではなく決定だ。昇進の理由はわかるかね?」
「負けたからでしょう」
 ヤンの返答が、初老の元帥の口元をほころばせた。
「やれやれ、君はむかしと少しも変わらんな。温和な表情で辛辣な台詞《せ り ふ》を吐く。士官学校時代からそうだった」
「ですが、それが事実なのではありませんか、校長……いえ、本部長閣下」
「なぜそう思うのかね?」
「やたらと恩賞を与えるのは窮迫している証拠だと古代の兵書にあります。敗北から目をそらせる必要があるからだそうです」
 けろりとしてヤンは言い、元帥をふたたび苦笑させた。彼は腕を組んで、かつての生徒を見つめた。
「ある意味では君の言う通りだ。近来にない大敗北をこうむって、軍隊も民間人も動揺している。これを静めるには英雄の存在が必要なのだ。つまり君だ、ヤン少将」
 ヤンは微笑したが、愉快そうには見えなかった。
「君にとっては不本意だろうな、作られた英雄になるのは。しかしこれも軍人にとっては一種の任務だ。それに君は実際、昇進にふさわしい功績をたてたのだ。にもかかわらず昇進させないとあっては、統合作戦本部も国防委員会も信賞必罰の実を問われることになる」
「その国防委員会ですが、トリューニヒト委員長のご意向はどうでしょう」
「一個人の意向はこの際、問題ではない。たとえ委員長であってもだ。公人の立場というものがある」
 たてまえとしてはそうだろう。しかしトリューニヒトの私人としての側面が憂国騎士団の出動をうながしたものと見える。
「ところで話は変わるが、君が戦闘開始前にパエッタ中将に提出した作戦計画、あれが実行されていたらわが軍は勝てたと思うかね」
「ええ、多分」
 ヤンはせいぜい、控え目に答えた。シトレ元帥は考えこむように指先であごをつまんだ。
「だが別の機会に、あの作戦案を生かすことは可能ではないかね。そのときにはローエングラム伯に対して復讐することができるだろう」
「それはローエングラム伯しだいです。彼が今回の成功に驕《おご》り、ふたたび少数の兵で大軍を破ろうとの誘惑に抗しえなかったときには、あの作戦案が生き返ることもあるでしょう。しかし……」
「しかし?」
「しかし多分、そんなことにはならないと思います。少数をもって多数を破るのは、一見、華麗ではありますが、用兵の常道から外れており、戦術ではなく奇術の範躊《はんちゅう》に属するものです。それと知らないローエングラム伯とも思えません。次は圧倒的な大軍を率いて攻めて来るでしょう」
「そうだな、敵より多数の兵力を整えることが用兵の根幹だ。だが素人《しろうと》はむしろ君の言う奇術の方を歓迎するものでね、少数の兵をもって多数の兵を撃破できなければ無能だとさえ思っている。まして半数の敵に大敗したとあってはな……」
 元帥の黒い顔にヤンは苦悩を見てとることができた。ヤン個人に対してはともかく、軍部全体に対して政府と市民の評価が厳しいものになるのは当然であろう。
「ヤン少将、考えてみればわが同盟軍は用兵の根幹においては誤っていなかったわけだ。敵の二倍の兵力を戦場に投入している。にもかかわらず惨敗したのはなぜだ?」
「兵力の運用を誤ったからです」
 ヤンの返答は簡にして要をえていた。
「多数の兵力を用意したにもかかわらず、その利点を生かすべき努力を怠ったのです。兵力の多さに安心してしまったのでしょう」
「というと?」
「ボタン戦争と称された一時代、レーダーと電子工学《エレクトロニクス》が奇形的に発達していた一時代をのぞいて、戦場における用兵にはつねに一定の法則がありました。兵力を集中すること、その兵力を高速で移動させること、この両者です。これを要約すればただ一言、『むだな兵力を作るな』です。ローエングラム伯はそれを完璧に実行してのけたのです」
「ふむ……」
「ひるがえってわが軍をごらん下さい。第四艦隊が敵に粉砕されている間、他の二艦隊は当初の予定にこだわって時間を浪費していました、敵状偵察とその情報分析も充分ではありませんでした。三つの艦隊はすべて孤立無援で敵と戦わねばならなかったのです。集中と高速移動の両法則を失念した当然の結果です」
 ヤンは口を閉ざした。これほど多弁になったのは最近、珍しい。多少は気の高ぶりがあるのだろうか。
「なるほど、君の識見はよくわかった」
 元帥は何度もうなずいた。
「ところでもうひとつ、これは決定ではなく内定だが、軍の編成に一部変更が加えられる。第四・第六両艦隊の残存部隊に新規の兵力を加えて、第一三艦隊が創設されるのだ。で、君がその初代司令官に任命されるはずだ」
 ヤンは小首をかしげた。
「艦隊司令官は中将をもってその任にあてるのではありませんか?」
「新艦隊の規模は通常のほぼ半分だ。艦艇六四〇〇、兵員七〇万というところだ。そして第一三艦隊の最初の任務はイゼルローン要塞の攻略ということになる」
 本部長の口調は、ごくさり気なかった。
 間をおいて、ヤンは確認するようにゆっくりと口を開いた。
「半個艦隊[#「半個艦隊」に傍点]で、あのイゼルローンを攻略しろとおっしゃるのですか?」
「そうだ」
「可能だとお考えですか?」
「君にできなければ、他の誰にも不可能だろうと考えておるよ」
 君にならできる……古い伝統を持つ殺し文句だな、とヤンは考えた。この甘いささやきにプライドをくすぐられて不可能事に挑み、身を誤った人々の何と多いことか。そして甘言を弄した側が責任をとることは決してないのだ。
 ヤンは沈黙していた。
「自信がないかね?」
 本部長がそう問うたとき、ヤンはなおも答えなかった。自信がないならその旨を即答したであろう。だがヤンには自信も成算もあった。彼がイゼルローン攻撃の指揮をとっていれば、過去六回にわたって撃退され、多くの戦死者を出すという同盟軍の不名誉はなかったはずだ。それなのに答えなかったのは、シトレ元帥の手に乗るのが嫌だったからである。
「もし君が新艦隊を率いてイゼルローン要塞の攻略という偉業を成しとげれば……」
 シトレ本部長はヤンの顔を見つめた。意味ありげな視線だった。
「君個人に対する好悪の念はどうあれ、トリューニヒト国防委員長も君の才幹を認めざるをえんことだろうな」
 そして委員長に対するシトレ本部長の地位も強化されることになる。事態は戦略と言うより政略の範疇に属しているらしい。それにしても老獪《ろうかい》な人だ、本部長は!
「微力をつくします」
 かなりの時間をおいてヤンは答えた。
「そうか、やってくれるか」
 シトレ本部長は満足の態でうなずいた。
「ではキャゼルヌに命じて、新艦隊の編成と装備を急がせよう。必要な物資があったら、何でも彼に注文してくれ。可能なかぎり便宜をはからせる」
 進発はいつになるだろう、とヤンは考えた。本部長の任期はあと七〇日ほどのはずだ。ということは、本部長が再任を狙う以上、それまでにイゼルローン攻略作戦を終了させねばならない。作戦自体に三〇日を要すると仮定して、遅くとも四〇日後にハイネセンを進発することになりそうだった。
 トリューニヒトはこの人事や作戦に反対しないであろう。半個艦隊[#「半個艦隊」に傍点]でイゼルローンを攻略できるはずがないし、作戦が失敗すればシトレとヤンを公然と排除することができるからだ。ヤンたちが自ら墓穴を掘った、と祝杯のひとつもあげるかもしれない。
 またしばらくはユリアンの淹《い》れる紅茶が飲めなくなる。そのことがヤンにはいささか残念だった。
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    第五章 イゼルローン攻略


     T

 イゼルローン。
 それは銀河帝国の重要な軍事拠点の名称である。
 帝国首都星《オーディン》より六二五〇光年の距離に壮年期の恒星アルテナがあるが、もともとこれは惑星を持たない孤独な太陽だった。ここに直径六〇キロの人工惑星を建設し、銀河帝国が基地としたのは、その地理上の重要性にあった。
 銀河系を天頂方向から俯瞰《ふ かん》すると、イゼルローンは、銀河帝国の勢力が自由惑星同盟のほうへ伸びた、その周縁部の、三角形をなす頂点付近に位置している。この一帯は宇宙航行上の難所で、かつて、自由惑星同盟の建国者たちが多数の同志を失った「|宇宙の墓場《サルガッソ・スペース》」なのだ。そしてその事実も、帝国の要人たちを満足させ、この宙域に同盟を威嚇《い かく》する軍事拠点を築く、その意図を固めさせる原因となったことであろう。
 変光星、赤色巨星、異常な重力場……それらの密集するなかに、細い一筋の安全地帯があり、その中心にイゼルローンが鎮座している。この場を通ることなく同盟から帝国へ赴くには別のルートからフェザーン自治領《ラント》を経由しなくてはならず、むろんそれを軍事行動に使用するわけにはいかない。
 イゼルローン回廊とフェザーン回廊。この両者以外にも同盟と帝国をつなぐルートが見出せないか、同盟の為政者も用兵家も腐心したが、星図の不備と帝国およびフェザーンの有形無形の妨害とが、その意図を永く挫折させてきた。フェザーンにしてみれば、中継交易地としての存在価値がかかっており、「第三の回廊」など発見されてはたまったものではなかった。
 かくして、帝国領域へ侵攻せんとの同盟軍の意図は、イゼルローン攻略戦に結実することになる。四半世紀の間に、大規模な攻略作戦を敢行すること六回、ことごとく撃退され、「イゼルローン回廊は叛乱軍兵士の死屍を以て舗装されたり」と帝国軍を豪語させてきた。
 イゼルローン攻略作戦にはヤン・ウェンリーも二度参加している。第五次作戦のときは少佐、第六次作戦のときは大佐だった。死者の大量生産を二度にわたって目撃し、強引な力攻めの愚劣さを知ることになったのだ。
 イゼルローンを攻略するには外からではだめだ、と敗走する艦隊のなかでヤンは思った。ではどうすればいいのか?
 イゼルローンは要塞であると同時に、「イゼルローン駐留艦隊」と称される一万五〇〇〇隻の艦隊を擁している。要塞司令官と艦隊司令官は同格の大将である。そのあたりに、つけ入る隙がありはしないか?
 今回のローエングラム伯の侵攻も、イゼルローンを前進基地としてのことである。同盟にとって不吉きわまる、この帝国の軍事拠点は何としても陥落させねばならない。しかもヤンに与えられたのは「半個艦隊」でしかなかった。

「率直なところ、お前さんがこの任務を承知するとは思わなかったな」
 キャゼルヌ少将が部隊編成書のページを指でめくりながら言った。統合作戦本部ビル内にある彼のオフィスである。
「委員長にも本部長にもそれぞれ思惑がある……そのどちらもお前さんには読めているはずだ」
 彼の前に坐ったヤンは笑っただけで応えない。キャゼルヌは音高く書類を机上に叩きつけると、興味深げな視線を士官学校の後輩に向けた。
「わが軍は過去六回にわたってイゼルローンの攻略を試み、六回失敗した。それをお前さんは半個[#「半個」に傍点]艦隊で成功させようというのか」
「まあ、やってみようと思います」
 ヤンの返答が、先輩の両眼を心もち細めさせた。
「成算がありそうだな、どうする気だ」
「秘密です」
「おれにも?」
「こういうことはもったいぶった方がありがたみが出ますから」
「もっともだ。用意する物資があったら言ってくれ、袖の下なしで話に乗るぞ」
「では帝国軍の軍艦を一隻、これはかつて鹵獲《ろ かく》したものがあるはずです。それに軍服を二〇〇着ほど用意していただきましょう」
 キャゼルヌは細めた目を大きく開いた。
「期限は?」
「三日以内」
「……超過勤務手当を出せとは言わんが、コニャックの一杯ぐらいおごれよ」
「二杯はおごりますよ。ところでもうひとつお願いがあるんですが」
「三杯にしてもらおう。何だ?」
「憂国騎士団と称するはねあがり[#「はねあがり」に傍点]どものことですがね」
「ああ、聞いている。災難だったな」
 留守がユリアンひとりなので憲兵《MP》の巡回を手配してくれるようヤンは依頼したのだった。少年をどこか他家へ預けようかとも思ったのだが、留守司令官をもって任じるユリアンが承知しなかったのである。すぐ手配しよう、と返答してから、キャゼルヌは思い出したように、あらためてヤンを見た。
「そうそう、フェザーンの高等弁務官がな、このごろ妙にお前さんのことを知りたがっている」
「ほう?」
 フェザーンという特殊な存在に、ヤンは他人と多少ちがう興味を持っている。あの「自治領《ラント》」をつくったのは、レオポルド・ラープという地球《テラ》出身の大商人だが、彼の経歴や資金の出処には、不明のことが多いのだ。何者かが何かの目的でフェザーンという存在をラープにつくらせたのだろうか――歴史家になりそこねたヤンはそんなことも考えてみるのだった。もっともこのことは誰にも話していない。
「フェザーンの黒狐がお前さんに興味を抱いたらしい。スカウトに来るかもしれんぞ」
「フェザーンの紅茶は美味《うま》いでしょうかね」
「毒気で味つけしてあるだろうよ……ところで予定の進行状況はどうだ?」
「予定通り事が運ぶことは、めったにありませんよ。といって予定をたてないわけにも行きませんしね」
 そう言ってヤンは立ち上がった。山積する仕事が彼を待っていた。
 第一三艦隊は艦艇と将兵の数が通常の半数であるだけではない。その将兵たるや、大半はアスターテで惨敗した第四・第六艦隊の敗残兵であり、残りは戦闘体験を欠く新兵である。指揮官は気鋭の少将とはいえ二〇代の孺子《こ ぞ う》……老練の提督たちが驚き、呆れ、嘲笑する声は当然ヤンの耳にも届いていた。おむつも取れない赤ん坊が、素手でライオンを殴り殺すつもりらしいぞ、いい観物だろうて。させるほうもさせるほうだが、やるほうもいやはや……。
 ヤンは腹も立てなかった。今度の作戦に関して成功を危惧しない者がいるとしたらよほど楽天的な人物だろう、と、ヤン自身ですら思う。
 ただひとり、ヤンを弁護してくれたのは第五艦隊司令官ビュコック中将だった。年齢は七〇歳、愛想の悪い白髪の提督で、頑固かつ短気な人物として知られている。ヤンなどが敬礼すると、「どこの青二才だ」と言わんばかりのうさん臭げな目つきで面白くもなさそうに答礼する。その「おっかない親父さん」が、高級士官のクラブ「|白い牡鹿《ホワイト・スタッグ》」で第一三艦隊とヤンを笑い話の種にしている同僚の提督たちに言ったという。
「後日、恥入るようなことがなければよいがな。お前さんたちは大樹の苗木を見て、それが高くないと笑う愚を犯しているかもしれんのだぞ」
 一同はしんと静まりかえった。アスターテやそれ以前の戦闘で示されたヤンの才幹を思い出したのである。老将のひと声で群衆心理が消え去ると、提督たちはそれぞれの胸にばつ[#「ばつ」に傍点]の悪さを抱えつつ酒杯を乾して散会したのだった……。
 その話を伝え聞いたヤンは、別にビュコック中将に謝辞を述べようとはしなかった。そんなことをすれば、白髪の提督に鼻で笑われると知っていたからである。
 提督たちの反感はいちおう、退けたものの、全体の情況がそれほど好転したわけではなかった。難攻不落の要塞を攻める、敗残兵プラス新兵の「混成半個艦隊」という悲観的な事実は、厳として存在しているのだ。
 ヤンは幹部の人事に意を用いた。副司令官には第四艦隊で善戦した老巧のフィッシャー准将を選び、首席幕僚には独創性は欠くものの緻密で整理された頭脳を持つムライ准将を、次席幕僚にはファイターとされるパトリチェフ大佐を、それぞれ任命した。
 ムライには常識論を提示してもらい、作戦立案と決断の参考にする。パトリチェフには兵士への叱咤激励役を引き受けてもらう。フィッシャーには堅実な艦隊運用を、というのがヤンの意図だった。
 ここまではまず満足できる配置だったが、副官の人事で、だめでもともと、と思い、「優秀な若手士官を」とキャゼルヌに注文しておいたところ、「七九四年度、士官学校次席卒業。お前さんよりよほど優等生だ。現在、統合作戦本部情報分析課勤務」との連絡が届いたのだ。
 ヤンの前に現れたのは、自然にウェーブのかかった金褐色の頭髪とヘイゼルの瞳を持つ、美しい若い女性で、黒と象牙色《アイボリー・ホワイト》を基調とした単純なデザインの軍服までが華麗に見えた。ヤンはサングラスをはずして、じっと彼女を見つめた。
「| F 《フレデリカ》・グリーンヒル中尉です。今度、ヤン少将の副官を拝命しました」
 それが彼女の挨拶だった。
 ヤンはサングラスをかけ直して表情を隠し、アレックス・キャゼルヌという男は軍服のスラックスの下に、先端のとがった黒いしっぽを潜めているに違いないと考えた。彼女は統合作戦本部次長ドワイト・グリーンヒル大将の娘であり、驚くべき記憶力の所有者として知られていたのだ。
 このように第一三艦隊の人事は決定されたのである。

     U

 宇宙暦七九六年四月二七日、自由惑星同盟軍第一三艦隊司令官ヤン・ウェンリー少将はイゼルローン要塞攻略の途に上った。
 これは公式的には、帝国方面国境と反対側の辺境星域における新艦隊最初の大規模演習ということになっていたため、五〇|光速《C》のパルス・ワープ航法によって同盟首都《ハ イ ネ セ ン》からイゼルローンと反対方向に離れ、三日間それを続けた後、改めて航路を算定し、八回の長距離ワープと一一回の短距離ワープを繰り返して、ようやくイゼルローン回廊にはいった。
「四〇〇〇光年を二四日。悪くないな」
 ヤンは呟いたが、悪くないどころか、急編成されたできあい[#「できあい」に傍点]の艦隊が一隻の脱落も出さず、とにかくも目的地点に到着しえたのは賞賛に値するものだった。もっとも、この功は、艦隊運用において名人芸を謳われる副司令官フィッシャー准将の熟練した手腕に帰せられるべきであろう。
「第一三艦隊には名人がいるから」
 と言って、ヤンはその方面はフィッシャーに完全にまかせきり、彼が何か言えばうなずいて承認するだけだった。
 ヤンの頭脳は、イゼルローン要塞攻略法のただ一事に集中している。この計画を最初、艦隊首脳部の三人――フィッシャー、ムライ、パトリチェフ――に打ち明けたとき、戻ってきたのは「絶句」だった。
 銀色の髪とひげ[#「ひげ」に傍点]を持つ初老のフィッシャー、神経質そうなやせた中年男のムライ、軍服がはちきれそうなボリュームのある肉体、丸顔に長いもみあげのパトリチェフ――三人ともしばらくの間、ただ若い司令官を見つめていた。
「もし失敗したらどうします?」
 間を置いてのムライの質間は当然のことだった。
「しっぽを巻いて退散するしかないね」
「しかしそれでは……」
「なに、心配ない。もともと半個艦隊でイゼルローンを陥《おと》せというのが無理難題なんだ。恥をかくのはシトレ本部長と私さ」
 三人を退《さ》がらせると、ヤンは今度は副官のフレデリカ・グリーンヒル中尉を呼んだ。
 副官という立場上、フレデリカは三人の幹部より先に、ヤンの計画を知ったのだが、異議を唱えもせず、懸念を表明もしなかった。否、それどころか、ヤン本人以上の確信をもって成功を予言したものである。
「どうしてそう自信満々なんだ?」
 奇妙なことと自覚はしながらも、ヤンはそう問わずにいられなかった。
「八年前、エル・ファシルのときも、提督は成功なさいましたもの」
「それはまた薄弱きわまる根拠じゃないか」
「でも、あのとき提督は、ひとりの女の子の心に絶対的な信頼を植えつけることに成功なさいました」
「…………?」
 不審げな上官に向かって、金褐色の頭髪の美しい女性士官は言った。
「わたしはそのとき母と一緒にエル・ファシルにいたのです。母の実家がそこにありましたから。食事する暇もろくになくて、サンドイッチをかじりながら脱出行の指揮をとっていた若い中尉さんの姿を、わたしははっきりと憶えています。でも、そのサンドイッチを咽喉《のど》に詰まらせたとき、紙コップにコーヒーを入れて持ってきた一四歳の女の子のことなど、中尉さんのほうはとっくに忘れておいででしょうね」
「…………」
「そのコーヒーを飲んで生命が助かった後で何と言ったか、も」
「……何と言った?」
「コーヒーは嫌いだから紅茶にしてくれたほうがよかった――って」
 笑いの発作が起こりかけ、あわてたヤンは大きなせきをして、それを体外に追い出した。
「そんな失礼なことを言ったかな」
「ええ、おっしゃいました。空の紙コップを握り潰しながら……」
「そうか、謝る。しかし、君の記憶力はもっと有益な方面に生かすべきだね」
 もっともらしく言ったが、それは負け惜しみ以上のものではないようだった。フレデリカは、一万四〇〇〇枚にのぼるイゼルローン要塞のスライド写真のなかから前後矛盾する六枚を発見して、その記憶力の有益さをすでに証明していたのだから……。
「シェーンコップ大佐を呼んでくれ」
 ヤンはそう命じた。
 ワルター・フォン・シェーンコップ大佐は正確に三分後、ヤンの前に姿を現した。同盟軍陸戦総監部に所属する「|薔薇の騎士《ローゼンリッター》」連隊の隊長である。洗練された容姿を持つ三〇代前半の男だが、同性からは「きざな野郎」と思われることが多い。れっきとした帝国貴族の出身で、本来なら帝国軍の提督服を着て戦場に立っでいるところだ。
「|薔薇の騎士《ローゼンリッター》」連隊は帝国から同盟へ亡命してきた貴族の子弟を中心に創設されたもので、半世紀の歴史を有している。その歴史には黄金の文字で書かれた部分もあるが、黒く塗りつぶされた部分もあるのだ。歴代の隊長一二名。四名は旧母国との戦闘で死亡。二名は将官に出世した後、退役。六名は旧母国にはしった――秘かに脱出した者もおり、戦闘中にそれまでの敵と味方を取り替えた者もいる。シェーンコップは一三代目の隊長だった。
 一三という数からして不吉だ、奴はいつか必ず七人目の裏切者になるぞ――そう主張する者がいる。なぜ一三という数が不吉かというと、これには定説がない。地球人類をあやうく全滅させかけて核分裂兵器全廃のきっかけとなった熱核戦争が一三日間続いたから、という説がある。すでに滅び去った古い宗教の開祖が一三人目の弟子に背《そむ》かれたからという説もある。
「フォン・シェーンコップ、参上いたしました」
 うやうやしい口調と不謹慎な表情とが不調和だった。自分より三、四歳年長の旧帝国人を見ながら、ヤンは考える。この男はこういうわざとらしい態度をとることで、彼なりに人物鑑別の手段としているのかもしれない、と。だとしても、いちいちつきあってはいられないが……。
「貴官に相談がある」
「重要なことで?」
「多分ね。イゼルローン要塞攻略のことでだ」
 シェーンコップの視線が数秒間、室内を遊泳した。
「それはきわめて重要ですな。小官ごときによろしいのですか」
「貴官でなくてはだめなんだ。よく聞いてほしい」
 ヤンは説明を始めた。
 ……五分後、説明を聞き終えたシェーンコップの褐色の目に奇妙な表情があった。驚愕を押し隠そうと苦労しているようである。
「先回りして言うとね、大佐、こいつはまともな作戦じゃない。詭計《き けい》、いや小細工に属するものだ」
 黒い軍用ベレーを脱いで行儀悪く指先で回しながらヤンは言った。
「しかし難攻不落のイゼルローン要塞を占領するには、これしかないと思う。これでだめなら、私の能力のおよぶところじゃない」
「――たしかに、他の方法はないでしょうな」
 とがりぎみのあごをシェーンコップはなでた。
「堅牢《けんろう》な要塞に拠《よ》るほど人は油断するもの。成功の可能性は大いにあります。ただし……」
「ただし?」
「私が噂通り七人目の裏切者になったとしたら、事はすべて水泡に帰します。そうなったらどうします?」
「困る」
 ヤンの真剣な表情を見て、シェーンコップは苦笑した。
「そりゃお困りでしょうな、たしかに。しかし困ってばかりいるわけですか? 何か対処法を考えておいででしょうに」
「考えはしたけどね」
「で?」
「何も思い浮かばなかった。貴官が裏切ったら、そこでお手上げだ。どうしようもない」
 ベレー帽がヤンの指をはずれて床に飛んだ。旧帝国人の手が伸びてそれを拾い上げ、ついてもいない埃を払ってから上官に手渡す。
「悪いな」
「どういたしまして。すると私を全面的に信用なさるわけで?」
「じつはあまり自信がない」
 あっさりとヤンは答えた。
「だが貴官を信用しないかぎり、この計画そのものが成立しない。だから信用する。こいつは大前提なんだ」
「なるほど」
 とは言ったものの、必ずしも納得したシェーンコップの表情ではなかった。「|薔薇の騎士《ローゼンリッター》」連隊の指揮官は、半ば探り半ば自省するような視線で改めて若い上宮を見やった。
「ひとつうかがってよろしいですか、提督」
「ああ」
「今回あなたに課せられた命令は、どだい無理なものだった。半個艦隊、それも烏合の衆に等しい弱兵を率いて、イゼルローン要塞を陥落《おと》せというのですからな。拒否なさっても、あなたを責める者は少ないはず。それを承諾なさったのは、実行の技術面ではこの計画がおありだったからでしょう。しかし、さらにその底には何があったかを知りたいものです。名誉欲ですか、出世欲ですか」
 シェーンコップの眼光は辛辣で容赦がなかった。
「出世欲じゃないと思うな」
 ヤンの返答は淡々としていて、むしろ他人事のようだった。
「三〇歳前で閣下呼ばわりされれば、もう充分だ。第一、この作戦が終わって生きていたら私は退役するつもりだから」
「退役ですと?」
「うん、まあ、年金もつくし退職金も出るし……私ともうひとりぐらい、つつましく生活する分にはね、不自由ないはずだ」
「この情勢下に退役するとおっしゃる?」
 理解に苦しむと言わんばかりのシェーンコップの声に、ヤンは笑った。
「それ、その情勢というやつさ。イゼルローンをわが軍が占領すれば、帝国軍は侵攻のほとんど唯一のルートを断たれる。同盟の方から逆侵攻などというばかなまねをしないかぎり、両軍は衝突したくともできなくなる。すくなくとも大規模にはね」
「…………」
「そこでこれは同盟政府の外交手腕しだいだが、軍事的に有利な地歩を占めたところで、帝国との間に、何とか満足の行く和平条約を結べるかもしれない。そうなれば私としては安心して退役できるわけさ」
「しかしその平和が恒久的なものになりえますかな」
「恒久平和なんて人類の歴史上なかった。だから私はそんなもの望みはしない。だが何十年かの平和で豊かな時代は存在できた。吾々が次の世代に伺か遺産を託さなくてはならないとするなら、やはり平和が一番だ。そして前の世代から手渡された平和を維持するのは、次の世代の責任だ。それぞれの世代が、後の世代への責任を忘れないでいれば、結果として長期間の平和が保てるだろう。忘れれば先人の遺産は食いつぶされ、人類は一から再出発ということになる。まあ、それもいいけどね」
 弄んでいた軍用ベレーをヤンは軽く頭に載せた。
「要するに私の希望は、たかだかこのさき何十年かの平和なんだ。だがそれでも、その十分の一の期問の戦乱に勝《まさ》ること幾万倍だと思う。私の家に一四歳の男の子がいるが、その子が戦場に引き出されるのを見たくない。そういうことだ」
 ヤンが口を閉ざすと沈黙が降りた。それも長くはなかった。
「失礼ながら、提督、あなたはよほどの正直者か、でなければルドルフ大帝以来の詭弁家ですな」
 シェーンコップはにやりと笑ってみせた。
「とにかく期待以上の返答はいただいた。この上は私も微力をつくすとしましょう。永遠ならざる平和のために」
 感激して手を握りあうような趣味はふたりとも持ち合わせていなかったので、話はすぐ実務的なことにはいり、細部の検討が行なわれた。

     V

 イゼルローンには二名の帝国軍大将がいる。ひとりは要塞司令官トーマ・フォン・シュトックハウゼン大将で、いまひとりは要塞駐留艦隊司令官ハンス・ディートリヒ・フォン・ゼークト大将である。年齢はどちらも五〇歳、長身も共通しているが、シュトックハウゼンの胴囲はゼークトよりひとまわり細い。
 両者の仲は親密ではなかったが、これは個人的な責任というより伝統的なものだった。同一の職場に同格の司令官が二名いるのだ。角突きあわせないのが不思議である。
 感情的対立は彼らの配下の兵士たちにも当然およんでいた。要塞守備兵から見れば、艦隊はでかい面《つら》をした食客であり、外で戦って危険になれば安全な場所を求めて逃げ帰って来る、いわばどら息子であった。艦隊乗組員に言わせれば、要塞守備兵は安全な隠れ家にこもって適当に戦争ごっこに興じている宇宙もぐら[#「もぐら」に傍点]だった。
 難攻不落のイゼルローン要塞を支えているという戦士の誇りと、「叛乱軍」に対する闘志が、かろじて両者の間に橋を架けていた。実際、彼らは互いに軽蔑し罵りあいながらも、同盟軍の攻撃があると、功を競って譲らず、その結果、おびただしい戦果をあげてきたのである。
 要塞司令富と駐留艦隊司令官とを同一人がかね、指揮系統を一体化しようという軍政当局の組織改革案は、出るたびにつぶされた。司令官職がひとつ滅るということは、高級軍人にとっては大きな問題であったし、両者の対立が致命的な結果を招いたという事例もなかったからである。
 標準暦五月十四日。
 シュトックハウゼンとゼークトの両司令官は会見室にいた。本来、高級士官用のサロンの一角だったのだが、両者の執務室から等距離にあるというので、完全な防音処理を施されて改造されたのである。互いに相手の部屋へ赴くのを嫌ったのと、同じ要塞内にいてTV通信だけに頼るわけにもいかなかったための処置であった。
 ここ二日、要塞周辺の通信が撹乱されている。叛乱軍が接近しているのは疑問の余地がない。だがいっこうに攻撃らしきものはないのだ。両者の会見はその事態について対処法を相談するためであったが、話は必ずしも建設的な方向には進まなかった。
「敵がいるから出撃すると卿は言うが、その場所がわかるまい。それでは戦いようもなかろう」
 シュトックハウゼンが言うと、ゼークトが反論する。
「だからこそ出てみるのだ。敵が潜んでいる場所を探すためにも。しかし、もし今度叛乱軍が攻撃して来るとすれば、よほどの大軍を動員してのことだろうな」
 ゼークトの言に、満々たる自信をこめてシュトックハウゼンがうなずく。
「そしてまた撃退されるのがおちだ。叛乱軍は六回攻めて来た。そして六回、撃退された。今度来ても六回が七回になるだけのことだ」
「この要塞はじつに偉大だな」
 別にお前が有能だからではない、と暗に艦隊司令官は言っているのだった。
「とにかく敵が近くにいることは事実なのだ。艦隊を動かして探ってみたい」
「だがどこにいるのかわからんでは、探しようがあるまい。もう少し待ってみては」
 話が堂々めぐりになりかけたとき、通信室から連絡があった。回線のひとつに、奇妙な通信がはいって来たというのである。
 妨害が激しく、通信はとぎれとぎれであったが、ようやく次のような事情であることが判明した、というのだった。
 ――帝国首都《オ ー デ ィ ン》から重要な連絡事項をたずさえて、ブレーメン型軽巡洋艦一隻がイゼルローンに派遣されたが、回廊内において敵の攻撃を受け、現在逃走中。イゼルローンよりの救援を望む――
 二人の司令官は顔を見合せた。
「回廊内のどこか判明せんが、これでは出撃せざるをえん」
 ゼークトは太い咽喉の奥から捻り声を出した。
「しかし大丈夫か」
「どういう意味だ? おれの部下は安全だけを願う宇宙もぐら[#「もぐら」に傍点]どもとわけが違うぞ」
「どういう意味だ、それは?」
 両者は不快げな表情を並べて共同の作戦会議室に姿を現した。ゼータトが艦隊出撃の命令を自分の幕僚に出し、理由を説明する間、シュトックハウゼンはあらぬかたを眺めていた。
 ゼークトが話し終わったとき、彼の幕僚のひとりが席から立ち上がった。
「お待ち下さい、閣下」
「オーベルシュタイン大佐か……」
 ゼークト大将は言ったが、その声には一片の好意もなかった。彼は新任の幕僚を嫌っていたのだ。半白の頭髪、血の気に乏しい顔、ときとして異様な光を放つ義眼、そのすべてが気に入らない。陰気を絵に描いたような男だと思う。
「何か意見でもあるのか?」
 上官の投げやりな声を、すくなくとも表面的にはオーベルシュタインは意に介しなかった。
「はい」
「よかろう、言ってみろ」
 いやいやながらゼークトはうながした。
「では申し上げます。これは罠だと思われます」
「罠?」
「そうです。艦隊をイゼルローンから引き離すための。出てはなりません。動かず情況を見るべきです」
 ゼークトは不快げに鼻を鳴らした。
「出れば敵が待っている、戦えば敗れると言いたいのか、貴官は」
「そんなつもりは……」
「では、どんなつもりだ。吾々は軍人であり、戦うのが本分だ。一身の安全を求めるより、進んで敵を撃つことを考えるべきだろう。まして、窮地にある味方を救わんでどうする」
 オーベルシュタインに対する反感もあり、皮肉っぽい表情で事の推移を見守るシュトックハウゼンヘの手前もある。それにもともとゼークトは敵を見れば戦わずにはいられないという猛将タイプで、要塞に籠《こ》もって敵を待つなど、性に合わなかった。それでは軍艦乗りになった甲斐がない、と思っている。
「どうかな、ゼークト提督、卿の幕僚の言にも一理ある。敵にせよ味方にせよ、確実な位置が知れんし、危険が大きい。もう少し待ってみたらどうだ」
 そう横から言ったシュトックハウゼンの意見が、事態を決定した。
「いや、一時間後に全艦隊をあげて出撃する」
 ゼークトは断言した。
 やがて大小一万五〇〇〇隻の艦艇からなるイゼルローン駐留艦隊が出港を開始した。
 要塞指令室の出入港管制モニターの画面によって、シュトックハウゼンはそれを眺めている。巨大な塔を横にしたような戦艦や、流線型の駆逐艦などが整然と宇宙空間へ向けて進発する情景は、たしかに壮観であった。
「ふん、痛い目に遇《あ》って戻って来るがいい」
 口のなかでシュトックハウゼンは罵った。死んでしまえ、とか、負けろ、とかは冗談であっても言えない。彼なりの、それが節度だった。
 六時間ほどたって、またしても通信が飛びこんで来た。例のブレーメン型軽巡からで、ようやく要塞の近くまで到り着いたが、なお叛乱軍の追撃を受けている、援護の砲撃を依頼する、という内容が雑音のなかから聴取された。
 砲手に援護の準備をさせながら、シュトックハウゼンは苦りきった。ゼークトの低能は、どこをうろついているのか。大言壮語もいいが、せめて孤独な味方を救うぐらいのことができないのか。
「スクリーンに艦影!」
 部下が告げた。司令官は拡大投影を命じた。
 ブレーメン型軽巡が、酔っぱらいのような頼りなさで要塞へ接近して来る。その背後に多数の光点が見えるのは、当然、敵であろう。
「砲戦用意!」
 シュトックハウゼンは命じた。
 だが、要塞主砲の射程寸前で、同盟軍の艦艇は一斉に停止した。臆病そうに、見えざる境界線の上を漂っていたが、ブレーメン型軽巡が要塞管制室からの誘導波に乗って港内にはいってゆくのを認めると、あきらめたように回頭を始める。
「利口な奴らだぜ、かなわないことを知ってやがる」
 帝国軍の兵士たちは哄笑した。要塞の力と自己の力との一体感が、彼らの心理的余裕を支えている。
 入港し、磁場によって繋留《けいりゅう》されたブレーメン型軽巡は、見るも無惨な姿だった。
 外から見ただけでも、十数におよぶ破損箇処が認められる。外殻の裂け目から白い緩衝材が動物の腸のように飛び出し、細かい亀裂の数は、兵士一〇〇人の手足の指を使っても計算できそうになかった。
 整備兵たちを満載した水素動力車が走り寄る。彼らは要塞の兵ではなく、駐留艦隊司令官の統率下にあるから、この惨状を見て心から同情した。
 軽巡のハッチが開くと、頭部に白い包帯を巻いた少壮の士官が現れた。美男子だが、青ざめた顔が乾いてこびりついた赤黒いものに汚されている。
「艦長のフォン・ラーケン少佐だ。要塞司令官にお目にかかりたい」
 明瞭な帝国公用語だった。
「わかった。だが、要塞外の状況はいったいどうなっているのだ」
 整備士官のひとりが問うと、ラーケン少佐は苦しげにあえいだ。
「吾々もよくはわからん。オーディンから来たのだからな。だが、どうやら、君たちの艦隊は壊滅したようだ」
 唾を呑みこむ人々を睨みつけるようにして、ラーケン少佐は叫んだ。
「どうやら叛乱軍は回廊を通過する、とんでもない方法を考えついたようなのだ。ことはイゼルローンだけでなく、帝国の存亡にかかわる。早く司令官のところへ連れて行ってくれ」
 要求はただちに聞き入れられた。
 指令室で待っていたシュトックハウゼン大将は、警備兵に囲まれて入室してきた五人の軽巡士官の姿を見て腰を浮かした。
「シュトックハウゼンだ。事情を説明しろ、どういうことだ」
 大股に歩み寄りながら、要塞司令官は必要以上に高い声を出した。あらかじめ連絡があったように、叛乱軍が回廊を通過する方法を考案したとすれば、イゼルローン要塞の存在意義そのものが問われることとなろうし、現実に、叛乱軍の行動に対処する方策も必要になる。
 イゼルローンそのものは動けないのだから、このようなときこそ駐留艦隊が必要なのだ。それをあのゼークトの猪突家《い の し し》が! シュトックハウゼンは平静ではいられなかった。
「それはこういうことです……」
 ラーケン少佐なる人物の声は、対照的に低く弱々しかったので、気がせいたシュトックハウゼンは上半身ごと彼に顔を近づけた。
「……こういうことです。シュトックハウゼン閣下、貴官は吾々の捕虜だ!」
 一瞬の凍結が溶け、鋭い罵声とともに警備兵たちが拳銃《ブラスター》を抜き放ったとき、シュトックハウゼンの首にはラーケン少佐の腕が巻きつき、側頭部には金属探知システムに反応しないセラミック製の拳銃《ブラスター》が突きつけられていた。
「きさま……」
 指令室警備主任のレムラー中佐が、赭顔《あからがお》を一段と赤くしてうめいた。
「叛徒どもの仲間だな。よくも大それた……」
「お見知りおき願おう。|薔薇の騎士《ローゼンリッター》連隊のシェーンコップ大佐だ。両手が塞《ふさ》がっているので、メイクアップを落としての挨拶はいたしかねる」
 大佐は不敵に笑った。
「こううまくいくとは、正直なところ思わなかった。IDカードまでちゃんと偽造して来たのに、調べもせんのだからな……どんな厳重なシステムも、運用する人間しだいだという、いい教訓だ」
「誰にとっての教訓になるかな」
 不吉な声とともに、レムラー中佐のブラスターは、シュトックハウゼンとシェーンコップを狙った。
「人質をとったつもりだろうが、きさまら叛徒と帝国軍人を同一視するなよ。司令官閣下は死よりも不名誉を恐れる方だ。きさまの生命を守る盾などないのだぞ!」
「司令官閣下は、過大評価されるのが迷惑そうだぜ」
 嘲笑したシェーンコップは、彼の周囲を固めた四人の部下のひとりに目配《め くば》せした。その部下は、帝国軍の軍服の下から、掌《てのひら》に載る大きさの円盤状の物体を取り出した。これもセラミック製である。
「わかるな? ゼッフル粒子の発生装置だ」
 シェーンコップが言うと、広い室内に電流が走ったようだった。
 ゼッフル粒子は、発明者であるカール・ゼッフルの名をとって命名された化学物質の一種である。応用化学者であったゼッフルが、惑星規模の鉱物採掘や土木工事を行なうため発明したもので、要するにそれは、一定量以上の熱量やエネルギーに反応して制御可能な範囲内で引火爆発するガスのようなものだ。しかし、どんな分野の工業技術であっても、人類はそれを軍事に転用してきたのである。
 レムラー中佐の顔は、ほとんど黒ずんで見えた。エネルギー・ビームを発射するブラスターは使用不可能になったのだ。撃てば共倒れになる。空気中のゼッフル粒子がビームに引火し、室内にいる全員が一瞬で灰になってしまう。
「ちゅ、中佐……」
 警備兵のひとりが悲鳴じみた声をあげた。レムラー中佐はうつろな光を湛えた眼で、シュトックハウゼン大将を見た。シェーンコップが心もち腕をゆるめると、二度ほど激しい呼吸をした後、イゼルローン要塞の司令官は屈服した。
「お前らの勝ちだ。仕方ない、降伏する」
 シェーンコップは内心で安堵の吐息を洩らした。
「よし、各員、予定通りに行動だ」
 大佐の部下たちは指示にしたがって行動に移った。管制コンピューターのプログラムを変更し、あらゆる防御システムを無力化させ、空調システムを通じて全要塞に催眠ガスを流す。ブレーメン型輕巡に身を潜めていた技術兵が飛び出して、これらの作業を手ぎわよく実行していった。ごく一部の者しか気づかない間に、イゼルローンの体細胞はガンに犯されたように機能を奪われていったのだ。
 五時間後、豆スープのように濁った睡眠から解放された帝国軍の将兵たちは、武装を解除されて捕虜となった自分たちの姿を見て呆然とした。彼らの総数は、戦闘、通信、補給、医療、整備、管制、技術などの要員を合して五〇万人におよんでいた。巨大な食糧工場など、駐留艦隊も含めて一〇〇万以上の人口を支える環境と設備が整っており、帝国がイゼルローンを名実ともに永久要塞たらしめんと意図した事実が明らかだった。
 だが、そこにはいまや、同盟軍第一三艦隊の将兵が歩きまわっていた。
 こうして、過去、同盟軍将兵数百万の人血をポンプのように吸い上げたイゼルローン要塞は、新たな血を一滴も加えることなく、その所有者を変えたのである。

     W

 障害物と危険に満ちた回廊のなかを、帝国軍イゼルローン駐留艦隊は敵を求めて徘徊《はいかい》していた。
 通信士官たちは要塞との連絡をとるのに苦心していたが、やがて血相を変えてゼークト司令官を呼んだ。執拗な妨害波を排除して、ようやく通信を回復させたのだが、要塞からもたらされたのは、「一部兵士の叛乱勃発、救援を請う」という内容の通信だったのだ。
「要塞内部で叛乱だと?」
 ゼークトは舌打した。
「配下を治めることもようできんのか、シュトックハウゼンの無能者は!」
 だが、辞《ことば》を低くして救援を請われ、ゼークトは肉心、優越感をくすぐられていた。同僚に小さくない貸しを作ることになると思うと、いっそ愉快である。
「足もとの火を消すのが先決だ。全艦隊、ただちにイゼルローンに帰投するぞ」
 ゼークトの命令に対し、
「お待ち下さい」
 陰気なほど静かな声は、だが室内を圧した。自分の前に進み出てきた士官を見て、ゼークトの顔に露骨な嫌悪と反発の表情が浮きあがった。半白の頭髪、蒼白い頬、またしてもオーベルシュタイン大佐!
「貴官に意見を訊いたおぼえはないぞ、大佐」
「承知しております。ですが、あえて申し上げます」
「……何を言いたいのだ?」
「これは罠です。帰還しないほうがよろしいかと存じます」
「…………」
 司令官は無言であごを引いて、不愉快なことを不愉快な口調で言う不愉快な部下を、憎らしげに睨みつけた
「貴官の目にはありとあらゆるものが罠に見えるらしいな」
「閣下、お聞き下さい」
「もういい! 全艦隊、回頭、第二戦闘速度でイゼルローンに向かえ。宇宙もぐら[#「もぐら」に傍点]どもに貸しを作る好機だぞ」
 幅の広い背中が、オーベルシュタインから遠ざかって行った。
「怒気あって真の勇気なき小人め、語るにたらん」
 冷然たる侮蔑をこめて呟き捨てると、オーベルシュタインは踵をめぐらせて艦橋を出て行った。誰も制止しなかった。
 士官の声紋にのみ反応する專用のエレベーターに乗ると、オーベルシュタインは、六〇階建のビルに匹敵する巨艦のなかを、艦底へとおりてゆく。

「敵艦隊、射程距離にはいりました!」
「要塞主砲、エネルギー充填《じゅうてん》、すでに完了」
「照準OK! いつでも発射できます」
 活性化された緊張感を持つ声が、イゼルローン要塞指令室の内部で交錯した。
「もう少し引きつけろ」
 ヤンはシュトックハウゼンの指揮卓に坐っていた。着席しているのではなく、卓の上にあぐらをかいて、行儀の悪いその姿勢で、スクリーンの広大な画面を埋めて接近してくる光点の群を見つめている。やがて、ひとつ深呼吸すると、
「|撃て《ファイアー》!」
 ヤンの下した命令は大きくはなかったが、ヘッドホンを通して砲手たちに明確に伝達された。
 スイッチが押された。
 白い、量感にあふれた光の塊が、光点の群に襲いかかってゆくのを砲手たちは見た。それは衝撃的な光景だった。
 帝国軍の先頭にあって、イゼルローン要塞主砲群の直撃を受けた百余隻は、瞬時に消滅した。あまりの高熱、高濃度エネルギーが、爆発を生じさせるいとまさえ与えなかったのだ。有機物も無機物も蒸発した後に、完全にちかい虚無だけが残った。
 爆発が生じたのはその後方、帝国軍の第二陣、あるいは直撃を受けなかった左右の艦列においてだった。さらにその外側に位置していた艦も膨大なエネルギーの余波を受けて無秩序に揺れ動いた。
 第一撃に生き残った帝国軍艦艇の通信回路を、悲鳴と叫び声が占拠した。
「味方をなぜ撃つのだ!?」
「いや、違う、きっと叛乱を起こした奴らが――」
「どうするんだ! 対抗できないぞ。どうやってあの主砲から逃がれる」
 要塞の内部では、スクリーンに視線を凝固させて、同盟軍の将兵がひとしく声と息を呑んでいた。「|雷神の鎚《トゥールハンマー》」と称されるイゼルローン要塞主砲の魔的な破壊力を、彼らは初めて目《ま》のあたりにしたのだ。
 帝国軍は恐怖に全身を締めつけられていた。それまで強力無比な守護神であった要塞主砲が、対抗しえない悪霊の剣と化して、彼らの咽喉もとに突きつけられたのだ。
「応戦しろ! 全艦、主砲斉射!」
 ゼークト大将の怒号が轟いた。
 この怒号には、混乱した将兵をそれなりに律する効果があった。蒼白な顔色の砲手が操作卓《コンソール》に手を伸ばし、自動照準システムを合わせ、スイッチを押す。数百条のビームが幾何的な線を宇宙空間に描き出した。
 だが、艦砲の出力ていどでイゼルローン要塞の外壁を破壊するのは不可能だった。放たれたすべてのビームは、外壁に当たって弾き返され、空しく四散した。
 過去に同盟軍の将兵が味わった屈辱と敗北感と恐怖を、帝国軍は増幅して思い知らされることになった。
 艦砲から放たれるビームより十倍も太い光の束が、ふたたびイゼルローン要塞からほとばしり、ふたたび大量の死と破壊を産《う》み出した。帝国軍の艦列には、埋めがたい巨大な穴があき、その周縁部は損傷を受けた艦体やその破片に装飾された。
 たった二回の砲撃で、帝国軍は半身不随となっていた。生き残った者も戦意を喪失し、かろうじてその場に踏みとどまっているにすぎない。
 スクリーンから視線をそらして、ヤンは胃のあたりをなでた。ここまでやらねば勝てないものなのか、という気がする。
 ヤンの傍でやはりスクリーンの情景に見入っていたシェーンコップ大佐が、ことさらに大きなせきをした。
「こいつは戦闘と呼べるものではありませんな、閣下。一方的な虐殺です」
 大佐の方を振り向いたヤンは、怒ってはいなかった。
「……そう、その通りだな。帝国軍の悪いまね[#「まね」に傍点]を吾々がすることはない。大佐、彼らに降伏を勧告してみてくれ。それが嫌《いや》なら逃げるように、追撃はしない、と」
「わかりました」
 シェーンコップは興味深げに若い上官を見やった。
 降伏の勧告までなら他の武人もするだろうが、敵に向かって「逃げろ」とはまず言うまい。ヤン・ウェンリーという稀世《き せい》の用兵家の、これは長所だろうか、短所だろうか。
「司令官閣下、イゼルローンから通信です!」
 旗艦の艦橋で通信士官が喚いた。血走った眼でゼークトが睨むのへ、
「やはりイゼルローンは同盟軍、いや叛乱軍に占拠されています。その指揮官ヤン少将の名で言っております、これ以上の流血は無益である、降伏せよ、と」
「降伏だと?」
「はい、そして、もし降伏するのが嫌なら逃げよ、追撃はしない、と……」
 一瞬、艦橋内に生色がみなぎった。そうだ、逃げるという策《て》があったのだ。しかし、その生色を猛々《たけだけ》しい怒声がかき消した。
「叛乱軍に降伏などできるか!」
 ゼークトは軍靴で床を蹴った。イゼルローンを敵手にゆだね、配下の艦隊の半ばを失い、敗軍の将として皇帝陛下に見《まみ》えろというのか。ゼークトにとって、そんなことは不可能だった。彼に残された最後の名誉は、玉砕あるのみだったのだ。
「通信士官、叛乱軍に返信しろ、内容はこうだ」
 ゼークトが告げる内容を聞いて、周囲の将兵は色を失った。彼らの面上を司令官の苛烈な眼光が通過していった。
「いまより全艦、イゼルローンに突入する。この期《ご》におよんで生命を惜しむ奴はよもやおるまいな」
「…………」
 返答はない。
「帝国軍から返答がありました」
 一方、イゼルローンでヤンにそう告げたのはシェーンコップだった。渋面になっている。
「汝は武人の心を弁《わきま》えず、吾《われ》、死して名誉を全《まっと》うするの道を知る、生きて汚辱に塗《まみ》れるの道を知らず」
「…………」
「このうえは全艦突入して玉砕し、もって皇帝陛下の恩顧に報いるあるのみ――そう言っています」
「武人の心だって?」
 苦い怒りの響きを、フレデリカ・グリーンヒル中尉はヤンの声に感じた。実際、ヤンは怒りを覚えていた。死をもって敗戦の罪をつぐなうというのなら、それもよかろう。だが、それならなぜ、自分ひとりで死なない。なぜ部下を強制的に道連れにするのか。
 こんな奴がいるから戦争が絶えないのだ、とさえヤンは思う。もうまっぴら[#「まっぴら」に傍点]だ。こんな奴らにかかわるのは。
「敵、全艦突入してきます!」
 オペレーターの声だった。
「砲手! 敵の旗艦を識別できるか。集中的にそれを狙え!」
 これほど鋭い命令をヤンが発したのは初めてだった。フレデリカとシェーンコップは、それぞれの表情で司令官を見つめた。
「これが最後の砲撃だ。旗艦を失えば、残りの連中は逃げるだろう」
 砲手たちは慎重に照準を合わせた。帝国軍からは無数の光の矢が放たれたが、ひとつとして効果をあげたものはなかった。
 照準が完璧に合わされた。
 そのとき、帝国軍旗艦の艦尾から一隻の脱出用シャトルが射出された。つつましやかな銀色の点となって暗黒のなかに溶けこんで行く。
 それに気づいた者がいただろうか。一瞬の間合をおいて、三度めの光の円柱が闇を刺しつらぬいた。
 帝国軍の旗艦を中心点に置いて、円型の空間が切り取られたように見えた。ゼークト大将の巨体と怒声は、不幸な幕僚たちを道連れにしてミクロン単位の塵と化した。
 生き残りの帝国軍は事態を悟ると次々と艦首をひるがえし、イゼルローン要塞主砲の射程から離脱し始めた。玉砕戦法を呼号する司令官が「消滅」したからには、無謀な戦闘――というより一方的な殺戮――で生命を捨てる理由はどこにもない。
 そのなかに、オーベルシュタイン大佐の乗った脱出用シャトルの姿もあった。半自動操縦《セミ・オート・パイロット》で進行しながら、彼は遠ざかる球型の巨大要塞に肩ごしの視線を投げた。
 ゼークト大将は、死の直前、「皇帝陛下万歳」とでも叫んだのだろうか。くだらないことだ。生きていればこそ復讐戦を企図することもできようものを。
 まあよいか――オーベルシュタインは心のなかで呟く。彼の機略に、傑出した統率力と実行力が加えられれば、イゼルローンごとき、いつでも奪回してみせる。あるいは、イゼルローンをそのまま同盟の手中に置くとしても、同盟それ自体が破滅すれば、イゼルローンには何の価値もなくなるのだ。
 誰を選ぶ? 門閥貴族に人材はない。やはりあの金髪の若者か――ローエングラム伯ラインハルトか。どうやら他にはいそうにないな……。
 打ちのめされ、敗走する味方の艦艇を縫うように、シャトルは夜のなかを飛び去って行く。
 イゼルローン要塞のなかでは、歓喜と興奮の活火山が爆発し、音階を無視した笑い声と歌声があらゆるスペースを占領していた。静かなのは、事態を知って呆然自失する捕虜たちと、演出家のヤン・ウェンリーだけだった。
「グリーンヒル中尉」
 呼ばれてフレデリカが応答すると、黒髪の若い提督は、指揮卓から床に降り立ったところだった。
「同盟本国に連絡してくれ。何とか終わった、もう一度やれと言われてもできない、とね。後を頼む。私は空いた部屋で寝るから。とにかく疲れた」


「|魔術師ヤン《ヤン・ザ・マジシャン》」
「|奇蹟の《ミ ラ ク ル》ヤン」
 自由惑星同盟の首都ハイネセンに帰還したヤン・ウェンリーを、歓呼の暴風が迎えた。
 つい先日の、アスターテ星域における大敗はあっさりと忘れ去られ、ヤンの智略と、彼を登用したシトレ元帥の識見とが、想像できるかぎりの美辞麗句によって賞賛された。手まわしよく準備された式典とそれに続く祝宴で、ヤンは自分の虚像が華麗に踊りまわるのを嫌というほど見せつけられた。
 ようやく解放され、うんざりした表情で帰宅したヤンは、ユリアン少年が淹《い》れてくれた紅茶に自分でブランデーを注いだが、その量は少年の眼からは少しく多過ぎると思われた。
「どいつもこいつも全然、わかっていやしないのさ」
 イゼルローンの英雄は靴を脱いでソファーにあぐらをかき、「紅茶入りブランデー」をすすりながらぼやいた。
「魔術だの奇術だの、人の苦労も知らないで言いたいことを言うんだからな。私は古代からの用兵術を応用したんだ。敵の主力とその本拠地を分断して個別に攻略する方法さ。それにちょっとスパイスを効かせただけで、魔術なんぞ使ってはいないんだが、うっかりおだて[#「おだて」に傍点]に乗ったりしたら、今度は素手でたったひとり、帝国首都《オ ー デ ィ ン》を占領して来い、なんて言われかねない」
 その前に辞めてやる、とは口に出さなかった。
「でも、せっかく皆が賞《ほ》めてくれるんでしょう」
 言いながら、ユリアンはさりげない動作でブランデーの瓶をヤンの手の届かない場所に移動させた。
「素直に喜んでもいいと思うけどなあ」
「賞められるのは勝っている期間だけさ」
 素直でない口調でヤンは応じた。
「戦い続けていれば、いつかは負ける。そのときどう掌《てのひら》が返るか、他人事ならおもしろいがね。ところで、ユリアン、ブランデーぐらい好きに飲ませてくれないかな」
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   第六章 それぞれの星


     T

 イゼルローン要塞陥落!
 凶報は銀河帝国を震憾《しんかん》させた。
「イゼルローンは難攻不落ではなかったのか」
 軍務尚書エーレンベルク元帥は蒼白な顔で呟いたきり執務卓の前を動こうとしなかった。
「信じられぬ、誤報ではないのか」
 帝国軍統帥本部長シュタインホフ元帥はかすれ声で呻き、事実を確認した後、沈黙の砦にたてこもってしまった。
 国政に対して無関心無気力だった皇帝フリードリヒ四世までが、宮内尚書ノイケルンを介して国務尚書リヒテンラーデ侯に事態の説朋を要求してきたという。
「帝国領土は外敵に対し神聖不可侵でなければならず、また事実そうでありました。にもかかわらず、今日、かくのごとき事態を招き、陛下の宸襟《みこころ》を騒がせ奉りましたことは臣の不明の致しますところ、まことにざん慚愧《ざんき 》の念にたえませぬ」
 恐懼《きょうく》して侯は奉答したと伝えられた。
「おかしな議論だな、キルヒアイス」
 元帥府の執務室で、ローエングラム伯ラインハルトは腹心の友に語りかけた。
「帝国領土は寸土といえども外敵[#「外敵」に傍点]に侵されてはならぬものだそうだ。叛乱軍がいつから対等の外部勢力になったのだ? 現実を見ないから矛盾をきたすことになるのさ」
 元帥府を開設し、帝国宇宙艦隊の半数を指揮下に収めたラインハルトは、人事に腐心する毎日だった。
 基本方針として、下級貴族や平民出身の若い士官を登用することがあり、一線級の指揮官の平均年齢は大幅に下がった。ウォルフガング・ミッターマイヤー、オスカー・フォン・ロイエンタール、カール・グスタフ・ケンプ、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトなど、少壮気鋭の士官たちが新たに提督の称号を帯び、元帥府には若々しい活力と覇気が満ちることになったのである。
 だが、ここ数日、ラインハルトは不満を禁じえないでいた。勇敢で戦術能力に富んだ前線指揮官はそろえたが、参謀役を見出すことができないのである。
 士官学校で優等生だった貴族出身の参謀将校などに、ラインハルトは期待していなかった。軍事能力は学校教育で育つものではないことを彼は知っていた。彼自身がそうであるように、天性の軍人が学校秀才であることはあっても、その逆はありえないのである。
 キルヒアイスを参謀役にはできなかった。彼にはラインハルトの分身としてときには数個艦隊を指揮統率させねばならない。ラインハルトとともにあるときは大局を見て決断をともにしてもらう。それが腹心のはたすべき責務だった。
 過日、ラインハルトはカストロプ星系における動乱に際し、キルヒアイスを彼の代理人として出征させた。キルヒアイスに独自の功績をたてさせ、彼をラインハルト軍団の副司令官として衆目に認めさせるための措置であった。
 ラインハルトは、国務尚書のリヒテンラーデ侯に、キルヒアイスに勅命が下るよう依頼した。
 最初、リヒテンラーデ侯は好《よ》い顔をしなかった。ところが侯の政務補佐官にワイツという人物がいて、この男が侯に意見を具申した。
「よいではありませんか。キルヒアイス少将はローエングラム伯の腹心中の腹心です。討伐に成功したときには褒賞《ほうしょう》を与えて恩を売っておけば、後日、何かと益になりましょう。また失敗したところで、それは彼を推挙したローエングラム伯の責任ということになります。改めて伯に討伐を命じればすむことですし、一度は部下が失敗したとなれば、伯も功を誇ってばかりはいられますまい」
「なるほど、その通りだ」
 侯は納得し、キルヒアイスにカストロプ討伐の勅命が下るよう手続をとった。ラインハルトがワイツに秘かに金品を送って、そう具申するように依頼したことまでは、侯は知らない。
 こうしてキルヒアイスは勅命を受けた。それは帝国軍人として箔《はく》が付いたことを意味する。ラインハルトの元帥府において、彼は階級を同じくする同僚たちに抜きんで、ナンバー2の位置を公的に認められることになった。もっともそれは形式上のことにすぎない。それを実質化するには、キルヒアイスは実質的な武勲をたてる必要があった。
 カストロプ星系の動乱の起因は次のようなしだいである。――
 この年、カストロプ公オイゲンが自家用宇宙船の事故で不慮の死をとげた。
 彼は貴族としてその私領における徴税権を有し、当然、豊かな富力を誇っていたが、朝廷の重臣としても前後一五年にわたり財務尚書の職にあった。その間、職権を利して蓄財に努め、不名誉な疑獄事件に関係したこともたびたびだったが、貴族の犯罪に対する法網はいたって目が粗《あら》く、その目すら免れえないようになると、権力と富力を巧妙に駆使して処罰の手を逃がれてきたのである。
 当時の司法尚書ルーゲ伯が、「みごとな奇術」と皮肉ったほどで、同じ門閥貴族の眼から見ても、その特権濫用は度がすぎていた。帝政の支柱として、もうすこし公人としての法規《のり》を守ってもらわなくては困る。ひとりの重臣に対する民衆の不満は、体制全体に対する不信に、容易に増幅するのだ。
 そのカストロプ公が死んだ。帝国の財政、司法の両省にとっては歓迎すべきチャンスといえた。あえて死者を鞭打つべきだ。大貴族といえどもけっして法の支配を免れることはできないのだ、と民衆に知らしめ、貴族たちのなかに無数に存在する小カストロプどもを牽制し、もって帝国の法と行政の威を示さなくてはならない。まして生前、カストロプ公が私物化した公金や受けとった賄賂は莫大な額に上るはずで、これを国庫に収めたとき、軍事費の圧迫に苦しむ財政は一時的に息をつけるであろう。
 財政官僚のなかには、貴族に対する課税を口にする者もいたが、それはルドルフ大帝以来の国是を変更することになり、叛乱や宮廷革命を招きかねなかった。だが、カストロプ公個人が対象であれば貴族たちの反対も少ない。
 財政省の調査官がカストロプに派遣された。そこでトラブルが発生したのである。
 カストロプ公にはマクシミリアンという息子があり、国務尚書を通じて皇帝から認可がおりしだい、亡父の爵位と資産を相続することになっていた。だが、そのような事情のため、国務尚書リヒテンラーデ侯は相続手続を延期し、財務省の調査が終了した時点で、先代のオイゲンが不当に取得した部分をはぶいて資産相続を認めることにしたのだった。
 マクシミリアンはそれに反発した。重臣、大貴族の子弟として特権と富をむさぼってきた利己的な青年は、亡父が持っていた悪い意味での政治力すら持ち合わせていなかった。彼は財務省の調査官に猟犬をけしかけて追い払った。この猟犬というのが、DNA処理によって頭部に円錐状の角を持つようになった有角犬《ホーンヘッド》で、貴族権力の暴力的な一面を象徴する兇暴な獣だったのだ。
 自分の行為が、威信を重視する帝国政府の横面《よこっつら》をひっぱたいたということに、想像力の欠落した青年はまるで気づかなかった。しかしひっぱたかれたほうでは、屈辱をそのまま甘受してはいなかった。
 再度派遣された調査官も無法に追い払われると、財務尚書ゲルラッハ子爵は国務尚書にマクシミリアンを宮廷に呼びつけるよう要請した。
 手厳しい調子の呼出状を受け取ったとき、マクシミリアンは初めて自分の行為が問題視されていることを知った。そうなると、バランスのとれた判断力を欠くだけに、彼は極端な恐怖に駆られた。帝国首都《オ ー デ ィ ン》に赴けば二度と還れないものと思いこんだのである。
 カストロプ公爵家には当然ながら多くの親族や姻戚がおり、事態を憂慮した彼らは間に立って調停を試みたが、マクシミリアンの猜疑心を刺激しただけだった。
 彼の親族のひとりで温和な人柄を評価されるマリーンドルフ伯フランツが、説得に赴いてそのまま監禁されてしまうと、平和的な解決は絶望的となった。完全に血迷ったマクシミリアンは公領の警備隊を中心に私兵を集めだし、帝国政府は討伐軍の派遣を決定した。
 シュムーデ提督の指揮する艦隊がオーディンを進発したのは、アスターテ星域における帝国・同盟両軍の衝突と、ほぼ同時期である。――そしてこの第一次討伐軍が敗北するのだ。
 社会人として落第のマクシミリアンが、純軍事的にはある程度の才能を有していたこと、討伐軍が敵を軽視して、ろくに作戦もたてずに戦に臨んだことなど、いくつかの理由がその結果をもたらしたのだが、ともかくこの討伐軍は強引に着陸したところを奇襲され、シュムーデ提督が戦死してしまう。
 二度めの討伐軍も失敗すると、図に乗ったマクシミリアンは、隣接するマリーンドルフ伯領を併合し、帝国の一角に半独立の地方王国を建設しようとはかった。当主のフランツはマクシミリアンに監禁されていたが、侵攻してきたマクシミリアン軍をマリーンドルフ伯爵家の警備隊は善戦して支え、オーディンに救援を依頼した。
 このような状況のもとに、キルヒアイスが乱の鎮定を命じられたのである。そして彼は、半年にわたった乱を十日間で鎮定することに成功したのだった。
 まず、キルヒアイスは、マリーンドルフ伯領に救援に赴く情況を示しておき、急転してカストロプ公領を突いた。驚愕したマクシミリアンは、本拠地を奪われてはたまらない、と、マリーンドルフ伯領の包囲を解き、全部隊をこぞってカストロプ公領に急行した。これでまず、マリーンドルフ伯領の危機が救われた。しかも、キルヒアイスがカストロプ公領に向かったこと自体、陽動にすぎなかったのである。
 本拠地の危機に心|急《せ》くマクシミリアンは、後背《こうはい》の備えを怠った。キルヒアイスは小惑星帯の難所に艦隊を隠してそれをやりすごし、無防備な後背から急襲をかけて潰滅的な打撃を与えた。
 いったん戦場から離脱したものの、マクシミリアンは、罪が軽くなることを望んだ部下の手で殺され、残余の者は降伏した。
 こうしてカストロプの動乱は、あっけなく終わった。
 鎮定に十日を要したといっても、六日は帝国首都《オ ー デ ィ ン》からの征途に要したものであり、二日はカストロプでの事後処理にかかったもので、実際の戦闘は二日間にすぎなかった。
 この動乱でキルヒアイスが示した用兵の才能は非凡なもので、ラインハルトは満足し、彼の元帥府の提督たちはうなずき、門閥貴族たちは驚愕した。ラインハルトだけならともかく、その腹心までが、かくも鮮かな手腕を有していたという事実は彼らにとって愉快なものではなかった。
 しかし、とにかく武勲は武勲である。キルヒアイスは中将に昇進し、黄金色|燦然《さんぜん》たる「双頭鷲武勲章《ツァイトウィング・イーグル》」を授与された。国務尚書リヒテンラーデ侯が帝国宰相代理としての資格でそれらをキルヒアイスに授け、彼の武勲をたたえ、皇帝陛下の恩寵に感謝していっそうの忠誠をつくせ、と諭した。
 裏面の事情をキルヒアイスはすべて知っていたから、ワイツに教唆されたリヒテンラーデ挨の「ご機嫌とり」はばかばかしいだけだったが、もちろんそんな心情は表面には出さなかった。
 それにしても、皇帝に忠誠をつくせ、とは論外なことを言われるものだ、とキルヒアイスは思う。彼が忠誠をつくす対象を、彼の前から拉致《らち》し、現在なお独占しているのは、皇帝フリードリヒ四世その人ではないか。自分が戦っているのは、帝国のためでも、帝室のためでも、皇帝のためでもない。
 じつのところ、赤毛で長身のジークフリード・キルヒアイス青年は、上は公爵家の令嬢から下は小間使の少女まで、宮中の女性にかなりの人気があるのだった。本人はまるで気づいていなかったが、気づいたところで迷惑にしか思わなかっただろう。
 こうして、ラインハルトとキルヒアイスがそれぞれの地歩を確立しつつあるとき、彼らの前に、半白の頭髪のオーベルシュタイン大佐が現れたのだ。

     U

 参謀が欲しい――ラインハルトの願望はこのところ強まるいっぽうだった。
 彼の望む参謀とは、必ずしも軍事上のものとはいえない。それならラインハルト自身とキルヒアイスで充分だ。むしろ政略・謀略方面の色彩が濃い。これからは、宮廷に巣喰う貴族どもを相手に、その種の闘争が、はっきり言えば陰謀やだましあいが増えるだろう、と、ラインハルトは予想している。とすると、その方面における相談の相手としてはキルヒアイスは向いていないのだ。これは知能の問題ではなく性格や思考法の問題なのである。
 衛兵にブラスターを預け、非武装で執務室にはいってきた男の姿を、ラインハルトは脳裏の人名カードで確認した。彼に関して好意的であるべき理由は、それには記されていなかった。
「オーベルシュタイン大佐だったな。私にどんな用件があるのだ?」
「まず、お人払いを願います」
 尊大と称するにちかい態度で、招かれざる客人は要求した。
「ここには三人しかいない」
「そう、キルヒアイス中将がおられる、ですからお人払いをと願っています」
 キルヒアイスは黙然と、ラインハルトは鋭い眼光で、ともに客人を見つめた。
「キルヒアイス中将は私自身も同様だ。それを卿は知らないのか」
「存じております」
「あえて彼に聞かせたくない話があるというのだな。だが後で私が彼に話せば、結局は同じことだぞ」
「それはむろん、閣下のご自由に。ですが閣下、覇業を成就されるには、さまざまな異なるタイプの人材が必要でしょう。|A《アー》にはAに向いた話、|B《ベー》にはBにふさわしい任務、というものがあると思いますが……」
 キルヒアイスがラインハルトを見やって遠慮がちに言った。
「元帥閣下、わたくしは隣室に控えていたほうがよろしいかと……」
「そうか」
 ラインハルトは何か考える表清でうなずいた。キルヒアイスが立ち去ると、オーベルシュタインはようやく本題にはいった。
「じつは閣下、私は現在、いささか苦しい立場に立たされています。ご存じかと思いますが……」
「イゼルローンからの逃亡者。糾弾されて当然だろうな。ゼークト提督は壮烈な玉砕をとげたというのに」
 ラインハルトの返答は冷たい。しかしオーベルシュタインに動じる気配はなかった。
「凡百の指揮官にとって、私は卑劣な逃亡者にすぎますまい。しかし閣下、私には私の言分があります。閣下にそれを聞いていただきたいのです」
「筋違いだな。卿がそれを主張すべきは私にではなく軍法会議でだろう」
 イゼルローン駐留艦隊旗艦のただひとりの生存者であるオーベルシュタインは、生き残ったという、まさにその一事によって処断されかねない立場にあった。指揮官を補佐しその誤りを矯正する、という任務をまっとうせず、しかも一身の安全をはかった――それが白眼視と弾劾の理由であったが、イゼルローン失陥の場に居合わせた適当な人物に何らかの責任を取らせねばならない、という事情もあった。
 ラインハルトの冷淡な応答を聞くと、オーベルシュタインは不意に右眼に手をやった。やがて手がおろされると、顔の一部に、小さいが異様な空洞が生じた。右の掌に載せた小さな、ほぼ球型の結晶体に似たものを、半白の髪の男は若い元帥のほうへ差し出した。
「これをご覧下さい、閣下」
「…………」
「キルヒアイス中将からお聞きになったと思いますが、この通り私の両眼は義眼です。あのルドルフ大帝の治世であれば『劣悪遺伝子排除法』によって赤ん坊の頃に抹殺されていたでしょう」
 はずした義眼をふたたび眼窩《がんか 》にはめこむと、オーベルシュタインは正面からラインハルトの視界にえぐるような眼光を送りこんできた。
「おわかりになりますか。私は憎んでいるのです。ルドルフ大帝と彼の子孫と彼の産み出したすべてのものを……ゴールデンバウム朝銀河帝国そのものをね」
「大胆な発言だな」
 閉所恐怖症患者の覚えるような息苦しさが、若い元帥を一瞬だがとらえた。この男の義眼の機能には人を圧倒する――あるいは圧迫する素子がセットされているのではないか、という非合理的な疑惑さえそそられた。
 防音装置が完備した室内で、オーベルシュタインの声は低かったが、ときならぬ春雷のように轟いた。
「銀河帝国、いや、ゴールデンバウム王朝は滅びるべきです。可能であれば私自身の手で滅ぼしてやりたい。ですが、私にはその力量がありません。私にできることは新たな覇者の登場に協力すること、ただそれだけです。つまりあなたです、帝国元帥、ローエングラム伯ラインハルト閣下」
 帯電した空気がひび割れる音をラインハルトは聴いた。
「キルヒアイス!」
 椅子から立ち上がりながら、ラインハルトは腹心の友を呼んだ。壁が音もなく開き、赤毛の若者が丈《たけ》高い姿を現わす。ラインハルトの指がオーベルシュタインを指さした。
「キルヒアイス、オーベルシュタイン大佐を逮捕しろ。帝国に対し不逞《ふ てい》な反逆の言辞があった。帝国軍人として看過できぬ」
 オーベルシュタインは義眼を激しく光らせた。赤毛の青年士官は神速の技で右手にブラスターを抜き持って、彼の胸の中央に狙いを定めていた。幼年学校以来、射撃の技倆で彼を凌ぐ者は少ない。たとえオーベルシュタインが拳銃を所持しており、抵抗を試みたとしても無益であったろう。
「しょせん、あなたもこの程度の人か……」
 オーベルシュタインは呟いた。失望と自嘲の苦い陰翳が、もともと血の気の薄い顔にさしこんでいる。
「けっこう、キルヒアイス中将ひとりを腹心と頼んで、あなたの狭い道をお征《ゆ》きなさい」
 半ば演技、半ば本心の発言だった。ラインハルトの沈黙する姿に視線を投げると、彼はキルヒアイスに向き直った。
「キルヒアイス中将、私を撃てるか。私はこの通り丸腰だ。それでも撃てるか?」
 ラインハルトがあらためて命令を出さなかったこともあるが、キルヒアイスは狙いを定めたまま、引金にかけた指に力を入れることをためらった。
「撃てんだろう。貴官はそういう男だ。尊敬に値するが、それだけでは覇業をなすに充分とは言えんのだ。光には影がしたがう……しかしお若いローエングラム伯にはまだご理解いただけぬか」
 ラインハルトはオーベルシュタインを凝視したまま、ブラスターを収めるようキルヒアイスに合図した。微妙に表情が変わっていた。
「言いたいことを言う男だな」
「恐縮です」
「ゼークト提督からもさぞ嫌われたことだろう、違うか」
「あの提督は部下の忠誠心を刺激する人ではありませんでした」
 平然とオーベルシュタインは答えた。賭けに勝ったことを彼は知った。
 ラインハルトはうなずいた。
「よかろう、卿を貴族どもから買う」

     V

 軍務尚書、統帥本部総長、宇宙艦隊司令長官の三者を帝国軍三長官と称するが、ひとりでこの三者を兼任した例は、一世紀近くも昔に当時の皇太子オトフリートがあるだけである。
 彼はまた帝国宰相をもかねたが、その後、帝国宰相が正式に置かれず、国務尚書をその代理にあてるようになったのは、臣下が皇帝の先例にならうことを避けるためだった。
 オトフリートは皇太子時代は有能で人望もあったが、即位して皇帝オトフリート三世となってからは、たびかさなる宮廷陰謀の渦中で猜疑心のみが肥大し、四度にわたって皇后を替え、五度にわたって帝位継承者を替え、最後には毒殺を恐れるあまり食事も控えるようになって、四〇代半ばで衰弱死している……。
 その帝国軍三長官――軍務尚書エーレンベルク、統帥本部総長シュタインホフ、宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガーは、帝国宰相代理たる国務尚書リヒテンラーデ侯に辞表を提出した。イゼルローン失陥の責任を取るためである。
「卿らは責任を回避して地位に執着しようとせぬ。そのいさぎよさは賞すべきと思う。しかし三長官のポストが一時に空《あ》けば、少なくともそのひとつはローエングラム伯の得るところとなろう。彼の階位が進む手助けを卿らがわざわざすることはあるまい。経済的に困っておらぬ卿らだ、今後一年ほど俸給を返上するということでどうか」
 国務尚書が言うと、シュタインホフ元帥が苦渋の表情を浮かべて答えた。
「その点を考えないでもありませんでしたが、私どもも武人です。地位に恋々《れんれん》として出処進退を誤ったと評されるのはあまりに無念……どうかお受けとり願います」
 やむをえず、リヒテンラーデ侯は宮廷に赴き、皇帝フリードリヒ四世に三長官の辞表を取り次いだ。
 相変わらず無気力そうに国務尚書の話を聞いていた皇帝は、侍従に命じてラインハルトを元帥府から呼び寄せた。|TV電話《ヴ ィ ジ ホ ン》を使えばすむところを、わざわざ呼び寄せるのが、皇帝の権力に必要な形式の一端である。
 ラインハルトが参内《さんだい》すると、皇帝は三通の辞表を若い帝国元帥に示して、どの職が欲しいか、と玩具でも選ばせるような語調で訊ねた。憮然としてたたずむ国務尚書をちらりと見ると、ラインハルトは答えた。
「自ら功績を立てたわけでもございませんのに、他の方の席を奪うことはできません。イゼルローンの失陥は、ゼークト、シュトックハウゼン両提督の不覚によるもの、しかもゼークト提督は死をもって罪をつぐなっており、いまひとりは敵の獄中にあります、他に罪を得るべき者がいるとは、わたくしは思いません。何とぞ三長官をお咎《とが》めなきよう、つつしんで陛下にお願い申し上げます」
「ふむ、そちは無欲だな」
 皇帝は事態の意外さにおどろく国務尚書を顧みた。
「伯はこう申しておる。そちはどう思うか」
「……若さに似合わぬ伯の見識、臣は感服いたしました。臣としても、国家に大功ある三長官に対し、寛大なご処置をと願うものでございます」
「両人がそう申すなら、余としても彼らに苛酷な処分は下すまい。だが、まるきり罪を問わぬというわけにもいくまいが……」
「されば、陛下、今後一年、彼らの俸給を返上させ、それを戦没将兵の遺族救済基金に回してはいかがかと存じます」
「そんなところだな、よかろう、国務尚書に委細はまかす。話はそれだけか」
「さようでございます」
「では両人ともさがれ。これから温室で薔薇《ばら》の世話をせねばならぬでな」
 両者は退出した。
 しかし五分とたたないうち、ひとりがひそかにもどってきた。半ば駆足であったため、七五歳のリヒテンラーデ侯は呼吸をととのえる時間を必要としたが、皇帝の薔薇園に立ったときは肉体上の平静さを回復していた。
 豊かな色彩と芳香を乱舞させる薔薇の群のなかに、枯木のように皇帝がたたずんでいる。老貴族は歩み寄り、充分な注意を払いつつひざまずいた。
「恐れながら、陛下……」
「何か」
「ご不興をこうむるのを覚悟の上で申し上げまするが……」
「ローエングラム伯のことか?」
 皇帝の声には鋭さも激しさも熱さもなかった。風に飛ばされる砂の音を想起させる、生気のない老人めいた声。
「余が、アンネローゼの弟に地位と権力を与えすぎるというのであろう」
「陛下にはご承知でいらっしゃいましたか」
 国務尚書が驚いたのは、皇帝の話しかたが意外に明晰だったからでもある。
「恐れを知らぬ者ゆえ、重臣として権力をふるうにとどまらず、図に乗って簒奪《さんだつ》をたくらむかもしれぬ、とでもそちは思うか」
「口の端《は》に上せるのもはばかり多いことながら……」
「よいではないか」
「は!?」
「人類の創成とともにゴールデンバウム王朝があったわけではない。不死の人間がおらぬと同様、不滅の国家もない。余の代で銀河帝国が絶えて悪い道理がなかろう」
 乾ききった低い笑い声が、国務尚書を戦慄させた。のぞきこんだ虚無の淵の深さが、彼の魂を底まで冷たくした。
「どうせ滅びるなら……」
 皇帝の声が彗星《すいせい》の不吉な尾のように続いていた。
「せいぜい華麗に滅びるがよいのだ……」

     W

 不本意であり、不愉快でもあったが、三長官としてはラインハルトに借りを作ったことを認めざるをえなかった。したがって、その翌日、ラインハルトがパウル・フォン・オーベルシュタイン大佐の免責――イゼルローン失陥に対する――と、彼の元帥府への転属とを要請したとき、拒絶するわけにはいかなかったのである。自らが「皇帝陛下のご寛容」の恩恵に浴しながら、他者に厳しい処置をとることもできないし、しょせんは一大佐の進退などそれほどの重要事とは思えなかった、ということもある。ともあれ、オーベルシュタインにとっては満足すべき結果だった。
 ラインハルトが帝国軍三長官の地位につく機会を自ら捨てた、その行動に関しては、
「意外に無欲ではないか」
 という好意的な評価と、
「何の、かっこうをつけただけさ」
 という否定的な観察とが、相半ばした。
 どちらの声にせよ、ラインハルトは歯牙《しが》にもかけなかった。三長官の地位など、いつでも手にはいる。しばらく、老将《おいぼれ》どもに貸しておいてやるだけのことだ。第一、そのような地位は彼にとってたんなる通過点でしかない。
 ラインハルトが至尊の地位に即《つ》いたとき、三長官職を兼務するであろう立場の人物は、いまひとつすっきりとしないでいた。
「どうした、キルヒアイス、何か言いたいことがありそうだな」
「おわかりでしょうに、お人の悪い」
「怒るな。オーベルシュタインの件だろう。あの男が門閥貴族どもの手先ではないか、と、一時はおれも疑った。しかし、貴族どもの手に負えるような男ではない。頭は切れるだろうが癖がありすぎる」
「ラインハルトさまのお手には負えるのですか」
 ラインハルトは軽く首をかしげた。そうすると、金髪の華麗なひと房が一方に流れた。
「そうだな……おれはあの男に友情や忠誠心を期待してはいない。あの男はおれを利用しようとしているだけだ。自分自身の目的を果たすためにな」
 長いしなやかな指が伸びて、ルビーを溶かした液で染めたような友人の髪を軽く引っぱった。他人のいないとき、ラインハルトはときどきこのようなことをする。幼い少年の頃、たまにキルヒアイスと仲違いすると――長くそのような状態が続いたことはなかったが――「何だ、血みたいな赤毛」と悪口を言い、仲直りすると「炎が燃えてるみたいでとても綺麗だ」と賞賛するなど、ラインハルトは勝手なものだった。
「……だから、おれも奴の頭脳を利用する。奴の動機などどうでもいいさ。奴ひとり御しえないで宇宙の覇権を望むなんて不可能だと思わないか」

 政治とは過程や制度ではなく結果だ、とラインハルトは思う。
 ルドルフ大帝を許しがたく思うのは、銀河連邦《U S G》を乗っ取ったからではなく、皇帝などになったからでもない。せっかく獲得した強大な権力を、自己神聖化というもっとも愚劣な行為に使用したからである。それが英雄ぶった亡者ルドルフの正体だ。その強大な権力を正当に使用すれば、文明の進歩と建設にどれほど有益だったか知れない。人類は政治思想の相違からくる抗争にエネルギーを浪費することもなく、全銀河系に足跡をしるしていたであろうに。現実は帝国と叛乱勢力とを合しても、この巨大な恒星世界の五分の一を支配しているにすぎないのだ。
 かくも人類の歴史の前進を阻害した責任は、あげてルドルフの偏執にある。何が生ける神か。厄病神もいいところだ。
 旧体制を破壊し新秩序を打ちたてるには強大な権力と武力が必要だ。だが自分はルドルフの轍《てつ》は踏まない。皇帝にはなろう。しかし帝位を自分の子孫に伝えるようなことはしない。
 ルドルフは血統を、遺伝子を盲信した。だが遺伝など信用できるものではない。ラインハルトの父親は天才でも偉人でもなかった。自力で生活する能力も意思もなく、美貌の娘を権力者に売りつけて、安楽で自堕落《じ だ らく》な生活におぼれたろくでなし[#「ろくでなし」に傍点]だった。七年前に過度の飲酒と漁色が原因で急死したとき、流すべき涙をラインハルトは持ち合わせていなかった。最高級の白磁で造型したような姉の頬を伝い落ちる透明な流れを見て、胸がいたみはしたが、それは姉に向けた感情だった。
 信用するに値しない遺伝の例証として、ゴールデンバウムの帝室の現状を見るがよい。あのフリードリヒ四世の腐蝕した体内に、偉大かつ巨大なルドルフの血が一ミリリットルでも流れていると、誰が想像できるだろう。ゴールデンバウム家の血はすでに濁りきっているのだ。
 フリードリヒ四世の兄弟姉妹九人はことごとく死亡している。フリードリヒ四世自身は皇后はじめ十六人の女性を二十八回にわたって妊娠させたが、六回は流産、九回は死産、とにかくも誕生した十三人のうち、生後一年までに四人が、成人までに五人が、成人後に二人が死亡した。現存するのは、ブラウンシュヴァイク公爵夫人アマーリエとリッテンハイム侯爵夫人クリスティーネの両女だけである。ともに強大な門閥貴族に嫁いだが、子供といえば、これもともに一女があるだけだ。この他、成人後に死亡した皇太子ルードヴィヒに遺児がいる。これが現在、帝室ただひとりの男児エルウィン・ヨーゼフだが、五歳になったばかりで、いまだ皇太孫として立てられてもいない。
 宮廷の頽廃を一身に集めたような皇帝フリードリヒ四世は、ラインハルトにとって苦い憎悪と軽蔑の対象でしかなかったが、たった二点、容認できることがあった。
 ひとつは、過去の難産で幾人もの寵妃を死なせた皇帝が、アンネローゼを失うことを恐れ、彼女を妊《みごも》らせなかったことである。これにはアンネローゼに子供が誕生したとき、帝位継承権をめぐる争乱が生じることを憂慮した貴族たちの圧力もあった。ラインハルトにしてみれば、あの皇帝の子を姉が産むなど、想像するさえおぞましいのだった。
 そして、いまひとつは、帝位継承権の有資格者が極端に少ないことだった。皇帝の孫三人だけなのである。それさえ排除すればよいのだ。あるいは二人の孫娘のうちどちらかと結婚する策もある。――どうせ形式だけだが。
 いずれにせよ、オーベルシュタインは役に立つ。あの男なら暗い情熱と執拗な意志をもって帝室や貴族に対する権謀をめぐらせ、必要とあれば幼児や女性を殺害することも辞さないだろう。それを無意識のうちに察したからこそ、キルヒアイスは彼を嫌うのだろうが、しかし彼はラインハルトにとって必要なのだ。
 オーベルシュタインのような男を必要とする自分を、姉アンネローゼやキルヒアイスは快く思うだろうか……しかし、これはやらなくてはならないことなのだ。

     X

 フェザーン自治領主《ランデスヘル》ルビンスキーは、官邸で、経済戦略に関する補佐官の説明を受けていた。
「ユニバース・ファイナンス社、これは自由惑星同盟におけるわが自治領政府のダミーですが、バラトプール星系第七・第八両惑星の固体天然ガス採堀権を獲得しました。可採埋蔵量は合計四八○○万立方キロメートルに達し、二年後には採算ベースにのる予定です」
 ルビンスキーがうなずくのを見ながら、補佐官は報告を続けた。
「それに同盟でも最大級の恒星間輸送企業サンタクルス・ライン社に関しては、株式取得率四一・九パーセントに達しました。名義が二〇以上に分割しておりますので気づかれていませんが、筆頭株主である国営投資会社をすでに上回っています」
「けっこうだ。しかし過半数に達するまでは気をゆるめるな」
「もちろんです。一方、帝国のほうですが、第七辺境星域の農業開発計画に資本参加が決定しました。アイゼンヘルツ第二惑星の水二〇京トンを八つの乾燥惑星に運んで五〇億人分の食糧を増産しようという、例の計画です」
「資本参加の比率は?」
「わが政府のダミー三社で合計して八四パーセントです。事実上の独占です。次にインゴルシュタットの金属ラジウム工場についてですが……」
 報告を聞き終えたルビンスキーは、いったん補佐宮を退がらせ、荒涼の美を示す壁外の風景を眺めやった。
 現在のところ、事態の進展は順調そのものだ。帝国にせよ同盟にせよ、首脳部は、戦争といえば宇宙空間で戦艦どうしが亜光速ミサイルを撃ち合うだけだと思っているふし[#「ふし」に傍点]がある。頑迷な教条主義者どもが殺し合いに血道をあげている間に、両国の社会経済体制は根幹をフェザーンに握られてしまうことになるだろう。現在でも、両国の発行している戦時国債の半分ちかくは、直接間接にフェザーンが購入しているのだ。
 宇宙は人類の足跡のあるところ、すべてフェザーンが経済的に統治する。帝国政府も同盟政府も、フェザーンに経済的利益をもたらすべく、その政策を代行するにすぎなくなるだろう。もうすこし時間はかかるだろうが。そうなれば、目的の最終段階まであと半歩の距離もない……。
 だが、むろん、政治上あるいは軍事上の状況を軽視してよいということにはならない。早い話、帝国と同盟が強大な覇権によって政治的統合をとげるとしたら、フェザーンの特権的な地位は何ら意味を持たなくなる。古代の海陸上の交易都市が、新たに出現した統一王朝の武力と政治力に屈服していった、その歴史を繰り返すことにもなろう。
 とすれば、目的を達成させる道は永久に閉ざされてしまう。新銀河帝国の誕生などは、絶対に阻止されねばならない。
 新銀河帝国か……。
 この考えは、ルビンスキーに新鮮な緊張感をあたえた。
 現在のゴールデンバウム朝銀河帝国はすでに老朽化しており、ふたたび活性化させることは不可能にちかい。分裂して幾多の小王国群に変化し、そのなかから新たな秩序が生まれるとしても、それには何世紀もの年月がかかるだろう。
 一方、自由惑星同盟も建国の理想を失って惰性に流れている。経済建設と社会開発の停滞は民衆レベルに不満を生み、同盟を構成する諸惑星の間には経済格差をめぐる反目が絶えない。よほどカリスマ的な指導者が出現して集権的な体制を再構築でもしないかぎり、出口のない状況は続くだろう。
 五世紀前、巨人的な身体を権力指向のエネルギーで満たした若きルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは、銀河連邦《U S G》の政治機構を乗っ取って神聖不可侵の皇帝となった。合法的手段による独裁者の出現。これが再来する日がくるだろうか。既製の権力機構を乗っ取るとすれば、短時日での変化が可能となる。たとえ合法的でなくとも……。
 クーデター。権力や武力の中枢近くにいる者にとっては、古典的だが有効な方法だ。それだけに魅力的でもある。
 ルビンスキーは操作卓《コンソール》のボタンを押して補佐官を呼び出した。
「両国におけるクーデターの可能性ですか?」
 自治領主《ランデスヘル》の命令は彼を驚かせた。
「それはご命令とあらば、さっそく調査いたしますが、何かそれを示唆するような緊急の情報でもございましたか?」
「そうではない。単にいま、思いついたというだけだ。しかしあらゆる可能性を吟味するにしくはない」
 腐りはてた頭脳と精神の所有者が、その資格もなしに権勢をほしいままにするのは不愉快だが――とフェザーンの統治者は思った。まだ当分の間は、帝国と同盟の現体制に存続してもらう必要がある。帝国も同盟も想像できないフェザーンの真の目的が達成されるその日まで……。

     Y

 自由惑星同盟最高評議会は十一名の評議員によって構成されている。議長、副議長兼国務委員長、書記、国防委員長、財政委員長、法秩序委員長、天然資源委員長、人的資源委員長、経済開発委員長、地域社会開発委員長、情報交通委員長がそのメンバーである。彼らは真珠色の外壁を持つ壮麗なビルの一室に集っていた。
 窓のない会議室《デシジョン・ルーム》は、四方を厚い壁と他の部屋に囲まれている。それは対外連絡室《アンティ・ルーム》・資料作成室《チャート・ルーム》、情報加工室《インテリジェンス・ルーム》、機器操作室《オペレーション・ルーム》などでさらにその外側を警備兵の控室がドーナツ状に取り巻いているのだ。
 これを開かれた政治の府と呼ぶべきだろうか? 財政委員長ジョアン・レベロは、直径七メートルの円卓の一席に坐って、そう思った。いまに始まったことではなく、赤外線の充満した廊下を通って会議室に入室するたびに、その疑問にとらわれる彼だった。
 その日、宇宙暦七九六年八月六日の会議は、議題のひとつに、軍部から提出された出兵案の可否を決定する、ということがあげられていた。占領したイゼルローン要塞を橋頭堡《きょうとうほ》として帝国に侵入するという作戦案を、軍部の青年高級士官たちが直接、評議会に提出してきたのだ。レベロにとっては、過激としか思えない。
 会議が始まると、レベロは戦争拡大反対の論陣を張った。
「妙な表現になりますが、今日まで銀河帝国とわが同盟とは、財政のかろうじて許容する範囲で戦争を継続してきたのです。しかし……」
 アスターテの会戦において戦死した将兵の遺族年金だけでも、毎年、一〇〇億ディナールの支出が必要になる。このうえ、戦火を拡大すれば、国家財政とそれを支える経済が破綻するのは避けられない。それどころか、今日、すでに財政は赤字支出となっているのだ。
 皮肉なことに、ヤンもこの財政難にひと役買っている。彼はイゼルローンで五〇万人の捕虜をえたが、彼らを食わせるのも、なかなか大変なのだ。
「健全化の方法としては、国債の増発か増税か、昔からの二者択一です。それ以外に方法はありません」
「紙幣の発行高を増やすというのは?」
 副議長が問うた。
「財源の裏付けもなしにですか? 何年かさきには、紙幣の額面ではなく重さで商品が売買されるようになりますよ。私としては、超インフレーション時代の無策な財政家として後世に汚名を残すのは、ごめんこうむりたいですな」
「しかし戦争に勝たねば、何年かさきどころか明日がないのだ」
「では戦争そのものをやめるべきでしょう」
 レベロが強い口調で言うと、室内がしんとした。
「ヤンという提督の智略で、吾々はイゼルローンをえた。帝国軍はわが同盟に対する侵略の拠点を失った。有利な条件で講和条約を締結する好機ではありませんか」
「しかしこれは絶対君主制に対する正義の戦争だ。彼らとは倶《とも》に天を戴《いただ》くべきではない。不経済だからといってやめてよいものだろうか」
 幾人かが口々に反論してきた。
 正義の戦争か。自由惑星同盟政府財政委員長ジョアン・レベロは撫然として腕を組んだ。
 莫大な流血、国家の破産、国民の窮乏。正義を実現させるのにそれらの犠牲が不可欠であるとするなら、正義とは貧欲な神に似ている。次々といけにえを要求して飽くことを知らない。
「しばらく休憩しよう……」
 議長が艶《つや》のない声で言うのが聴こえた。

     Z

 昼食の後、会議は再開された。
 今度、論陣を、張ったのは、人的資源委員長として、教育、雇用、労働問題、社会保障などの行政に責任を持つホワン・ルイだった。彼も出兵反対派である。
「人的資源委員会としては……」
 ホワンは小柄だが声は大きい。血色のよい肌と短いが敏捷《びんしょう》そうな手足を持ち、活力に富んだ印象を与える。
「本来、経済建設や社会開発に用いられるべき人材が軍事方面にかたよるという現状に対して、不安を禁じえない。教育や職業訓練に対する投資が削減される一方というのも困る。労働者の熟練度が低くなった証拠に、ここ六ヶ月間に生じた職場事故が前期と比べて三割も増加している。ルンビーニ星系で生じた輸送船団の事故では、四〇〇余の人命と五〇トンもの金属ラジウムが失われたが、これは民間|航宙士《アストロノーツ》の訓練期間が短縮されたことと大きな関係があると思われる。しかも航宙士たちは人員不足から過重労働を強《し》いられているのだ」
 明晰できびきびした話しかたであった。
「そこで提案するのだが、現在、軍に徴用されている技術者、輸送および通信関係者のうちから四〇〇万人を民間に復帰させてほしい。これは最低限の数字だ」
 同席の評議員たちを見わたすホワンの視線が、国防委員長トリューニヒトの面上で停止した。眉を動かしながらの応答があった、
「無理を言わないでほしい。それだけの人数を後方勤務からはずされたら軍組織は瓦解《が かい》してしまう」
「国防委員長はそうおっしゃるが、このままゆけば軍組織より早い時期に社会と経済が瓦解するだろう。現在、首都の生活物資流通制御センターで働いているオペレーターの平均年齢をご存じか」
「……いや」
「四二歳だ」
「異常な数字とは思えないが……」
 ホワンは勢いよく机をたたいた。
「これは数字による錯覚だ! 人数の八割までが二〇歳以下と七〇歳以上で占められている。平均すればたしかに四二歳だが、現実には三、四〇代の中堅技術者などいはしないのだ。社会機構全体にわたって、ソフトウェアの弱体化が徐々に進行している。これがどれほど恐しいことか、賢明なる評議員各位にはご理解いただけると思うが……」
 ホワンは口を閉じ、ふたたび一同を見回した。まともにその視線を受けとめた者はレベロ以外にいなかった。ある者は下を向き、ある者はさりげなく視線をそらし、ある者は高い天井を見上げた。
 レベロがホワンに替わった。
「つまり民力休養の時期だということです。イゼルローン要塞を手中にしたことで、わが同盟は国内への帝国軍の侵入を阻止できるはずだ。それもかなりの長期間にわたって。とすれば、何も好んでこちらから攻撃に出る必然性はないではないか」
 レベロは熱心に説いた。
「これ以上、市民に犠牲を強いるのは民主主義の原則にもはずれる。彼らは負担にたえかねているのだ」
 反駁《はんぱく》の声が上がった。評議員中、ただひとりの女性である情報交通委員長コーネリア・ウィンザーからであった。つい一週間前に新任されたばかりだ。
「大義を理解しようとしない市民の利己主義に迎合する必要はありませんわ。そもそも犠牲なくして大事業が達成された例があるでしょうか?」
「その犠牲が大きすぎるのではないか、と市民は考え始めたのだ、ウィンザー夫人」
 レベロは彼女の公式論をたしなめるように言ったが、効果はなかった。
「どれほど犠牲が多くとも、たとえ全市民が死にいたっても、なすべきことがあります」
「そ、それは政治の論理ではない」
 思わず声を高めたレベロをさりげなく無視して、ウィンザー夫人は列席者に向かい、よく通る声で意見を述べはじめた。
「わたしたちには崇高な義務があります。銀河帝国を打倒し、その圧政と脅威から全人類を救う義務が。安っぽいヒューマニズムに陶酔して、その大義を忘れはてるのが、はたして大道を歩む態度と言えるでしょうか」
 彼女は四〇代前半の、優雅で知的な美しさを持つ魅力的な女性で、その声には音楽的な響きがあった。それだけに、レベロが感じた危険は一段と大きかった。彼女こそ、安っぽいヒロイズムに足首をつかまれているのではないか。
 レベロがふたたび反論しようとしたとき、それまで沈黙していた議長サンフォードが初めて発言した。
「ええと、ここに資料がある。みんな端末機の画面を見てくれんか」
 全員がいささか驚いて、とかく影の薄いと言われる議長に視線を集中させ、ついで言われた通り端末機に目をやった。
「こいつはわが評議会に対する一般市民の支持率だ。けっして良くはないな」
 三一・九パーセントいう数値は、列席者の予想と大きく違ってはいなかった。ウィンザー夫人の前任者が、不名誉な贈収賄事件で失脚してから何日もたってはいなかったし、レベロやホワンの指摘通り、社会経済上の停滞ははなはだしいものがあった。
「一方、こちらが不支持率だ」
 五六・二パーセントいう数値に、吐息が洩れた。予想外のことではないが、やはり落胆せずにはいられない。
 議長は一同の反応を見ながら続けた。
「このままでは来年早々の選挙に勝つことはおぼつかん。和平派と最強硬派に挟撃されて、過半数を割ることは目に見えとる。ところがだ……」
 議長は声を低めた。意識してか否かは判断しがたいところだったが、聞く者の注意をひときわひく効果は大きかった。
「コンピューターに計測させたところ、ここ一〇〇日以内に帝国に対して画期的な軍事上の勝利を収めれば、支持率は最低でも一五パーセント上昇することが、ほぼ確実なのだ」
 軽いざわめきが生じた。
「軍部からの提案を投票にかけましょう」
 ウィンザー夫人が言うと、数秒の間をおいて数人から賛同の声があがった。全員が、権力の維持と選挙の敗北による下野とを秤《はかり》にかける、その間だけ沈黙があったのだった。
「待ってくれ」
 レベロは、座席から半ば立ち上がった。太陽灯の下にいるにもかかわらず、その頬は老人じみて色あせていた。
「吾々にはそんな権利はない。政権の維持を目的として無益な出兵を行なうなど、そんな権利を吾々は与えられてはいない……」
 声が震え、うわずった。
「まあ、きれいごとをおっしゃること」
 ウィンザー夫人の冷笑は華やかにすら響いた。レベロは言葉を失い、為政者《い せいしゃ》自身の手で民主政治の精神が汚されようとする情景を呆然と見守った。
 そのレベロの苦悩に満ちた姿を、離れた席からホワンが見ている。
「頼むから短気を起こしなさんなよ」
 彼は呟き、投票用のボタンに丸っこい指を伸ばした。
 賛成六、反対三、棄権二。有効投票数の三分の二以上が賛成票によって占められ、ここに帝国領内への侵攻が決定された。
 だが票決の結果が評議員たちを驚愕させた。出兵が決定されたことがではなく、三票の反対票のうち一票が、国防委員長トリューニヒトによって投ぜられたからである。
 他の二票は財政委員長レベロと人的資源委員長ホワンで、これは予想されていたことだった。しかし、トリューニヒトは自他ともに認める強硬主戦派ではなかったか。
「私は愛国者だ。だがこれはつねに主戦論に立つことを意味するものではない。私がこの出兵に反対であったことを銘記しておいていただこう」
 疑問の声に対する、それが彼の返答だった。

 同じ日、統合作戦本部は、ヤン・ウェンリー少将の提出した退職願いを正式に却下し、逆に彼に対して中将の辞令を発した。

     [

「辞めたいというのかね?」
 ヤンが辞表を提出したときのシトレ元帥の反応は、それほど創造的なものではなかった。しかし、片手で辞表を受け取りながら片手で退職金と年金のカードを手渡してくれる曲芸を期待していたわけでもなかったので、ヤンはなるべく愛想よくうなずいてみせた。
「しかし君はまだ三〇歳だろう」
「二九歳です」
 二〇という数字を、ヤンは強調した。
「とにかく医学上の平均寿命の三分の一もきてないわけだ。人生を降りるには早過ぎると思わないかね」
「本部長閣下、それは違います」
 若い提督は異議を唱えた。人生を降りるのではなく、人生の本道に回帰するのだ。いままでが不本意な迂回を余儀なくされていたのである。彼はもともと歴史の創造者であるよりは観察者でありたかったのだから。
 シトレ元帥は両手の指を組み、その上に頑丈そうなあごを載《の》せた。
「わが軍が必要としているのは君の歴史研究家としての学識ではなく、用兵家としての器量と才幹なのだ。それもひとかたならぬ、だ」
 すでに一度、あなたのおだてには乗ってやったではないか――ヤンは心のなかで反論した。軍との貸借関係は、どうみても彼の貸出超過となっているはずであり、
「イゼルローンを陥落《おと》した一事だけでも、おつりが来るはずだ」
 とヤンは思うのだ。しかしシトレ本部長の攻撃は単調ではなかった。
「第一三艦隊をどうする?」
 さりげないが効果的な言葉に、ヤンは軽く口を開けてしまった。
「創設されたばかりの、君の[#「君の」に傍点]艦隊だ。君が辞めたら、彼らはどうなる?」
「それは……」
 それを忘れていたのは、うかつとしか言いようがなかった。作戦の失敗を、彼は認めざるをえなかった。いったん絡みついたしがらみは、容易に解《と》けるものではない。
 結局、辞表を置いてヤンは本部長の前から退出したが、それが受理されないことは明白だった。彼は憮然として、重力エレベーターで階下に降りた。
 待合室のソファーで、行き交う制服姿の人々を所在なげに見やっていたユリアン・ミンツが、ヤンの姿を遠くに認めて、勢いよく起立した。学校の帰途、本部に寄るよう、ヤンが言っておいたのだ。たまには外で食事をするのもいいじゃないか、話しておきたいこともあるし――ヤンはそれだけしか言わなかった。驚かせてやるつもりだった。実はな、軍を辞めたよ、これから気楽に年金生活さ。
 予定は確定ならず、甘い夢は現実の苦い息のひと吹きで消えてしまった。さて、何と言おうか――無意識に歩みをゆるめながらヤンが思案していると、横合から声がかけられた。
 ワルター・フォン・シェーンコップ大佐が、敬礼している。彼は今回の功績で准将に昇進することが決定していた。
「これは、閣下、もしかして辞表を提出に見えたのですか」
「そうなんだ。しかし、却下されるのは確実だろうね」
「でしょうな……軍部が閣下を手離すはずがありませんよ」
 旧帝国人の大佐は愉快そうにヤンを見つめた。
「まじめな話、私は提督のような人には軍に残っていただきだいですな。あなたは状況判断が的確だし、運もいい。あなたの下にいれば武勲が立たないまでも、生き残れる可能性が高そうだ」
 シェーンコップは本人を前にして平然と上官の品定めをやってのけた。
「私は自分の人生の終幕を老衰死ということに決めているのです。一五〇年ほど生きて、よぼよぼになり、孫や曾孫《ひ まご》どもが、やっかい払いできると嬉し泣きするのを聴きながら、くたばるつもりでして……壮烈な戦死など趣味ではありませんでね。ぜひ私をそれまで生き延びさせて下さい」
 言うだけ言うと、大佐はふたたび敬礼した。毒気を抜かれた態で答礼するヤンに笑顔を向ける。
「時間をとらせて相すみません。そら、坊やがお待ちかねですよ」
 キャゼルヌにしろシェーンコップにしろ、すくなからず皮肉の棘《とげ》を所有する人物なのだが、彼らを単純に好意的にさせてしまう何かが、ユリアン少年にはあるのかもしれなかった。
 自分と肩を並べて歩くユリアンをときおり見やりながら、ヤンは内心、多少の困惑を覚えないでもない。奇妙なものだ。まだ結婚してもいないのに父親めいた感情を味わうというのは……。

 三月兎亭《マーチ・ラビット》は店名から想像されるよりはずっと落着いた雰囲気の料理店で、調度はすべて旧様式に統一され、手編みのクロスがかかったテーブルにはキャンドルまで置いてあるのが、ヤンには嬉しい。しかし予約の労を――労と言えるほどのものではない、一通話の|TV電話《ヴ ィ ジ ホ ン》ですむことだ――怠ったむくいでその夜は小さな幸運の妖精と親しくはなれなかった。
「申し訳ございません、満席でして」
 威厳と体格と美髯《び ぜん》に恵まれた老ウェイターが重々しく告げた。チップほしさの嘘でないことは、広くもない店内を一望すればすぐに諒解できる。薄暗い照明の下で、すべてのテーブルのキャンドルが火影をリズミカルに揺らめかせていた。客のいないテーブルではキャンドルはともされないのだ。
「仕方ないな、よそをあたるか……」
 ヤンが頭をかいたとき、壁ぎわのテーブルから優美なほど洗練された動作で立ち上がった人物がいる。女性だった。真珠色のドレスがキャンドルの火影に映えて夢幻的な効果を視覚に訴えてきた。
「提督……」
 声をかけられて、ヤンは、思わずその場に立ちすくんだ。彼の副官、フレデリカ・グリーンヒル中尉は軽い微笑で応えた。
「わたしでも私服は持っておりますわ……父が、よろしければこちらのテーブルヘ、と申しております」
 いつの間にか、彼女の後ろに父親が立っていた。
「やあ、ヤン中将[#「中将」に傍点]」
 統合作戦本部次長ドワイト・グリーンヒル大将は気さくな口調でそう呼びかけてきた。内心、上官と同席するなど煙たいが、こうなると申し込みを受けないわけにはいかない。
「少将です、閣下」
 敬礼しながら、ヤンは訂正したが、相手は意に介しなかった。
「遅くとも来週には君は中将だ。新しい呼称にいまから慣れておいてもいいのではないかな」
「すごいな,お話ってそのことだったんですか」
 ユリアンが目を輝かせた。
「それくらいなら僕も予想してましたけど、でも、やっぱりすてきですね」
「は、は、は……」
 複雑きわまる心情を、単純な笑い声でまぎらわせると、ヤンは気をとり直して自分の被保護者をグリーンヒル父娘に紹介した。
「なるほど、君が優等生のユリアンか……フライング・ボールのジュニア級で年間得点王の金メダルを獲得したそうだね、文武両道で結構だ」
 フライング・ボールとは、重力を○・五Gに制御したドームの内部で行なわれる球技である。壁面に沿って不規則に高速移動するバスケットにボールを放りこむだけの単純な競技だが、空中でボールを奪いあったり、ゆるやかに回転しつつボールを操る姿には、舞踊でも見るような趣があり、選手の個性によって優美にもダイナミックにも表現できるスポーツとして人気があるのだった。
「そうなのか、ユリアン」
 無責任な保護者は驚いて少年を見やり、少年はかすかに頬を上気させてうなずいた。
「ご存じなかったのは提督ぐらいのものでしょうね。ユリアン坊やはこの都市《まち》ではちょっとした有名人ですのに」
 フレデリカが軽い口調で皮肉り、ヤンを赤面させた。
 料理の注文。三杯の七六〇年産赤ワインと一杯のジンジャーエールでの祝杯――ユリアン・ミンツの得点王獲得を祝って――そして料理が運ばれてきた。
 いくつめかの皿がテーブル上に載ったとき、グリーンヒル大将が、思いもかけない話題を持ち出してきた。
「ところで、ヤン、君はまだ結婚する予定はないのかね」
 ヤンとフレデリカのナイフが皿の上で同時にがしゃんと音をたて、伝統的陶器愛好家の老ウェイターは思わず眉をそびやかした、
「そうですね、平和になったら考えます」
 フレデリカは何も言わず、下を向いたきりナイフとフォークを使っている。その手つきが、いささか乱暴だった。ユリアンは興味深げに保護者を見ている。
「婚約者を遺《のこ》して逝《い》ってしまった友人もおりますしね。それを考えると、とても、現在は……」
 アスターテで戦死したラップ少佐のことである。グリーンヒル大将はうなずいてから、また話題を転換した。
「ジェシカ・エドワーズを知ってるな? 彼女は先週の補欠選挙で代議員になったよ。テルヌーゼン惑星区選出のな」
 多彩多様な奇襲攻撃が、シトレ元帥同様、どうやらグリーンヒル大将の得意とするところであるらしかった。
「ほう、さぞ反戦派の支持があったでしょうね」
「そう。主戦派からの攻撃も当然あったが……」
「たとえば、あの憂国騎士団とか?」
「憂国騎士団かね? あれは、君、単なるピエロだ。そもそも論評に値するものではない。そうだろう……ふむ、このゼリー・サラダは逸品だな」
「同感です」
 とヤンが言ったのは、ゼリー・サラダに関してである。
 あの不愉快な憂国騎士団がピエロであることは認めるが、誇張され戯画化されたその行動が、巧みに計算された演出の結果でないとは断言できないだろう。かのルドルフ・フォン・ゴールデンバウムを早くから熱狂的に支持した若い世代は、銀河連邦《U S G》の有識者たちから苦笑と憫笑をもって迎えられたのではなかったか。
 客席からは見えない厚いカーテンの蔭で、誰かが会心の微笑を浮かべているかもしれないのだ。

     \

 帰途、コンピューターに管制された無人タクシーの座席で、ヤンはジェシカ・エドワーズのことを考えていた。
「わたしは権力を持った人たちに、つねに問いかけてゆきたいのです、あなたたちは何処にいるのか、兵士たちを死地に送りこんで、あなたたちは何処で何をしているのか、と……」
 それがジェシカの演説のクライマックスだったという。アスターテにおける敗北の後に開かれた慰霊祭での光景を、ヤンは思い出さずにいられない。能弁を自任する国防委員長トリューニヒトも、彼女の告発に対抗することはできなかったのだ。それだけに、彼女の一身には主戦派の憎悪と敵意が集中することになるだろう。彼女が選択した道は、イゼルローン回廊以上の難路になるに違いない……。
 無人タクシーが急停止した。本来、これはあり得べからざることだった。慣性が人体に不要な影響をおよぼすような運動を、自動車はしないものだ――管制システムが作動しているかぎりは、である。何か異変が生じたのだ。
 手でドアを開けて、ヤンは路上に降り立った。巨体を大儀そうに揺すりながら、青い制服の警官が駆けて来る。彼はヤンの顔を知っており、国民的英雄に対面できた感激をひとくさり述べてから、事態を説明した。
 都市交通制御センターの管制コンピューターに異常が発生したのだ、という。
「異常というと?」
「詳しいことは知りませんがね、情報を入力《インプット》するときの単純な人為的ミスらしいです。ま、最近はどの職場でもベテランが不足してますからね、こんなことは珍しくありませんよ」
 警官は笑ったが、ユリアン少年に非友好的な視線で直視され、無理やりしかつめらしい表情を作った。
「ああ、えへん、笑っている場合ではありませんな。そんなわけで、この地区では今後四時間ほどあらゆる交通システムが停止します。走路も磁気反発路《リニア・ウェイ》も全面的に動きません」
「全面的に?」
「さよう、全面的にです」
 何やら自慢げな態度ですらあった。ヤンはおかしくなったが、じつは笑いごとではない。この事故と警官の発言とから算出される事実には、心を寒くする示唆がある。社会を管理運営するシステムがいちじるしく衰弱しているのだ。戦争の悪影響が、悪魔の足音よりも忍びやかに、だが確実に社会を侵触しつつある。
 傍でユリアンが彼を見上げた。
「提督、どうなさいますか」
「仕方ない、歩こう」
 あっさりヤンは断を下した。
「たまにはいいさ、一時間も歩けば着くだろう。いい運動になる」
「そうですね」
 この結論に警官は目をむいた。
「とんでもない! イゼルローンの英雄を二本の脚で歩かせるなんて。こちらで地上車《ランド・カー》なり浮揚車《エア・カー》なり用意しますよ。お使い下さい」
「私だけそんなことをしてもらっては困る」
「どうぞご遠慮なく」
「いや、遠慮しておこう」
 表情と声に不快さを表わさないよう、多少の努力が必要だった。
「行くぞ、ユリアン」
「アイアイサー」
 元気よく応じた少年が、軽快にスキップを踏みかけて急に立ち停まった。ヤンが不審そうに振り向く。
「何だ、ユリアン、歩くのが嫌なのか」
 尾を曳いている不快感のため、かすかに声が尖《とが》ったかもしれない。
「いいえ、そんなこと」
「じゃ、なぜついて来ない?」
「そっち、反対方向ですよ」
「…………」
 ヤンはきびすを返した。宇宙艦隊の指揮官は艦隊の進行方向さえ誤らねばよいのだ、などという負け惜しみは言わないことにした。実際、ときどき自信が失くなるのである。副司令官フィッシャーの正確きわまる艦隊運用を、ヤンが高く評価するゆえんだ。
 動かなくなった磁力反発車《リニア・カー》の延々たる列が路上に長い壁を築き、なすすべを失った人々がうろうろ歩き回っている。その間隙を、ふたりは悠然と通過して行った。
「提督、星がとても綺麗ですよ」
 星空に視線を送りながらユリアンが言う。無数の星が光を錯綜させ、この惑星に空気の存在する証明として、間断なくまたたき続けていた。
 ヤンは完全に虚心ではいられなかった。
 人は誰でも夜空に手を伸ばし、自分に与えられた星をつかもうとする。だが、自分の星がどこに位置するかを正確に知る者はまれだ。自分は――ヤン・ウェンリー自身はどうなのだろう、明確に自分の星を見定めているか。状況に流され、見失ってしまっているのではないのか。あるいは誤認してはいないか。
「ねえ、提督」
 ユリアンが弾んだ声を出した。
「何だい」
「いま、提督と、僕と、同じ星を見てましたよ。ほら、あの大きくて青い星……」
「うん、あの星は……」
「何ていう星です?」
「何とか言ったな、たしか」
 記憶の糸をたぐり出せば解答は発見できるはずだったが、あえてそうする気にはヤンはなれなかった。彼の傍にいるこの少年が、彼と同じ星を見上げる必要はいささかもない、とヤンは思う。
 人は自分だけの星をつかむべきなのだ。たとえどのような兇星であっても……。
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   第七章 幕間狂言


     T

 フェザーン自治領《ラント》内において銀河帝国の利益を代表する者は、帝国高等弁務官である。レムシャイド伯ヨッフェンがその人物だった。
 白っぽい頭髪と透明にちかい瞳を持つ、この貴族は、ルビンスキーが自治領主《ランデスヘル》に就任すると同時に帝国首都《オ ー デ ィ ン》から派遣されてきたのだが、「白狐《しろぎつね》」と蔭では呼ばれている。ルビンスキーの「黒狐」に対応する呼称であることは言うまでもない。
 その夜、彼がルビンスキーから非公式の招待を受けた先は、自治領主のオフィスでも官邸でもなく、私邸ですらなかった。四半世紀前まで塩気の多い山間の小盆地だった場所が、今日では人造湖になっている。その畔に、法的にはルビンスキーと無関係な山荘が建っていた。その所有者はルビンスキーの数多い情人《ミストレス》のひとりだった。
「自治領主《ランデスヘル》閣下には幾人、情人《ミストレス》をお持ちか」
 かつてそう問われたとき、ルビンスキーは即答せずまじめな表情で考えていたが、やがて図太いほど陽気な笑顔を作って答えた。
「ダース単位でないと数えられんな」
 誇張はあるにしても、まるっきりのほら[#「ほら」に傍点]というわけではなかった。彼の心身の精力は、その外見から受ける印象を、ごくわずかも裏切るものではなかったのである。
 ルビンスキーは人生を大いにたのしむ主義だった。芳醇な酒、舌を溶かす料理、心の琴線を震わせる名曲、たおやかな美女、いずれも彼の愛好するところだ。
 もっともそれらは二次的な娯楽にすぎない。最高の遊びは別にある。政略と戦略のゲームは、国家や人間の運命を無形のチップとして行なわれるが、そのもたらす興奮は酒や女の比ではない。
 権謀術数も洗練されれば芸術たりえる、と、ルビンスキーは考える。武力をもって恫喝《どうかつ》するなど下の下と言うべきだ。その点、看板の文字は異なっていても、帝国と同盟との間にそれほど差はない。ルドルフという怪物が生んだ、憎悪し合う双生児というところだ、とルビンスキーは意地悪く考えている。
「で、自治領主《ランデスヘル》閣下、今夜わざわざお招きいただいたのは、何かお話があってのことでしょうな」
 酒杯を大理石の卓上に置いて、レムシャイド伯が問うた。警戒の表情を楽しげに見返しながら、ルビンスキーが応える。
「さよう。多分、興味ある話かと思いますな……自由惑星同盟が、帝国に対する全面的な軍事攻勢をたくらんでいます」
 その返答の意味を帝国貴族が呑みこむのに数秒間を必要とした。
「同盟が?」
 呟いてから、伯は気づいて言い直した。
「叛徒どもが、わが帝国に不逞《ふ てい》な行為をたくらんでいると閣下はおっしゃるのですか」
「帝国の誇るイゼルローン要塞を陥落させ、同盟は好戦的気分を沸騰《ふっとう》させたようですな」
 伯は軽く目を細めた。
「イゼルローン占拠によって、叛徒どもは帝国領内に橋頭堡を有するにいたった。それは事実です。だが、それがすぐ全面的な侵攻に結びつくとはかぎらんでしょう」
「ですが、同盟軍はあきらかに大規模な攻撃計画の準備をしていますぞ」
「大規模とは?」
「二〇〇〇万以上の兵力です。いや、三〇〇〇万を超えるかもしれませんな」
「三〇〇〇万」
 帝国貴族の無色にちかい瞳が照明を浴びて白く光った。
 帝国軍といえども、一時にそれだけの大軍を動員させたことはない。ことは単に物量だけの問題ではなく、組織・管理・運用の能力にかかわってくる。それだけの能力が同盟にあるのか。いずれにしても重要な情報には違いないが……。
「しかし、自治領主《ランデスヘル》閣下、なぜそのような情報を教えて下さるのです。奈辺《な へん》に目的がおありですか」
「高等弁務官閣下のおっしゃりようは、いささか心外ですな。わがフェザーンが帝国の不利益になるようなことを一度でもしたことがありますか?」
「いや、記憶にありませんな。もちろん、わが帝国はフェザーンの忠誠と信義に完全な信頼を寄せております」
 双方とも、そらぞらしさを承知の上での会話だった。
 やがてレムシャイド伯は帰って行った。彼の乗った地上車《ランド・カー》があわただしく走り去るのを、モニターTVの画面で眺めながら、ルビンスキーは人の悪い笑みをもらした。
 高等弁務官は自分のオフィスに駆けこみ、帝国本星《オ ー デ ィ ン》に急報することであろう。無視できる情報ではない。
 イゼルローンを失った帝国軍は血相を変えて迎撃に乗り出すだろう。どうせ出て来るのはローエングラム伯ラインハルトであろうが、今度は勝ちすぎないていどに帝国軍に勝ってもらいたいものだ。
 でなくては、じつのところ困るのである。
 イゼルローンをヤンが半個艦隊で攻撃するらしいとの情報をえたとき、ルビンスキーはそれを帝国に知らせなかった。まさか成功するまい、とも思ったし、ヤンの智略を見てみたい気分もあった。
 結果は、ルビンスキーをすら驚かせるものだった。あんな策があろうとは、と感心した。
 しかし、感心ばかりしてもいられない。同盟の側に傾斜した軍事力のバランスを、帝国の側に少しもどさねばならない。
 彼らにはもっともっと戦い傷つけあってもらわねばならないのだ。

     U

 銀河帝国宰相代理で国務尚書をかねるリヒテンラーデ侯爵は、一夜、居館に財務尚書ゲルラッハ子爵の訪問を受けた。
 カストロプ動乱の事後処理が一段落したことを報告するのが、財務尚書の訪問の目的だった。目下《め した》の者が在宅のままTV通信を送る、という習慣は帝国にはない。
「カストロプ公の領地財産の処理がいちおう終わりました。金銭に換算しますと、ざっと五〇〇〇億帝国マルクということになります」
「貯めこんでいたものだな」
「まったくです。もっとも、国庫に収めるため、せっせと貯えていたかと思えばいささか哀れですが……」
 出された赤ワインの芳醇な香りを充分楽しんでから、財務尚書は口をつけた。国務尚書がグラスを置き、表情を改めた。
「ところで卿とちと相談したいことがある」
「どんなことでしょう」
「先刻、フェザーンのレムシャイド伯から緊急連絡があった。叛乱軍が、わが帝国の領土内に大挙侵入して来るそうだ」
「叛乱軍が!」
 国務尚書はうなずいてみせた。財務尚書が、テーブルにグラスを置くと、半分ほど残ったワインが大きく揺れた。
「一大事ですな、そいつは」
「そうだ。だが好機と言えんこともない」
 国務尚書は腕を組んだ。
「吾々は戦って勝つ必要があるのだ。内務尚書からの報告によれば、平民どものなかでまたぞろ革命的気分とやらが醸成《じょうせい》されつつあるという。イゼルローンを失ったことを、奴らはうすうすと感づいておるらしい。それを吹き飛ばすには、叛徒どもを撃破して帝室の威信を回復させねばならん。それにともなって、多少はアメもしゃぶらせてやらねばなるまい。思想犯に対する特赦とか、税を軽くするとか,酒の価格を引き下げるとかな」
「あまり甘やかすと、平民どもはつけ上がりますぞ、急進派とやらの地下文書を見たことがありますが、人間は義務より先に権利を有している、などととんでもないことが書いてある。特赦などおこなうと、奴らを増長させるだけではありませんか」
「とはいっても、締めつけるだけで統治はできぬ」
 たしなめるように国務尚書は言う。
「それはそうですが、必要以上に民衆に迎合《げいごう》するのは……いや、そのことはまた別の機会にいたしましょう。叛乱軍がわが帝国を侵そうとするという情報の出処は、例のルビンスキーですか?」
 国務尚書はうなずいた。
「フェザーンの黒狐!」
 財務尚書は音高く舌打した。
「叛徒どもより、フェザーンの守銭奴どものほうが、わが帝国にとってはよほど危険なのではないか、とそういう気がこのごろ私にはしますな。何をたくらんでいるのやら得体が知れない」
「同感だ。だが、さしあたり吾々は叛徒どもの脅威に対処せねばならん。誰をもって防衛の任にあてるか……」
「金髪の孺子《こ ぞ う》がやりたがるでしょう。奴にやらせればいいではありませんか」
「感情的にならんほうがいいぞ。あの孺子《こ ぞ う》にやらせたとしてだ、もし奴が成功すれば一段と声望が上がり、吾々としては奴に対抗する余地がなくなるかもしれぬ。一方、もし失敗したとしたら、吾々はきわめて不利な戦況のもとで、叛乱軍と戦うことになる。おそらく帝国の中枢部で、勝利に意気あがる三〇〇〇万の大軍とな」
「閣下は悲観的にすぎます」
 財務尚書は言い、身を乗り出すようにして説明を始めた。
 ローエングラム伯の軍と戦ったからには、勝ったとしても叛乱軍も無傷ではすまないであろう。伯はたしかに無能ではなく、叛乱軍にすくなからぬ損害を与えることは確実である。しかも叛乱軍は本拠地を遙か離れて遠征し、補給も意のままにはなるまい。くわえて、地の利もえてはいないのだ。
 戦い疲れた敵を、吾々は余裕たっぷりで迎撃できる。いや、そういう状況であれば、あえて戦う必要すらなく、持久戦に持ちこむだけで、敵は物資の不足と心理的不安に苦しみ、ついには撤退せざるをえないだろう。そこを狙って追い撃てば、勝利は困難ではない――それが財務尚書の論じるところだった。
「なるほど。孺子《こ ぞ う》が敗れたときはそれでいい。だが勝ったらどうする? 現在でさえ奴は吾々の手におえない。皇帝陛下の恩顧と武勲を笠に着てな。一段と増長することは目に見えているぞ」
「増長させておくがいいでしょう、たかが成上り者ひとり、いつでも料理できます。四六時中、軍隊とともに行動しているわけでもなし」
「ふむ……」
「叛乱軍が死滅したとき、あの金髪の孺子《こ ぞ う》も倒れる。吾々に必要なうちは、奴の才能を役立てようではありませんか」
 冷然と、財務尚書は言い放った。

     V

 宇宙暦七九六年標準暦八月一二日。自由惑星同盟の首都ハイネセンにおいて、銀河帝国侵攻のための作戦会議が開かれた。
 統合作戦本部地下の会議室に集まったのは、本部長シトレ元帥以下三六名の将官で、そのなかには中将に昇進したばかりの第一三艦隊司令官ヤン・ウェンリーもいる。
 ヤンの顔色はさえなかった。かつてシェーンコップ大佐に言ったように、イゼルローンを陥落させれば戦争の危機は遠のくと彼は考えていたのだ。事実はまったく逆で、ヤンとしては自分の若さ、あるいは甘さを思い知らされた形だった。
 ――にしても、ヤンが、この時期の出兵論、戦争拡大論に対して論理的正当性を認める気になれなかったのは当然だった。
 イゼルローンの勝利は単にヤンの個人プレイが成功したにすぎず、それにふさわしい実力を同盟軍がそなえていたわけではない。軍隊は疲れはて、それを支える国力も下降線をたどっているのが実状だ。
 ところが、ヤン自身が承知しているその事実を、政・軍の首脳部はどうやらわきまえていないようなのである。
 軍事的勝利は麻薬に似ている。イゼルローン占領という甘美な麻薬は、人々の心に潜む好戦的幻覚を一挙に花開かせてしまったようであった。冷静であるべき言論機関までが、異口同音に「帝国領土内への侵攻」を呼号している。政府の情報操作も巧みなのではあろうが……。
 イゼルローン攻略の代償が少なすぎたのだろうか、とヤンは思う。これが数万にのぼる流血の結果であれば、人々は、「もうたくさんだ」と言ったであろう。吾々は勝った、だが疲れはてた、ひと休みして遇去を振り返り、未来に想いをはせてみようではないか、戦いに値する何物が存在するのか――と。
 しかし、そうはならなかった。勝利とはかくも容易なのだ、勝利の果実とはかくのごとく美味なものだ、と人々は考えてしまった。皮肉なことに、彼らをそう思わせたのはヤンその人なのだ。若い提督にとっては不本意きわまる事態であり、このところ酒量が増えるいっぽうだった。
 遠征軍の陣容は、公式発表こそまだなされていないが、すでに決定している。
 総司令官には、同盟軍宇宙艦隊司令長官ラザール・ロボス元帥自身が就任する。彼はシトレ統合作戦本部長につぐ、制服軍人のナンバー2で、シトレとは四半世紀以上にわたる競争関係にある。
 副司令官は置かれず、総参謀長の座を占めるのはドワイト・グリーンヒル大将、フレデリカの父親である。彼の下に、作戦主任参謀コーネフ中将、情報主任参謀ビロライネン少将、後方主任参謀にキャゼルヌ少将が配置される。事務処理の才腕を評価されたアレックス・キャゼルヌは久々の前線勤務だった。
 作戦主任参謀の下に、作戦参謀五名が置かれる。そのなかのひとり、アンドリュー・フォーク准将は六年前に士官学校を首席で卒業した秀才で、今回の遠征計画をそもそも立案したのがこの青年士官だった。
 情報参謀と後方参謀はそれぞれ三名。
 以上の一六名に高級副官や通信・警備その他の要員が加わって総司令部を構成する。
 実戦部隊としては、まず八個宇宙艦隊が動員されることになっていた。
 第三艦隊、司令官ルフェーブル中将。
 第五艦隊、司令官ビュコック中将。
 第七艦隊、司令官ホーウッド中将。
 第八艦隊、司令官アップルトン中将。
 第九艦隊、司令官アル・サレム中将。
 第一○艦隊、司令官ウランフ中将。
 第一二艦隊、司令官ボロディン中将。
 第一三艦隊、司令官ヤン中将。
 アスターテ会戦で打撃を受けた第四・第六に加え、今回新たに第二艦隊の残存戦力もヤンの第一三艦隊に再編されたから、同盟軍宇宙艦隊を編成する一〇個艦隊のうち本国に残るのは第一、第一一の両艦隊のみである。
 これに陸戦部隊と総称される装甲機動歩兵、大気圏内空中戦隊、水陸両用戦隊、水上部隊、レインジャー部隊、その他各種の独立部隊が加わる。さらに国内治安部隊のなかから重武装要員が参加することになっていた。
 非戦闘要員としては、技術、工兵、補給、通信、管制、整備、電子情報、医療、生活などの各分野で最大限の人的動貝がなされる。
 総動員数三〇二二万七四〇〇名。これは自由惑星同盟全軍の六割が一時に動員されることを意味した。そしてそれは同盟の総人口一三〇億の○・二三パーセントでもある。
 歴戦の提督たちも、前例のない巨大な作戦計画を前にして無心ではいられず、出てもいない額の汗を拭ったり、用意された冷水を立て続けにあおったり、隣席の同僚と私語したりする姿が目立つ。
 午前九時四五分、統合作戦本部長シトレ元帥が首席副官マリネスク少将をともなって入室すると、すぐに会議は開始された。
「今回の帝国領への遠征計画はすでに最高評議会によって決定されたことだが……」
 口を開いたシトレ元帥の表情にも声にも高揚感はない。彼が今回の出兵に反対であることを列席の諸将は知っていた。
「遠征軍の具体的な行動計画案はまだ樹立されていない。本日の会議はそれを決定するためのものだ。同盟軍が自由の国の、自由の軍隊であることは、いまさら言うまでもない。その精神にもとづいて活発な提案と討論をおこなってくれるよう希望する」
 積極性を欠く発言に本部長の苦悩を見てとった者もいたかもしれず、教育者じみだ語調に軽い反発を感じた者もいたかもしれない。本部長が口を閉じると、しばらく、声がなかった。それぞれの思いに浸っているようだ。
 ヤンは前日、キャゼルヌから聞いたことを脳裏で反芻《はんすう》
「何しろ三ヶ月後に統一選挙がある。ここしばらく、対内的に不祥事が続いたからな。勝つためには外界に市民の注意をそらす必要がある。それで今度の遠征さ」
 統治者が失政をごまかすための常套《じょうとう》手段だ、とヤンは思う。国父ハイネセンが知ったら、さぞ嘆くことだろう。彼の希望は、高さ五〇メートルの白亜の像を建ててもらうことなどではなく、権力者の恣意《しい》によって市民の権利と自由が侵されるような危険のない社会体制が築き上げられることにあったはずだ。
 人間が老いを約束されているように、国家は堕落と退廃を約束されているのかもしれない。だが、それにしても、選挙に勝って今後四年間の政権を維持するため、三〇〇〇万人の将兵を戦場へ送りこむという発想は、ヤンの理解を超える。三〇〇〇万の人間、三〇〇〇万の人生、三〇〇〇万の運命、三〇〇〇万の可能性、三〇〇〇万の喜怒哀楽――それらを死地へ送りこみ、犠牲の列にくわえることによって、安全な場所にいる連中は利益を独占するのだ。
 戦争をする者とさせる者との、この不合理きわまる相関関係は、文明発生以来、時代を経てもいささかも改善されていない。むしろ古代の覇王のほうが、陣頭に立って自らの身を危険にさらしただけまし[#「まし」に傍点]かもしれず、戦争をさせる者の倫理性は下落する一方とも言えるのである……。
「今回の遠征は、わが同盟|開闢《かいびゃく》以来の壮挙であると信じます。幕僚としてそれに参加させていただけるとは、武人の名誉、これにすぎたるはありません」
 それが最初の発言だった。
 抑揚に乏しい、原稿を棒読みするような声の主は、アンドリュー・フォーク准将である。二六歳という若さだが、年齢より老《ふ》けて見え、ヤンのほうが年少のように思えた。血色の悪い顔は肉づきが薄すぎたが、眉目そのものは悪くない。ただ、対象をすくいあげるような上目《うわめ 》づかいと、ゆがんだような口元が、彼に対する印象をやや暗いものにしていた。もっとも、優等生という表現に無縁だったヤンなどが秀才を見ると、偏見のレンズがかかっているかもしれないのだが。
 フォークが延々と軍部の壮挙――つまるところ自分自身が立案した作戦――を美辞麗句で自賛した後、続いて発言したのは、第一〇艦隊司令官のウランフ中将だった。
 ウランフは古代地球世界の半ばを征服したと言われる騎馬民族の末裔で、筋骨たくましい壮年の男である。色は浅黒く、両眼は鋭く輝いている。同盟軍の諸提督のなかでも、勇将として市民の人気が高い。
「吾々は軍人である以上、赴《ゆ》けと命令があれば、どこへでも赴く。まして、暴虐なゴールデンバウム王朝の本拠地を突く、というのであれば、喜んで出征しよう。だが、いうまでもなく、雄図と無謀はイコールではない。周到な準備が欠かせないが、まず、この遠征の戦略上の目的が奈辺《な へん》にあるかをうかがいたいと思う」
 帝国領内に侵入し、敵と一戦を交えてそれで可《よし》とするのか。帝国領の一部を武力占拠するとしても一時的にか恒久的にか。もし恒久的であるなら占拠地を要塞化するのか否か。それとも帝国軍に壊滅的打撃を与え、皇帝に和平を誓わせるまでは帰還しないのか。そもそも作戦自体が短期的なものか長期的なものか……。
「迂遠《う えん》ながらお訊きしたいものだ」
 ウランフが着席すると、返答をうながすようにシトレとロボスの両元帥がひとしくフォーク准将に視線を向けた。
「大軍をもって帝国領土の奥深く進攻する。それだけで帝国人どもの心胆を寒からしめることができましょう」
 それがフォーク准将の回答だった。
「では戦わずして退くわけか」
「それは高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処することになろうかと思います」
 ウランフは眉をしかめて不満の意を表した。
「もうすこし具体的に言ってもらえんかな。あまりに抽象的すぎる」
「要するに、行き当たりばったりということではないのかな」
 皮肉のスパイスをきかせた声が、フォークの唇のゆがみを大きくした。第五艦隊司令官ビュコック中将が声の主だった。シトレ元帥、ロボス元帥、グリーンヒル大将らが数目《すうもく》をおく同盟軍の宿将である。士官学校の卒業生ではなく、兵士からの「叩き上げ」であるため、彼らより階級こそ下であっても、年齢と経験は上回る。用兵家として熟練の境地にあると評されていた。
 さすがに遠慮もあり、正規の発言ではないこともあって、フォークは丁重に無視する態度をとることにしたようだ。
「他に何か……」
 そうことさらに言った。
 ためらった末、ヤンは発言を求めた。
「帝国領内に侵攻する時機を、現時点に定めた理由をお訊きしたい」
 まさか選挙のためとは言うまい。どう答えるかと思っていると、
「戦いには機《き》というものがあります」
 ヤンに向かって、フォーク准将はとくとくと説明を始めた。
「それを逃がしては、結局、運命そのものに逆らうことになります。あのとき決行しておれば、と後日になって悔いても、時すでに遅しということになりましょう」
「つまり、現在こそが帝国に対して攻勢に出る機会だと貴官は言いたいのか」
 確認するのもばかばかしい気がしたが、ヤンはそう訊ねた。
「大[#「大」に傍点]攻勢です」
 フォークは訂正した。過剰な形容句が好きな男だな、とヤンは思った。
「イゼルローン失陥によって帝国軍は狼狽してなすところを知らないでしょう。まさにこの時機、同盟軍の空前の大艦隊が長蛇の列をなし、自由と正義の旗をかかげて進むところ、勝利以外の何物が前途にありましょうか」
 三次元ディスプレイを指《さ》しながら語るフォークの声に、自己陶酔の彩《いろど》りがある。
「しかし、その作戦では敵中に深入りしすぎる。隊列はあまりに長くなり、補給にも連絡にも不便をきたすだろう。しかも、敵はわが軍の細長い側面を突くことで、容易にわが軍を分断できる」
 反論するヤンの口調は熱を帯びたが、これは彼の本心とは必ずしも一致しない。戦略構想そのものがまともでないのに、実施レベルにおいて細かい配慮をすることに、どれほどの意味があるだろうか……とはいえ、言ってみずにはいられないのだ。
「なぜ、分断の危険をのみ強調するのです。わが艦隊の中央部へ割りこんだ敵は、前後から挟撃され、惨敗すること疑いありません。とるにたりぬ危険です」
 フォークの楽観論はヤンを疲労させた。勝手にしろ、と言いたいのをこらえて、ヤンはさらに反論した。
「帝国軍の指揮官は、おそらくあのローエングラム伯だ。彼の軍事的才能は想像を絶するものがある。それを考慮に入れて、いますこし慎重な計画を立案すべきではないのか」
 するとフォークより先に、グリーンヒル大将が答えた。
「中将、君がローエングラム伯を高く評価していることはわかる。だが彼はまだ若いし、失敗や誤謬《ごびゅう》を犯すこともあるだろう」
 グリーンヒル大将の言は、ヤンにとってそれほど意味のあるものとは思えなかった。
「それはそうです。しかし勝敗は結局、相対的なもので……彼が犯した以上の失敗を我々が犯せば、彼が勝って我々が敗れる道理です」
 大前提として、この構想自体がまちがっている、とヤンは言いたかった。
「いずれにしろ、それは予測でしかありません」
 フォークが決めつけた。
「敵を過大評価し、必要以上に恐れるのは、武人としてもっとも恥ずべきところ。まして、それが味方の士気を削ぎ、その決断と行動を鈍らせるとあっては、意図すると否とにかかわらず、結果として利敵行為に類するものとなりましょう。どうか注意されたい」
 会議用テーブルの表面が激しい音をたてた。ビュコック中将が掌《てのひら》を叩きつけたのである。
「フォーク准将、貴官のいまの発言は礼を失しているのではないか」
「どこがです?」
 老提督の鋭い眼光を射こまれながら、フォークは胸をそらせた。
「貴官の意見に賛同せず慎重論を唱えたからといって、利敵行為呼ばわりするのが節度ある発言と言えるか」
「わたくしは一般論を申し上げたまでです。一個人に対する誹謗《ひ ぼう》ととられては、はなはだ迷惑です」
 フォークの薄い頬肉がぴくぴく動いている。それがヤンにははっきりと見えた。彼は立腹する気にもなれないでいたのだ。
「……そもそも、この遠征は専制政治の暴圧に苦しむ銀河帝国二五〇億の民衆を解放し救済する崇高な大義を実現するためのものです。これに反対する者は結果として帝国に味方するものと言わざるをえません。小官の言うところは誤っておりましょうか」
 声が甲高くなるに比例して、座は鎮静していった。感動したのではなく、白けきったのであろう。
「たとえ敵に地の利あり、大兵力あり、あるいは想像を絶する新兵器があろうとも、それを理由として怯むわけにはいきません。吾々が解放軍、護民軍として大義にもとづいて行動すれば、帝国の民衆は歓呼して吾々を迎え、進んで協力するでしょう……」
 フォークの演説が続いている。
 想像を絶する新兵器、などというものはまず実在しない。互いに敵対する両陣営の一方で発明され実用化された兵器は、いま一方の陣営においてもすくなくとも理論的に実現している場合がほとんどである。戦車、潜水艦、核分裂兵器、ビーム兵器などいずれもそうであり、遅れをとった陣営の敗北感は「まさか」よりも「やはり」という形で表現されるのだ。人間の想像力は個体間では大きな格差があるが、集団としてトータルで見たとき、その差はいちじるしく縮小する。ことに新兵器の出現は技術力と経済力の集積の上に成立するもので、石器時代に飛行機が登場することはない。
 歴史的に見ても、新兵器によって勝敗が決したのは、スペイン人によるインカ侵略戦ていどのもので、それもインカ古来の伝説に便乗した詐術的な色彩が濃い。古代ギリシアの都市国家シラクサの住人アルキメデスは、さまざまな科学兵器を考案したものの、ローマ帝国の侵攻を防ぐことはできなかった。
 想像を絶する、という表現はむしろ用兵思想の転換に際して使われることが多い。そのなかで新兵器の発明または移入によってそれが触発される場合もたしかにある。火器の大量便用、航空戦力による海上支配、戦車と航空機のコンビネーションによる高速機動戦術など、いずれもそうだが、ハンニバルの包囲殲滅戦法、ナポレオンの各個撃破、毛沢東《マオ・ツァートン》のゲリラ戦略、ジンギスカンの騎兵集団戦法、孫子の心理情報戦略、エバミノンダスの重装歩兵斜線陣などは、新兵器とは無縁に案出・創造されたものだ。
 帝国軍の新兵器などというものをヤンは恐れない。
 恐れるのはローエングラム伯ラインハルトの軍事的天才と、同盟軍自身の錯誤――帝国の人民が現実の平和と生活安定より空想上の自由と平等を求めている、という考え――であった。それは期待であって予測ではない。そのような要素を計算に入れて作戦計画を立案してよいわけがなかった。
 この遠征は、構想された動機からして信じがたいほど無責任なものだが、運営も無責任なものになるのではないか、とヤンはいささか陰気に予想した。
 ……遠征軍の配置が決定されていった。先鋒はウランフ提督の第一○艦隊、第二陣がヤンの第一三艦隊である。
 遠征軍総司令部はイゼルローン要塞におかれ、作戦期間中、遠征軍総司令官がイゼルローン要塞司令官を兼任することになった。

     W

 ヤンにとっては何の成果もないまま会議が終了した。帰りかけたヤンは、統合作戦本部長シトレ元帥に呼びとめられて、後に残った。空費されたエネルギーの残滓《ざんし 》が音もなく宙を対流している。
「どうも、やはり辞めておくべきだったと言いたげだな」
 シトレの声は徒労感にむしばまれていた。
「私も甘かったよ、イゼルローンを手に入れれば、以後、戦火は遠のくと考えていたのだからな。ところが現実はこうだ」
 言うべき言葉を見失って、ヤンは沈黙していた。むろん、シトレ元帥は平和の到来によって自分の地位が安定し、発言力と影響力が強化されることをも計算したに違いないが、主戦派の無責任な冒険主義や政略的発想に比較すれば、その心情はずっと理解しやすかった。
「結局、私は自分自身の計算に足をすくわれたということかな。イゼルローンが陥落しなければ、主戦派もこれほど危険な賭けに出ることはなかったかもしれん。まあ私自身にとっては自業自得とも言えるが、君などにとってはいい迷惑だろうな」
「……お辞めになるのですか?」
「いまは辞められんよ。だが、この遠征が終わったら辞職せざるをえん。失敗しても成功してもな」
 遠征が失敗すれば、制服軍人の首座にあるシトレ元帥は当然、引責辞任を迫られるだろう。一方、成功すれば、遠征軍総司令官ロボス元帥の功績に酬《むく》いる新たな地位は、統合作戦本部長しかない。遠征に反対したという点も不利に働き、シトレ元帥は勇退という形式で、その地位を追われることになろう。どちらに転んでも、彼自身の未来はすでに特定されているのだ。シトレとしては、いさぎよく腹をすえる以外ないわけである。
「この際だから言ってしまうが、私は、今度の遠征が最小限の犠牲で失敗してくれるよう望んでいる」
「…………」
「惨敗すれば、むろん多くの血が無用に流れる。かといって、勝てばどうなるだろう。主戦派はつけあがり、理性によるものにせよ政略によるものにせよ、政府や市民のコントロールを受けつけなくなるのは明らかだ。そして暴走し、ついには谷底へ転落するだろう。勝ってはならないときに勝ったがため、究極的な敗北に追いこまれた国家は歴史上、無数にある。君なら知っているはずだがな」
「ええ……」
「君の辞表を却下した理由も、こうなればわかってもらえるだろう。今日の事態まで予想していたわけではないが、結果として軍部における君の存在は、いっそう重要さを増したことになる」
「…………」
「君は歴史にくわしいため、権力や武力を軽蔑しているところがある。無理もないが、しかし、どんな国家組織でもその双方から無縁ではいられない。とすれば、それは無能で腐敗した者より、そうでない者の手にゆだねられ、理性と良心にしたがって運用されるべきなのだ。私は軍人だ。あえて政治のことは言うまい。だが軍部内にかぎって言うと、フォーク准将、あの男はいかん」
 語勢の強きが、ヤンを驚かせた。
 シトレは、しばらく自分自身の感情をコントロールしているようだった。
「彼はこの作戦計画を私的なルートを通じて直接、最高評議会議長の秘書に持ちこんだ。権力維持の手段として説得したこと、動機が自分の出世欲にあったことも私にはわかっている。彼は軍人として最高の地位を狙っているが、現在のところ強力すぎるライバルがいて、この人物を上まわる功績をあげたいのだ。士官学校の首席卒業生として、凡才には負けられんという奇妙な意識もある」
「なるほど」
 何気なくヤンがあいづち[#「あいづち」に傍点]を打つと、初めての笑いをシトレ元帥は浮かべた。
「君はときどき、鈍感になるな。ライバルとは他の誰でもない、君のことだ」
「私が、ですか?」
「そう、君だ」
「しかし、本部長、私は……」
「この際、君が自分自身をどう評価しているかは関係ない。フォークの思案と、彼が目的のためにどういう手段をとったか、ということが問題なのだ。悪い意味で政治的にすぎると言わざるをえん。たとえそのことがなくとも……」
 元帥は嘆息した。
「……今日の会議で彼の人柄があるていどはわかっただろう。自分の才能を示すのに実績ではなく弁舌をもってし、しかも他者をおとしめて自分を偉く見せようとする。自分で思っているほどじつは才能などないのだが……。彼に彼以外の人間の運命をゆだねるのは危険すぎるのだ」
「さっき、私の存在が重要さを増したとおっしゃいましたが……」
 考えながらヤンは口を開いた。
「……それはフォーク准将に対抗しろ、ということですか」
「別にフォークだけを対象にすることはない。君が軍の最高地位につけば、おのずと彼のような存在を掣肘《せいちゅう》も淘汰《とうた 》もできる。私はそうなることを望んでいるのだ。君が迷惑なのを承知でな」
 沈黙が、重く濡れた衣のようにふたりにまとわりついた。それを振り払うのに、ヤンは実際に首を振らねばならなかった。
「本部長閣下はいつでも私に重すぎる課題をお与えになります。イゼルローン攻略のときもでしたが……」
「だが君は成功したではないかね」
「あのときは……しかし……」
 言いさしてヤンはふたたび沈黙しかけたが、
「私は権力や武力を軽蔑しているわけではないのです。いや、じつは怖いのです。権力や武力を手に入れたとき、ほとんどの人間が醜く変わるという例を、私はいくつも知っています。そして自分は変わらないという自信を持てないのです」
「君はほとんど[#「ほとんど」に傍点]と言った。その通りだ。全部の人間が変わるわけではない」
「とにかく私はこれでも君子のつもりですから、危きには近よりたくないのです。自分のできる範囲で何か仕事をやったら、後はのんびり気楽に暮らしたい――そう思うのは怠け根性なんでしょうか」
「そうだ、怠け根性だ」
 絶句したヤンを見すえて、シトレ元帥はおかしそうに笑った。
「私もこれでいろいろと苦労もしてきたのだ。自分だけ苦労して他人がのんびり気楽に暮らすのを見るのは、愉快な気分じゃない。君にも才能相応の苦労をしてもらわんと、第一、不公平と言うものだ」
「……不公平ですか」
 苦笑する以外、ヤンは感情の表現法を知らなかった。シトレの場合は自発的に買って出た苦労だろうが、自分はそうではない、と思うのである。とにかく、辞める時機を失したことだけはたしかな事実だった。

     X

 ラインハルトの前には、彼の元帥府に所属する若い提督たちが居並んでいた。
 キルヒアイス、ミッターマイヤー、ロイエンタール、ビッテンフェルト、ルッツ、ワーレン、ケンプ、そしてオーベルシュタイン。帝国軍における人的資源の精粋だとラインハルトは信じている。だが、さらに質と量をそろえなければならない。この元帥府に登用されることは、有能な人材たる評価を受けることだ、と言われるようにならなくてはならない。現にそうなりつつはあるが、現状をさらに進めたいラインハルトだった。
「帝国軍情報部から次のような報告があった」
 ラインハルトは一同を見渡し、提督たちは心もち背筋を伸ばした。
「先日、自由惑星同盟を僭称する辺境の叛徒どもは、帝国の前哨基地たるイゼルローンを強奪することに成功した。これは卿らも承知のことだが、その後、叛徒どもはイゼルローンに膨大な兵力を結集しつつある。推定によれば、艦艇二〇万隻、将兵三〇〇〇万、しかもこれは最小に見つもってのことだ」
 ほう、という吐息が提督たちの間に流れた。大軍を指揮統率するのは武人の本懐であり、敵ながらその規模の雄大さに感心せざるをえない。
「これの意味するところは明々白々、疑問の余地は一点もない。つまり叛徒どもは、わが帝国の中枢部へ向けて全面攻勢をかけてくるつもりだ」
 ラインハルトの両眼が燃えるようだ。
「国務尚書よりの内命があって、この軍事的脅威に対し、私が防御、迎撃の任に当たることになった。両日中に勅命が下るだろう。武人として名誉のきわみである。卿らの善戦を希望する」
 そこまでは固い口調だったが、ふいに笑顔になる。活力と鋭気に満ちた魅力的な笑いだが、アンネローゼとキルヒアイスだけに示す、邪心のない透明な笑顔ではない。
「要するに他の部隊がすべて皇宮の飾り人形、まるで頼りにならないからだ。昇進と勲賞を手に入れるいい機会だぞ」
 提督たちも笑った。地位と特権をむさぼるだけの門閥貴族に対しては、共通した反感がある。ラインハルトが彼らを登用したのは才幹の面だけではない。
「では次に卿らと協議したい。吾々はどの場所において敵を迎撃するか……」
 ミッターマイヤーとビッテンフェルトが、共通の意見を出した。叛乱軍はイゼルローン回廊を通って侵攻して来る。彼らが回廊を抜けて帝国領内へはいりこんで来たところを叩いてはどうであろう。敵が現れる宙点《ポイント》を特定できるし、その先頭を叩くことも、半包囲体制をとることも可能で、戦うに容易かつ有利である……。
「いや……」
 ラインハルトはかぶりを振った。回廊から帝国中枢部へと抜ける宙点《ポイント》での攻撃は敵も予測しているだろう。先頭集団には精鋭を配置しているであろうし、それを叩いたところで、残りの兵力が回廊から出て来なければ、こちらもそれ以上、攻勢のかけようがない。
「敵をより奥深く誘いこむべきだ」
 ラインハルトは自らの意見を述べた。短時間の討議の後、提督たちも賛同した。
 敵を帝国領内深く誘いこみ、戦線と補給線が伸びきって限界点に達したところを全力をもって撃つ。迎撃する側にとって、必勝の戦法と言えよう。
「しかし時間がかかりますな」
 ミッターマイヤーがそう感想を述べた。どちらかといえば小柄で、ひきしまった体つきがいかにも俊敏そうな青年士官である。おさまりの悪い蜂蜜色の髪とグレーの瞳をしている。
 同盟の叛徒たちも、空前の壮挙と称する以上、その陣容、装備、補給に万全を期するであろう。その物量がつき、戦意が衰えるまで、かなりの時間が必要となるはずだった。ミッターマイヤーの、多少の懸念をこめた感想は当然のものといえたが、ラインハルトは自信に満ちた眼光で部下の提督たちを見わたした。
「いや、それほど長くはない。多分、五〇日間を出ることはないはずだ。オーベルシュタイン、作戦の基本を説明してやれ」
 指名された半白の頭髪の幕僚が進み出て、説明を始めると、提督たちの間に驚愕の空気が音もなく拡がっていった。

 宇宙暦七九六年八月二二日、自由惑星同盟の帝国領遠征軍は総司令部をイゼルローン要塞内に設置した。それと前後して、三〇〇〇万の将兵は艦列をつらね、連日、首都ハイネセンやその周辺星域から遠征の途に上って行った。
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   第八章 死線


     T

 最初の一ヶ月、同盟軍の全宇宙艦隊はめくるめく興奮を友としていた。その友情がさめると、後には興ざめした気分と、もっと悪いもの-――不安とあせりが残された。士官たちは兵士のいない場所で、兵士たちは士官のいない場所で、互いに疑問をぶつけあうようになった。
 ――なぜ、敵は姿を現さないのか?
 同盟軍はウランフ提督の第一〇艦隊を先頭に、帝国領内に五〇〇光年ほども侵入していた。二〇〇を数える恒星系が同盟軍の手中に落ち、そのうち三〇あまりが低開発とはいえ有人だった。そこには合計して五〇〇〇万人ほどの民間人がいた。彼らを支配すべき総督、辺境伯、徴税官、軍人らは逃亡してしまっており、抵抗らしい抵抗はまるでなかったのだ。
「吾々は解放軍だ」
 取り残された農民や鉱夫たちの群に、同盟軍の宣撫士官はそう語りかけた。
「吾々は君たちに自由と平等を約束する。もう専制主義の圧政に苦しむことはないのだ。あらゆる政治上の権利が君たちには与えられ、自由な市民としての新たな生活がはじまるだろう」
 彼らが落胆したことに、彼らを迎えたのは熱烈な歓呼の叫びではなかった。おもしろくもなさそうに宣撫士官の情熱的な能弁を聞き流すと、農民の代表は言ったのだ。
「政治的な権利とやらよりも先に、生きる権利を与えてほしいもんだね。食糧がないんだ。赤ん坊のミルクもない。軍隊がみんな持って行ってしまった。自由や平等より先に、パンやミルクを約束してくれんかね」
「もちろんだとも」
 理想のかけらもない散文的な要求に、内心、失望しつつも、宣撫士官たちはそう答えた。なにしろ彼らは解放軍なのだ。帝政の重い桎梏《しっこく》にあえぐ哀れな民衆に、生活の保障を与えるのは、戦闘と同等以上に重要な責務である。
 彼らは各艦隊の補給部から食糧を供出するとともに、イゼルローンの総司令部に次のようなものを要求した――五〇〇〇万人の一八〇日分の食糧、二〇〇種に上る食用植物の種子、人造蛋白製造プラント四〇、水耕プラント六〇、およびそれらを輸送する船舶。
「解放地区の住民を飢餓状態から恒久的に救うには、最底限、これだけのものが必要である。解放地区の拡大にともない、この数値は順次、大きなものとなるであろう」
 という註釈をつけた要求書を見て、遠征軍の後方主任参謀であるキャゼルヌ少将は思わずうなった。
 五〇〇〇万人の一八〇日分の食糧といえば、穀物だけでも一〇〇〇万トンに達するであろう。二〇万トン級の輸送船が五〇隻必要である。第一、それはイゼルローンの食糧生産・貯蔵能力を大きく凌駕していた。
「イゼルローンの倉庫全部を空にしても、穀物は七億トンしかありません。人造蛋白と水耕のプラントをフル回転しても……」
「足りないことはわかっている」
 部下の報告を、キャゼルヌはさえぎった。三〇〇〇万人の同盟軍将兵を対象とする補給計画は、キャゼルヌの手によって立てられており、その運営に関しては彼は自信を持っていた。
 しかし全軍の二倍近くにもなる非戦闘員を抱えるとなると話は別である。計画のスケールを三倍に修正せねばならず、しかも、ことは急を要している。各艦隊の補給部が過大な負担にたえかねて悲鳴をあげる情景が、キャゼルヌには容易に想像できた。
「それにしても、宣撫士官という奴らは低能ぞろいか」
 彼がそう思ったのは、要求書の末尾の部分を見て、である。
「解放地区の拡大にともない、この数値は順次、大きなものとなるであろう」――ということは、補給の負担が増大するいっぽうということではないか。勢力範囲の拡大を無邪気に喜んでいる場合ではあるまい。しかも、ここには恐しい暗示がある……。
 キャゼルヌは総司令官ロボス元帥に面会を求めた。総司令官のオフィスには作戦参謀のフォーク准将もいた。これは予想していたことだった。参謀長のグリーンヒル大将よりも総司令官の信任厚い彼は、上司の傍でつねに目を光らせており、「総司令官は作戦参謀のマイクにすぎない。実際にしゃべっているのはフォーク准将だ」などと蔭口を叩かれる近ごろだった。
「宣撫班からの要求について話があるそうだが……」
 ロボス元帥は肉づきの良すぎるあごをなでた。
「どういうことかね、それでなくとも忙しいのだから手短かに頼むよ」
 無能な男が元帥になれるはずはない。ロボスは前線で武勲も立て、後方では着実な事務処理の能力を示し、大部隊を統率し参謀チームを管理することのできる男だった。すくなくとも、四〇代まではそうだった。だが今日では、衰えが目立っている。万事に無気力で、とくに判断、洞察、決断に関するエネルギーの欠乏がみられた。だからこそフォーク准将の独走と専断を許してもいるのだろう。
 先日までの英才がなぜそうなったか、その原因については諸説さまざまで、青少年時代の頭脳と肉体の酷使が脳軟化的症状をひき起こしたのだ、とか、慢性の心臓疾患によるものだ、とか、統合作戦本部長の座をシトレ元帥と争って敗北した後遺症だ、とか、将兵は想像の翼を拡げて語り合っていた。
 その翼が拡がりすぎると、美女となるとみさかいのないロボスが一夜をともにした女からたちの悪い病気を感染されたのだ、などという説も出て来るのだった。その説にはおまけ[#「おまけ」に傍点]があって、元帥を不名誉な病人にしたてた女は帝国の工作員だった、というのである。それを聞いた者は、ひとしきり不謹慎な笑みを浮かべた後で、何となくうそ寒いものを感じて首をすくめたりするのだった。
「では手短かに申し上げます。閣下、わが軍は危機に直面しております。それも重大な危機に」
 キャゼルヌはあえて大上段から切りこみ、相手の反応をうかがった。ロボス元帥はあごをなでる手を停め、不審そうな視線を後方主任参謀の顔に送りこんだ。フォーク准将は色の悪い唇を心もちゆがめたが、これは単に性癖であるにすぎない。
「急にまた、何だね」
 元帥の声に驚愕の響きはなかったが、落ち着いているというより感性が鈍っているというべきではないか、とキャゼルヌは思う。
「宣撫班からの要求はご存じでいらっしゃいますね」
 キャゼルヌは言ったが、これは考えようによっては無礼な質問かもしれなかった。フォークは明らかにそう考えたらしく、唇のゆがめかたを大きくしたが、口に出しては何も言わなかった。後日、問題にするつもりかもしれない。
「知っている。どうも過大な要求という気もするが、占領政策上、やむをえんのではないかな」
「総司令部《イゼルローン》にそれだけの物資はありません」
「本国に要求を伝えればよかろう。経済官僚どもがヒステリーをおこすかもしれんが、奴らも送ってこないわけにはいくまい」
「ええ、たしかに送ってはくるでしょう。しかし、それらの物資がイゼルローンにまでは届いたとして、その先どうなりますか」
 元帥はまたあごをなで始めた。いくらこすっても余分な肉が落ちるわけでもあるまいに、とキャゼルヌは意地悪く考えた。
「どういう意味かね、少将」
「敵の作戦が、わが軍に補給上の過大な負担をかけることにある、ということです!」
 強い口調であった。本来なら、このていどのこともわからないのか、とどなりつけてやりたいところだ。
「つまり敵は輸送船団を攻撃し、わが軍の補給線を絶とうと試みるだろう――それが後方主任参謀のご意見なのですな」
 フォーク准将が言った。口を差しはさまれたのは不愉快だが、キャゼルヌはうなずいた。
「しかし最前線までの宙域は、わが軍の占領下にあります。そうご心配にはおよばないでしょう。ああ、いや、もちろん念のために護衛はつけます」
「なるほど、念のためにね」
 思いきり皮肉にキャゼルヌは言った。フォークがどう思おうと、かまうものか。
 ヤン、頼むから生きて還れよ――心のなかでキャゼルヌは友人にそう呼びかけた。死ぬにはばかばかしすぎる戦いだ、と、思わずにはいられなかった。

     U

 同盟首都ハイネセンでは、遠征軍からの大規模な要求に対して、賛否両派が激論を闘わせていた。
 賛成派は主張する――もともと遠征の目的は帝政の重圧にあえぐ帝国の民衆を解放するにある。五〇〇〇万もの民衆を飢餓から救うのは人道上からも当然である。また、わが軍が彼らを救済したと知れば、帝政への反発とあいまって、民心が同盟に傾くのは必然である。軍事的理由からも政治的意義からも、遠征軍の要求に応じ、占領地住民に食糧その他を供与すべきである……。
 反論がある――もともと、この遠征は無謀なものだった。当初の予定だけでも、必要経費は二〇〇〇億ディナール、これは今年度国家予算の五・四パーセント、軍事予算の一割以上に相当する。これだけでも財政決算が予算を大幅に上回ることは確実であるのに、このうえ、占領地を確保し住民に食糧を供与するとなれば、財政の破綻は目に見えている。もはや遠征を中止し、占領地を放棄して、イゼルローンに帰還すべきだ。イゼルローンさえ確保しておけば、帝国からの侵攻は防ぐことができるのだから……。
 主義主張に打算や感情がからまって、激論ははてしなく続くかと思われたが、
「わが軍将兵に戦死の機会を与えよ。手をこまねいて日を送れば、不名誉なる餓死の危機に直面するのみ」
 というイゼルローンからの報告――というよりは悲鳴――が事態を収拾した。要求通りの物資が集められ、輸送が開始されたが、ほどなく前回とほぼ同量の追加要求が届けられてきた。占領地は拡大し、占領地住民の数は一億を超えた。当然、必要な物資の量は増加せざるをえない……。
 賛成派もさすがに鼻白んだ。反対派は言った――それみたことか、際限がないではないか。五〇〇〇万が一億になった。そのうち一億が二億にもなるだろう。帝国はわが同盟の財政を破壊するつもりなのだ。うかうかとそれに乗った政府と軍部の責任は免れないだろう。もはや他に方法はない。撤兵せよ!……
「帝国は無辜《むこ》の民衆そのものを武器として、わが軍の侵攻に対抗しているのだ。憎むべき方法だが、わが軍が解放と救済を大義名分としている以上、有効な方法であることは認めざるをえない。もはや撤兵すべきだ。さもなければわが軍は餓えた民衆を抱えてよろばい歩き、力つきたところを総反攻によって袋叩きされるだろう」
 財政委員長ジョアン・レベロは最高評議会でそう発言した。
 出兵に賛同した人々は声もなかった。憮然《ぶ ぜん》と、あるいは悄然《しょうぜん》として、ただ席に坐っている。
 惜報交通委員長ウィンザー夫人は端整な顔をこわばらせたまま、何も映していないコンピューター端末器の灰色の画面を見つめていた。
 いまや撤兵の他に方法がないことはウィンザー夫人にもよくわかっている。現在までの支出はしかたないとして、これ以上の出費には財政がたえられない。
 しかし、このまま何の戦果もあげずむなしく撤兵したのでは、出兵を支持した彼女の立場がない。最初からの出兵反対派はもとより、現在彼女を支持している主戦派の人々も、彼女の政治責任を追及することは疑いない。政治家を志して以来の念願であった評議会議長の座も逮ざかってしまうだろう。
 遠征軍総司令部《イ ゼ ル ロ ー ン》の無能者どもは何をしているのだろう。歯ぎしりするほどの怒りにウィンザー夫人は駆られ、美しくマニキュアした爪が掌《てのひら》に喰いこむほど手を固く握った。
 撤兵はしかたない、しかしそれまでに一度だけでいい、帝国軍に対して軍事的勝利を上げてみせたらどうなのだ。そうすれば彼女の面子《メンツ 》も立つし、後世、この遠征が愚行と浪費の象徴として非難されることもなくなるであろうに……。
 彼女は老齢の評議会議長を見やった。鈍重に、無感動に、最高権力の座を占める老人。
「誰からも選ばれなかった」と嘲弄される国家元首。政界の力学がもたらす低級なゲームの末、漁夫の利を得た政治屋。彼が次の選挙のことなど言ったばかりに、わたしは乗せられてしまった――彼女は心から、自分をこの窮状に陥れた議長を憎んだ。
 一方、国防委員長トリューニヒトは、自分の先見の明に満足していた。
 こうなることは知れていたのだ。現在の国力、戦力で帝国への侵攻などが成功するわけはない。近い将来、遠征軍は無惨に敗北し、現政権は市民の支持を失うだろう。しかし、彼トリューニヒトは無謀な出兵に反対した、真の勇気と識見に富む人物として、傷を受けるどころか、かえって声価を高めるだろう。後はレベロやホワンが競争相手として残るが、彼らには軍部や軍需産業の支持がない。結局、最終的にはトリューニヒトが評議会議長の座に着くことになる。
 それでよい。心のなかで彼は会心の笑みを浮かべた。「帝国を打倒した、同盟史上最高の元首」という称号は彼にこそ与えられるべきなのだ。彼以外の誰にも、その名誉はふさわしくない……。
 結局、撤兵論は否決された。
「前線で何らかの結果が出るまで、軍の行動に枠《わく》をはめるようなことはすべきではない」
 これが主戦派の、いささか後ろめたそうな口調での主張だった。「結果」とやらは、トリューニヒトにとっても大いにけっこうなことだった。もっとも主戦派と彼とでは、期待する「結果」の内容がまるで異なっているが……。

     V

 本国より物資が届くまで、必要とする物資は各艦隊が現地において調達すべし……。
 この方針が伝えられたとき、同盟軍各艦隊の首脳部は顔色を変えた。
「現地調達だと!? 吾々に略奪をやれとでも言うのか」
「遠征軍総司令部《イ ゼ ル ロ ー ン》は何を考えているのだ。海賊のボスにでもなったつもりか」
「補給計画の失敗は戦略的敗退の第一歩だ。これは軍事上の常識だぞ。その責任を前線に押しつける気でいやがる」
「補給体制は万全と総司令部は言ったはずだ。大言壮語をどこに置き忘れた」
「第一、ないものをどうやって調達しろというのだ」
 それらのごうごうたる声にヤンは唱和しなかったが、思いは同じである。総司令部の無責任さもきわまれりだが、もともと無責任な動機で決定された出兵である以上、実施運営が無責任になるのも当然かもしれなかった。キャゼルヌの苦労が思いやられた。
 それにしても、もう限界だな、と思う。占領地住民に供出を続けた結果、第一三艦隊の食糧はほとんど底を突いていた。補給担当のウノ大佐が不安と不満を爆発させた。
「民衆が求めているのは理想でも正義でもない。ただ食糧だけです。帝国軍が食糧を運んで来れば、彼らは地面にはいつくばって、皇帝陛下万歳を叫ぶでしょう。ただ本能を満足させるためにだけ生きているような、そんな連中を食わせるために、何だって吾々が餓えなくてはならないのですか!?」
「吾々がルドルフにならないためにさ」
 それだけ答えると、ヤンはフレデリカ・グリーンヒル中尉を呼び、第一〇艦隊のウランフ提督との間に、超光速通信《F  T  L》の直通回路を開かせた。
「おう、ヤン・ウェンリーか、珍しいな、何事だ」
 通信スクリーンの中から、古代騎馬民族の末裔は言った。
「ウランフ中将、お元気そうで何よりです」
 嘘である。精悍なウランフが、全身に憔悴《しょうすい》の色をたたえている。勇気や用兵術とは次元の異なる問題だけに、勇将の誉《ほまれ》高い彼も困りはてているようだ。
 食糧の備蓄状況はどうか、と問われてウランフは一段と苦りきった。
「あと一週間分をあますのみだ。それまでに補給がなかったら占領地から強制的に徴発――いや、言葉を飾ってもしかたないな、略奪するしかない。解放軍が聞いて呆れる。もっとも略奪するものがあれば、の話だがな」
「それについて私に意見があるのですが……」
 ヤンはそう前置きし、占領地を放棄して撤退してはどうか、と提案した。
「撤退だと!?」
 ウランフは軽く眉を動かした。
「一度も砲火を交えないうちにか? それは少し消極的にすぎんか」
「余力のあるうちにです。敵はわが軍の補給を絶って、吾々が餓えるのを待っています。それは何のためでしょう」
「……機を見て攻勢に転じてくると言うのか?」
「おそらく全面的な攻勢です。敵は地の利をえており、補給線も短くてすむ」
「ふむ……」
 豪胆をもって鳴るウランフだが、さすがにぞくりとしたようだ。
「だが、へたに後退すればかえって敵の攻勢を誘うことになりはせんか。とすればやぶへび[#「やぶへび」に傍点]もいいところだぞ」
「反繋の準備は充分に整える、それは大前提です。いまならそれが可能ですが、兵が餓えてからでは遅い。その前に整然と後退するしかありません」
 熱心にヤンは説いた。ウランフは、黙然と聞き入った。
「それに、敵もわが軍が餓える時機を測っているはずです。わが軍が後退するのを見て全面的|潰走《かいそう》と解釈し、追って来れば、反撃の方法はいくらでもあります。また、時機が早すぎる、これは罠だと考えてくれればそれもよし、無傷で退くことができるかもしれません。可能性は高くありませんが、日が経てばそれも低くなるいっぽうでしょう」
 ウランフは考えこんだが、決断を下すのに長い時間はかからなかった。
「わかった。貴官の意見が正しかろう。撤退の準備をさせることにする。だが、他の艦隊にはどう連絡をつける?」
「ビュコック提督には、これから私が連絡します。あの方からイゼルローンヘ連絡していただけば、私が言うより効果的だと思うのですが……」
「よし、では互いに、なるべく急いで事を運ぶとしよう」
 ウランフとの相談が終った直後、急報がもたらされた。
「第七艦隊の占領地で民衆の暴動が発生しました。きわめて大規模なものです。軍が食糧の供与を停止したためです」
 報告するフレデリカの顔に、やりきれない表情が浮かんでいる。
「第七艦隊はどう対処した?」
「無力化ガスを使って、一時は鎮圧したそうですけど、すぐに再発したそうです。軍の対抗手段がエスカレートするのも時間の問題でしょう」
 無残なことになった――ヤンはそう思わざるをえなかった。
 解放軍、護民軍と自称していた同盟軍が民衆を敵に回したのだ。互いの不信感を解く方法は、この段階ではもはやないだろう。帝国は、同盟軍と民衆の仲を裂くのに、みごと成功したわけだ。
「まったくみごとだ、ローエングラム伯」
 自分にはここまで徹底的にはやれない。やれば勝てるとわかっていてもやれないだろう。それがローエングラム伯と自分との差であり、自分が彼を恐れる理由でもあるのだ。
 ――この差が、いつか重大な結果を招くことになるかもしれない……。

 同盟軍第五艦隊司令官ビュコック中将が、イゼルローンの総司令部に超光速通信《F T L》を送ったとき、通信スクリーンの画面に登場したのは作戦参謀フォーク准将の血色の悪い顔だった。
「私は総司令官閣下に面談を求めたのだ。貴官に会いたいと言った覚えはないぞ。作戦参謀ごときが、呼ばれもせんのにでしゃばるな!」
 老提督の声は痛烈だった。迫力でも貫禄でも、とうていフォークのおよぶところではない。
 若い参謀は一瞬だけ鼻白んだが、権高《けんだか》に言い返した。
「総司令官閣下への面談、上申の類は、すべてわたくしを通していただきます。どんな理由で面談をお求めですか」
「貴官に話す必要はない」
 ビュコックも、つい自分の年齢を忘れて、けんかごしになってしまう。
「ではお取次するわけにはいきません」
「何……?」
「どれほど地位の高い方であれ、規則は順守していただきます。通信を切ってもよろしいのですか」
 きさまが勝手に定めた規則ではないか、と思ったが、この場ではビュコックは譲歩せざるをえなかった。
「前線の各艦隊司令官は撤退を望んでいる。その件について総司令官のご諒解をいただきたいのだ」
「撤退ですと?」
 フォーク准将の唇が、老提督の予想した通りの形にゆがんだ。
「ヤン提督はともかく、勇敢をもって鳴るビュコック提督までが、戦わずして撤退を主張なさるとは意外ですな」
「下劣な言いかたはよせ」
 容赦なく、ビュコックは決めつけた。
「そもそも、貴官らがこのように無謀な出兵案を立てなければすんだことだ。いますこし責任を自覚したらどうか」
「小官なら撤退などしません。帝国軍を一撃に屠《ほふ》り去る好機というのに、何を恐れていらっしゃるのです」
 不遜であり不用意でもあるこの一言が、老提督の両眼に超新星《スーパー・ノバ》の閃光を走らせた。
「そうか、では代わってやる。私はイゼルローンに帰還する。貴官が代わって前線に来るがいい」
 フォークの唇はこれ以上、ゆがみようがなくなっていた。
「できもしないことを、おっしゃらないで下さい」
「不可能事を言いたてるのは貴官のほうだ。それも安全な場所から動かずにな」
「――小官を侮辱なさるのですか?」
「大言壮語を聞くのに飽きただけだ。貴官は自己の才能を示すのに、弁舌ではなく実績をもってすべきだろう。他人に命令するようなことが自分にはできるかどうか、やってみたらどうだ」
 フォークのやせた顔から血が引いてゆく音を、老提督は聴いたように思った。次に生じた光景は、ビュコックの想像ではなかった。若い参謀将校の両眼が焦点を失い、狼狽と恐怖が顔面いっぱいにひろがった。鼻孔がふくらみ、口がゆがんだ四辺形に開く。両手があがってその顔を、ビュコックの視界から隠し、一秒ほどおいてうめきとも悲鳴ともつかない声が響いた。
 唖然として見守るビュコックの視線の先で、フォークの姿は通信スクリーンの画面の下に沈没した。代わって右往左往する人影が映し出されたが、この間、事情の説明はない。
「どうしたのだ、彼は?」
「さあ……」
 ビュコックの傍に控えていた副官クレメンテ大尉も、上官の疑問に答えることができなかった。二分間ほど、老提督はスクリーンの前で待たされることになった。
 やがて軍医の白い制服を身に着けた壮年の男が画面に現れ、敬礼した。
「ヤマムラ軍医少佐です。現在、フォーク准将閣下は医務室で加療中ですが、その事情について私が説明させていただきます」
 どうももったいぶっているな、とビュコックは思う。
「どんな病気なのかね」
「転換性ヒステリー症による神経性盲目です」
「ヒステリーだと!?」
「はあ、挫折感が異常な昂奮をひき起こし、視神経が一時的にマヒするのです。十五分もすればまた見えるようになりますが、このさき、何度でも発作が起きる可能性はあります。原因が精神的なものですから、それを取り去らないかぎりは……」
「それにはどうするのだ?」
「逆らってはいけません。挫折感や敗北感を与えてはいけません。誰もが彼の言うことにしたがい、あらゆることが彼の思うように運ばなくてはなりません」
「……本気で言ってるのかね、軍医?」
「これはわがまま[#「わがまま」に傍点]いっぱいに育って自我が異常拡大した幼児にときとして見られる症状です。したがって善悪が問題ではありません。自我と欲望が充足されることだけが重要なのです。したがって、提督方が非礼を謝罪なさり、粉骨砕身して彼の作戦を実行し、勝利をえて彼が賞賛の的となる……そうなって初めて、病気の原因が取り去られることになります」
「ありがたい話だな」
 ビュコックは怒る気にもなれなかった。
「彼のヒステリーを治めるために、三〇〇〇万もの兵士が死地に立たねばならんというのか? 上等な話じゃないかね。感涙の海で溺死してしまいそうだな」
 軍医は力なく笑った。
「フォーク准将閣下の病気を治す、という一点だけに絞れば、話はそうならざるをえません。視野を全軍のレベルにまで拡げれば、おのずと別の解決法がありましょう」
「その通り、彼が辞《や》めればいいのだ」
 老提督の口調は厳しい。
「こうなって、むしろ幸いかもしれんな。チョコレートを欲しがって泣き喚く幼児と同じていどのメンタリティーしか持たん奴が、三〇〇〇万将兵の軍師だなどと知ったら、帝国軍の連中が踊り出すだろうて」
「……とにかく、医学以外の件に関しましては、わたくしの権限ではありません。総参謀長閣下に替わりますので……」
 選挙の勝利を目的とした政治屋と、小児性ヒステリーの秀才型軍人とが野合して、三〇〇〇万の将兵が動員されることになったのだ。これを知って、なお真剣に戦おうと志す者は、マゾヒスティックな自己陶酔家か、よほどの戦争好きくらいのものだろう、と、ビュコックは苦々しく考えた。
「提督……」
 軍医に代わって通信用スクリーンに登場したのは、遠征軍総参謀長グリーンヒル大将だった。端整な紳士的容貌に、憂いの色が濃い。
「これは総参謀長、ご多忙なところ恐縮ですな」
 皮肉を露骨に言っても憎まれないところが、この老提督の人徳であろう。
 グリーンヒルも軍医と同じ種類の笑いを浮かべた。
「こちらこそお見苦しいところをお見せして恐縮です。フォーク准将はただちに休養ということになりましょう、総司令官のご裁可がありしだいですが……」
「で、第一三艦隊から具申のあった撤退の件はいかがですかな。わしは全面的に賛同しますぞ。前線の兵士は戦える状態にないのです。心理的にも肉体的にも……」
「しばらく、お待ち下さい。これも総司令官のご裁可が必要です。即答できかねることをご承知いただきたい」
 ビュコック中将は、官僚的答弁にうんざりしたという表情を作ってみせた。
「非礼を承知で申し上げるが、総参謀長、総司令官に直接お会いできるよう、取りはからっていただけませんかな」
「総司令官は昼寝中です」
 老提督は白い眉をしかめ、あわただしくまばたきした。それからゆっくりと反問した。
「何とおっしゃった、総参謀長?」
 グリーンヒル大将の返答は、いっそ荘重なほどだった。
「総司令官は昼寝中です。敵襲以外は起こすな、とのことですので、提督の要望は起床後にお伝えします。どうか、それまでお待ちを」
 それに対してビュコックは返答しようとしなかった。視線にとらえるのが困難なほどかすかに両肩が上下動する。
「……よろしい、よくわかりました」
 感情を抑制した声が老提督の口から発せられたのは、ゆうに一分間を経過してからだった。
「このうえは、前線指揮官として、部下の生命に対する義務を遂行するまでです。お手数をおかけした。総司令官がお目ざめの節は、よい夢をごらんになれたか、ビュコックが気にしていた、とお伝え願いましょう」
「提督……」
 通信はビュコックの側から切られた。
 灰白色の平板と化した通信スクリーンの画面を、グリーンヒルは重苦しい表情で見つめていた。

     W

 偵察部隊からの報告を読みおえたラインハルトは、ひとつうなずくと、赤毛のジークフリード・キルヒアイス中将を呼んで重大な任務を与えた。
「イゼルローンから前線へ輸送艦隊が派遣される。敵の生命線だ。お前に与えた兵力のすべてをあげてこれを叩け。細部の運用はお前の裁量にまかせる」
「かしこまりました」
「情報、組織、物資、いずれも必要なだけ使っていいぞ」
 一礼して踵《きびす》を返したキルヒアイスを、ラインハルトは急に呼び止めた。不審そうに振り向いた親友に、若い元帥は言った。
「勝つためだ、キルヒアイス」
 彼は知っていたのだ。被占領地の民衆を餓えさせることで敵の手足を縛るという辛辣な戦法に、キルヒアイスが批判的であることを。彼は口どころか表情にさえ出さなかったが、ラインハルトにはよくわかっていた。ジークフリード・キルヒアイスはそういう人間であるということが。
 キルヒアイスがもう一度礼をして去ると、ラインハルトは残る諸将に告げた。
「キルヒアイス提督が叛乱軍の輸送部隊を撃滅すると同時に、わが軍は全面攻撃に転じる。そのさい、偽の情報を流す。輸送部隊は攻撃を受けたが無事だ、と。それは叛乱軍が最後の希望を断たれ、窮鼠《きゅうそ》が猫を噛む挙に出ることを防ぐためだ。と同時に、彼らにわが軍の攻勢を気づかせないためでもある――むろん、いつかは気づくだろうが、遅いほどよい」
 彼は自分の横に坐っている男をちらりと見た。以前、彼の傍にいるのは、背の高い赤毛の若者に決まっていた。現在では半白の頭髪の男――オーベルシュタインである。自分で決めたことだが、なお軽い違和感があった。
「なお、わが補給部隊は被占領地の奪還と同時に、住民に食糧を供与する。叛乱軍の侵攻に対抗するためとはいえ、陛下の臣民に飢餓状態を強《し》いたのは、わが軍の本意ではなかった。またこれは、辺境の佳民に、帝国こそが統治の能力と責任を持つことを、事実によって知らしめるうえでも必要な処置である」
 ラインハルトの本心は、「帝国」ではなく彼個人が人心を得ることにあった。しかし、わざわざこの場でそれを告げる必要はないのだ。

 グレドウィン・スコット提督の率いる同盟軍の輸送艦隊は、一〇万トン級輸送艦一〇〇隻、護衛艦二六隻から成っていた。護衛艦の数について、後方主任参謀キャゼルヌ少将は「不足である、せめて一〇〇隻」と主張したが、却下《きゃっか》されたのだった。
 輸送艦隊を狙うのに帝国軍がそれほど大軍を動員するとも思えないし、あまり多数の艦を派遣しては総司令部《イゼルローン》の警備が手薄になる、というのが却下の理由だった。前線から遙か遠く、しかも難攻不落の要塞にいながら、何という言種《いいぐさ》か。キャゼルヌは腹が立ってしかたない。
 スコット提督はキャゼルヌよりずっと楽観的だった。敵に用心しろ、との、出発前のキャゼルヌの注意を聞き流し、艦橋にもおらず、個室で部下を相手に三次元チェスを楽しんでいたのだ。
 血相を変えた艦隊参謀のニコルスキー中佐が彼を呼びに来たとき、彼はまさに王手《チェック》をかけようとしており、不機嫌に問いかけた。
「前線で何かあったのか? 騒々しいぞ」
「前線ですと?」
 ニコルスキー中佐は、唖然としたように司令官を見返した。
「ここが前線です。あれがお見えになりませんか、閣下」
 彼の指先で、艦橋のメイン・スクリーンにつながる小さなパネルは、急激に拡大する白い光の雲を映し出していた。
 スコット提督は瞬間、声を失った。いかに彼でも、それが味方だとは思わなかった。驚くべき敵の大部隊に包囲されている!
「こんなことが……信じられん」
 スコットはようやく声を絞り出した。
「たかが輸送艦隊ひとつにこんな大軍を……なぜだ?」
 艦橋へ続く廊下を、ニコルスキーの運転する水素動力車で走り抜けながら、提督は愚かしく問い続けた。あなたは自分の任務の意義も理解していないのか、とニコルスキーが言いかけたとき、廊下のスピーカーからオペレーターの叫びが走った。
「敵ミサイル多数、本艦に接近!」
 その声は一瞬後、悲鳴そのものに変わった。
「対応不能! 数が多すぎる!」

 帝国軍総旗艦ブリュンヒルト――。
 通信士官が座席から立ち上がり、興奮に上気した顔をラインハルトに向けた。
「キルヒアイス提督より連絡! 吉報です。敵輸送船団は全滅、くわえて護衛艦二六隻を完全破壊、わがほうの損害は戦艦中破一隻、ワルキューレ一四機のみ……」
 歓声が艦橋全体を圧した。イゼルローン陥落以来、戦略上の必要からとはいえ、戦わずして後退を重ねてきた帝国軍にとって、久々の勝利の快感だったのだ。
「ミッターマイヤー、ロイエンタール、ビッテンフェルト、ケンプ、メックリンガー、ワーレン、ルッツ、かねてからの計画にしたがい、総力をもって叛乱軍を撃て」
 ラインハルトは待機する諸将に令を発した。
 はっ、と勢いよく応じて前線に赴こうとする提督たちを、ラインハルトは呼びとめ、従卒に命じてワインを配らせた。戦勝の前祝いであった。
「勝利はすでに確定している。このうえはそれを完全なものにせねばならぬ。叛乱軍の身のほど知らずどもを生かして還すな。その条件は充分にととのっているのだ。卿らの上に大神オーディンの恩寵あらんことを。乾杯《プロージット》!」
「プロージット!」
 提督たちは唱和し、ワインを飲み干すと、慣習にしたがってグラスを床に投げつけた。無数の光のかけらが床の上を華やかに乱舞した。
 諸将が出て行くと、ラインハルトはスクリーンをじっと見つめた。床に散らばった光よりも遙かに冷たく遙かに無機質な光の群を、彼はそこに見出した。だが、その光が彼は好きだった。あの光を手中に収めるためにこそ、現在、自分はここにいるのだ……。

     X

 標準暦一〇月一〇日一六時。
 重力傾度法によって、艦隊を惑星リューゲンの衛星軌道上に配置していたウランフ提督は敵襲を察知した。周囲に配置していた二万個の偵察衛星のうち、二時方向の一〇〇個ほどが、無数の光点を映し出した後、映像送信を絶ったのである。
「来るぞ」
 ウランフは呟いた。末端神経にまで緊張の電流が走るのを自覚する。
「オペレーター、敵と接触するまで、時間はどのくらいか」
「六分ないし七分です」
「よし、全艦隊、総力戦用意。通信士官、総司令部および第一三艦隊に連絡せよ。われ敵と遭遇せり、とな」
 警報が鳴り響き、旗艦の艦橋内を命令や応答が飛びかった。
 ウランフは部下に言った。
「やがて第一三艦隊も救援に駆けつけて来る。『|奇蹟の《ミ ラ ク ル》ヤン』が、だ。そうすれば敵を挟撃できる。勝利は疑いないぞ」
 ときとして、指揮官は、自分自身では信じてないことでも部下に信じさせねばならないのだった。ヤンも時機を同じくして多数の敵に攻撃されており、第一〇艦隊を救援する余裕はないだろう、とウランフは思う。
 帝国軍の大攻勢が始まったのだ。

 フレデリカ・グリーンヒル中尉が白い顔に緊張の色をたたえて司令官を見上げた。
「閣下! ウランフ提督より超光速通信《F T L》がはいりました」
「敵襲か?」
「はい、一六時七分、敵と戦闘状態にはいったそうです」
「いよいよ始まったな……」
 その語尾に警報の叫びが重なった。五分後、第一三艦隊はケンプ提督の率いる帝国軍との間に戦火を交えていた。
「一一時方向より敵ミサイル群接近!」
 オペレーターの叫びに、旗艦ヒューベリオンの艦長マリノ大佐が鋭く反応する。
「九時方向に囮《おとり》を射出せよ!」
 ヤンは沈黙したまま、艦隊の作戦指揮という自分の職務に没頭している。艦単位の防御と応戦は艦長の職務であり、そこまで司令官が口を出していたのでは、第一、神経がもたない。
 レーザー水爆ミサイルが猛々しい猟犬のように襲いかかる。核分裂によらず、レーザーの超高熱によって核融合をひき起こす兵器である。
 それに対抗して囮のロケットが発射される。熱と電波をおびただしく放出して、ミサイルの探知システムをだまそうとする。ミサイル群が急角度に回頭してその囮を追う。
 エネルギーとエネルギー、物質と物質が衝突しあい、暗黒の虚空を不吉な輝きで満たし続けた。
「スパルタニアン、出撃準備!」
 命令が伝達され、スパルタニアン搭乗要員数千人の心身にこころよい緊張感を走らせた。自己の技倆と反射神経に強烈な自信を有する軍神《マ ル ス》の申し子たちであり、死への恐怖感など、彼らには侮辱の対象でしかない。
「さあて、いっちょう行くか」
 旗艦ヒューベリオンの艦上で陽気に叫んだのは、撃墜王《エース》の称号を有するウォーレン・ヒューズ大尉だった。
 ヒューベリオンは四名の撃墜王《エース》を抱えている。ヒューズの他に、サレ・アジズ・シェイクリ大尉、オリビエ・ポプラン大尉、イワン・コーネフ大尉だが、彼らは撃墜王《エース》の称号を誇示するべく、それぞれの愛機にスペード、ダイヤ、ハート、クラブの|A《エース》の印を特殊な塗料で描きこんでいた。戦争もスポーツの一種と考えるほどの神経の太さが、たぶん、彼らを生存させてきた要素のひとつだったろう。
「五機は撃墜して来るからな、シャンペンを冷やしておけよ」
 愛機に飛び乗ったポプランが、整備兵《メカニカル・マン》に声をかけたが、返答は冷たかった。
「あるわけないでしょう、せめて水を用意しておきますよ」
「不粋な奴だ」
 ぼやきながら、ポプランは他の三人とともに宇宙空間へ躍り出した。スパルタニアンの翼が爆発光を反射して虹色に輝く。敵意をこめてミサイルが殺到し、ビームが襲いかかってくる。
「あたるものかよ!」
 しかし、異口同音に四名は豪語する。幾度も死線を越えて生き残ってきた戦士の自負がそう言わせるのだ。
 入神《にゅうしん》の技倆を誇示するように、急旋回してミサイルをかわす。それを追尾しようとしたミサイルの細い胴が重力《G》の急変にたえかねて中央から折れる。嘲るように翼を振ってみせる彼らの前に、帝国軍のワルキューレが躍り出て格闘戦《ドッグ・ファイト》を挑んできた。
 ヒューズ、シェイクリ、コーネフの各機が喜んでそれに応じ、一機また一機と敵機を火球に変えてゆく。
 ただひとり、ポプランだけが不審と怒りに頬を赤くしていた。一秒闘に一四〇発の割合で敵に撃ちこむウラン238弾――金属貫通能力に富み、命中すれば超高熱を発して爆発する――の弾列がむなしく宙に吸いこまれてゆくのだ。彼をはぶく三名はすでに合計七機を血祭りにあげたというのに、である。
「何たるざまだ!」
 激しく舌打したのは,帝国軍の指揮官ケンプ中将だった。
 ケンプも撃墜王である。銀翼のワルキューレを駆って、数十機の敵を死神の懐に叩きつけてきた歴戦の勇者なのだ。ずばぬけた長身だが、それと感じさせないほどに体の横幅も広い、茶色の髪は短く刈っている。
「あのていどの敵に、何をてまどっているか。後方から半包囲の態勢をとって艦砲の射程内に追いこめ!」
 その指示は的確だった。三機のワルキューレがヒューズ大尉のスパルタニアンを後方から半包囲し、戦艦の主砲の射程内に巧みに追いこんだ。危険を悟ったヒューズは、急旋回しつつ一機の操縦席《コクピット》にウラン238弾を叩きこみ、それが脱落した間隙を縫って逃がれようとする。しかし敵艦の副砲までは計算に入れてなかった。ビームがきらめき、ヒューズと彼の愛機を一撃でこの世からかき消した。
 同じ戦法でシェイクリも斃《たお》された。残る二名はかろうじて追撃を振り切り、艦砲の死角に逃げこんだ。
 四機の敵を葬り去ったコーネフはともかく、逃げ回るばかりで一機ら撃墜できなかったポプランの自尊心は、救いがたいまでに傷ついていた。
 一弾も命中しなかった理由が判明したとき、傷心は怒りとなって炸裂した。母艦に帰投したポプランは、操縦席《コクピット》から飛びおりると、駆け寄った整備兵の襟元《えりもと》をつかんだ。
「味方殺しの整備主任《チーフ・メカニック》を出せ! 殺してやる」
 主任のトダ技術大尉が駆けつけると、ポプランの罵声が飛んだ。
「機銃の照準が九度から一一度も狂っていたぞ! ちゃんと整備しているのか、この給料盗人が!」
 トダ技術大尉は眉をはね上げた。
「やっているとも。人間はただで作れるが、戦闘艇には費用がかかっているからな、整備には気を使ってるさ」
「きさま、それで気のきいた冗談を言ったつもりか」
 戦闘用ヘルメットが床に叩きつけられ、高々と跳ね上がった。ポプランの緑色の目に怒気の炎が燃えあがっている。それに対してトダの両眼も細く鋭くなった。
「やる気か、とんぼ[#「とんぼ」に傍点]野郎」
「ああ、やってやる。おれはな、いままでの戦闘で、きさまより上等な帝国人を何人殺したか知れないんだ。きさまなんか片手で充分、ハンディつきでやってやらあ!」
「ぬかせ! 自分の未熟を他人の責任にしやがって」
 制止の叫びがおこったが、そのときすでに殴りあいは始まっていた。二、三度、パンチがかわされたが、やがて防戦いっぽうに追いこまれたトダが足をふらつかせ始める。ポプランの腕がさらに振りかざされたとき、何者かがその腕をとらえた。
「バカが、いいかげんにしろ」
 シェーンコップ准将が苦々しげに言った。
 その場は収まった。イゼルローン攻略の勇者に一目おかない者はいない。もっとも、当のシェーンコップにとっては、こんな出番しかないのは、はなはだ不本意であったが……。

 ウランフの第一〇艦隊を攻撃した帝国軍の指揮官はビッテンフェルト中将だった。オレンジ色の長めの髪と薄い茶色の目をしており、細面の顔とたくましい体つきが、ややアンバランスといえなくもない。眉が迫り、眼光が鋭く、戦闘的な性格がうかがえる。
 また彼は麾下《きか》の全艦艇を黒く塗装し、「黒色槍騎兵《シュワルツ・ランツェンレイター》」と称している。剽悍《ひょうかん》そのものの部隊だ。その部隊にウランフはしたたかに損害をあたえた。しかし同程度の損害を受けた――比率でなく絶対数においてである。
 ビッテンフェルト軍はウランフ軍より数が多く、しかも兵は餓えていなかった。指揮官も部下も清新な活力に富んでおり、かなりの犠牲を払いながらも、ついに彼らは同盟軍を完全な包囲下におくことに成功したのである。
 前進も後退も不可能になった第一〇艦隊は、ビッテンフェルト軍の集中砲火を避けることができなかった。
「撃てばあたるぞ!」
 帝国軍の砲術士官たちは、密集した同盟軍の艦艇にエネルギー・ビームとミサイルの豪雨を浴びせかけた。
 エネルギー中和磁場が破れ、艦艇の外殻に、たえがたい衝撃がくわえられる。それが艦内に達すると、爆発が生じ、殺人的な熱風が将兵をなぎ倒した。
 破壊され、推力を失った艦艇は、惑星の重力に引かれて落下していった。惑星の住民の半ばは、夜空に無数の流星を見出し、子供たちは一時的に空腹を忘れてその不吉な美しさに見とれた。

     Y

 第一○艦隊の戦力はつきかけていた。艦艇の四割を失い、残った艦の半数も戦闘不能という惨状である。艦隊参謀長のチェン少将が蒼白な顔を司令官に向けた
「閣下、もはや戦闘を続行するのは不可能です。降伏か逃亡かを選ぶしかありません」
「不名誉な二者択一だな、ええ?」
 ウランフ中将は自嘲してみせた。
「降伏は性に合わん。逃げるとしよう、全艦隊に命令を伝えろ」
 逃亡するにしても、血路を開かなくてはならなかった。ウランフは残存の戦力を紡錘《ぼうすい》陣形に再編すると、包囲網の一角にそれを一挙に叩きつけた。戦力を集中して使用する術《すべ》をウランフは知っていた。
 彼はこの巧妙果敢な戦法で、部下の半数を死地から脱出させることに成功した。しかし彼自身は戦死した。
 彼の旗艦は最後まで包囲下にあって敵と戦っていたが、離脱しようとした瞬間、ミサイル発射孔に敵ビームの直撃を受け、爆発したのである。

 戦線のいたるところで、同盟軍は敗北の苦汁をなめつつあった。
 第一二艦隊司令官のボロディン中将は、ルッツ艦隊に急襲されて、旗艦の身辺わずか八隻の砲艦のみ、という状況まで戦い、戦闘も脱出も不可能となったとき、自らブラスターで頭部を撃ち抜いた。指揮権を受け継いだコナリー少将は、動力を停止して降伏した。
 第五艦隊はロイエンタールに、第九艦隊はミッターマイヤーに、第七艦隊はすでに輸送艦隊を全滅させたキルヒアイスに、第三艦隊はワーレンに、第八艦隊はメックリンガーに、それぞれ猛攻を受け、後退に後退を重ねている。
 唯一の例外が、ヤンの第一三艦隊だった。ケンプ艦隊と対した彼は、巧みな半月陣型を使って敵の攻勢をかわし、その左右両翼を交互に叩いて出血を強《し》いたのである。
 意外な損害に驚いたケンプは、出血多量のぶざまな衰弱死にいたるよりも、思いきって抜本的な手術を断行すべきだ、と結論し、後退して部隊を再編しようとはかった。
 敵が退くのを見たヤンは、それにつけこんで攻勢に出ようとはしなかった。この戦いは勝つことよりも生き延びることに意義がある、とヤンは考えている。たとえここでケンプに勝っても、どうせ全体的に優勢な敵に最後は袋叩きにされてしまう。敵が退いた隙に、できるだけ遠くまで逃げてしまうことだ。
「よし、全艦隊、逃げろ!」
 おごそかにヤンは命じた。
 第一三艦隊は逃げ出した。ただし整然と。

 優勢な敵が自分たちを追って来るどころか、逆に急速後退を開始したので、ケンプとしては驚かずにいられなかった。追撃を受け、かなりの損害を受けることを覚悟していたのに、肩すかしを喰わされたのだ。
「なぜ奴らは勝に乗じて攻めて来んのだ?」
 ケンプは自問し、幕僚たちにも意見を求めた。
 部下の反応は二通りに分かれた――同盟軍の他の部隊が窮地《きゅうち》に落ちたので救援に駆けつけたのだろう、という説と、吾々に隙を見せ、軽々しく攻勢に出るよう誘っておいて、徹底的な打撃を加えることを狙っているのだ、という説とである。
 テオドール・フォン・リュッケ少尉という、士官学校を卒業したばかりの若い将校が、おそるおそる口を開いた。
「僕――いえ、小官には、敵が戦意もなく、ただ逃げているように思われます」
 この発言は完璧に無視され、リュッケ少尉はひとり赤面して引き退がってしまった。彼は事実から最短の距離にいたのだが、当人も含めて誰ひとりそれに気づかなかったのである。
 戦術家としての常識に富んだケンプは、熟考の末、敵の退却は罠だとの結論に達し、再反撃を断念して、艦隊の再編作業に取りかかった。
 その間にヤン・ウェンリーとその軍隊は遁走《とんそう》を続け、帝国軍が「|C《ツェー》戦区」と名づた宙域《スペース》に達したが、そこで帝国軍に捕捉され、新たな戦闘を展開することになった。
 一方、アル・サレム提督の指揮する同盟軍第九艦隊は、帝国軍ミッターマイヤー艦隊の猛攻を受け、敗走を重ねていた。サレム提督は指揮体系の崩壊を防ぐのに必死だった。
 このときミッターマイヤーの追撃が迅速をきわめたので、追う帝国軍の先頭集団と追われる同盟軍の後尾集団が混じり合い、両軍の艦艇が舷側を並べて並走するという事態が生じた。肉視窓から敵艦のマークを間近に見て仰天する兵士が続出した。
 また、狭い宙域に高密度の物質反応が生じたため、各艦の衝突回避システムが全能力をあげて作動することになったが、あらゆる方向を敵や味方に遮断され、ぐるぐる回転する艦もあった。
 戦闘は交えられなかった。このような高密度のなかで膨大なエネルギーを開放したら、制御不能のエネルギー・サイクロンが生じて共倒れになることが明白だったからである。
 ただ、接触や衝突は起こった。安全な進行方向を見出しえず、二律背反の窮状に追いこまれた衝突回避システムの「発狂」を防ぐため、操縦を手動に切り換えた艦があったからだ。
 航宙士たちは汗を流した。これは戦闘服の温度調節機能には関係ないことだった。操縦盤にしがみついた彼らは、衝突を回避しようという共通の目的のために努力する敵の姿を、眼前に見ることになった。
 この混乱は、ミッターマイヤーが部下に命じてスピードを落とさせ、互いの距離をおくようにしたため、ようやく収拾された。もっとも同盟軍にとって、これは敵の追撃の再組織化を意味したにすぎず、安全な距離をおいて浴びせかけられる帝国軍の砲火に、次々と艦艇や人命を失っていった。
 旗艦パラミデュースも艦体の七ヶ所を破損し、司令官アル・サレム中将も肋骨を折る重傷を負った。副司令官モートン少将が指揮権を引き継ぎ、残兵をかろうじて統率しつつ長い敗北の道をたどった。
 敗残行の困苦は、もちろん彼らばかりではなかった。
 同盟軍の各艦隊が、いずれも同じ悲哀をかこわなくてはならなかった。ヤン・ウェンリーの第一三艦隊すらも例外ではなくなっていた。
 このとき、最初の戦場から六光時(約六五億キロ)後退したヤンの第一三艦隊は、四倍の敵と対抗することを余儀なくされる状況にあった。しかも、この方面、|C《ツェー》戦区の帝国軍指揮官キルヒアイスは、すでに第七艦隊を敗走させていたが、兵力と物資を連続して最前線に投入し、間断ない戦闘によって同盟軍を消耗させようとしている。
 この戦法は奇略の産物ではなく、正統的なものであり、運用において堅実をきわめていたので、
「つけこむ隙も逃げ出す隙もない」
 とヤンに溜息をつかせた。
「ローエングラム伯は優秀な部下を持っているようだ。けれん味のない、いい用兵をする……」
 感心ばかりはしていられなかった。正攻法で戦っていたのでは、数的に劣勢な同盟軍が敗北に追いこまれることは明らかだったからだ。
 考えた末に、ヤンはとるべき戦法を決定した。確保した宙域《スペース》を捨てて敵の手にゆだねる。しかし整然と後退して敵をU字陣型のなかへ誘いこみ、その隊形と補給が伸びきった時機に、総力をあげて三方から反撃する。
「これしかない。もっとも、敵がこれに乗ってくれれば、だが……」
 ヤンの戦法は、兵力を蓄積する時間と、完全な指揮権の独立とがあれば、あるていどの成功を収め、帝国軍の前進を阻止することができたかもしれない。
 しかし、彼は、そのどちらも手に入れることができなかった。圧倒的な量感をもって迫る帝国軍の猛攻にたえながら、苦心して艦隊をU字型に再編しつつあるヤンのもとに、イゼルローンからの命令が届けられたのである。
「本月一四日を期してアムリッツァ恒星系A宙点に集結すべく、即時、戦闘を中止して転進せよ」
 それを聞いたとき、ヤンの顔に苦い失望の影がさすのを、フレデリカは見た。一瞬でそれは消え去ったが、代わって溜息が洩れた。
「簡単に言ってくれるものだな」
 それだけしか言わなかったが、この状態で敵前から退くことの困難がフレデリカには理解できる。まして無能な敵ではない。ケンプの場合と同様、退いてもよいものなら、最初から退いていた。そうはいかない相手だから戦っていたのだ。
 ヤンは命令にしたがった。しかし彼の艦隊は、この困難な退却戦において、それまでに数倍する犠牲者を出したのだった。

 帝国軍の総旗艦ブリュンヒルトの艦橋で、ラインハルトはオーベルシュタインの報告を受けていた。
「敵は敗走しつつも、それなりの秩序を保って、どうやらアムリッツァ星系をめざしているようです」
「イゼルローン回廊への入口に近いな。しかしただ逃げこむだけとも思えん。卿はどう思うか?」
「集結して再攻勢に出るつもりでしょう。遅まきながら兵力分散の愚に気づいたと見えます」
「たしかに遅いな」
 額から眉へ落ちかかる金髪を形のいい指でかき上げながら、ラインハルトは冷たく微笑した。
「どう対応なさいますか、閣下?」
「当然、わが軍もアムリッツァに集結する。敵がアムリッツァを墓所としたいのであれば、その希望をかなえてやろうではないか」
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   第九章 アムリッツァ


     T

 恒星アムリッツァは無音の咆哮《ほうこう》をあげ続けていた。
 核融合の超高熱のなかで、無数の原子が互いに衝突し、分裂し、再生し、飽くことのないその繰返しが、膨大なエネルギーを虚空に発散させている。さまざまな元素がさまざまな色彩の炎を一万キロメートル単位で躍動させ、赤く、黄色く、あるいは紫色にと、見る者の視界を染め変えるのだった。
「どうも好かんな」
 通信パネルのなかで、ビュコック中将が白っぽい眉の根を寄せている。ヤンは同意の印にうなずいた。
「不吉な色ですね、たしかに」
「色もだがな、この恒星の名もだ。気に入らんのだよ、わしは」
「アムリッツァ、がですか?」
「頭文字がAだ。アスターテと同じだ。わが軍にとって鬼門としか思えん」
「そこまでは気づきませんでした」
 老提督の気に病みようを嗤《わら》う気にはなれなかった。半世紀を宇宙の深淵のなかで送った|宇宙船乗り《スペース・マン》には特殊な感性と経験則があるのだ。アムリッツァを決戦場に指定した総司令部の判断よりは、迷信じみた老提督の言のほうに理を感じたくなるヤンだった。
 ヤンの気分は、溌剌《はつらつ》とは言いがたかった。善戦したとはいえ、麾下の艦隊の一割を失い、反撃策も封じられての後退である。徒労感だけがあった。イゼルローンから物資の補給を受け、負傷者を後送し、部隊を再編する間に、タンク・ベッド睡眠もとったのだが、精神はいっこうにリフレッシュされなかった。
 これではいけないのだろう、とは思う。指揮官と兵力の過半を失った第一〇艦隊も、現在ではヤンの指揮下におかれている。敗残処理の才能だけは総司令部もどうやら認めてくれたようだが、責任の加重はありがたいことではなかった。責任感にも才能にも限度というものがあり、どれだけ期待されても、あるいは強制されても、不可能なことは不可能なのである。「ぼやきのユースフ」ではないが、何だってこんな苦労をせねばならぬのか。
「いずれにせよ、総司令部の奴らめ、前線へ出て来てみればいいのだ。将兵の苦労がすこしはわかるだろう」
 通信を切るに際してのビュコックの言がそれだった。部隊の配置を調整するための会話が、後半、総司令部に対する弾劾《だんがい》になってしまっていた。
 それを脱線と呼ぶ気にはヤンはなれない。腹立たしい思いは彼も同じなのである。
「お食事をなさって下さい、閣下」
 映像の消えた通信パネルから振り向くと、盆《トレイ》を抱えてフレデリカ・グリーンヒル中尉がたたずんでいた。盆の上には、ソーセージと野菜をなかに詰めて巻いた小麦蛋白《グルテン》のロースト、ウイングド・ビーンのスープ、カルシウム強化ライ麦のパン、ヨーグルトをかけたフルーツ・サラダ、ロイヤル・ゼリーで味つけしたアルカリ性飲料……。
「ありがとう、だけど食欲がない。それよりもブランデーを一杯欲しいな」
 彼の副官はその要求を目で拒絶した。ヤンは不服そうに彼女を見た。
「どうしてだめなんだ」
「お酒がすぎると、ユリアン坊やに言われませんでした?」
「何だ、君たちは連帯してたのか」
「お体を心配しているんです」
「しかし、そこまで心配してもらう理由はないぞ。酒量が増えたと言ったって、これでやっと人並みだ。身体をそこねるまでには、たっぷり一〇〇〇光年はあるさ」
 フレデリカがそれに応えようとしたとき、耳ざわりな警報が響きわたった。
「敵接近! 敵接近! 敵接近」
 ヤンは副官に軽く手を振って見せた。
「中尉、聞いての通りだ。生き残れたら、余生は栄養に心がけることにするよ」
 同盟軍の兵力はすでに半減している。ことに、勇猛で名戦術家でもあったウランフ提督の死は大きな打撃といえた。士気も高くない。満を持し、勝に乗じて正攻法で攻撃してくる帝国軍に、どのていど、対抗できるだろうか。
 ロイエンタール、ミッターマイヤー、ケンプ、ビッテンフェルトら帝国軍の勇将たちは、戦艦の艦首を並べ、密集隊形で突進してきた。それは細かい戦法を無視した力ずくの攻撃に見えたが、じつはキルヒアイスが別働隊を率いて同盟軍の後背に回りこもうとしており、挟撃の意図を隠すためにも、同盟軍に余裕を持たさないだけの猛攻を加えねばならないところだった。
「よし、全艦、最大戦速」
 ヤンは命令した。
 第一三艦隊は動き始めた。
 両軍の激突が開始されていた。無数のビームとミサイルが飛びかい、爆発光が闇を灼《や》いた。引き裂かれた艦体がエネルギー風に乗って奇怪な舞踊をしつつ飛翔する。それらの渦中を、第一三艦隊は傍若無人に横断して前方の敵に襲いかかった。
 それはヤンの指令でフィッシャーが細心に算出した減速と加速のスケジュールにしたがって実行された。第一三艦隊は恒星アムリッツァの巨大な炎の影から猛然と躍り出したが、それは遠心力によって太陽からちぎり飛ばされたコロナのようでもあった。
 この意外な方角からの速攻を引き受けることになった帝国軍の指揮官はミッターマイヤーだった。勇敢な彼だが、意表を突かれたことは否定できず、先手を取られる形になった。
 第一三艦隊の最初の攻撃は、ミッターマイヤー艦隊にとって、文字通りの痛撃となった。
 それは過密なまでの火力の集中であった。一隻の戦艦、それも艦体の一ヶ所に半ダースのレーザー水爆ミサイルが命中したとき、どのような防御手段があるというのか?
 ミッターマイヤーの旗艦は、周囲を火球の群に包囲され、自らも左舷に損傷を受け、やむをえず後退した。後退しながらも陣型を柔軟に変化させ、被害を最小限度にとどめつつ、反撃の機会を狙っているのが、非凡な戦術家であることをうかがわせる。
 ヤンとしては、一定の損害を与えたことで満足して、深追いは避けねばならなかった。それにしても、と彼は思う。ローエングラム伯の配下には何と人材が多いことか。味方にも、ウランフやボロディンがいれば、せめて互角の戦いが挑めたであろうけども……。
 そのとき、ビッテンフェルトの艦隊が高速で突出して来て、第一三艦隊と第八艦隊との間の宙域――D4宙域という便宜上の名称を有していた――に割りこんだ。大胆とも無謀とも言いようがない。
「閣下、新たな敵が二時方向に出現しました」
 それに対するヤンの返答は、あまりまっとう[#「まっとう」に傍点]とは言えなかった。
「へえ、そいつは一大事」
 だが、ヤンはラインハルトと共通する長所を持っていた。彼はすぐ理性を回復し、命令を下した。
 装甲の厚い巨艦が縦にならび、敵の火力に対して壁を作った。その間隙から、装甲は貧弱だが機動力と火力に富んだ砲艦とミサイル艦が容赦ない攻撃を浴びせる。
 ビッテンフェルト艦隊の各処に次々と穴があいた。しかしそのスピードは落ちなかった。反撃も激しく、巨艦の壁も一部が崩れ、ヤンをひやり[#「ひやり」に傍点]とさせた。
 それでも第一三艦隊に重大な損害はなかったが、第八艦隊が受けた傷は深く大きかった。ビッテンフェルトの速さと勢いに対応できず、側面から艦列を削《けず》り取られ、物理的にもエネルギー的にも抵抗の術《すべ》を失いつつあった。
 戦艦ユリシーズは帝国軍の砲撃によって被害を受けた。この被害は「軽微だが深刻なもの」であった。こわされたのは、微生物を利用した排水処理システムで、そのため同艦の乗員たちは、逆流する汚水に足を浸されながら戦闘を続けるはめになった。これは、生還すれば笑い話になるに違いないが、このまま死に赴くとすれば悲惨で不名誉なかぎりだった。
 ヤンは自分の目の前で友軍が宇宙の深淵のなかに溶け去ろうとするのを見た。まさに第八艦隊は羊の群、ビッテンフェルト艦隊は狼の群であった。同盟軍の艦艇はうろうろ逃げまわったあげく、鋭く猛々しい攻撃で破壊された。
 第八艦隊を救うべきか――。
 ヤンでもためらうことはある。救いに出れば、敵の勢いから見て乱戦になり、系統だった指揮などできなくなることは明らかだった。それは自殺行為にひとしかった。結局、彼は砲撃を密にするよう命じるしかなかったのである。
「進め! 進め! 勝利の女神はお前らに下着をちらつかせているんだぞ!」
 ビッテンフェルトの号令は、上品なものとは言えなかったが、部下の士気を高めたのはたしかで、側面からの砲火を意に介さない「黒色槍騎兵」の群はD4宙域を完全に制圧してしまった。同盟軍は分断されたかに見えた。
「どうやら勝ったな」
 ラインハルトはオーベルシュタインを顧みて、ごくかすかに声を弾《はず》ませた。
「どうも負けたらしいな」
 ほぼ同時に、そう思ったのはヤンだが、それを口に出すことはできなかった。
 古来、指揮官の発言は観念を具象化する魔力を持っているようで、指揮官が「負けた」と言うときは必ず負けるものなのだ――その逆はごくまれにしかないが。
 どうやら勝った、と思ったのはビッテンフェルトも同様だった。すでに同盟軍第八艦隊は瓦解《が かい》し、挟撃される恐れはない。
「よし、いま一歩だ。とどめ[#「とどめ」に傍点]を刺してやる」
 意気ごんだビッテンフェルトは、格闘戦《ドッグ・ファイト》によって、かなりの戦力を維持している同盟軍第一三艦隊に致命傷を与えてやろう、と考えた。
「母艦機能を有するすべての艦は、ワルキューレを発艦させよ。他の艦は長距離砲から短距離砲へ切り換えろ。接近して戦うんだ」
 積極的なその意図は、しかし、ヤンによって察知された。
 帝国軍の火力が一時的に衰えた理由が、攻撃法の転換によるものであることを一瞬でヤンは悟ったのだが、他の指揮官であっても、時間はかかったにしろビッテンフェルトの意図を察知するのは可能だったであろう。彼は早すぎたのだ。その失敗にヤンは最大限につけこむことにした。
「敵を引きつけろ。全砲門、連射準備!」
 数分後、D4宙域の帝国軍は、一転して敗北に直面することになったのだ。
 これを見たラインハルトは、思わず声をあげた。
「ビッテンフェルトは失敗した。ワルキューレを出すのが早すぎたのだ。敵の砲撃の好餌《こうじ 》になってしまったではないか」
 オーベルシュタインの冷静さにも刃こぼれが生じたようだった。もともと青白い顔が、彗星の尾に照らされたような色になって、
「彼の手で勝利を決定的にしたかったのでしょうが……」
 そう応じた声はうめきにちかかった。
 ビッテンフェルト軍を零距離射撃の範囲に引きずりこんだ同盟軍は、破壊と殺戮をほしいままにしていた。磁力砲《レール・キャノン》の撃ち出す超硬度鋼の砲弾は戦艦の装甲をつらぬき、核融合榴散弾や光子弾の炸裂は、乗員もろともワルキューレを微粒子の雲に変えてしまった。
 有彩色と無彩色の閃光が重なりあい、一瞬ごとに冥土への関門を開いて兵士たちを通した。
 ビッテンフェルトが誇る「黒色槍騎兵」の黒色は、屍衣《しい》の色と化しつつあるようだった。
 通信士官がラインハルトを振り向いで叫んだ。
「閣下! ビッテンフェルト提督より通信、至急、援軍を請うとのことです」
「援軍?」
 金髪の若い元帥は鋭く反応し、通信士官はたじろいだ。
「はい、閣下、援軍です。このまま戦況が推移すれば負けると提督は申しております」
 ラインハルトの足下で、軍靴の踵《かかと》が激しく鳴った。可動式の椅子があれば蹴倒していたであろう。
「私が魔法の壺を持っていて、そこから艦隊が湧き出て来るとでも奴は思っているのか!?」
 どなったラインハルトは、しかし一瞬で怒りを抑制した。最高司令官はつねに冷静でなければならないのだ。
「ビッテンフェルトに伝えろ。総司令部に余剰兵力はない。他の戦線から兵力を回せば、全戦線のバランスが崩れる。現有兵力をもって部署を死守し、武人としての職責をまっとうせよ、と」
 いったん口を閉ざしてから改めて命令した。
「以後、ビッテンフェルトからの通信を切れ。敵に傍受されたらわが軍の窮状が知れる」
 ふたたびスクリーンに蒼氷色《アイス・ブルー》の瞳を向けたラインハルトを、オーベルシュタインの視線が追った。
 冷厳だが正しい処置だ、と半白の髪の参謀長は考えた。ただ、と彼は思う。万人に対してひとしくこのような処置がとれるか。覇者に聖域があってはならないのだが……。
「よくやってるじゃないか、どちらも」
 スクリーンを見ながらラインハルトは呟いていた。
 総司令部が遠い後方にあり、全体の指揮が円滑を欠くにもかかわらず、同盟軍は善戦している。とくに第一三艦隊の働きはみごとだ。司令官はあのヤン・ウェンリーだという。名将の下《もと》に弱兵がないとはよく言ったものだ。自分がこれから征《ゆ》こうとする途上に、あの男は立ちはだかって来るのだろうか。
 ラインハルトは、不意にオーベルシュタインを顧みた。
「キルヒアイスはまだ来ないか?」
「まだです」
 簡明に答えた参謀長は、意識してか否か、皮肉っぽい質問を発した。
「ご心配ですか、閣下?」
「心配などしていない。確認しただけだ」
 叩きつけるように応じると、ラインハルトは口を閉ざしてスクリーンを睨んだ。
 その頃、全軍の三割という大兵力を指揮下に置いたキルヒアイスは、アムリッツァの太陽を大きく迂回して同盟軍の後背に回りこみつつあった。
「予定より少し遅れている。急ぐぞ」
 同盟軍の監視から逃がれるため、キルヒアイスは太陽の表面近くを航行したのだが、予測以上に強い磁力や重力のため航法システムが影響を受け、航法士《ナビゲーター》たちは原始的な筆算で航路を算定せざるをえなかったのだ。
 それが理由で、彼の軍はスピードを落としたのだが、ようやく目的宙域に到達した。
 同盟軍の後背――そこには広大で分厚い機雷原があった。
 たとえ帝国軍が後背に回ったとしても、四〇〇〇万個の核融合機雷がその進行をはばむはずだった。同盟軍首脳部はそう信じていた。ヤンも完全に安心してはいなかったが、敵が機雷原を突破する有効な手段を持っていても、短時間では無理であり、彼らが戦場に到達するまでに応戦体制を整えることができるのではないか、と思っていた。
 しかし、帝国軍の戦法は、ヤンの予測すらも超えていたのだ。
「指向性ゼッフル粒子《りゅうし》を放出せよ」
 キルヒアイスの命令が伝達された。
 帝国軍は同盟軍に先んじて、指向性を有するゼッフル粒子の開発に成功したのだった。これを実戦で使用するのは今回が最初である。
 円筒状の放出装置が三台、工作艦に引かれて機雷原に近づいた。
「早くしないと、やっつける敵がいなくなってしまうかもしれませんな」
 幕僚のジンツァー大佐が大声で言い、キルヒアイスは軽く苦笑した。
 濃密な粒子の群が、星間物質の雲の柱のように機雷原をつらぬいてゆく。機雷に備わった熱量や質量の感知システムも反応しない。
「ゼッフル粒子、機雷原の向う側まで達しました」
 先頭艦から報告が届いた。
「よし、点火!」
 キルヒアイスが叫ぶと、先頭艦の三門のビーム砲が慎重にそれぞれ異なった方向を定め、ビームを射出した。
 次の瞬間、三本の巨大な炎の柱が機雷原を割った。白熱した光が消え去った後、機雷原は三ヶ所にわたってえぐり抜かれ、その位置にあった機雷は消滅していた。
 機雷原のただなかに、直径二〇〇キロ、長き三〇万キロのトンネル状の安全通路が三本、短時間のうちにつくられたのである。
「全艦隊突撃! 最大戦速だ」
 赤毛の若い提督の命令が帝国軍を駆り立てた。三万隻を数える彼の艦隊は、三本のトンネルを流星群のように駆け抜け、同盟軍の無防備の背中に襲いかかって行く。
「後背に敵の大軍!」
 数を特定できないほどの発光体の群を感知してオペレーターたちが絶叫したとき、キルヒアイス軍の先頭部隊は砲撃によって同盟軍の艦列に次々と穴をあけ始めていた。
 同盟軍の指揮官たちは驚き、うろたえた。それは何倍にも増幅されて兵士たちに伝わり――その瞬間、同盟軍の戦線は崩壊した。
 艦列が崩れ、無秩序に散らばりかけた同盟軍に帝国軍は砲火を浴びせ、容赦なく叩きのめし、撃ちくだいた。
 勝敗は決した。

 味方が総崩れとなる情景を、ヤンは黙って見つめている。あらゆる状況を想定することは人間には不可能なのだと、いまさらに思い知らされていた。
「どうします、司令官」
 生つばを飲み下す大きな音をたてながら、パトリチェフが訊ねた。
「そうだな、逃げるにはまだ早いだろう」
 どことなく他人事のような返答だった。
 一方、帝国軍旗艦ブリュンヒルトの艦橋は、勝利に湧いている。
「一○万隻の追撃戦ははじめて見るな」
 ラインハルトの声が若者らしく弾《はず》んだ。半白の髪の参謀長は散文的に反応した。
「旗艦を前進させますか、閣下?」
「いや、やめておく。この段階で私がしゃしゃり出たら、部下の武勲を横どりするのかと言われるだろう」
 むろんそれは冗談だったが、ラインハルトの心理的余裕を示するものだった。
 会戦自体は終幕へとなだれこんでいたが、殺戮と破壊の激しさは衰えを見せなかった。狂熱的な攻撃と絶望的な反撃が何度も繰り返され、局地的には帝国軍が劣勢に立った宙域さえあった。
 この期《ご》におよんで戦術的な勝利に何ほどの意味があろうとも思われなかったが、勝利を目前とした者はそれをより徹底させようと望み、敗北に瀕した者は不名誉をつぐなうために一兵でも多く道連れにしようと願っているかのようであった。
 しかしそのように狂的な闘争以上に、勝者たる帝国軍に流血を強《し》いたのは、ヤン・ウェンリーの組織した秩序ある抵抗で、彼は味方を安全圏に逃がすため、なお戦場に残っていたのである。
 局地的に火力を集中して、帝国軍の兵力を分断し、指揮系統を混乱させては各個に打撃を加えるというのが、その手法だった。
 自滅や玉砕を悲壮美として、それに陶酔するような気分はヤンとは無縁だった。敗走する味方を援護しながら、彼は自軍の退路をも確保し、撤退のチャンスをうかがっている。
 メイン・スクリーンと戦術コンピュターのパネルとを交互に睨んでいたオーベルシュタイン参謀が、ラインハルトに警告を発した。
「キルヒアイス提督でも誰でもよろしいが、ビッテンフェルト提督を援護させるべきです。敵の指揮官は包囲のもっとも弱い部分を狙って、一挙に突破をはかりますぞ。現在ではわが軍の兵力に余裕があるのですから、先刻とは違ってそうなさるべきです」
 ヲインハルトは黄金色の頭髪をかきあげ、視線を素早く移動させた。スクリーンヘ、いくつかのパネルヘ、そして参謀長の顔へ。
「そうしよう。それにしてもビッテンフェルトめ、あいつひとりの失敗で、いつまでも崇《たた》られる!」
 ラインハルトの命令が超光速通信《F T L》に乗って虚空を飛んだ。それを受信したキルヒアイスは配下の戦列を伸ばして、ビッテンフェルト艦隊の後方にもう一重の防御ラインを敷こうとした。
 撤退のチャンスを測り続けていたヤンは、帝国軍のこの動きに気づいて、瞬間、血行がとまる思いを味わった。退路を絶たれた! 遅すぎたか? もっと早い時機に脱出すべきだったか……。
 しかし、ここで幸運がヤンに味方した。
 キルヒアイス艦隊の急行動を見て、その進行方向に居あわせた同盟軍の戦艦がパニックに襲われ、大質量のちかくであるにもかかわらず、跳躍《ワ ー プ》したのである。
 必ずしも珍しいことではなかった。逃走不可能を知った宇宙船が、確実な死より未知の恐怖を選んで、進路の算定も不可能なまま亜空間《サブ・スペース》へ逃げこんでしまうのだ。逃走ができぬとあれば、降伏という方法もあり、その意思を示す信号も定められているのだが、逆上した者は、それに気づかない。亜空間に逃げこんだ人々がどのような運命に迎えられたか、それは死後の世界について定説がないのと同様、誰も知らなかった。
 それでも彼らは自己の運命を自己の手で選んだのだが、そうでない者にとってはとんだ災厄であった。前方の敵艦が消失し、それにともなって烈しい時空震の発生を知覚した帝国軍各艦のオペレーターたちは、肺活量のかぎりをつくして危険を知らせた。その声に回避命令の怒号が重なる。艦隊の前半がその無秩序な波動に巻きこまれ、混乱のなかで数隻が衝突、破損してしまった。
 このためキルヒアイスは艦隊を再編するのにてまどり、それはヤンに貴重な時間を与えることになった。
 ビッテンフェルトは名誉回復に熱中し、少数の部下を率いて勇戦していた。だが、その動きは眼前に現れる敵に、そのつど対応してのもので、戦局全体を見てのものではなかった。
 彼がキルヒアイスの動きに注意していれば、ラインハルトとの通信が途絶していても、ヤンの意図を察して、その退路を効果的に絶つことができたかもしれない。
 しかし味方との有機的なつながりを欠く以上、それは単に少数部隊というだけのことにすぎなかった。
 そのビッテンフェルト艦隊に、ヤンは残存兵力のすべてを一挙に叩きつけたのである。
 ビッテンフェルトには先刻の失敗をつぐなう戦意があり、能力もあったが、それらを生かすための兵力が、このときは決定的に不足していた。そしてそれは状況に対処する時間的余裕の欠乏をも意味したのだ。
 たちまちのうちに,ビッテンフェルト艦隊は旗艦以下数隻にまで撃ち減らされていた。なおも反撃を叫ぶ指揮官を、オイゲン大佐らの幕僚が必死に制止しなかったら、彼らは文字通り全滅しただろう。
 こうして確保した退路から、ヤンの率いる同盟軍第一三艦隊は次々と戦場を離脱して行った。秩序を保って流れ去る光点の群を、ビッテンフェルトは近くから呆然と、ラインハルトは遠くから怒りと失望に身を慄《ふる》わせつつ、ともに見送ることになったのである。
 両者の中間には、ミッターマイヤー、ロイエンタール、そして退路遮断を断念せざるをえなかったキルヒアイスがいた。三人の若い有能な提督は、通信回線を開いて会話を交している。
「どうして、たいした奴がいるな、叛乱軍にも」
 率直な口調でミッターマイヤーが賞賛すると、ロイエンタールが同意した。
「ああ、今度会うときが楽しみだ」
 ロイエンタールは黒にちかいダーク・ブラウンの髪をしたなかなかの美男子だが、はじめて彼を見る者が驚くのは、左右の瞳の色が違っているからだ。
 右目が黒、左目が青で「金銀妖瞳《ヘテロクロミア》」と呼ばれる一種の異相である。
 追撃しよう、とは誰も言わない。
 そのチャンスを失ったことを彼らは知っており、深追いを避ける分別を働かせていた。闘争本能だけでは、自分自身が生存することも部下を生存させることもできないのだ。
「叛乱軍は帝国領内から追い出され、イゼルローンに逃げこむだろう。これだけ勝てば、さしあたっては充分だ。まず当分は、再侵攻する気にはならんだろうし、またその力も失くなったはずだしな」
 ロイエンタールの声に、今度はミッターマイヤーがうなずく。
 キルヒアイスは消え去る光点を目で追っていた。ラインハルトさまがどうお考えになるか、と思う。アスターテ会戦に続いて、最後の段階でまたも完勝の自負を突き崩されたのだ。前回ほど寛大な気分にはなれないのではないか。
「総司令部より入電! 残敵を掃討しつつ帰投せよとのことです」
 通信士官が告げた。

     U

「卿《けい》らはよくやった」
 戦艦ブリュンヒルトの艦橋で、帰投してきた提督たちをラインハルトはねぎらった。
 ロイエンタール、ミッターマイヤー、ケンプ、メックリンガー、ワーレン、ルッツらの手を次々と握り、その武勲をたたえ、昇進を約束する。キルヒアイスに対しては、左の肩を軽く叩いただけで何も言わなかったが、ふたりにはこれで充分なのだった。
 若い帝国元帥の秀麗な顔に苦々しい翳りがさしたのは、ビッテンフェルトの来艦をオーベルシュタインが告げたときである。
 フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトの艦隊は――なお艦隊と呼びえるなら、だが――悄然と帰投して来たところだった。この会戦で帝国軍において彼ほど部下と艦艇を失った者はいなかった。同僚のロイエンタールやミッターマイヤーも一貫して激闘のなかにあったのだから、彼としては損害の大きさを他人のせいにすることはできないのである。
 戦勝の歓喜が、気まずい沈黙に席を譲った。青白い顔のビッテンフェルトは覚悟を決めたように上官の前に歩み寄り、深々と頭をたれた。
「戦は勝ったことだし、卿も敢闘したと言いたいところだが、そうもゆかぬ」
 ラインハルトの声は鞭の響きを思わせた。敵の大艦隊に直面して、眉ひとつ動かさない勇将たちが、思わず首をすくめる。
「わかっていよう――卿は功をあせって、進んではならない時機に猪突《ちょとつ》した。一歩誤れば全戦線のバランスが崩れ、別働隊が来る前にわが軍は敗北していたかもしれぬ。しかも無益に皇帝陛下の軍隊をそこねた。私の言うことに異議があるか?」
「ございません」
 返答する声は低く、元気がない。ラインハルトはひとつ息をつくと続けた。
「信賞必罰《しんしょうひつばつ》は武門のよって立つところだ。帝国首都《オーディン》に帰還ししだい、卿の責任を問うことにする。卿の艦隊はキルヒアイス提督の指揮下におく。卿自身は自室において謹慎せよ」
 これは厳しい、と誰もが感じたであろう。声のないざわめきがガス雲のように立ち昇るのを、「解散!」のひと声でラインハルトは断ち切り、自室へと大股に歩み出した。
 不運なビッテンフェルトの周囲に同僚たちが集って慰めの声をかけ始める。それをちらりと見て、キルヒアイスがラインハルトの後を追った。その姿をじっと見つめているのはオーベルシュタインであった。
「有能な男だが……」
 心のなかで、参謀長は独語した。
「ローエングラム伯との仲を、あまり特権的に考えられては困るな。覇者は、私情と無縁であるべきなのだ」
 総司令官の私室だけに通じる無人の廊下で、キルヒアイスはラインハルトに追いつき、声をかけた。
「閣下、お考え直し下さい」
 ラインハルトは激しい勢いで振り向いた。蒼氷色の瞳のなかで炎が燃えている。他人のいる前では抑えていた怒りを、彼は爆発させた。
「なぜ、とめるのだ? ビッテンフェルトは自己の任務をまっとうしなかったのだぞ。弁解のしようがあるまい。罰されて当然ではないか!」
「閣下、怒っておられるのですか?」
「怒って悪いか!」
「私がお訊きしているのは、何に対して怒っておられるのか、ということなのです」
 意味を測りかねて、ラインハルトは赤毛の親友の顔を見やった。キルヒアイスは沈着にその視線を受けとめた。
「閣下……」
「閣下はよせ、何が言いたいのだ。キルヒアイス、はっきり言え」
「では、ラインハルトさま、あなたが怒っておられるのは、ビッテンフェルトの失敗に対してですか?」
「知れたことを」
「私にはそうは思えません、ラインハルトさま、あなたのお怒りは、ほんとうはあなた自身に向けられています。ヤン提督に名を成さしめたご自身に。ビッテンフェルトは、そのとばっちり[#「とばっちり」に傍点]を受けているにすぎません」
 ラインハルトは何か言いかけて声を呑んだ。握りしめた両手に神経質な戦慄が走る。キルヒアイスは軽く溜息をつくと、不意にいたわりをこめて金髪の若者を見つめた。
「ヤン提督に名を成さしめたことが、それほどくやしいのですか」
「くやしいさ、決まっている!」
 ラインハルトは叫んで、両手を激しく打ち合わせた。
「アスターテのときは我慢できた。だが、二度も続けば充分だ! 奴はなぜ、いつもおれが完全に勝とうというとき現れて、おれの邪魔をするのだ!?」
「彼には彼の不満がありましょう。なぜ、自分は事の最初からローエングラム伯と対局できないのかと」
「…………」
「ラインハルトさま、道は平坦でないことをおわきまえ下さい。至高の座にお登りになるには、困難があって当然ではございませんか。覇道の障害となるのはヤン提督だけではありません。それをおひとりで排除できると、そうお考えですか」
「…………」
「ひとつの失敗をもって多くの功績を無視なさるようでは、人心をえることはできません。ラインハルトさまはすでに、前面にヤン提督、後背に門閥貴族と、ふたつの強敵を抱えておいでです。このうえ、部下のなかにまで敵をお作りになりますな」
 ラインハルトはしばらく、微動だにしなかったが、大きな吐息とともに全身から力を抜いた。
「わかった。おれがまちがっていた。ビッテンフェルトの罪は問わぬ」
 キルヒアイスは頭を下げた。ビッテンフェルト個人のことばかりで安堵したのではなかった。ラインハルトに直言を容れる度量があることを確認できて嬉しく思ったのである。
「そのことをお前が伝えてくれないか」
「いえ、それはいけません」
 キルヒアイスが言下に拒むと、ラインハルトはその意を諒解してうなずいた。
「そうだな、おれ自身で言わねば意味がないな」
 キルヒアイスが、寛恕《かんじょ》の意を伝えた場合、ラインハルトに叱責されたビッテンフェルトは、ラインハルトを怨む一方でキルヒアイスに感謝するようになるだろう。人の心埋とはそういうものだ。それでは結局、ラインハルトに寛恕を請うた意味がない、としてキルヒアイスは拒んだのである。
 ラインハルトはきびすを返しかけたが、動きを止めてふたたび腹心の友に対した。
「キルヒアイス」
「はい、ラインハルトさま」
「……おれは宇宙を手に入れることができると思うか?」
 ジークフリード・キルヒアイスは、まっすぐ親友の蒼氷色《アイス・ブルー》の瞳を見返した。
「ラインハルトさま以外の何者に、それがかないましょう」

 自由惑星同盟軍は、悄然たる敗残の列を作って、イゼルローン要塞への帰途に着いている。
 戦死および行方不明者、概算二〇〇〇万。コンピューターが算出した数字は、生存者の心を寒くした。
 死闘の渦中にありながら、第一三艦隊だけが、過半数の生存者を保っている。
 魔術師ヤンはここでも奇蹟を起こした――黒髪の若い提督を見る部下の目には、もはや信仰にちかい光があった。
 その絶対的信頼の対象は、旗艦ヒューベリオンの艦橋にいた。指揮卓の上に行儀悪く両脚を投げ出し、腹の上で両手の指を組み、眼を閉じている。若々しい皮膚の下に疲労の翳《かげ》が濃くよどんでいた。
「閣下……」
 薄目を開けると、副官のフレデリカ・グリーンヒル中尉がためらいがちにたたずんでいた。
 ヤンは黒い軍用ベレーに片手をかけた。
「レディーの前だけど失礼する」
「どうぞ――コーヒーでもお持ちしようかと思ったのです。いかがですか」
「紅茶がいいな」
「はい」
「できればブランデーをたっぷり入れて」
「はい」
 フレデリカが歩き出そうとすると、不意にヤンが彼女を呼び停めた。
「中尉……私は少し歴史を学んだ。それで知ったのだが、人間の社会には思想の潮流が二つあるんだ。生命以上の価値が存在する、という説と、生命に優るものはない、という説とだ。人は戦いを始めるとき前者を口実にし、戦いをやめるとき後者を理由にする。それを何百年、何千年も続けて来た……」
「…………」
「このさき、何千年もそうなんだろうか」
「……閣下」
「いや、人類全体なんてどうでもいい。私はぜんたい、流した血の量に値するだけの何かをやれるんだろうか」
 フレデリカは返答できず、ただ立ちつくしていた。ふと、ヤンはそれに気づいたようで、自分のほうが軽い困惑の表情になった。
「悪かったな、変なことを言って、気にしないでくれ」
「……いえ、よろしいんです。紅茶を淹《い》れて来ます、ブランデーを少しでしたね」
「たっぷり」
「はい、たっぷり」
 ブランデーを許してくれたのはごほうびなのかな、と思ったが、フレデリカの後姿を、ヤンは最後まで見ていなかった。彼はふたたび眼を閉じ、閉じながら呟いた。
「……ローエングラム伯は、もしかして第二のルドルフになりたいのだろうか……」
 もちろん誰も答えない。
 フレデリカが紅茶を盆《トレイ》に載せて運んで来たとき、ヤン・ウェンリーはそのままの姿勢で、ベレーを顔の上に載せて眠っていた。
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   第十章 新たなる序章


     T

 ……最終的な決戦場となった星域の名から、「アムリッツァ会戦」と呼称されることになった一連の戦闘は、自由惑星同盟軍の全面的な敗退によって結着を見た。同盟軍は銀河帝国軍の戦略的後退によって一時的に占拠した二〇〇余の辺境恒星系をことごとく放棄し、かろうじてイゼルローン要塞のみを確保することとなった。
 同盟軍が動員した兵力は三〇〇〇万人を超えたが、イゼルローンを経て故国に生還しえた者は一〇〇〇万人に満たず、未帰還率は七割に達しようという惨状であった。
 この敗北は、当然ながら同盟の政治・経済・社会・軍事の各方面に巨大な影を投げかけた。財政当局は、すでに失われた経費とこれから失われる経費――遺族への一時金や年金など――を試算して青くなった。アスターテにおける損害の比ではなかったのである。
 かくも無謀な遠征を強行した政府と軍部に対しては、遺族や反戦派から激烈な非難と弾劾《だんがい》が浴びせられた。低次元の選挙戦略や、ヒステリーの参謀の出世欲によって夫や息子を失った市民の怒りは、政府と軍部を叩きのめした。
「人命や金銭を多く費消したと言うが、それ以上に尊重すべきものがあるのだ。感情的な厭戦《えんせん》主義に陥るべきではない」
 主戦派のうち、なお、そう抗弁する者もいたが、
「金銭はともかく、人命以上に尊重すべきものとは何を指して言うのか。権力者の保身や軍人の野心か。二〇〇〇万もの将兵の血を無益に流し、それに数倍する遺族の涙を流させながら、それが尊重に値せぬものとでも!?」
 そう詰め寄られると沈黙せざるをえなかった。ごく一部の、良心が欠落した者をはぶいては、誰でも、自分は無事に生きているという事実に、忸怩《じくじ 》たるものを覚えていたからである。
 同盟の最高評畿会メンバーは全員、辞表を提出した。
 主戦派の声望が下がると、相対的に反戦派が脚光を浴びることになる。遠征に反対票を投じた三人の評議員は、その識見をたたえられ、翌年の選挙まで国防委員長トリューニヒトが暫定《ざんてい》政権首班の座に着くことになった。
 自宅の書斎で、トリューニヒトは自分の先見を誇って祝杯をあげた。彼の肩書から「暫定」の文字が消えるまで長く待つ必要はないであろう。
 軍部では、統合作戦本部長シトレ元帥と宇宙艦隊司令長官ロボス元帥が、ともに辞任した。ロボスは自らの失敗によって競争者シトレの足をも引っぱったのだと噂された。
 勇戦して戦死した二人の艦隊司令官、ウランフ中将とボロディン中将は、二階級特進して元帥の称号を受けた。同盟軍には上級大将という階級がなく、大将の上がすぐ元帥なのである。
 グリーンヒル大将は左遷されて国防委員会事務総局の査閲《さ えつ》部長となり、対帝国軍事行動の第一線からはずされた。
 キャゼルヌ少将も左遷され、国内の第一四補給基地司令官となって首都ハイネセンを離れた。アムリッツァ会戦における補給の失敗に、誰かが責任をとらねばならなかったのだ。彼は家族を首都に残して、五〇〇光年をへだてた辺境の地に赴任して行った。彼の妻はふたりの幼い娘をつれて実家に身を寄せた。
 フォーク准将は療養の後、予備役編入を命ぜられ、野心を絶たれたかに見える。
 こうして同盟軍の首脳部は、人的資源のいちじるしい欠乏状態を示すことになった。何ぴとがその空席を埋めるのか。
 統合作戦本部長の座に着き、それにともなって中将から大将に昇進したのは、それまで第一艦隊司令官であったクブルスリーである。
 彼はアスターテ、アムリッツァ、いずれの会戦にも参加しておらず、したがって敗戦の責を負うこともなかった。彼は首都警備と国内治安の任にあたり、伝統ある宇宙海賊組織の討伐と航路の安全確保に堅実な成果をあげていた。士官学校を優秀な成績で卒業し、いずれ軍人として最高峰に上ることは確実視されていたが、本人も予想しなかったスピードで、それが実現したわけである。
 クブルスリーの後任として第一艦隊司令官となったのは、アスターテ会戦で負傷し療養生活を送っていたパエッタ中将だった。
 宇宙艦隊司令長官に就任したのはビュコックで、当然、それにともなって大将に昇進した。宿将《しゅくしょう》が宿将たるにふさわしい地位に着いたわけで、この人事は軍の内外に好評を博した。いかに声望の高いビュコックでも、兵士あがりである以上、このような事態でなければ、宇宙艦隊司令長官の職には着けなかっただろう。その意味では、きわめて皮肉で、しかもよい結果が、惨敗という不幸から生み出されたことになる。
 ヤン・ウェンリーの処遇はすぐには決定しなかった。
 彼は指揮下にある第一三艦隊将兵の七割以上を生還させ、その生還率は比類ない高さを示した。彼が、安全な場所に隠れていた、とは何ぴとも非難できなかった。第一三艦隊はつねに激戦の只中にあり、しかも最後まで戦場に残って味方の脱出に力をつくしたのだ。
 クブルスリーは、ヤンが統合作戦本部の幕僚総監に就任することを望んだ。ビュコックは、ヤンに宇宙艦隊総参謀長の席を用意すると言明した。
 一方、もはや第一三艦隊の兵士たちにとって、ヤン以外の指揮官を頭上に戴くのは考えられないことだった。いみじくもシェーンコップが評したように、兵士たちは能力と運の双方を兼備する指揮官を欲するものだ。それが彼らにとって生存を可能にする最善の方法であるから。
 処遇が定まらない間、ヤンは長期休暇をとって惑星ミトラに赴いた。ハイネセンの官舎にいると、不敗の英雄に会いたいと押しかける市民やジャーナリストで外出もままならない状態であり、|TV電話《ヴ ィ ジ ホ ン》も鳴りっぱなしで、休めるものではなかったのだ。
 文章電送機は秒単位で手紙を吐き出した。そのなかにあった憂国騎士団本部からの「愛国の名将をたたえる」という一文はヤンを失笑させたが、第一三艦隊の戦死した兵士の母親から送りつけられた一文――「あなたもしょせんは殺人者の仲間だ」――は彼の気をくじかせた。実際、五十歩百歩なのだ。名誉も栄光も、無名の兵士たちの累々《るいるい》たる死屍の上にのみ、築かれてゆく……。
 ユリアンが休暇旅行を提案したのは、「落ちこんだ」うえに酒量が一段と増えたヤンを、見かねたからであろう。酔って騒いだりからんだりするヤンではないが、楽しんで飲む酒ではないから身体によかろうはずはない。
 ユリアンの提案に、ヤンは多少は自覚があったのか、素直に応じた。三週間を緑したたる自然のなかですごし、アルコールの気を抜いて首都に帰ると、辞令が彼を待っていた。
 イゼルローン要塞司令官・兼・イゼルローン駐留機動艦隊司令官・兼・同盟軍最高幕僚会議議員。
 それがヤン・ウェンリーに与えられた新たな身分だった。階級も大将に昇進した。二〇代の大将はいくつかの前例があったが、将官の年間三階級昇進は初めてのことである。
 イゼルローン駐留機動艦隊は、旧第一〇・第一三の両艦隊を合したもので、「ヤン艦隊」という通称を公式に認められることになった。
 若い国家的英雄に対して、同盟軍は最上級の好意を示したと言ってよい。ただ、それはどこまでもヤンの本意とは異なっていた。彼は出世より引退を、武人としての名誉より民間人としての平和を望んでいたのだから。
 とにかく、ヤンはイゼルローンに赴任し、国防の第一線における総指揮をとることとなった。
 当然、ハイネセンでの生活は終わるが、ユリアン少年をどうするか、が、ヤンの思案の種になった。キャゼルヌ夫人の実家にあずかってもらうことも考えたが、ユリアンには、ヤンの傍を離れる意思はまったくなかった。
 最初からついて行くつもりで準備を進めるユリアンを見て、ためらいながらもヤンは結局、つれて行くことにした。いずれ身辺の世話をするために従卒が付けられるのだから、それならユリアンにまかせたほうが何かと気楽というものだ。自分と同じ道を歩ませたくないと思いながらも、ヤンはユリアンを手離したくなかったのである。ユリアンは兵長待遇軍属という身分を軍からあたえられ、給料も支払われることになった。
 むろん、ユリアンだけがヤンにしたがったわけではない。
 副官はフレデリカ・グリーンヒル。駐留機動艦隊副司令官はフィッシャー。そして要塞防御指揮官としてシェーンコップ。参謀にムライとパトリチェフ、そしてアスターテ会戦でヤンを補佐したラオ。要塞第一宙戦隊長にポプラン。その他、旧第一〇艦隊から参加した幕僚もおり、「ヤン艦隊」は陣容を整えつつあった。
 これでキャゼルヌが事務面を担当してくれたら、と、ヤンは思い、可能なかぎり早く彼を呼ぶことにしようと考えるのだった。
 それにしても、気にかかるのは帝国軍の動向である。ローエングラム伯ラインハルトはともかく、彼の武勲に刺激された大貴族出身の提督たちが、同盟軍の抵抗力が弱まったこの時機を狙って、侵攻をたくらむのではないだろうか。
 ……しかし、その不安は幸いにして現実のものとはならなかった。銀河帝国の国内に容易ならざる事態が生じ、外征を行なう余裕などなくなってしまったのである。
 それは皇帝フリードリヒ四世の急死であった。

     U

 アムリッツァで大捷《たいしょう》をえて帰還したラインハルトを迎えたものは、帝国首都オーディンの地表を埋めつくすかに見える弔旗《ちょうき》の群であった。
 皇帝|崩御《ほうぎょ》!
 死因は急性の心臓疾患とされた。遊蕩《ゆうとう》と不摂生によって皇帝個人の肉体が衰弱していただけでなく、ゴールデンバウム皇家の血統それ自体が濁りはて、生命体として劣弱なものになっていることを示すかのような、突然すぎる死であった。
「皇帝が死んだ?」
 さすがに呆然とした表情を浮かべて配下の諸将を眺めながら、ラインハルトは心の奥で呟いた。
「心臓疾患だと……自然死か。あの男にはもったいない」
 あと五年、否、二年長く生きていれば、犯した罪悪にふさわしい死にざまをさせてやったのに、と思う。
 視線をキルヒアイスに向けると、共通の心情をこめた彼の瞳に出あった――それはラインハルトほど激しくはないが、あるいはより深かったかもしれない。一〇年前、彼らふたりから美しく優しいアンネローゼを強奪した男が死んだのだ。過ぎ去った歳月が回想の光を透過して、めくるめく輝きを放ちつつ彼らの周囲を乱舞するようだった……。
「閣下」
 冷静すぎる声が、ラインハルトを一挙に現実の岸に引き上げた。確認するまでもない、オーベルシュタインだ。
「皇帝[#「皇帝」に傍点]は後継者を定めぬまま死にました[#「死にました」に傍点]」
 公然と敬語をはぶいたその言いかたに、ラインハルトとキルヒアイスをのぞく他の諸将が一瞬、愕然と息を呑《の》んだ。
「何を驚く?」
 半白の頭髪の参謀は、義眼を無機的に光らせて一同を見わたした。
「私が忠誠を誓うのは、ローエングラム帝国元帥閣下にたいしてのみだ。たとえ皇帝であろうと敬語など用いるに値せぬ」
 言い放って、ラインハルトに向き直る。
「閣下、皇帝は後継者を定めぬまま死にました。ということは、皇帝の三人の孫をめぐって、帝位継承の抗争が生じることは明らかです。どのように定まろうと、それは一時のこと。遅かれ早かれ、血を見ずにはすみますまい」
「……卿の言は正しい」
 鋭く苛烈な野心家の表情で、若い帝国元帥はうなずいてみせる。
「三者のうち、誰につくかで、私の運命も決まるというわけだな。で、私に握手の手を差し伸べてくるのは三人の孫の後背に控えた、どの男だと思う?」
「おそらくリヒテンラーデ侯でありましょう。他の二者には固有の武力がありますが、リヒテンラーデ侯にはそれがありません。閣下の武力を欲するや切であるはず」
「なるほど」
 キルヒアイスに示すものとは異なる種類の笑いを、ラインハルトはその美貌に閃かせた。
「では、せいぜい高く売りつけてやるか」

 ……皇帝の急死によって、ローエングラム伯ラインハルトの地位はすくなからず動揺するものと一般には思われた。
 ところが結果は逆になった。国務尚書リヒテンラーデ侯の手により、五歳の皇孫エルウィン・ヨーゼフが、次代の皇帝となったからである。
 この幼児は先帝フリードリヒ四世の直系であったから、即位すること自体に不思議はなかった。ただ、あまりに幼少であり、何よりも有力な門閥貴族の背景がないのが、不利だと思われていた。
 こういう場合、ブラウンシュヴァイク公夫妻の娘、一六歳のエリザベートか、リッテンハイム侯夫妻の娘、一四歳のサビーネが、父親の家門と権勢を背景に女帝となっても、おかしくはないところである。いくつかの先例もある。そうなれば、若すぎる女帝を父親が摂政として補佐するということになるであろう。
 ブラウンシュヴァイク公にせよ、リッテンハイム侯にせよ、自信も野望もあったから、その事態を予想し、その予想を異現させるため、非公式の、しかし活発な宮廷工作に乗り出した。
 とくに、若い独身の子弟を有する大貴族がその標的となった。もしわが娘が帝位に即くことを応援していただけるなら、卿のご子息を新女帝の夫に迎えることを考えよう――。
 口約束が厳守されるものなら、皇帝の孫娘ふたりは、何十人もの夫を持たなくてはならないところだった。もし少女たちに恋人がいたにせよ、彼女らの意思が無視されることも明白であった。
 だが、国璽《こくじ 》と詔勅《しょうちょく》をつかさどる国務尚書リヒテンラーデ侯は、強大な勢力を有する外戚《がいせき》に帝国を私物化させる気はまったくなかった。
 彼は帝国の前途を憂慮しており、またそれ以上に自己の地位と権力を愛していた。彼は故フリードリヒ四世の嫡孫エルウィン・ヨーゼフを擁立することを決意したが、反対する人々の強大な勢力を考えると、自己の陣営を強化する必要に迫られた。番犬は強く、しかも御しやすくなければならない。
 熟慮の末、リヒテンラーデ侯はひとりの人物を選んだ。御しやすいとは言いがたい。むしろ危険な人物である。しかし強さにおいては異論の出る余地がない……。
 こうしてローエングラム伯ラインハルトは、公爵となったリヒテンラーデによって位階を侯爵に進め、帝国宇宙艦隊司令長官の座に着いたのである。
 エルウィン・ヨーゼフの即位が公表されると、ブラウンシュヴァイク公を始めとする門閥貴族たちはまず驚愕し、ついで失望し、さらに怒り狂った。
 しかし、リヒテンラーデ公[#「公」に傍点]とローエングラム侯[#「侯」に傍点]の、互いに利己的な動機からかわされた握手によって誕生した枢軸は、意外に強固なものであった。一方は他方の武力と平民階級の人気とを必要とし、一方は他方の国政における権限と宮廷内の影響力とを欲し、そしてふたりとも新皇帝の権威を最大限に利用することで、自己の地位と権力を確立しなければならなかったからである。
 エルウィン・ヨーゼフ二世の即位式典が挙行されたとき、乳母の膝に抱かれた幼い皇帝に重臣代表二名がうやうやしく忠誠を誓った。文官代表は摂政職に就任したリヒテンラーデ公、武官代表はラインハルトである。集った貴族、官僚、軍人たちは、両者が新体制の支柱であることを、いやいやながらも認めざるをえなかった。
 この新体制から疎外された門閥貴族たちは、文字通り歯ぎしりした。ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯は、新体制に対する憎悪をきずなとして結ばれることになった。
 リヒテンラーデ公は先帝フリードリヒ四世の死とともに役割を終え、国政から退くべき老廃の人物である。一方、ローエングラム侯[#「侯」に傍点]とは何者か。かがやかしい武勲の主とはいえ、貴族とは名ばかりの貧家に生まれ、姉に対する皇帝の寵愛を利用して栄達した下克上《げこくじょう》の孺子《こ ぞ う》にすぎないではないか。このようなやからに国政を壟断《ろうだん》させておいてよいのか……門閥貴族たちは私憤を公憤に転化させ、新体制の顛覆《てんぷく》を望んだ。
 このように共通した、しかも強大な敵がいるかぎり、リヒテンラーデ=ローエングラム枢軸は金城鉄壁の強固さを発揮するであろうし、そうならざるをえない。
 ローエングラム侯となったラインハルトは、ジークフリード・キルヒアイスを一挙に上級大将に昇進させ、宇宙艦隊副司令長官に任命した。
 この人事にはリヒテンラーデ公も積極的に賛成した。キルヒアイスに恩を売る、という考えを、彼はいまだに捨てていなかったのだ。
 危惧を抱いたのはオーベルシュタインである。彼は中将に昇進し、宇宙艦隊総参謀長とローエングラム元帥府事務長を兼任することになったが、一日、ラインハルトに面会して苦言を呈《てい》した。
「幼友達というのはけっこう、有能な副将もよろしいでしょう。しかし、その両者が同一人というのは危険です。そもそも副司令長官をおく必要はないので、キルヒアイス提督を他者と同列におくべきではありませんか」
「出すぎるな、オーベルシュタイン。もう決めたことだ」
 若い帝国宇宙艦隊司令長官は、不機嫌そうな一言で、義眼の参謀の口を封じた。彼はオーベルシュタインの機謀《き ぼう》を買ってはいても、心を分かちあえる友とは思っていない。彼の分身に対して讒訴《ざんそ 》めいたことを言われると、愉快な気分にはなれなかった。
 皇帝の死後、グリューネワルト伯爵夫人アンネローゼは宮廷から退がって、ラインハルトが姉と彼自身のために用意したシュワルツェンの館に移り住んだ。姉を迎えたラインハルトは、少年のように気負って言った。
「もう姉上に苦労はさせません。これからはどうか幸福になって下さい」
 ラインハルトにしては平凡な台詞《せ り ふ》だったが、真情がこもっていた。
 しかし彼には、非情な野心家という、姉には見せたくない別の一面がある。
 彼は、ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯が秘密の同盟を結んだことを察知しており、内心それを歓迎していた。
 暴発するがよい。新帝に対する反逆者として彼らを処断し、門閥貴族の勢力を一掃してやる。フリードリヒ四世の女婿である大貴族両名を斃《たお》せば、余人はラインハルトの覇権に屈せざるをえない。列侯が土にひざまずいて服従を誓うだろう。そのときには、おのずとリヒテンラーデ公との盟約は破れることになる。古狸《ふるだぬき》め、せいぜいいまのうちに位《くらい》人臣をきわめたわが身を祝っていることだ。
 一方、リヒテンラーデ公も、ラインハルトとの枢軸関係を永続させようなどとは考えていない。ブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム侯が暴発するのを期待する点では、彼はラインハルトと同様であった。ラインハルトの武力をもって彼らを鎮圧する。そうなれば、もはやラインハルトのような危険人物に用はないのだ。
 ジークフリード・キルヒアイスは、ラインハルトの意を受け、ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯を首魁《しゅかい》とする門閥貴族連合の武力叛乱を想定し、それに対する戦争準備を着々と進めていた。
 彼は、自分の背中に注がれる、オーベルシュタインの冷たく乾いた視線を知っていたが、ラインハルトやアンネローゼとの仲にひびを入れられるとも思われず、後ろ暗い点もないので、必要以上の用心はしないことにした。
 任務に励むいっぽう、以前とは比較にならぬほどアンネローゼと会う機会が増えたキルヒアイスは、充実した幸福な日々を送ることになった。このような日々がいつまでも続けばよい……。

     V

 帝国と同盟、両方の陣営が、ようやく新たな体制を整え、あえぎながらも未来への階段を上りかけたころ、フェザーン自治領《ラント》では、自治領主《ランデスヘル》ルビンスキーが、私邸の奥まった一室に坐っていた。
 窓のないその部屋は厚い鉛の壁にかこまれて密閉されており、空間そのものが極性化されている。
 操作卓《コンソール》のピンクのスイッチを入れると、通信装置が作動した。それを肉眼で識別するのは困難だ。なぜなら、部屋そのものが通信装置であり、数千光年の宇宙空間を超え、ルビンスキーの思考波を超光速通信《F T L》の特殊な波調に変化させて送り出すようになっているからである。
「私です。お応え下さい」
 極秘の定期通信を明確な言語の形で思考する。
「私とはどの私だ?」
 宇宙の彼方から送られて来た返答は、この上なく尊大だった。
「フェザーンの自治領主《ランデスヘル》ルビンスキーです。総大主教《グランド・ビショップ》猊下《げいか 》には御機嫌うるわしくあられましょうか」
 ルビンスキーとは思えないほどの腰の低さである。
「機嫌のよい理由はあるまい……わが地球はいまだ正当な地位を回復してはおらぬ。地球がすぐる昔のように、すべての人類に崇拝される日まで、わが心は晴れぬ」
 胸郭全体を使った大きな吐息が、思考のなかに感じられた。
 地球。
 三〇〇〇光年の距離を置いて虚空に浮かぶ惑星の姿が、ルビンスキーの脳裏に鮮烈な映像となって浮かび上がった。
 人類によって収奪と破壊の徹底した対象となった末に、見捨てられた辺境の惑星。老衰と荒廃、疲弊《ひ へい》と貧困。砂漠と岩山と疎林《そ りん》のなかに点在する遺跡。汚染され永遠に肥沃さを失った土にしがみついて、細々と生き続ける少数の人々。栄光の残滓《ざんし 》と、沈澱《ちんでん》した怨念。ルドルフさえ無視した無力な惑星。未来を所有せず、過去のみを所有する太陽系の第三惑星……。
 しかし、その忘れられた惑星こそが、フェザーンの秘密の支配者なのだ。レオポルド・ラープの資金は、貧困なはずの地球から出ていたのである。
「地球は八〇〇年の長期間にわたり、不当におとしめられてきた。だが、屈辱の晴れる日はちかい。地球こそが人類の揺籠《ゆりかご》であり、全宇宙を支配する中心なのだ、と、母星を捨て去った忘恩の徒どもが思い知る時節が両三年中には来よう」
「そのように早くでございますか」
「疑うか、フェザーンの自治領主《ランデスヘル》よ」
 思考波が低く陰気な笑いの旋律を奏《かな》でた。総大主教《グランド・ビショップ》と称される宗政一致の地球統治者の笑いは、ルビンスキーをぞっと総毛だたせる。
「歴史の流れとは加速するもの。ことに銀河帝国と自由惑星同盟の両陣営において、権力と武力の収斂《しゅうれん》化が進んでおる。それに間もなく、新たな民衆のうねり[#「うねり」に傍点]が加わろう。両陣営に潜んでいた地球回帰の精神運動が地上に現われる。その組織化と資金調達は汝らフェザーンの者どもに任せておったはずだが、手ぬかりはあるまいな」
「もちろんでございます」
「われらの偉大なる先達《せんだつ》は、そのためにこそフェザーンなる惑星を選び、地球に忠実なる者を送りこんで富を蓄積せしめた。兵力によって帝国や同盟に抗することはできぬ。フェザーンがその特殊な位置を生かした経済力によって世俗面を支配し、わが地球が信仰によって精神面を支配し……戦火を交えずして宇宙は地球の手に奪回される。実現に数世紀を要する遠大な計画であった。わが代にいたってようやく先達の叡智が実を結ぶか……」
 そこで思考の調子が一変し、鋭く呼ぶ。
「ルビンスキー」
「は……!?」
「裏切るなよ」
 フェザーン自治領主《ランデスヘル》を知る者がひとりでもその場にいれば、この男でも冷たい汗を肌ににじませることがあるのか、と目をみはったであろう。
「こ、これは思いもかけぬことをおっしゃいます」
「汝には才幹も覇気もある……故に悪い誘惑に駆られぬよう、忠告したまでのこと。かのマンフレート二世、それに汝の先代の自治領主《ランデスヘル》がなぜに死なねばならなかったか、充分に承知しておろう」
 マンフレート二世は帝国と同盟とを平和共存させる理想を持ち、それを実行に移そうとした。ルビンスキーの前任者ワレンコフは、地球からコントロールされることを嫌って、自主的な行動に出ようとした。どちらも地球にとって不利な所業をしようとしたのである。
「私が自治領主となれましたのは、猊下のご支持があってのこと。私は忘恩の徒ではございません」
「ならよい。その殊勝《しゅしょう》さが、汝自身を守るであろう」
 ……定期通信を終え、部屋を出たルビンスキーは、大理石のテラスにたたずんで星空を見上げた。地球が見えないのは幸いだった。異次元から現世に立ち戻ったような安堵感が、徐々に、平常の彼の不敵な自信を回復させつつあった。
 フェザーンがただフェザーンだけのものであるなら、彼こそが銀河系宇宙を実質的に支配する存在でありえるだろう。残念ながら現実は違う。
 歴史を八〇〇年逆転させ、ふたたび地球を群星の首都たらしめようとする偏執狂どもにとって、彼は一介の下僕でしかないのだ。
 しかし、未来|永劫《えいごう》にわたってそうであろうか。そうであらねばならぬ正当な理由は、この宇宙のどこにもないはずである。
「さて、誰が勝ち残るかな。帝国か、同盟か、地球か……」
 独語するルビンスキーの口の端が、異称どおり狐のように吊り上がった。
「それともおれか……」

     W

「門閥貴族どもと雌雄を決するのはさけることができぬ。帝国を二分させての戦いになるだろう」
 ラインハルトの言葉にキルヒアイスがうなずく。
「ミッターマイヤー、ロイエンタールらと協議して、作戦立案は順調に進行しております。ただ、ひとつだけ心配なことがございますが……」
「叛乱軍がどう出るか、だろう」
「御意《ぎょい 》」
 帝国の国内勢力がリヒテンラーデ=ローエングラム枢軸とブラウンシュヴァイク=リッテンハイム陣営に二分されて内乱状態になったとき、その間隙を突いて同盟軍がふたたび侵攻して来たらどうなるか。作戦の立案と実行に自信を有するキルヒアイスも、その点に不安を感じている。
 金髪の若者は、赤毛の友に軽く笑ってみせた。
「案ずるな、キルヒアイス。おれに考えがある。ヤン・ウェンリーがどれほど用兵の妙を誇ろうとも、イゼルローンから出て来れなくする策がな」
「それは……?」
「つまり、こうだ」
 アイス・ブルーの瞳を熱っぽく輝かせながら、ラインハルトは説明を始めた……。

     X

「誘惑を感じるな」
 運ばれた紅茶に手もつけず何やら考えこんでいたヤンが呟いた。カップを下げに来たユリアンが大きく瞳をみはってそれを見つめながら、訊ねるのをはばかられる雰囲気を感じとって沈黙している。
 リヒテンラーデ=ローエングラム枢軸の迅速な成立によって小康をえたかに見える帝国の政情だが、このまま安定期に移行することはありえない。ブラウンシュヴァイク=リッテンハイム陣営は武力をもって起つ、いや、起つべく追いこまれるだろう。帝国を二分する内乱が発生する。
 そのとき巧妙に情勢を読んで介入する――たとえば、ブラウンシュヴァイクらと組んでローエングラム侯ラインハルトを挟撃して斃《たお》し、返す一撃でブラウンシュヴァイクらを屠《ほふ》る。銀河帝国は滅亡するだろう。
 あるいは、ブラウンシュヴァイクに策を授けてラインハルトと五分に戦わせ、両軍が疲弊《ひ へい》の極に達したところを撃つ……自分になら多分できる。ヤン自身はむしろ嫌悪感さえ抱く、彼の用兵家としての頭脳がそう自負するのだ。誘惑を感じる、とヤンが呟いたのはそのことである。
 もし自分が独裁者だったらそうする。だが彼は民主国家の一軍人にすぎないはずだ、行動はおのずと制約される。その制約を超えれば、彼はルドルフの後継者になってしまう……。
 ユリアンが冷《さ》めた紅茶のカップをいったんさげ、熱いのを淹《い》れ直してデスクの上に置いたとき、ヤンはようやく気づいて、「ああ、ありがとう」と言った。
「何を考えておいででしたか?」
 思いきって訊ねると、同盟軍最年少の大将は、少年めいた恥ずかしそうな表情になった。
「他人に言えるようなことじゃないよ。まったく、人間は勝つことだけ考えていると、際限なく卑しくなるものだな」
「…………」
「ところで、シェーンコップに射撃を教わってるそうだが、どんな具合だ」
「准将がおっしゃるには、僕、すじ[#「すじ」に傍点]がいいそうです」
「ほう、そりゃよかった」
「司令官は射撃の練習をちっともなさらないけど、いいんですか」
 ヤンは笑った。
「私には才能がないらしい。努力する気もないんで、今では同盟軍で一番へたなんじゃないかな」
「じゃ、どうやってご自分の身をお守りになるんです」
「司令官が自ら銃をとって自分を守らなければならないようでは戦いは負けさ。そんなはめにならないことだけを私は考えている」
「そうですね、ええ、僕が守ってさしあげます」
「頼りにしてるよ」
 ヤンは笑いながら紅茶のカップを手にした。
 若い司令官を見ながら、ユリアンはふと思う――この人は自分より一五歳年上だけど、一五年後、自分はこの人のレベルに達することができるのだろうか。
 それは遠すぎる距離であるように、少年には思えた。

 ……無数の想いをのせて宇宙が回転する。
 宇宙暦七九六年、帝国暦四八七年。ローエングラム侯ラインハルトも、ヤン・ウェンリーも、自らの未来をすべて予知してはいない。
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底本の奥付
 TOKUMA NOVELS
 田中芳樹
 銀河英雄伝説1
 1982年11月30日 初刷
 1996年 2月15日 93刷

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